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26 イリの町の襲撃

 イリの町の一軒の宿の前で、蜂蜜色の髪の青年――ハッセラルトは、しばらくの間佇んでいた。

 道案内をしてくれた父娘とは別れ、彼一人である。

 午前の日の光の中、ハッセラルトは顎に手を当てて考え込む。目の前の宿は、小さくもないが取り立てて大きくもない、町の外れにある宿の一軒だ。扉には「休業中です」という札が掛けられている。


「――ここだよな? ここで合ってるよな?」


 しばらくの間ぶつぶつと呟いて、ハッセラルトは小さな荷物を背負い直し、掛けられた札に頓着することなく宿屋の扉を押し開けた。

 からんころん、とドアベルが鳴る。その音に気付いて、宿の帳場にいた従業員の若い男がハッセラルトを見た。そして申し訳ないといった笑みを浮かべ、帳場を出てこちらに向かって歩いて来ながら、眉を下げて言い始めた。


「申し訳ありません。只今この宿は貸し切りとなっておりまし――」

「あっそ」


 男の発言を遮るようにハッセラルトは呟き、周囲を見渡した。


 一般的な宿屋である。帳場と待合室が玄関部分にこぢんまりと作られ、奥には食堂。食堂の手前に、客室となっているのだろう階上へと続く階段が設けられている。

 従業員は皆食堂か客室にいるのか、ここにはハッセラルトとこの従業員の若い男、二人しかいない。


「――貸し切りになってるってことは、ここだな」


 呟いて、ハッセラルトは大仰に胸を撫で下ろす。


「はー、道に迷ったときはどうしたもんかと思ったけど。ステラたちにはマジ感謝だな」


 そのままずんずんと奥に進もうとするハッセラルトを、戸惑った顔をした従業員が止めようとする。


「あ、あの? ですから今は貸し切りとなっておりまして……」


「んー、いいよ。泊まりに来たんじゃねえし」


 あっけらかんと答えるハッセラルトに、従業員は内心では面倒な奴だという評定を下しただろうが、外面は取り繕って丁寧に言った。


「申し訳ありません。食堂の方もご利用いただけない状態でして……」


 ぎし、と床が軋んだ。ハッセラルトは足を止め、身体を後方に傾けて振り返る。青い目が不機嫌そうに細められるのを見て、従業員は溜息を吐いた。


「あのですね、表にも札を掛けておいたで――」


「俺は飯を食いに来たんでもないし、あんたと問答しに来たんでもない」


 ハッセラルトはそう言って、ひょいと指を振った。


「マジでうるせえよな。放っといてくれりゃあ何もしなかったってのに」


 嘆かわしいと言わんばかりに(かぶり)を振りつつ、ハッセラルトが階段に向かう。


 その背後で、従業員の頭がその肩からごろりと転がり落ちていた。傷口は焼き焦がされたかのうようで、出血はない。

 ふらり、とその身体がよろめいて、やがてどうと倒れた。――そのことに気が付く者はまだいない。

 彼の名前はアシュといい、婚約者がいたのだが、ハッセラルトはそんなことを知りもしない。彼の婚約者が彼の死を知り泣き崩れるのもまだ先のこと。


 人の人生を土足で踏み躙り、ハッセラルトはなおそのことに気が付かない。


 ハッセラルトは階段をゆっくりと上り、ちょうどそこで湯を入れた甕を運ぶ男性と鉢合わせをする。

 男性はすぐにハッセラルトの顔が見覚えのないものだと気付いたらしく、険しい表情をして誰何の声を上げた。


「誰だ」


 ハッセラルトは愛想よく笑い、相手を無遠慮に指差した。


「あ、樹国の人?」


 相手の顔が強張るのを見ながら、ハッセラルトは満足そうに唇を曲げる。


「あ、当たりか」


 甕が床に落とされる。湛えられていた湯が撒き散らされ、微かな湯気が立ち上る。

 その中で、男性が腰の剣に手を伸ばした。素早い反応だ。もしかすると警告でも来ていたのかも知れない。

 だが、剣を抜こうとしたということは魔術師ではない。そのことを察し、ハッセラルトは冷笑を浮かべる。


「よし、樹国の人には死んでもらわないとな」


 零された湯が瞬時に凍りつき、空気中の水分を得てばきばきと音を立てながらその体積を増大させ、氷の刃となって男性の身体を下から突き上げるように貫いた。

