#6.2 荒ぶる川
川の辺りで釣りをする男女。タナベとマリアだ。
「どうだい」
「気は変わりませんよ」
「いや、釣れそうか、聞いただけだ」
「いいえ、全然」
ゆったりとした川の流れに、プカプカと『ウキ』が漂い、流れていく。タナベはそれを目で追いながら、時々、川上に投げ返す。これをずっと繰り返している。実は、タナベは釣り針も餌も付けていない。何故なら釣れたら困るからだ。タナベは魚を見るのも触るのもダメだ。だから釣りをしている振りをしている。なら、釣りをしている理由は何かというと、ただの思いつきだ。それに、会話だけに集中しなくて済む。話すことが尽きてしまったらマリアと一緒にいる理由がなくなる、タナベはそう考えた。
釣りに関してはマリアも同様だ。『ウキ』だけを付けている。マリアは、魚は苦手ではないが、ただ面倒なだけだ。だから、二人が魚を釣り上げることは無い、はずだ。
「どうだい?」
「全然ですよ」
二人の間に、静かな時間が流れていく。時折、水面に魚が水しぶきを立てることから、魚がいることは分かる。タナベは水面と、時々マリアの表情を伺っているが、どちらも大した変化は無い。
マリアは水面と、時々空を見上げては不満そうな溜息を零している。『この世界はバグが多すぎる』とマリアは思ったが、どっちの世界のことを言っているのかは分からない。
「釣れそうかい」
「ダメですよ」
マリアの気持ちを無難な方向に釣り上げる、そう思ったタナベだが何か妙案があったわけでもなく、こうして実際に釣りの真似事をしている。それに付き合わせられれるマリアだ。マリアには、そういうタナベの意図はお見通しではあったが、上司の頼みも無下に出来ず仕方なしに付き合っている、という程ではなく、何となくこの川のように流された、というところだろう。
「釣りって良いよね。ほら、何も考えずに済むし、こうやって静かに時を過ごすっていうのも、あれだよ、良いもんだよね」
「はあ、そうですね」
普段、釣りをしないタナベの言葉には説得力が無い。何が『良いよね』なのか言っている本人も良く分かっていないようだ。マリアは本当に退屈そうで欠伸まで量産している。これは、そう長くは保たないだろう。
「ほら、ウキが引いてるよ、ほら」
「えっ」
そんなことが起きるわけがないが、取り敢えず言ってみたタナベ。それを信じてはいないが、もしかして、万が一、有り得ない事が、と思ったマリアがサッと竿を引き上げてみる。そしてタナベに背を向けてウキの先が何も無い事がバレないようにと、ドキドキしている。タナベが『どれどれ』と見に来てはマズイので、引き上げたウキを素早く元に戻し言い訳を考えるマリアだ。
「ハズレでしたよ」
「そうか、それは残念だ」
二人は真面目に釣りをしているつもりである。そうお互いに思わせようとしているところが真剣だ。本当は釣りなどどうでも良いのだが、その振りこそ大事。もしかしたらお互いに騙し合いをしていることに気が付いているのかもしれないが、そこは触れないでいる。そうしないとバカらしくて演っていられないだろう。
二人の間に静かな時間が流れていく。流れすぎて退屈だ。ウキのように気分も浮き沈み、そのまま浮上しない錯覚に襲われ始めた頃、タナベが最初に根を上げる。
「もう、やめようか」
「そうですね」
二人は釣竿を持ったまま、川の辺りを後にする。勿論、両名共『ウキ』の先を隠していたのは言うまでもない。釣りをしていたのだから。その隠した先が何も無いのと同様、成果も何も無かったようだ。
◇
ゆったりとした川の流れに、冒険団を乗せたボートが豪快に進んで行く。そのボートにエンジンは付いていない。だが、進む。舵を操る者もいない。だが、進む。そんな細かいことを気にしない、のが冒険だ。
時折、魚が水面を飛び跳ねている。元気な魚だ。
(ギョ)
元気すぎて、時折、魚がボートを飛び越えていく。優雅なものだ。例の、羽の生えている魚が、まるでそのまま空まで飛んで行くんじゃないかと思えるほどだ。なに? それは海にいる魚じゃないかって? 無論、現実ではそうだろう。だがこの世界は、そういう世界だ。
しかし、その数が次第に増え、尋常じゃない数になってきた。それも、よりによってボートに向かってくるじゃないか。このボートが餌に見えるのか。それとも誰かがそう見えるのか。
(ギョギョ)
