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01 章始め 下/崩壊する町

 おじいさんやおばあさんと会わなくなったからと言って、生活がそう劇的に変わった訳ではない。やっぱりみんなは自分のことを調べたがる。

 ただ困ったのは、自分が垂れ流しにしている力が、どうやらここの人たちには扱い慣れていないもののようで、少しの爆発でみんながころっと寝てしまうことだった。


 なぜ寝るの? と訊くと、数日でころころ顔が替わる、傍にいてくれるお姉さんたちは驚いた顔をして、あれは眠っているのではなくて死んでいるんですと言った。


 死んでいるって何をしていることなの、と尋ねると、お姉さんたちはなぜか目にいっぱいの涙を溜めて、死ぬということは何もしていないことなのだと言った。


 それならとても楽なことね、と言うと、お姉さんたちは首を振った。死ぬということは、その人と二度と会えないことなのだから悲しいことなのだと、そう言われたがぴんとこない。



 二度と会えなくなって困る人なんていただろうか。



 考え込んでいると、お姉さんたちは、あなたが殺したんですと言った。


 殺すって? と訊くと、人を死なせることです、と教えてくれた。


 死んだあとはどうなるの? と訊くと、誰にも分からないと言われた。

 どうやら死ぬとそれっきりになるらしく、死んだら口も利けないので、今どんな気分なのか、喋ることも出来ないらしい。

 不便なことだ。お腹が空いてもそれを訴えられないとは。



 そんな風に、調べられては質問し、答えてもらってはまた疑問を持つ、という生活がどれくらい続いたのか、自分には分からない。


 ただ、どんどん周りの人は自分のことを怖がっていって、調べられるときには痛いことが多くなったなと思っていた。


 自分を調べる人たちは偉そうで、いつも「正義とは我らである」と言う。正義に尽くすために自分をここに置いているのだと。

 正義とは何か分からなかったので、心当たりを探してみて、「正義って痛いこと?」と訊くと殴られた。正解だと思ったのだけれど、なぜだろう。


 おまえは何も分からないのだから言うことをただ聞いていろ、と言われてなるほどと思った。確かに何も分からないのだから、言われた通りにしている方が楽だろう。


 そういえば、自分には何もない。他のみんながお互いに呼びかけ合うときに使っている、自分を示すための固有の言葉すら自分にはなかった。


 じっと掌を見てみる。

 この掌の持ち主がどんな人物なのか、よく分からない。


 目があるから物を見られている訳で、だから自分にも身体があるということは分かるのだが。


 他に自分にあるとすれば、それは何だろう。


 やっぱり何もない気がする。



 そんなことを思っていて、しかしその日はやって来る――





□□□□□□□□□□□□





 アトルたちは十日掛けてイリの町へと戻った。正確には、その町が見える所まで戻って来た。


「おいおいおい……」


 御者台でリーゼガルトが呟き、馬車に仕込まれたアルナー水晶の術式に停止を命じ、手綱を引いて馬たちの脚も止めさせた。


「嘘だろ、これは……」


 彼の目の前に広がる町――

 その町が壊滅していた。


 停まった馬車に訝しげな顔をして、アトルが窓から外を窺う。その顔が一瞬にして凍り付いた。


「――――っ」


 町の中に聳えて見えるはずの鐘塔が見えない。町を囲む城壁が大きく崩れており、しかしそこから町の住人が出て来ていないのは、


「――障壁が張られているな。町を覆うように……どれだけの魔力を割いているんだ?」


 アジャットがアトルと同じ窓から同じ光景を見て呟き、アリサは言葉を失ってその場に膝から崩れ落ちた。

 目を見開き、唇を震わせ、目の前の惨状に戦慄するアリサを振り返り、アトルは自身もパニックが喉下まで迫り上がってくるのを感じた。


(オヤジたちは――母さんたちは――)