 血が飛沫しぶき、その瞬間に怒声と警告の声が上がる。この廊下は無人だったというわけではないのだ。

 氷が溶け、男性の身体がうつ伏せに床に落ちる。それを一瞥することもなく、ハッセラルトは周囲を見渡してにこにことを笑みを向けた。


「えーっと、ここにいるのが……ごお、ろく、ん、数えらんないな。まあいいや、みんなに死んでもらうから」


 頬に飛んだ返り血もそのままに、ハッセラルトは左右の拳をぶつけ合う。


「樹国の人じゃない人がいたら出てってくれるか? 取り敢えずこの宿屋の中にいる奴は全部殺すから」


 歩き出したハッセラルトに、短剣が投じられる。魔術が向けられる。それら全てを難なく弾いて、ハッセラルトは鹿爪らしく言った。


「お役目はちゃんと果たさないとなっ」





************





 部屋の外で乱闘が始まった気配に気付き、リリファはゆっくりと身を起こした。


 全身の火傷はまだ疼くが、命の危険とあらばそれに(かかずら)っているわけにもいくまい。

 大剣を手元に引き寄せて、その鍔の内部に仕込まれたアルナー水晶の術式を確認する。この火傷を負ったとき盾にしたことで、術式は多少なりとも傷付いたが、それはもう諦めるより他はない。


 同室で傷を癒す数人が、やはり外の物音に気付いて不安げな顔をしている。彼らは一様に、この宿屋に残された中では最も腕利きであるリリファに、縋るような視線を向けていた。

 リリファは片足ずつ寝台から下ろし、彼らに向けて低く囁いた。


「大丈夫。何とかなるって」


 大剣を強く握り締めると、その刀身がさざめいた。

 乱闘の音が絶え、静寂が不吉に耳を打った。

 リリファは足を引き摺りながら扉に歩み寄り、ノブを手に一瞬静止する。扉の向こうの気配を探り、敵が目の前にはいないことを確信して扉を開け放つ。


「非魔術師は逃げろ!」

「止めろ! 侵入者は一人だ!」

「仲間がいるかも知れん! 外を警戒しろ!」


 扉を開くと、混乱に陥った宿の様子が耳からも入ってきた。従業員たちは戦闘慣れなどしていないから、彼らが恐怖に叫んでいる声が聞こえてくる。

 扉を開けたリリファの目の前に樹国の騎士が倒れていた。肩から腹に掛けてばっさりと斬られている。血溜まりを踏んだ足跡が、右手の方向に向けて進んでいっていた。

 死者を前にリリファは軽く瞑目する。


「あるべき定めのように安らかに」


 目を開けて、リリファはその騎士の傷の斬り口を注視した。鋭利な刃物で斬られたように見え、しかしそれは鋼の刃であるとは限らない。魔術師であれば空気すらも刃として扱える。

 侵入者がどのような者であるのか、推測を進めながらリリファは足を引き摺り、大剣を半ば杖にするようにして足跡を追い始めた。


 全身に負った火傷は、レーシアが命の危険を冒して行使した封具の力により、悪化は有り得ず、徐々に快方に向かっている。

 傷の悪化を防ぐというのに回復は妨げないそのことを不思議だと思う一方、もしそれもレーシアの匙加減なのだとしたら、その魔力と集中力はただただ恐ろしいものだと思う。

 しかしそれがあってなお、火傷はまだ引き攣れて痛む。そもそもの火傷が深すぎたのだ。


 だがそれを押してでもリリファがこうして部屋を出て来たのには二つの理由がある。

 一つは、あの部屋で息を潜めていたとしても、どうせすぐに見付かって襲撃を受けるだろうと予想されたからだ。周囲を見るに、扉が開けられた部屋はまばらであり、扉が開けられた部屋を覗けばそこには死体が転がっている。気紛れで開ける扉を選んでいるのだろうと明らかに察せられ、またそこには、この宿内を何度も往復する余裕があるのだと宣言されているような苛立たしさも感じる。

 そしてもう一つは、〈インケルタ〉の面々の安否が気になったからだ。彼らがいる部屋が襲われているとは限らないが、遅かれ早かれ確実に、非魔術師である彼らは殺される。自分が主張してアリサを行かせたのだから、彼女の帰ってくる場所をしっかりと守っておきたいという思いと、それとは別の少々腹黒い考えが半々だった。


