#1.1 魔物の住む異世界
むかし、むかし、ある摩天楼に聳え立つ52階建てのビルがあった。今もあるが。
『摩天楼ってな〜に? 答えよ』
いい質問だ。魔物の住む世界だ。そこの26階に、良子(仮)推定24歳がお勤めをしていた。今も勤めているが。
『(仮)ってな〜に? 4文字以内で答えよ』
嘘つきということだ。このご時世、誰も本名を名乗らず、嘘偽りの人生を送っている。
『推定ってな〜に? 正直に答えよ』
孫よ、レディーはな、皆、魔法で年齢を隠しておるのだ。本当は25だ。では、主人公の登場だ。続けよう。
◇
良子(仮)は成績優秀・有能な社員である、と自分では思っている。本当は、何をやっても”出来る子”だけど、それ故、やり甲斐が無く、”人生はつまらないもの”と思っている。
もっと刺激が、もっと美味しいものが欲しい。良子(仮)の日常業務は、その事を考える事であった。したがって、そんな良子(仮)に仕事を振ろうなどと、余計な事を考える暇な者は居なかった。
そんな良子(仮)を、同じ部署の良夫(仮)はウザイ…不憫に思っていた。あの目障り…可哀想な良子(仮)を、何とかこの世から抹殺…救ってやりたと、願っている。
ある時、良夫(仮)は閃いた。良夫(仮)の得意分野でこの問題を何とかしようと、早速、工作に取り掛かる。そして、完成品を上司に見せ、理由を説明すると一発OKとなった。良夫(仮)はそれに”辰五郎”と名付ける。何故、そんな名前にしたのか。良夫(仮)は心の中で、”辰五郎”ー>”たっちゃん”と呼んでほしかったらしい。
良子(仮)の足元に一匹の子猫が現れた。その首には”アプリをインストールすると会話できるよ”と書いてある。良子(仮)も女の子である。その子猫を自分の膝の上に乗せ、早速、自分のスマホにアプリをインストールする。
子猫との会話はチェット形式のようだ。
子 猫 > よう、俺は辰五郎だ。
良子(仮)> なぬ?
子 猫 > 今日からお前のパートナーとして働くことになった。覚悟しろ!
良子(仮)はアプリの設定を変えた。
子 猫 > よう、俺は大五郎だ。
良子(仮)> よかろう。
子 猫 > お前を一丁前の社員にしてやる。俺の教育方針に従が…
良子(仮)は、大五郎を放り投げ席を立った。もう飽きたのでトイレへ行く。良子(仮)は、廊下を歩くが、それに纏わり付くように大五郎も付いてくる。廊下には良子(仮)以外にも大勢が歩いている。小さな大五郎には大変危険だ。しかし大五郎には、自動回避機能が付いている。問題ない。
そんな良子(仮)と大五郎を、廊下を行き交う人達が、笑みを浮かべて通り過ぎて行く。それを良子(仮)は、自分に向けられた羨望の眼差しと思った。
トイレまで付いてきた大五郎。性別は不明だ。さすがにトイレの中を歩かせるのは、いくら良子(仮)でも気が引けた。仕方なく、右の肩に乗せ、用を済ませる。大五郎の性別は不明だ。
それ以来、大五郎は良子(仮)の右肩に常駐することになった。時折、耳元でニャーと鳴くが、良子(仮)には、その意味はわからない。廊下を歩く時も、社員食堂でご飯を食べる時も常に一緒だ。そのおかげで、良子(仮)を見る世間の目が変わった。正確には良子(仮)ではなく、大五郎が注目を浴びていたようだ。
珍しく良子(仮)のところに電話が掛かってきた。しかし、電話に出るような良子(仮)ではない。だが、その電話のコールは長い。観念した良子(仮)は受話器を上げる。
「しも〜」
電話の相手は社長の知り合いの友人だという。しかし、せっかく良子(仮)が電話応答したのに、それを大五郎が切ってしまった。
「何するんじゃー。ちっ!」
大五郎は、良子(仮)の手の届かない場所へ緊急避難した。後でわかったことだが、その社長の知り合いの友人というのは、詐欺の電話
だったらいい。
数日後、良子(仮)の肩から逃亡した大五郎が書類の山で遊び、ビリビリに引き裂いてしまう事件が起きた。良子(仮)は、それがバレないように、書類の山をシュレッターに掛けて証拠を隠滅した。後でわかったことだが、書類の山は破棄するのを忘れていたものらしい。
数日後、良子(仮)の肩から逃亡した大五郎が机の上を走り回り、部長のマグカップを割ってしまう事件が起きた。良子(仮)は、それがバレないように、代わりに紙コップを置いた。後でわかったことだが、そのマグカップには毒が仕込まれていたようだ。
こうして良子(仮)の評価は、うなぎ登りとなってしまった。
大 五 郎> 良子(仮)。お前はもう、一丁前の社員だ。
良子(仮)> 何を今更。
大 五 郎> お前に教えることは、もう何もない。卒業だ。あばよ。
良子(仮)> 達者で暮らせ。
大五郎は、静かに良子(仮)の元を去った。その目には、達成した者のみが見せることが出来るという、充電切れのマークが赤く点滅していた。
良子(仮)は、成績優秀・有能な社員である、と自分では思っている。大五郎は今、良夫(仮)の机の上で、静かに充電中である。
◇
『良子(仮)の言葉遣いが悪いわ。本当か? 本当ならママに叱られる』
孫よ、いい質問だ。
それは本当だ。俺は本人の心の声を聞いて再現している。間違いない。
『間違いないのだな』
間違いない。お前の母は、そんなもんだ。
『母だと』
いや、”世間のレディーは” という意味だ。
『よかろう。この場は騙されておこう』
いい心がけだ。
『アプリってな〜に? 的確に答えよ』
アプリとはな……お前、何を持っている?
『これか? 母のスマホだ』
ちょうどいい、その中にアプリが入っている。それで満足か?
『よかろう』
ところでだ、何故お前がそれを持っている?
『母の形見だ』
死んだのか?
『さあ』
それは良かった。今頃、探しているのではないか?
『大丈夫だ。ああ見えて、いや、普通に見ても母は抜けておる』
それもそうだ。
チャリンポリン。
スマホに電話が掛かってきたぞ。でなくていいのか?
『知らぬ相手だ。無視に限る』
それもそうだ。
『もしもし、誰だ』
出るのか。勇気ある行動だ。
『母だと言っている。信用ならぬ』
詐欺だな。電話を切ってやれ。
『合言葉を言え!』
まだ、続けるのか。
『合言葉が一致した』
情報が漏れているようだ。
『承知した。達者で暮らせ』
どこでそんな言葉を覚えたんだ。
『母の機嫌がねじ曲がっておった』
あれも人の子。許してやれ。
『あんな母を持って私は、不憫でならぬ』
代わりに俺がお前を守ろう。
『ダメだ。これは血の宿命、呪いだ。その血を引く私の未来は、暗い』
俺が元凶なのか。いや、俺一人では成し得ぬこと。
仕方あるまい。アイスでも食うか?
『うん!』
それでお前の未来は開けたか?
『うん!』
それは、何よりだ。