 町に炎は見えず、ゆえに煙も上がっていなかったが、それがいっそう町の惨状を見せ付けるかのようだった。

 崩れた城壁の隙間から、瓦礫と化した町が鮮明に見えていた。障壁に縋り付くようにしている人影が幾つか見える。


「まあ、これでは戻って来たところで無駄だったようだこと」


 ディアナが平然と言い、アリサが弾かれたように我に返り、絶叫した。


「まだみんな生きてる! そうに決まってる!」


 アトルは必死になって息を吸い込み、掠れた声を上げた。


「――障壁が張られてるってことは、中に人がいるって――全滅してないってことだ」


 レーシアは未だに記憶の混乱が収まっていない。

 だが、あの砦の前でしたように、彼女が呼び出すトニトルスやカエルムを戦力として頼もうにも、敵をしっかりと視認して対象として指示しなければ、彼らは関係のない人まで傷付けかねない。

 アトルは柘榴石の耳飾りを通してリーゼガルトに怒鳴った。


「何してんだよ、進めよ!」


『あそこにレーシアを連れてくのか?』


 リーゼガルトが耳を疑うといった声で訊き返してきて、アトルは押し殺した声で断言した。


「俺が守る」


 逡巡の気配がして、思わずアトルは怒鳴った。


「行かねえってんなら俺は歩いてでも戻る! レーシアも連れてって、行き際にこの馬車ぶっ壊すからな!」


 舌打ちが伝わってきて、また馬車内でも複数の舌打ちが聞こえて、それでも馬車が進み始めた。

 レーシアは窓を覗き込みながら、憂い顔をしていた。


「――あそこにいる人も、さっさと帰ってくれればいいんだけど」


 鬼気迫る表情のアリサを見て、レーシアは思案顔。それからアトルに、馬車の隅に行くよう促した。


「何だよ!?」


 殺気立っているアトルは声を殺して怒鳴った。

 レーシアはそれに首を竦めたものの、すぐに言った。


「アトル、聞いて。――アトルが心配してるみたいだから、私は別にあそこにいる人たちのために宝具を使ってもいいわ。

〈静〉の宝具は事象を否定するための事象を起こすから、大抵の怪我なら治癒させてすぐに治せるし。だけど」


 レーシアは滅多に見せないような真剣な顔をした。


「出来るだけ使わないようにってサラリスに言われてるの。使っていいときもあるみたいなんだけど、それを言ってくれるサラリスはここにはいないし。

 ――それに、〈静〉の宝具でも、否定できる事象には限りがあるわ」


 アトルが眉を顰めて続きを促すと、レーシアは声を低めた。


「もうなくなっちゃったものを元に戻すには、宝具でも力が足りないみたいなの。もしもアリサが――ええっと、すごく悲しむようなことがあって、私にその修復を求めてきたとしても、それは出来ない」


 さすがに言葉を濁したものの、レーシアの言いたいことは明白だ。



 誰かが既に命を落としているかも知れないことを、その現実を覆すことは出来ないということを、レーシアは言っているのだ。



 アトルが無言で頷くと、レーシアはほっとした顔をして更に手を合わせてアトルを拝むようにした。


「もしそのことでアリサが怒ってきたら、庇ってね」


 アトルは唇を噛んで、呟いた。


「――こういうときにおまえが、自分じゃなくて他人のことを気遣えるようになったら、いいんだけどな」


 レーシアがきょとんと首を傾げた。



 彼女には非常に善良な一面がある。ゼーンを助けるために命を懸けたあのときを振り返れば、それは分かる。

 だが同時に、彼女の善良さは相手を選ぶ。自分に関係がないと割り切ったことに対して、非常に冷淡なのだ。そして対照的に、自分自身の安全に対しては非常な関心を寄せる。

 とてつもなく利己的に感じられるその在り方は、すなわち彼女の世界の狭さだ。ただ一人の人物に絶対の信頼を寄せ、価値観の全てを委ねる彼女の歪さだ。


 アトルがレーシアを好きになったのは、レーシアの善性ゆえである。

 レーシアの善性と、彼女の無邪気さと愛らしさ――そして、ただ保護される人物ではなく同じ土俵に立って、一緒にたたかおうと言ってくれた、そういう人間だからだ。レーシアが、アトルを案じて戻って来てくれたことがあるからだ。


