#6.1 水中散歩
スーと川の水を掻き分け進むボートが突然、ガタっと、いやガクッと船首の方が少し下がったようだ。それはヒロの驚きようでも確認できる。そのガクッが音だけではない証拠に、これまたスーと前の方から沈んでいく。どこかに穴が空いて水が噴き出ているわけでもなく、とにかく船首部分が水面に向かって沈んでいく。そしてまたガクッ、ガクガクと、それはまるでボートが笑い転げているような音だ。
このままでは沈む、そう思ったヒロが立ち上がった時、まるでそれを待っていたかのようにボートはガクーンと船首から水の中へと進む。その勢いでボートにしがみ付いたヒロ、悲鳴を上げるココナが、何やらニヤついているエリカに抱きつく光景を目の当たりにして思うのである。それは俺の役目のはず、とは諦めていたが、それでも羨ましいと指を咥えることは出来たようだ。
水の中へと進むボート。そういうと沈没していくように思えるだろうが、ボートの前方に水中にへと続く透明なトンネルの中を進んでいる様子を想像してもらいたい。実際、ボートと水面との高さは変わってはいない。透明な水中トンネルで川を進むボートである。暫し魚になった気分で川を下っていこう。中々凝った趣向のようだ。
水没する心配がないと分かったヒロは呼吸を整え、始めから冷静だったかのように振舞おうとしている真っ最中だ。もしココナが悲鳴を上げていなかったら恐らくヒロが悲鳴を上げていただろう。ココナに救われたヒロだ。ココナ序でにエリカの顔が浮かぶヒロ。ボートが傾き始めていた頃、一人だけニヤついていたのは事前に知っていたからに違いないとヒロは考えた。もしやお前は関係者だな、と思ったが自身も関係者なのは関係ないようだ。
水中トンネルで見える光景は、さぞ素晴らしいだろうと思われるかもしれないが、生憎、濁りきった水で殆ど周囲が見渡せない。これが水族館のように透明度抜群であれば良かったのだが、何か現実を見せられて興ざめである。魚もその辺を泳いでいるだろうが、全然見えない。リアルさを追求したマリアの性格が伺える。
リアルさで言えば時折、上の方から水が滴り落ちてくることだろう。もしかしたら小さな亀裂からトンネルが崩壊するかもしれない。そんな不安を煽る演出も手抜かりがないようだ。トンネルに入る前は、あんなにニヤついていたエリカも今は神妙な顔をしている。それと正反対なのがココナである。見えないながらも此処は水の中、その不思議な体験がココナをワクワクの笑顔にしてキョロキョロさせている。この場に興味のないヒロはエリカのしかめっ面を見て、さてはお前泳げないな、水泳の授業をサボったクチだろう、と勝手に妄想している。何かと比べて優越感に浸ろうとするヒロだ。
序でのリアルさで言えば、トンネルの脇や天井付近で何か、この場合は大型の魚類か何かがぶつかっているのだろう、水が噴水のように吹き出る瞬間がある。ドンかドスンと音がするたびに水がシューと飛び出る。それも瞬間的なので問題ないが、その音の先に何かが見える時がある。それが尻尾のようだっりヒレだったりするが、そのチラ見せ具合が何とも焦れったい。
それだけ焦らしといて行き成り、はっきりと見えることがある。これが濁っている水の理由なのかもしれない。エリカにはそれが愛くるしい目をしたイルカに、ココナにはワニ、ヒロには人魚に見えた。一つのものが人それぞれ違って見えるのには訳がある。それはその人の心の状態で、正反対のものに見えるようになっているらしい。水中で落ち着かないエリカには可愛く見えるイルカが、ワクワクしているココナにはそれを食べてしまうぞ、とワニが見えるという理屈だ。
ではヒロに見える人魚は何でだろうか。それも髪の長い美しい人魚だ。ヒロにとってはご褒美が贅沢し過ぎではないか。その心配や不満は不要だ。ヒロが人魚に見とれていると、それに気づいたのか人魚はヒロに近づき、その美しい顔を振り向かせた。ホーとかオーなど地鳴りのような躍動を感じたヒロは、次第に険しくなっていく。それは人魚の顔が見る見るうちに骸骨のようになり、大口を開けて吠えてきたからだ。それに腰を抜かし座り込むヒロだ。
◇◇
そろそろ水中トンネルにも飽きてきた頃だろうが心配ない、次なる試練が待っているのだから。
時折トンネル全体が暗くなることがある。それは大きな何かがトンネルの上を横切っているのだが、それがボートを追走するように真上に居座り始めた。何かが起こるわけでもないが、頭上というのが何かと気になるものである。その大きなもの、何だかクジラのようにも見えるが、それなら大人しいものだろうと極力気にしないようにしても相手は意志の通じない相手だ。何時暴れるか分からない。
ほら、そいつも飽きてきたのだろう、ガツーンと天井付近にぶち当たると、一旦離れてはまたガツーンと体当たりをしてくるようになった。向こうは遊んでいるつもりだろうが、冒険団にとってはいい迷惑だ。おまけにボートまでもが速度が落とし冒険団を甚振っている。
余りにも遅いボートに業を煮やしたのかヒロが船体から身を乗り出し、手で漕ぎ始めた。エリカとココナは互いに見合って不安そうである。それを見て一層漕ぐ手にを力を込めるヒロ。どうだい、俺は君のために頑張っているぜ、とアピールしているが、いかんせんヒロの努力は何の役にも立っていない。
ガツーンときたら次は尻尾の方でドカーンと天井を叩いてしまった。何事にも限度というものがある。ガツーンとドカーンで、とうとう天井にヒビが、いや一気に割れた。
「ホギャアァァァ、キャアァァ」
エリカとココナの悲鳴が……相当耳が良ければ聞こえただろう。怒号のように水が押し寄せ、それに慌てたボートが急加速で速度を上げる。その勢いでボート中央付近まで飛ばされるヒロだ。それでもあっという間に追いつかされそうだが、都合よく水中トンネルは発射台のように上向き、一体何処にそんなパワーがあるのかというぐらいボートはかっ飛んで行くのであった。
空は青かった。水面を飛び出したボートは、ボートだということを忘れ、両翼の翼を広げると優雅に水面へと着水。直ぐに翼を切り離して何食わぬ顔をしている。そして当たり前のようにスイスイと進むのであった。
(空は、青い。私のようだ)
エリカは空を見上げご満悦、ココナはホッと胸を撫で下ろし、ヒロは呆気に取られ放心している、三者三様の有様だ。そんな冒険団を乗せたボートは川を悠然と進む。
◇◇




