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第三話

 二十分ほどで駅に着くと、飯田は足で挟んでいた荷物のキャリーケースを持ち上げ、乗客を押しのけるようにして一番にバスを降りた。その際、再び背後から多数の目で睨まれたような気がしたが、もう関係はない。一千万人近い人口が作り出す雑多な空間に入り込んでしまえば、二度と会うこともないのだから。

 だいたい、席を譲らなかったり、肩と肩がぶつかっただけで怒るなんていうのは、その国のシステムが脆弱性ぜいじゃくせいをはらんでいるという証拠の表れとしか思えなかった。だから、些細なことが事件やトラブルに発展してしまうのだ。いったい、どこがおもてなしの国だというのだろうか……飯田には、欠陥だらけにしか見えなかった。


 適当なホテルにチェックインを済ませると、飯田は近くのラーメン屋に入った。暖簾をくぐり、ガラリと引き戸を開ければ、タオルを頭に巻いた店員の声が響く。

 時刻は十二時を回っており、ほとんどが満席の状態だ。その中で、飯田は空いていたカウンター席に腰を下ろした。

 メニュー表からチャーシュー麺とギョーザを注文し、セルフサービスの氷水をコップに注いで飲み干すと、携帯を取り出してメールの確認をした。



『やあ、一郎。日本にはもう着いたかな? 久々の祖国はどうだい? こっちとは発展具合が全然違っていて、目が眩んでいるんじゃないか? まあ、ゆっくりしてくるといい。お土産、期待しているよ』


 届いていたのは海外現地の仕事仲間からだった。

 飯田は、その男の真っ黒な顔と、歯をむき出しにして笑う表情を懐かしく思いながら、文章を打っていった。



『さっき無事に着いたところだよ。街は相変わらず、ごみごみしているね。人が多すぎるし、空気が足りなくて息苦しい。まるで窒息してしまうんじゃないかと思うくらいさ。ルールも固められすぎていて、面倒な国だ。……土産は、鞄と心に余裕があったら、ね』


 メールを返し終えると、飯田は色あせた本棚から週刊誌を取ってきて、出来上がるまでの時間つぶしにとページを捲った。

 店内は回転率が早く、ひっきりなしに客が入れ替わっていく。

 奥のテーブルにいた老夫婦が会計を済ませれば、手早く食器類が片付けられ、数分後には、黄色い声を上げる女子高生たちがそこへ座った。彼女たちは皆、同じような厚めの化粧を纏い、細い手首には、これまた同じようなピンク色をした樹脂製らしきアクセサリーをつけていた。最近はああいうのが流行りなのだろうか?

 ……それにしても、一向に注文した品が運ばれてこない。時計を見れば、店に入ってから、すでに十五分近くが経過しているように思えた。

 混んでいるから仕方ないかと、再び雑誌に目を落とした飯田だったが、それから更に十分が経っても、目の前には何も運ばれてくることはなかった。

 ――さすがにおかしい。

 もしかしたら、自分の注文だけが忘れられているのではないだろうかという可能性が頭をよぎり始める。あちこちから注文が入り乱れているのだ。ありえないことではない。

 しかし、自分の分だけが作られていないのではないかと思うと、途端にイライラ度が増してくる。

 いくつもの料理が湯気を立てて通り過ぎていくたび、飯田はテーブルを指で叩いたり、床を靴先で鳴らしたりして、さりげなく催促のアピールをした。けれど、忙しそうに動き回る店員はそれに気づくことはなく、通路を往復していく。

 やがて、しびれを切らした飯田は、ついにホールスタッフの一人を呼び止めた。

「ちょっと」

「はい?」

「注文したのがまだなんだけど?」

 声に静かな苛立ちをこめて言ったつもりだった。

「申し訳ありません。もうしばらくお待ちください」

 相手は、まるでテンプレートな答えを返すだけで機械的に頭を下げると、すぐに厨房へ戻っていってしまった。そんな態度に、飯田は堪忍袋の尾が切れそうになった。それでも寸前で押し止めたのは、すぐさまその店員がチャーシュー麺をお盆に載せて現れたからだ。

 ようやく来たか、と、ぞんざいに箸立てへ手を伸ばす。ところが、ラーメンは、あろうことか、後からやってきた女子高生たちのテーブルへと運ばれてしまった。

 これには飯田も黙ってはいられない。

「おい!」

 立ち上がると、通路を塞ぐようにして店員の歩みを止めた。

「はい。どうかされましたか?」

「どうかされましたかじゃないだろう? 何で同じメニューなのに、後から注文した客のほうに運ぶんだ。こっちのほうが早かっただろ」

「申し訳ありませんが、順番なもので……」

「だから、順番だったら俺のほうが先だろうが」

 すると店員は困ったように眉を寄せた。

「……失礼ですがお客様、『識別バンド』はご提示されましたでしょうか?」

「…………識別バンド?」

「はい。当店では、こちらの表の順に、お客様へのご提供をさせていただいております」

 そう言って店員が示したのは、壁に貼られた一枚の紙だった。そこには『ご注文優先度』という文字と共に、


『①車椅子、および、重度の身体障害をお持ちのお客様

 ②妊娠中のお客様

 ③幼児、未就学児(男女)

 ④七十歳以上のお客様(男女)

 ⑤女子学生(小中)

 ⑥男子学生(小中)

 ⑦女子学生(高校生以上)

 ⑧成人女性

 ⑨……………………』


 ずらりとよく分からない文が、箇条書きで並べられていた。

「な、なんだこれは?」

「ご注文の品をお作りする順番です。お客様は入店時に識別バンドをご提示にならなかったようなので、一番下の、成人男性のクラスになっております。ですので、クラスが上のお客様からのご注文が入りますと、そちらを優先して作り始めることになるのです」

「――――はあっ?」

 店内でラーメンをすする客の腕をよく見ると、ほぼ全員が、樹脂製の『識別バンド』と呼ばれるものを着けているようだった。

「なんだよ、そのシステムはっ! それじゃあ俺のはいつ出来上がる?」

「……この時間帯は混み合っておりますので、おそらく、二時間以上はかかるかと……」

「二時間!」

 飯田は思わず素っ頓狂な声をあげてしまった。それとは対照的に、店員は平然と頷き返す。

「馬鹿馬鹿しい、そんなに待てるかっ! もういらん!」

 客の視線が一斉に向けられる中、吐き捨てるように言うと、飯田はテーブルを叩き、そのまま肩を怒らせて店を出た。

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