 だからこそアトルは、レーシアがアトル以外の人間にも好かれるようになってほしい。なぜ普通に接することが出来るのか、疑問に思われるままではいてほしくない。


 訝しげに瞬きをするレーシアの頭を、ぽん、と軽く撫でて、アトルは窓の傍に戻った。


 壊滅したイリの町が近くなってくる。

 地を這う低い轟音が、各人の耳に届き始めた。





************





 ハッセラルトによる町の襲撃から十日経っている。町には慟哭と悲鳴と怒声が溢れ、町はもはや町としての機能を失い、廃墟と化しつつある。


 そんな中で、襲撃した本人であるハッセラルトは半泣きになっていた。その目の下には濃い隈が浮かび、彼自身の疲労を物語っている。彼の黒い外套はずたずたになっており、裾は大きく破れ、ズボンの太腿部分も大きく裂けて血が滲んでいた。


「死んでくれよ頼むから!」


 彼がそう怒鳴るのは、今も彼と戦い続けている黒い肌に黒い外套の老人に対してであった。

 老人もまた疲労を滲ませているものの、ハッセラルトよりも遥かに正確に戦況を把握して立ち回っており、体力と魔力の残量をよく考えていることが分かる。彼は左腕に大きな裂傷を負ってはいたが、動きに支障が出ている様子はない。剣を握り、その刀身に魔力を這わせる様には貫禄すら漂っていた。


「頼まれても、それは困るね」


 老人はそう答えた。まるでからかうような言葉だったが、その眼差しは絶対零度の厳しさで相手を見据えており、彼の(はらわた)が煮え繰り返っていることを如実に示していた。


「もう十日だぞ!? なに考えてんだよ! もう死んでくれよ、そんで帰らせてくれよ!」


 ハッセラルトが差し向けた火炎を、老人は迷うことなく冷気を帯びた風で上空へと巻き上げ、掻き消した。

 ざり、とかつて町であった瓦礫を踏みしめ、老人は微かに目を細めた。


「その十日間に及ぶ私の言葉を、きみは一切聞いていないようだね」


 十日間にも亘って彼らが戦い続けてこられたのにはそれぞれの理由がある。

 まずハッセラルトだが、彼には預けられた膨大な魔力がある。それらを無理やり体力に換算し、老人から逃げては身を隠して僅かな睡眠を取ることを繰り返し、繋いできたのである。食事は、まだ原型を留めていた民家から強奪したものを採ったのだ。

 そして老人の方は、


「二対一で掛かってくるような卑怯者のご高説拝聴できるかよ!」


 ハッセラルトが叫んだ通り、彼は一人ではない。

 アルファンドの尽力により、一旦はハッセラルトの手から逃れることに成功したリリファが、万全の状態には程遠い状態ではあったが、それでも参戦したのである。生き残っている魔術師や戦闘員もまた、彼らに味方して動く。


「私がどれだけ卑怯であろうが、それはきみの卑劣さには及ばないよ」


 老人は穏やかに言った。


「きみが奪った命の数だけ泣いた人がいることを、きみはきちんと理解したほうがいい」


「意味分かんねえ!」


 叫び、ハッセラルトは足を踏み出した。その足が倒壊した民家を横切り、白い食器の欠片を踏み砕く。

 次の一歩で彼は走り出し、老人に肉薄した。老人は、戦い始めたときよりは明らかに鈍った、しかしそれでも十分に鋭い動きをもって剣を構え、それを迎え撃つ。


 閃光。ハッセラルトの掌から発し、老人が剣に魔術を纏わせて弾き返す光の眩さ。元素系、光輝の術式――違う。


「――ぉらあっ!」


 ハッセラルトが雄叫びを上げる。光は眩さを増し、白熱の圧力を老人の剣に押し付け始めた。だが老人は眉一つ動かさず、その術式に逆の事象を指示する術式をぶつけ、相殺していく。