 大剣が床に傷を刻む。よろよろと進むリリファの歩調は、決して速いものとは言えない。行き違う人々が皆一様に、リリファに下がるようにと警告する。


「リリファさん、無理です!」

「なんとか我々で防ぐ。あなたは避難を――」


 リリファは相手を睨み上げた。


「避難できると思ってんの? どうせ侵入者って、宝国の奴でしょ」


 恐らくそのように目星をつけていたのだろう。ぐ、と言葉に詰まる相手を鼻で笑って、リリファは痛みを堪えながら胸を張った。


「どうせ、樹国の私たちを殺しに来たんでしょ」


 理由には想像が付く。レーシアが恐らく宝具に到達し、命の保障が出来たのだ。余計な口を叩くだけの情報を持っているリリファたちを排除しようとするのも頷ける。それを今まで待ったのも、恐らくはレーシアの身辺警護の必要が薄くなるまでは、腕の立つ者にレーシアを守らせるためだろう。


 宝国は――その主は、決してレーシアを傷付けようとはしないだろう。


 だが、なぜ自分たちでレーシアの確保に動かないのかが不思議だ。

 今までで宝国が動いたのは、宝士を差し向けて来たあの一回と、アディエラが動いたと聞いたときのみ。

 樹国はレーシアの身柄が宝国から連れ出された直後に内部で情報が錯綜したこともあり、三下が要らぬ手を数十回に及んで出したが、宝国にそのような様子は見られなかった。それとは別に、樹国に対して牽制の攻撃を仕掛けてくることは何度かあったが――


 首を振って思考を脇に追い遣り、リリファは歩を進めた。


「リリファさん――」


「〈インケルタ〉の無事を確認したい」


 リリファが端的に言うと、怪訝な顔をしたものの、若い剣士が素早く彼らがいるはずの部屋に向かおうとする。

 だが、リリファとその場にいたもう一人の魔術師がそれを止めた。


「先走るのはやめた方がいいって。ばっさりやられるよ」


 悲鳴は前方で上がっている。廊下ではない。恐らくどこかの部屋だ。それが〈インケルタ〉の者の悲鳴ではないことを、リリファは切に願った。〈インケルタ〉の者たちは、アトルたちの出発から行われた部屋替えによって一室に集められているのだ。そこを叩かれれば一網打尽だ。


「非魔術師はさっさと逃げて!」


 リリファは声を上げ、若い剣士と魔術師と共に何とか廊下を渡った。そうして悲鳴が上がっている部屋が〈インケルタ〉の部屋の向こうであることを見て取って、一先ず安堵の息を漏らす。

 だが、既に侵入者は突き当たりの部屋に入っている。つまり次の殺戮を行うには、上階に行くにせよ引き返して残った部屋の扉の奥で震える者たちを殺すにせよ、一旦廊下を戻らなければならないのだ。


 リリファは扉が開け放たれ、徐々に悲鳴が小さくなっていく突き当たりの部屋まで足を引き摺って到達し、戸枠を掴んで部屋の中に身を乗り出した。


「何をしてる、この下衆が!」


 開口一番に悪態を吐き、リリファは眉を顰めた。

 部屋の中には、重傷を負って何とか命を繋いでいた非魔術師の騎士と、魔力は小さいものの魔術師の端くれであった若い女がいたはずだ。どちらも樹国の者であり、リリファも顔と名前を知っている。

 騎士は既に寝台の上で絶命していた。彼の腹部を、余りにも痛々しい火傷が覆っているのを見て、リリファは頭に血が昇るのを感じた。


「んー? あ、あんたも樹国の人?」


 そう言って振り返った、蜂蜜色の髪をした青年。恐らくリリファと同い年程度。彼は病的なまでに白い顔に返り血で斑点を描いて、今まさに女の襟首を掴んで持ち上げていたところだった。

 リリファは、後ろにいてまだ青年には姿を見せていないはずの連れ二人の気配を感じながら、低く抑えた声を出した。


「――その手を離せ」


「いーよ」


 あっさりと言って、青年――ハッセラルトは女の身体を床に投げ出した。同瞬、女の喉が不可視の刃で切り裂かれて鮮血が迸る。ハッセラルトの衣服が赤く染まり、白いシャツは既に血に汚れて見る影もなかった。

 リリファは女の顔を見て、その頬に幾つも涙が筋を作っているのを見て取った。


「――おまえは」


 呟いた声は低く掠れ、恐らくハッセラルトには聞こえなかっただろう。ハッセラルトはリリファに向き直って歩み寄りつつ、その格好を見てあからさまに笑っている。


「怪我してんの? じゃあ手間取らないな、良かった。さっさと死んでくれよな」


 リリファはハッセラルトにその目を向けた。ハッセラルトのものよりもやや明るい青い目が、殺意と激情に煌めいた。


「おまえは、何の権利があって私の身内を手に掛けた!」


 怒鳴り声に、興を削がれたようにハッセラルトは足を止めた。きょとんと首を傾げて、彼は不思議そうに言う。


「殺されんのが嫌ならお国に引き籠っとけよ。知ってるだろ? 宝国と樹国は――」

「互いの国土に直接干渉をしてはならない。知ってる!」


 リリファは怒鳴りつけ、大剣を構えた。

 その刀身を漣が走るのを見て、ハッセラルトが無邪気に笑う。


「お、面白い武器持ってんな」


「黙れ!」


 叫んでリリファが身体を前に飛ばす。それは走り出すというよりも、転倒を覚悟した突撃。ハッセラルトは無論、それを余裕の態度で迎え撃つ。彼の胸元で碧玉が輝き、その指先に紫に輝く魔法陣が浮かび上がる。


