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第七話

 久しぶりの日本であるというのに、飯田はろくに観光もせず、ビジネスホテルに戻ると、すぐにベッドへ横になった。

 これまでの人生において、雑踏を行き交う人々の容姿や服装に注目することなど、ほとんど皆無であったが、野口の話を聞いて以降は、やけに気になって仕方がなかった。

 なんでもないスーツ姿の男が歩いていれば、不思議な親近感が湧き、逆に女にしか見えない通行人は、もしかしたら女装なんじゃないかという疑念が常に浮かび上がるようになってしまった。

 ――まさか建物ではなく、人に驚くようになるとは……。

 街は、飯田の予想を超える様変わりをみせていた。

 そんなことを考えながら、どれくらいの時間が経った頃だろうか。

 いつの間にか眠りに落ちていた飯田は、部屋に設えられているプッシュホンの呼び出し音で目を覚ました。

 ――モーニングコールなんて頼んでなかったはずだが……。

 怪訝に思いつつも受話器を取ると、フロントからの連絡であった。

「申し訳ありません、お客様。実は今、ロビーのほうに宿泊希望の方がおりまして――」

 寝起きで話が理解できないまま、飯田は相槌を打ちながらその声を聞いた。

「――ただ、現在のところ、全てが満室になってしまっているのです」

「はあ、そうなんですか……」

「はい。ですので、申し訳ありませんが、飯田様。お部屋のチェックアウトをお願いできますでしょうか?」


 飯田がその言葉の意味を理解するまで、少なくとも十秒近くの時間を要した。


「…………はあっ?」

 次の瞬間、脳が一気に覚醒を迎えたのは、言うまでもないことであろう。

「お部屋の、チェックアウトを、お願いします」

 再び受話器からは、非常識としか思えない言葉が至極当たり前のように届く。

「ちょっと待てよ! 何を言ってるんだ? 問題も起こしてないのに、宿泊客を追い出すなんて出来るわけないだろうが!」

「そう言われましても……ご予約なしでチェックインされているお客様の場合、満室時には優先順位によって入れ替わる場合もある、というのが規則となっておりまして」

「なんだと!」

「チェックインの前には説明させていただきましたし、こちらではどうすることも――」

「そんなもの知るか!」

「ですが、これは法律で――」

 規則が、法律が、……そんな言葉が受話器の小さな穴から聴こえてくるたび、飯田は憤懣やるかたない気分になっていった。

 結局、長い押し問答の末、叩きつけるように受話器を置くと、飯田は荷物をぞんざいに纏めて部屋を出た。これ以上文句をつけるなら警察を呼ぶしかないと言われては、どうしようもない。

 時計を見ると、時刻は深夜の二時を指しており、廊下の窓から広がる深い暗闇が、陰鬱な気分を増加させた。

 エレベーターで一階へ降りると、ロビーの座椅子に小太りの女が一人座っていた。傍らには松葉杖のようなものも置いてある。おそらくその人物が、飯田の代わりにチェックインをするのだろう。

 傍目には怪我をしている中年の女のようであったが、それが本当に怪我をしていて、なおかつ女なのかは、分からない……。

「ふざけやがって……」

 飯田は、ぼそりと愚痴をこぼすと、フロントで言われるがままに代金を支払い、ホテルを半強制的にチェックアウトさせられた。

 静かに開いた出入り口の自動ドアすら、このときの飯田にとっては、やけに冷たいものに思えてならなかった――――。

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