 使った魔力は最低限、ハッセラルトの戦い方が力任せであるのに対し、老人は圧倒的な技術でそれを捌き切っている。


 これが十日に亘って続いているのである。途中、どちらかがどちらかの追撃を躱して休息を取るなどの間はあれど、驚異的な戦闘期間だった。

 その間にハッセラルトは町の人々を皆殺しにしようとしては阻まれ、老人はハッセラルトを町の外に出そうとしては踏み止まられている。

 そしてその両者の目的こそが、ここまで戦闘が長引いた原因でもあった。


「――やっぱ、どうにもおかしいな」


 飛び退って老人から距離を置いたハッセラルトが、ここ三日ほどで繰り返した疑問をまたしても口にする。


「なんだよあんた。俺の使う術式全部、予め詳しく知ってたみたいに綺麗に相殺しやがって」


 術式の数は無数にある。それら全てを網羅する知識があれば戦闘は大いに有利になるが、そのような膨大な知識を溜め込めるほど人間の一生は長くはないのだ。

 ゆえに、ハッセラルトは疑わしげに訊く。


「あんたさ、俺と戦ったことあったっけ?」


「いや、ないよ」


 老人は答え、ひゅっと剣を振って腰を低くした。


「あればもっと早くに決着を着けられたのだが。残念でならない」


 ハッセラルトは眉間に皺を寄せる。やはり消耗は激しく、頭も上手く働かないようだ。


「えっと――じゃあなんでそんなに対応できるんだよ?」


 老人は薄く冷たい微笑を浮かべる。こちらは、余裕があるとまではいえないものの、限界には達していない様子だ。


「とある人物が私に託した願いの結晶、そう思ってくれて構わないと――」


 老人の身体が、矢のような速さでハッセラルトに向かって飛び出した。ハッセラルトは慌てて障壁を築く。

 老人はその障壁を見て、


「――もう、数回は答えているね」


 そう言い切った。

 そしてその言葉が終わらないうちに彼もまた障壁を生成――その位置はちょうど、彼の膝辺りの高さで、地面と平行の形状。ハッセラルトの障壁の傍。


 その障壁を踏み、彼の身体が高く宙を舞った。その着地を待つ愚は犯さない。ハッセラルトは後退りながら彼目掛けて衝撃波と氷刃を打ち出す。しかしその全てを、落下途中という不安定な体勢ながら老人は叩き落し、あるいは相殺してのけた。ハッセラルトは舌打ちを漏らす。

 同時にハッセラルトの目の前で、老人が踏み台に使った障壁が眩く輝きながら消失した。視界に侵入する光の強烈さに、ハッセラルトは目を細め、


「――おぉっ!?」


 咄嗟に自身の障壁も解除して前に飛んだ。前によろめきながら振り返る。その目の前を、リリファの大剣の切先が掠めて振り切られた。前髪が数本切られた。だがそれだけだ。


「あっぶないなあ!」


 安堵と危機感、相反する二つの感想を抱いてハッセラルトが声を上げる。


「――勘のいい奴ね」


 そう呟き、空振った剣を地面に突き立てて寄り掛かるリリファの顔色は蒼白だった。その疲労はハッセラルトよりも老人よりも濃く、足下はふらついている。


「死に損ないが」


 そう罵倒しながら、ハッセラルトは注意深く二人から距離を置くために足を動かした。


 町の外れで大音響が上がり、老人がぴくりと眉を動かしてそちらを見た。だがその隙をハッセラルトが突こうと衝撃波を飛ばすと、危なげなくそれを相殺する。


「余所見するんじゃないわよ、このジジイが」


 自身の窮地を救われたことがあるのも忘れてリリファが罵り、老人が静かに答える。


「迷惑は掛けていないつもりだよ、お嬢さん」


 ハッセラルトは荒らげた息を縫って悪態を吐いた。


「――マジでしぶてぇな」


 彼らは今、町の中心よりやや外れた場所で死闘を繰り広げている。恐らくハッセラルトは、自身がいる場所に他と比して瓦礫が少ないのは、そこが大通りであったからだとは気付いていないだろう。


