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03 愛情の形

 歌い終えたレーシアの身体が揺れるのを、はっとしたアトルが慌てて支えた。

 今、宝具を呼び出したことにより、レーシアの身体はそれによって力を増した宝具の影響を受け、しばらくの間意識を失う。


 レーシアはアトルの肩に頭を乗せ、彼に寄り掛かって長く息を吐いた。


「多分……上手く出来たと思う……」


 アトルは思わずレーシアを抱き締めた。


「ああ」


 レーシアは既にぼんやりと霞み始めた声で、彼女らしいのほほんとした口調で囁いた。


「はい、どーぞ」


 意味を取りかねて、アトルが困惑した声を漏らす。


「え……?」


 レーシアは途切れ途切れに呟いた。


「いつでも……好きな時に……使ってくれて……」


 ことり、と彼女の意識が途切れて、それでもなお溢れる魔力がアトルの腕に負担を掛けない。


「……レーシア」


 アトルが無意識にそう呟くのと、上空から喜色に溢れた声が聞こえたのは同時だった。


「レーシアさま!」


 アトルはびくりと肩を震わせて、レーシアを抱いた手に力を籠めた。喜色に溢れた声は、今度は怪訝な色を宿して尋ねてくる。


「――と、おまえ誰だよ?」


 周囲がざわめいている。声が聞こえる位置からも分かるように、彼は空を飛んでいるらしい。しかしそれだけではない。


「あいつ――」


 デリックが呟くのが聞こえ、アトルの頭が、声の主が誰なのかを判断した。

 そもそもアトルには、「レーシアさま」とそうレーシアを呼ぶ者たちの心当たりが一つしかない。


「おまえ誰だよって訊いてるだろ、答えろよ! っていうかレーシアさまを離せよ!」


 声が荒らげられ、アトルは大きく息を吸った。


「――おまえか」


 恐らくその低い声は相手には届かなかっただろう。

 アトルは顔を上げ、目の前の上空に立つ蜂蜜色の髪の青年を睨み据えた。



「おまえが殺したのか!」



 怨嗟の声を上げたアトルをきょとんと見下ろして、青年――ハッセラルトは首を傾げた。

 まるでそんなことを言われる筋合いはないとばかりに。


「……何のことだ?」


 その答えに、思考すら放棄して、反射よりも早くアトルは判断していた。


「――死ね」


 轟音。過たず上空のハッセラルトを狙ったアトルの魔術は念動系、衝撃波。しかしハッセラルトは、いとも容易く自身の周囲に防壁を張ってそれを弾いた。

 アトルを皮切りとして、幾つも幾つも魔術がハッセラルトに差し向けられる。だがそれら悉くを、ハッセラルトの防壁は弾いてみせた。


「無駄無駄。ほんっと無駄」


 ハッセラルトはその球状の防壁の中でひらひらと手を振った。


「レーシアさまのお蔭で俺、今すげえ絶好調。何したって通りゃしねえよ」


 アトルは腕に抱いたレーシアを見下ろした。ゆっくりと呼吸するレーシアの顔は、こんな中では場違いに穏やかだった。


「おまえなんかのためじゃねえだろ……」


 アトルは歯を食いしばって呟いた。

 ハッセラルトはやっとレーシアの状態に気付いたらしく、落胆の声を上げていた。


「あっ、宝具の起動直後だからレーシアさま、お休みになってるのか。うーん、起きられるまで待つかぁ」


 呑気なその言葉に、地上にいる魔術師たちが殺気立つ。その様子を見下ろして、ハッセラルトは鼻を鳴らした。



「別に相手してやってもいいけど? 取り敢えず魔術の無駄撃ちでもしてろよ。この防壁、絶対壊れねえから」



 レーシアの顔から視線を外して顔を上げ、アトルは呟いた。


「へえ?」


 直後、アトルの撃った衝撃波に、ハッセラルトの防壁が粉々に割り砕かれた。


 硬質な音と硝子片のような光を撒き散らしながら壊れる防壁を目の当たりにし、ハッセラルトは口と目を大きく開けた。


「――へ?」


 第二撃。今度は氷柱。長く伸びた青白い氷が、空中で後退るハッセラルトを掠めて勢いよく突き上がる。


「なっ――」


 地上の魔術師もまた呆気に取られてアトルを見ている。


 氷を躱したハッセラルトを、今度は背後からの暴風が地面に叩き落した。


「――――ッ!?」


 声にならない悲鳴を上げて、ハッセラルトが地面に落とされる。落下地点はアトルの正面、五歩ほど離れた場所だ。

 濛々と粉塵を巻き上げながら瓦礫の中に落下したハッセラルトは、さすがというべきか傷を負った様子はない。咄嗟の防御が間に合った様子だ。慌てて身を起こした彼は、歩み寄ってくることもなくただじっと自分を見据えるアトルを見て、激昂した声を上げた。