 だが、


「お?」


 間の抜けた声を上げ、ハッセラルトが目を瞠る。それは、リリファが剣を引いて真横に跳んだからだ。魔法陣を消し去り、訝しげに彼が瞬きをする、その直後、扉の向こうから衝撃波が襲い掛かり、ハッセラルトの身体を打ち据えた。


「ぐえっ」


 まるで堪えた様子もなく、からかうように口でそう言ったハッセラルトに、更に扉の向こうから襲い掛かる影。


「――はぁっ!」


 若い剣士である。彼は床を蹴って、人の身体で為し得るには最高の速さでハッセラルトに迫り、その左胸に剣を突き立てた。

 がんっ、と硬質な音がする。刃が通っていないのだ。剣の切先その一点を、ハッセラルトは小さな防壁で防いでいた。


「あのさあ。やめてくれないか、こういうの」


 ハッセラルトは不機嫌に呟いた。


「魔術師同士の戦いにただの人間が手出ししてくるとか、片腹痛いんだけど」


「アーチィ、よくやった、下がって!」


 ハッセラルトの侮辱に被せてリリファが叫び、火傷の痛みに顔を顰めながらも己の大剣をハッセラルトの喉目掛けて突き出した。


 弾かれる。防壁が僅かに白い光を発し、リリファの剣の切先を食い止める。だが退かず、リリファは更に力を籠めた。

 びしり、と防壁に罅が入る音がして、飛び退って下がったアーチィが追撃のために身構える。ハッセラルトは舌打ちし、大きく横に跳んでリリファの剣から逃れた。


「うわあ、怪我してんのになかなかやるなっ」


 ハッセラルトは首を押さえて嬉しそうに笑い、リリファにのみ話し掛けた。


「怪我してんのにわざわざあんたが出て来たってことは、ここにいる中じゃあんたが一番出来る奴ってことかな?」


 リリファは獲物を逃した剣を下げ、腰を落として構えながら言葉を返した。


「だったら何よ?」


 ハッセラルトは指先で首飾りの碧玉を弄び、にっと笑った。


「つまり、あんたさえ死ねばもう何の障害もないわけだ?」


 リリファが歯を食いしばる。傷を負った彼女の身体は、普段の立ち回りを演じることが出来ない。魔力は全回復しているにせよ、彼女の真髄は体術と魔術を併せるところにあるのだ。魔術だけでは片手落ち――目の前の青年に、勝てるとは到底思えなかった。

 だがリリファは強気に口を開く。


「ま、私を殺した後もどんどん出てくるけどね」


 ハッセラルトが馬鹿にした眼差しをアーチィに送る。


「そこのみたいなんだったら何百だって相手に出来るよ」


 恐らく誇張ではないその言葉を、リリファはしかし一笑に付した。


「私、あんたとは永久に分かり合えそうもないわ」


 ハッセラルトは首を傾げる。

 その仕草は隙だらけで、彼が全く本気を出していないこと――負傷しているとはいえ、樹国の精鋭であるリリファを、片手間にあしらっていることを示している。

 彼は悪意も何もない口調で尋ねた。


「永久も何も、あんたの余命はあと数分だけど。

 ――なんで?」


 リリファは剣を握り直す。その剣を強く一度振ると、水の幕が生成されて漂った。


「私はあんたと違って、」


 柄を振る。その動きに合わせて刀身が完全にその形状を水へと変え、撓ってハッセラルトへと襲い掛かった。


「非魔術師を舐めたことは一度もないわ! だから生き残ってこられたのよ!」


 襲い掛かる大量の水を、ハッセラルトは避け切れないと見て防壁で防ぐ。防壁は球状、ハッセラルトを囲んで水の勢いを捌いていく。

 その隙に、リリファは痛む身体に鞭打って部屋の外に脱出した。アーチィもそれに従う。

 部屋の外に集まって来ていた樹国の戦闘員たちに、リリファが端的に指示を与えた。


「閉じ込めるわよ」


 苦々しい声音だった。










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