ヒロは、最初はふーんと見ていたが、飛び跳ねる魚に腰を抜かす。魚というより、もはや凶器が飛んでくるのと同じだ。
エリカとココナが船底に身を隠し、シロと大五郎Sがそれに立ち向かう。シロのネコパンチとネコキック、大五郎Sは口から炎を出し魚に挑む。
ヒロはいつまでも腰を抜かしているわけにもいかない。仕様書のバインダーを手に魚を撃退し、エリカ達を守りに近づく。
「怖え〜」
エリカは叫び、近づいてきたヒロのに抱きついた。それもガッツリと。その目は涙で溢れ、顔は引きつっている。
「怖え〜、怖え〜」
叫び続けるエリカに抱きつかれたヒロは、思うように動けない。魚達は遠慮なくヒロに体当たりする。当然痛い。痛いが動けない。泣き叫ぶエリカが飛んでくる魚にヒロの向きを変えても、一体何処にそんな力があるんだと思いながらもヒロはエリカの盾になっている。それを振り払い逃げてしまう程、ミクロの男ではないようだ。
ココナは一計を案じたが、いい案が浮かばない。シロのジェット噴射で吹き飛ばすことも考えたが燃料は使い切っていた。他に武器になるようなものは所持していない。なら、逃げるが勝ち、とその方法を模索する。
ふと、ヒロの見るとバインダーが邪魔そうだ。そこに秘策があるに違いない。そう思ったココナがスクッと立ち上がりヒロの持っているバインダーを奪い去り、さっと身を屈めた。無防備のヒロは格好の標的となった。マトは大きい、殺るなら今だ、と魚達は示し合わせたかのように突撃してくる。
仕方なくヒロはエリカを守ることに専念する。エリカは相変わらず狂ったように泣き叫んでいるが、俺も泣きたい、とヒロは思いながらもエリカの頭を覆うように抱え我慢する。一体何処にそんな男気が在ったのだろうか。まあいい、今は応援してやろう。
ココナが超スピードでバインダーをめくり、ある箇所を丸暗記した。そして船底を叩き、信号を送る。ボートは唸りを上げながら速度を上げ、魚達の攻撃が無くなるまで川を下った。そして、魚の姿が見えなくなったところで速度を落とした。
「怖え〜、怖え〜」
無事、危機から脱したがエリカはヒロを離そうとしない。恐怖のあまり体が言う事を聞かなくなったようだ。
「もう、大丈夫、大丈夫だ」
ヒロは身体中が痛かったが、エリカの頭を撫でながら声を掛け続けた。二人を見ていたココナがホッと胸をなでおろす。
ボートに便乗した魚はシロと大五郎Sが船外に放り出している。それが無くなった頃、ココナがエリカをそっと抱きしめると、エリカはやっとヒロを解放し、今度はココナに抱きついた。
「怖かったよ〜」
静かな川にエリカの泣き声が、響き渡っている。
◇◇
ココナがエリカの頭を撫でながら、子供をあやすように歌を歌い始めた。それは小さな声だったが、エリカを落ち着かせるには十分のようだ。
それをヒロは離れたところから見ていたが、まるでココナがエリカの姉のように見えた。実際はエリカの方が二歳上だ。そんな二人を見て、というより、エリカが何時ものように早く元気になればいいな、と思っているようだ。
◇
次第に川幅が狭くなり、川の流れが速くなってきた。
ボートには意志があるように、器用に岩などの障害物を避けていく。ヒロは船首に戻り、後ろ向きで二人を見守っている。
エリカは座席の前の方にあるバーを両手を伸ばして握っている、その顔はボーとしているが、時々、視線を水面に向け、襲ってくる魚はいないか、と警戒しているようだ。
その横でココナがエリカを気遣っていた。その様子はどう見ても、遠足に来た母親とその娘のように見える。実際、エリカの頭はココナの肩くらいの位置にあって、身を屈めていた。少しでも体が船から出ないようにしているようだ。
川の流れが早いせいか、今日のボートは元気がいい。左右だけでなく上下にも元気に飛び跳ねる。その度、先頭のヒロに水しぶきが掛かる。男の勲章だ。
これを見てココナはニコニコしているが、隣のエリカは口を一文字にしたままピクリともしない。そんなエリカを見てヒロは、だんだん腹が立ってきたようだ。元気のないエリカを見るのが嫌になり、それをどうしてもやれない自分に腹が立つようだ。
ボートは幾つかの小さな滝を下り、その度に大きく揺れ、大きな水しぶきが上がる。ココナが小さな悲鳴をあげ、エリカの肩を叩くが、ノリが悪い。本来なら両手を上げて喜んでいただろう、とヒロは想像していたようだ。
◇