「何のつもりだ!」


「…………」


「おまえ、これ、こんなの――」


 アトルがすっと目を細めた。同瞬、ハッセラルトの足下が爆発する。紙一重でこれもまた防御したハッセラルトは、アトルを指差して弾劾の声を響かせた。


「――レーシアさまの魔力じゃねえと出来ないだろうが! この外道が!」


 沈黙。周囲の魔術師がざわめき、〈インケルタ〉の者たちも、魔力が一定以上あり、三大禁忌を知る者が愕然としてアトルを見る。

 その中で、目を細めたアトルが首を傾げた。


「外道? おまえがそれを言うのか?」


「俺が何したってんだよ?」


 恐らく本気で訝しんで、ハッセラルトが訊き返す。

 アトルは無表情に呟くことでそれに答えた。


「――おまえが俺の母さんと兄弟を殺した」


「知らねえよそんなこと!」


 ハッセラルトが喚いた。地団太を踏んで周囲を示し、敵愾心に満ちた声で叫ぶ。


「確かに俺はこの町の連中を皆殺しにする! けどそれが何だよ? 俺はちゃんとお役目を果たして妹のこと助けてやらなきゃなんねえんだよ!

 ――しかも、おまえの母親と兄弟?」


 唾を吐いて、ハッセラルトは嘲笑した。


「知らねえ、覚えてもいない。つーか、どうせそれってどっかの建物に押し潰されたとか、そんなことじゃねえの?」


「…………」


「だったら尚更知ったことじゃねえだろ。俺が頼んでそこにいてもらったってか? 違うね。

 勝手にそこにいて勝手に死んだんだ」


 怒りが過ぎて、〈インケルタ〉の誰もが声すら出せなかった。アトルは数回、大きく呼吸して歯を食いしばる。


 とにかくも足を動かし、ハッセラルトを睨み据えて怒りに震えるアリサたちに近付いた。


「――こいつを頼む」


 アトルは呟いて、跪きながらレーシアをアリサの前に押し付けた。アリサは咄嗟に彼女を抱えるように腕を回して、しかし眉を寄せてアトルを見上げて口を開いた。


「何言って――」


「頼む」


 レーシアの頭を撫でて、彼女の中から膨大な量の魔力を自分の中に呼び込みながら、アトルは重ねて言った。


 ミラレークスも樹国も差し置いて、今この場でアトルが最も信頼しているのが彼らだ。だからこそ、アトルはこうしてレーシアを預けようとしているのだ。


「でも――」


 アリサは言い差したが、アトルは首を振った。


「非魔術師であいつに噛み付くのは無理だ」


 なおも何か言い募ろうとして、しかしアリサは言葉を呑み込んで頷いた。その顔に、隠しようもない怒りが見えた。


「――分かった」


 レーシアの上質な、甚大な、強靭な魔力が、本来の器ではないアトルの体内で暴れ狂う。それでもアトルが致命的な損傷を負わないのは、本来の器であるレーシアの、アトルに魔力を預けるという意志による。

 レーシアの魔力ほどに強ければ、意志の力を非常によく吸う。ゆえに、レーシア本人の意志に背いてアトルを傷付けることをしないのだ。

 ただその意志のみがアトルの命綱であり、それ程の――生命を脅かす程の魔力をアトルに与えてなお、レーシアの魔力は潤沢に溢れている。


 アトルは立ち上がりながらハッセラルトを振り返る。ハッセラルトはアトルを見ておらず、ただひたすらにレーシアを見ていた。


「レーシアさま――」


「うるせえ」


 アトルは一歩そちらに踏み出し、次の一歩が念動魔術によって有り得ない距離までその身体を運んだ。

 ハッセラルトからすれば、唐突にアトルが目の前に迫ったように見えたことだろう。


「なん――」


 アトルが右手を振り被った。その拳に雷光が踊る。ハッセラルトが身を捩って逃れようともがくが、レーシアの魔力を以てすればその動作を止めることなど造作もない。


 アトルの拳がハッセラルトの左頬を抉った。ハッセラルトが張った防壁を、まるで薄氷を割るかのように砕いて。

 青白い雷光が弾け、皮膚の焦げる匂いが漂う。


「これがショーン兄の分」


 殴られて吹き飛び、倒れ臥すハッセラルトに容赦なく近付いて、アトルはその腹を躊躇なく踏み付けた。その足下に真っ赤な魔法陣が滴るほどに煌めいて、灼熱の責め苦がハッセラルトの腹を焼く。


「それからこれがグレイス母さんの分だ」


 唇の端を切って血を流すハッセラルトが、痛みの余り声すら出せずにのたうち、死に物狂いでアトルから逃れようとする。


「二人とも痛かっただろうな」


 アトルは呟き、軽く手を振った。割れるような音と共に、氷の杭がハッセラルトの掌を貫き、そのまま伸びて地面に突き刺さる。

 今度は声が出た。ハッセラルトの凄まじい絶叫が辺り一帯に響き渡る。まだ自由に動かせる足を必死になってばたつかせ、焼け焦げた頬と焼かれ続ける腹と、凍て付いた掌の痛みに耐えようと、雄叫びのような声を上げる。


