第六話
トイレを出た飯田は、言われるがまま、公園のベンチに女装男と隣り合って座っていた。
――なんでこんなことに……。
幸い、周囲に人はおらず、外からの視界も敷地内に植えられた樹木が遮っていたため、とりあえずこの異様な組み合わせを他人に見られることはなさそうだった。しかし、それは現況を解決するものではない。
とにかく、ここは聞き手に回ることで、一秒でも早く溜飲を下げてもらってすぐに立ち去るべきだろう。
「そ、それで、なぜそんな格好を……?」
飯田は、足を組んで大仰にタバコをふかすその女装男に、覚悟を決めて訊ねた。はち切れんばかりに伸びるジーンズの生地が、腿の太さを体現している。
「野口よ」
「――え?」
「名前」
「あ……し、失礼しました。野口、さん……」
「あなたは?」
そのとき飯田は、仕事の癖で財布から名刺出しそうになったが、すぐさま考え直し、
「――飯田です」
名前だけを答えるに止めた。
「あなた、外国帰りでしょ。それも長期間、全く帰国しなかったんじゃない?」
女装男……野口は、タバコの煙を思い切り吐き出すと、飯田を一瞥してから確信を持ったように言った。
「そうですけど……どうしてそんなことが分かるんです?」
「当然よ。そんなあからさまな男の格好で外出してるんだから。見たところバンドもつけてないみたいだし。だとすれば、よほどの頑固者か、この国のルールを知らないかのニ択になるわ」
男の格好をしているだけで、頑固者? どういうことなのか、さっぱり理解出来なかった。
「そ、そのルールって、いったい、なんなんですか?」
野口は面倒くさそうに言う。
「理想的総平等社会とかいってね。二年前に始まった新制度なのよ。識別バンドをつけることによって、公共機関の使用順やサービスの優先度を決めるっていう」
「そう平等……?」
「たとえばさ、牛丼屋へ行って、席についたみんなが同じ物を注文して、同時にその料理が出来たとするでしょ? でも、食べ終わる時間は人それぞれに差があるじゃない?」
「え、ええ……」
「当然、男よりも、女性やお年寄りのほうが遅い可能性は高い。そうなると、お偉いさん方が言うには、時間の観点から平等が崩れちゃうんだって。私も難しい話は分からないけど、――要するに、早く食べ終わった人は、それだけ早く別のことが出来てしまう。だから優先順位をつけることで、食べ終わる時間や、その後の時間の差を、なるべく均一にしようってことらしいのよ。そこで作られたのが、色で順番をつける識別バンドってわけ」
「……なんでそんなことに?」
「人口減少が進むこの国が生き残るには、観光業に歩みを進めるしかないってことで、究極の平等をうたうようになったのよ。この国は男女平等の点で世界的に低いレベルにあるから、グローバル化を推し進めるためにも、それを解消する必要があるとかなんとか……」
「確かに、一部のアナリストからそういう指摘をされていると聞いたことはあるけど、それにしたってこれは行き過ぎでしょう!」
「そんなこと、私に言われてもね」
「す、すいません……。でも、そんなルールに反対の声は上がらなかったんですか?」
「もちろん、最初はマスコミも問題視してたし、反対派も沢山いたけどね。国民性とでも言うのか、報道が少なくなっていくうちに、なあなあになっちゃったのよねえ」
「そんな……馬鹿な」
奇妙奇天烈なルールが施行されているなど、信じたくない話ではあったが、野口の言うとおり、この国全体にそういう気質があることも、飯田は否めなかった。
「ちょうどその頃かしら。一部の人間が女装をし始めたのは――」
野口はふうっと煙を吐き出すと同時に、薄ら笑みをこぼして続けた。
「ある時ね、男が飲食店で女装していたのがバレて逮捕されたことがあったんだけど、その際に大論争が起きたのよ。平等をうたうのに、女装を認めないのはおかしいって。これがニュースとして取り上げられたりしてね。で、最終的に男は不起訴になったんだけど、それがきっかけとなって、街に女装する男たちが爆発的に増えていったの。人間って、上手いことルールの中から隙間を見つけるのよね。どんなにその人物が怪しいと思っても、人権を考えたら、あなたは本当に女性ですか? なんて、いちいち確認するわけにもいかないでしょ? だから、どうしても女性として扱わざるを得ないってわけ」
――グローバル化を進めていくということは、海外からの声を無視しにくくなる。そうなれば、文化で押し通すことも難しくなる場合がある、というわけか……。
最初は適当に聞き流してやり過ごすつもりだった飯田も、いつの間にか野口の話に引き込まれていた。
「まあそれで、一番優先度が低い、成人男性の格好をして街を歩く人が激減したってわけ」
「なるほど……。しかし、識別バンドはどうするんです? さすがにアレを偽装するわけにはいかないでしょう?」
「確かにね。ただ、あれも、絶対つけなきゃいけないってわけじゃないし」
「そうなんですか?」
「もちろん、つけていたほうがサービス提供時の序列も分かりやすいし、トラブル防止にも役立つから、政府は着用を勧めているけど、絶対ってわけじゃない。平等の概念に賛成していても、識別バンドには反対している人もいるしね」
「じゃあ、その場合は、いったいどうやって順番や優先度を決めるんです?」
「そこはサービスを提供する現場側の裁量と判断に委ねられる感じね」
「……なんだか、かなり曖昧ですね」
すると、皮肉を込めたような口調で野口が言う。
「反対派や中立派の圧力があったからね……ルール改正を繰り返した結果、いわゆるザル法案になったのよ」
よくある妥協案というやつだ。
「でも、そんなに曖昧では、俺みたいに海外から帰国した人間や初めて来る外国人なんかは、高い確率でトラブルに巻き込まれてしまうでしょう?」
「少なくはないわね。一応、機内や入国した際にアナウンスがあるはずだけど、聞き逃してしまう人も多いみたい。その分じゃ、あなたもそうだったんじゃない?」
「そういわれれば、機内ではほとんど寝てましたし、空港もさっさと出てきちゃいました……」
やっぱりねと言うように、野口は首肯する。
「外国人の場合は、必ず空港で簡単な講習と、外国人用の識別バンドの貸し出しが義務付けられているんだけど、日本国籍を持ってる人は任意だからね」
そのとき飯田は、空港から乗ったバスのことを思い出した。あそこにいた人たちも、皆このルールを知っていたのだろうか? それにしては、さほど違和感のある人は居なかったような……。
飯田はそのことを野口に訊ねてみた。しかし彼は特段驚く様子を見せなかった。
「法の穴を抜ける方法は、女装以外にもあるわよ?」
「というと?」
「単純なことだけど、怪我人を装うの。包帯巻いたり、眼帯つけたりしてね。そうすることで、負傷者優遇措置っていうのを受けることが出来るのよ」
思い返してみると、確かに包帯を巻いている人物がバスの中に居た気がした。
「海外じゃあ、女装する必要はないでしょ? 荷物もかさばるし。だから、帰国した直後は包帯なんかをちょろっと巻く程度の人が多いみたいね。ただ、この方法は気をつけないとボロが出るのよ。……だから私は女装を選んでるんだけどさ――。ま、とにかくそういうわけだから、あなたもこの街で生活するなら、なにかしらの変装をすることね」
「……」
そうしてタバコを消して立ち上がった野口は、飯田に向けて何かを投げてよこした。それは、一本の真新しい口紅だった。
「選別。変装するなら使うといいわ。後は、自分で揃えてよ。じゃあね」
野口が去っていくと、一人公園に残された飯田は、手のひらで転がる口紅に目を落としたが、それを使う気には、毛頭なれなかったのだった。