 自分が破壊したものに対しての、圧倒的な無関心がそこにあった。


 生き残っている町の人々が、破壊の根源が近付いてくると察して逃げ出す。だが中には怪我などのために動けない者もいて、老人は彼らの位置を目で確認していっていた。断じて傷付けてなるものかという、意地のような矜持がそこにはあった。


 息を弾ませ、ハッセラルトが手を前に伸ばす。その動きに従って、周囲の瓦礫が持ち上がり始めた。

 がらがらと音を立てて重い瓦礫が持ち上がっていくのを見て、老人が傍のリリファに一言告げる。


「彼を頼む」


 そして彼もまた魔術を起動したが、それはハッセラルトを攻撃するためのものではなかった。持ち上げられ、崩れていく瓦礫から動けない人々を守るためのものだ。


「勝手な――!」


 舌打ちしつつも、リリファがハッセラルトに追撃しようとする。


 この状況は、実を言うと数回目である。ハッセラルトが老人の手を掻い潜って一般人に危害を加えようとすることに成功すれば、老人は必ずその阻止に動いた。そしてその度にリリファや他の戦闘員たちがハッセラルトを留めておくことに苦心する。だがそれは消耗戦に近かった。間違いなく、今この町でハッセラルトに対抗し得ているのは老人の力あってこそなのだ。


 そして今回、遂にリリファに限界が訪れる。


 リリファの追撃を躱したハッセラルトが、そのままリリファに肉薄した。リリファが大剣を揮う――その刀身を、ハッセラルトが左手で受け止めた。

 その病的なまでに白い肌の上に、白銀に輝く魔法陣が幾つも踊って皮膚を守護している。

 そのままハッセラルトが、疲れ切った、しかし確かな威力を持った動作で、リリファの眼前にその右手を突き付けた。


 白熱の魔法陣がその掌に生成され、溶けるように大きく伸びる。さながら金属が融解する様に似て、その熱気がリリファの髪をふわりと舞い上げた。


 リリファには息を呑む間もない。防御の術式を編みながら飛び退る。だが十日という破格の長期間に亘る戦闘がもたらした疲労は、彼女に素早い足捌きを許さない。


 足が滑り、リリファが尻餅をついた。防御のための魔法陣があえかに彼女の前で輝いたが、そこに与えられた魔力は十分とはいえない。


 老人はリリファに目もくれない。ただ人々の命を守るために動いている。だがそれは彼の非情さではなく、彼が一歩下がった視点からリリファとハッセラルトを見ることが出来ているからだ。