「グレイス母さんはそんなこともなかっただろうけど、ショーン兄は怖かっただろうな」


 アトルはまた手を振った。今度は足の甲を、地面から突き出した石の杭が貫く。勢い余ってハッセラルトはなおもその足を動かそうとし、傷を広げる結果となって泣き叫ぶ声を高く上げた。


「それが二人分だもんな。おまえも痛いよな」


 アトルは呟きながら、ハッセラルトの頭の傍にしゃがみ込んだ。



「――痛くなきゃいけねえよな」



 恐らくはアトルが一撃でハッセラルトを殺すと思っていたのだろう。オリアやディアナ、ミルティアを始めとする魔術師たち、そして〈インケルタ〉の者たちまでもが、その余りの凄惨さに表情を凍らせていた。

 大きく喘いで、涙の滲んだ目でアトルを睨み付け、ハッセラルトが絶叫した。


「何がしたいんだよてめえはっ!」


「おまえを殺してやりたいよ」


 アトルは呟いた。その口調はいっそ平淡だった。


「今ならすげえ簡単だろうな。レーシアの魔力ってここまで強いんだもんな。おまえ、手も足も出てねえもんな」


「だったらさっさと――!」


 血走った目でハッセラルトが叫ぶ。


「――殺してみろよ! あ!? やれよ、おい! 何されても俺は死んだりしねえからな!」


 ハッセラルトはまだ魔術を行使する。せめて打撃を和らげようと、防壁を幾重にも展開する。

 それを見て、アトルはむしろ悲しげな顔をした。


「それ、さ。多分レーシアの魔力じゃねえと破れねえよな」


 ハッセラルトは痛みを堪えるため、喉も裂けんばかりの大声で答えた。


「ああ、そうだよ! やってみろよ!

 レーシアさまにそんなことしやがって、許さねえからな!」


「だろうな」


 アトルは呟いて、多重展開される防壁に指先を触れた。その指先が輝いて、ゆっくりと――非常にゆっくりと、一枚目の防壁を溶かし始めた。


「何のつもりだよ、さっさとやれよ!」


 ハッセラルトが怒鳴り、アトルはその血走った目を見た。


 アトルの目を見て、無意識にハッセラルトは息を呑んだ。

 ――彼はこの目を知っている。



 憧れ、敬い、感謝し、忠誠を誓い、役に立ちたいと願い、尊び、そして全てを捧げてなお足りないとさえ思う、彼の主が時折見せる眼差し。

 彼の主の悲願を語る時の眼差し、その色に、どうして似ていると思うのか。



「さっさとやったら、殺しちまうだろう?」


 その眼差しのままで、アトルははっきりと言った。


「レーシアの魔力って強過ぎんのかな、扱いにくくてさ」


 一枚目の防壁が焼け落ちた。二枚目にアトルの指先が触れ、煌々とその指先が金色に輝く。


「勢い余っておまえまで殺しちまいそうなんだよ」


 ハッセラルトはなんとか息を吸い込み、痛みすら忘れて声を荒らげた。


「――殺したいんだろうが!」


 その絶叫に、アトルはひんやりと微笑んだ。


「ああ」


 その微笑の裏に、耐え難いほどの激情を垣間見て、ハッセラルトはそれを嗤う。――ようやく、嗤うことが出来た。


「怒ってんだろ? 俺が憎いんだろ?」


「ああ」


 頷いたアトルは立ち上がり、地面に磔にされたハッセラルトを見下ろした。


 ここまで一人の人間を殺したいと思ったことはない。腸が煮え繰り返っている。眩暈すらする怒りが、ただ一人この青年に向けられている。だが、



「だけど俺は、――レーシアの魔力で人殺しをするつもりはない」



 その負の感情は、レーシアのことを想う正の感情に勝りはしない。



「おまえを殺すのは俺が、俺の手で、俺の魔力ですることだ。

 ――断じて、レーシアじゃない」



 アトルにレーシアを好きにさせたように、あんな風に綺麗に笑える人に、人殺しなどをさせるべきではない。たとえそれが手段の役割としてであっても。


 レーシアさまと呼んでレーシアを敬って、そうする一方で無辜の人々を殺していくような、こんな連中のためにレーシアの価値を貶めることを、アトルは断じてしない。

 レーシアはあのとき、皆の命を助けるために戻って来た。――戻って来てくれた。そして一緒にたたかおうと言ってくれた。


 だからアトルは、レーシアの魔力を使って最後の一線を越えることはしない。

 それがどんな人間のものであっても、命を奪うことはしない。


 殺意に負けてしまうようでは、それは愛情ではない。


 だからこれが、アトルの示すことの出来る、最大の、最上の、愛の形だ。



「俺はレーシアを、人殺しの道具にしたりしない」











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