 リリファは目の前に迫った死のために、そしてハッセラルトは勝機を前にして平静を失い、視野狭窄を起こしている。

 ゆえに、老人が何を見たがゆえにリリファのために動かないのか、気付かない。


 リリファがきつく目を閉じた。ハッセラルトが満面に笑みを浮かべる。


「もらっ――ええ!?」


 もらった! と威勢よく叫ぼうとしたハッセラルトが、寸前で素っ頓狂な声を上げた。


 ――その右腕に、氷の剣が突き刺さっている。


 ぽかんとした顔を晒して一秒、彼が喉も裂けんばかりに絶叫する。


「うああああああっ!」


 痛みに脂汗を浮かべ、ハッセラルトが後ろに倒れ込んだ。剣が刺さったままの腕を押さえ、余りの激痛に脚をばたつかせ、のた打ち回って悲鳴を上げる。


「あああ――ッ!」


 それを為した張本人は、ここまで全力で走って来たようだ。肩で息をして、リリファを見下ろして苦笑する。


「――見苦しいぞ、リリファ」


 リリファは目を開け、こちらもぽかんとした表情を見せた。だがすぐに我に返ると叫ぶ。


「とどめ! ディーン、とどめ刺して!」


「言われなくとも!」


 気勢を上げて、樹国の赤髪の騎士が、己が作り出した氷の術式に干渉する。剣はその形を変えてぐにゃりと曲がり、過たずハッセラルトの首を狙った。


 だが、


「――死ぬかと思った」


 ハッセラルトが呟いた。


 その左腕で、腕輪に象嵌された水晶が火花を散らして輝く。

 同瞬、氷が砕け散る。

 虹色の光を弾きながら爆散した氷の剣が刺さっていた痕さえ、念動魔術で無理やりに修復されていく。


 顔を上げたハッセラルトの顔に今までにない怒気を見て、リリファは命の恩を忘れて叫んでいた。


「馬鹿がっ! なんで最初から首を狙わない!」


 ディーンが不意を突かれた顔をして、尻餅をついたままのリリファを見下ろす。


「――万が一にでも、おまえに刺さると……」

「ど阿呆がっ!」


 言下に怒鳴りつけ、リリファは大剣を杖になんとか膝立ちの体勢を取った。


「こいつはやばいんだって!」


 老人が無言でリリファに並ぶ。彼女を挟んでディーンの反対側の位置だ。リリファはそれを意識することもなく、応援の出現に思わず涙ぐみながら声を張り上げた。


「もう! 遅い! 遅いよ! この役立たず!」


 ディーンは視線こそハッセラルトに向けているものの、面白くなさそうな顔をした。


「酷い言い草だ」


「何人死んだと思ってんのよ、この馬鹿!」


 八つ当たりの言葉に、ディーンは一瞬だけ眼差しを伏せる。


「――だが、戻って来ただろう」


 リリファは戦闘中にあるまじきことに、ぼろぼろと涙を零し始めた。


「遅いのよ! どんだけ痛かったと思ってんのよ!」


「おまえは馬鹿か」


 ディーンは呟いた。


「なぜ障壁に集中攻撃をしなかった? 奴が来た段階で町の外を目指していれば――」


「動けない奴が何人いると思ってんのよ、間抜け!」


 リリファは泣きながら怒鳴った。


「あんたたちが――ここを目指して戻ってくるし――動けない奴もいるし――ここであいつを足止めしとかなきゃ、絶対そっちに行くし――だから宿から出られないと――」


 しゃくりあげ始めたリリファに、ディーンは顔を引き攣らせた。


「――馬鹿が……」


 その口調に、相手を罵倒する以外の感情が多分に含まれていて、しかし泣き続けるリリファはそれに気付かない。


「俺に苦労ばかり掛けて、おまえは」


 いっそ慈しむような声音で言って、ディーンはハッセラルトを睨み据えた。


 ハッセラルトは怒気に煌めく目でディーンを睨み付けており、視線が自分に向いたと悟るや、怨嗟の籠もった声を漏らした。


「あの方に仇なす害虫め、次から次へと沸いて――アディエラまで苦しめてくれやがって」


 ディーンはそれを鼻で笑った。


「馬鹿が」


 そう言って、ディーンは緊張した――何かを恐れるような、そんな表情を無理やり上塗りするために、にやりと笑った。


「俺がここに来た意味が分からないのか?」


 ハッセラルトの瞳から怒気が薄れ、彼は呆然とした声を出した。


「――まさか……?」


 ディーンは深呼吸をし、低く言い放った。


「『あいつ』が復讐に我を忘れていないことを祈るんだな」


 その発言の意味はハッセラルトにもリリファにも、そして老人にも分かりかねるものだった。


 だが、ディーンが意を決したように続けた言葉には、その全員を怯ませる効果があった。


「レーシアさんがここにいる。

 ――間もなく、宝具が使用されることだろう」


 ディーンの眼差しがハッセラルトを射抜く。

 ハッセラルトは息すら止めて目を見開いていた。

 その彼に、赤髪の騎士の重々しい言葉が突き刺さる。


「さあ、覚悟はいいか。――宝国」












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