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24 迷子の目的地

 町から町へと続く道は、三大都市を結ぶアゼンタ街道のように大きなものばかりではない。


「な、なんて辺鄙なとこなんだ……」


 呆然とそう呟いて、二つに分かれた道の前で頭を抱えて蹲る青年が一人。燦々と降り注ぐ日の光が、いっそ嫌味なほど鮮明に彼の姿を照らしていた。



 これは、レーシアが宝具と〈糸〉を繋いだ日から一夜明けた、その日の昼のことである。



 町から町を結ぶ道である。だが、直近の町から目的の町へと続く道は一つではないことを、彼はすっかり失念していたようだった。

 蜂蜜色の短髪をがしがしと掻き回し、青年は血走った青い目で両方の道を見比べる。病的なまでに白い肌が、今はいっそう青白かった。

 辺りは所々に若木が点在する殺風景な光景。振り返れば出て来た町が遠目に見え、また行く手にも町が一つぼんやりと見えている。右手の道が通じていると思しき町である。だが、左手の道の先はここよりも木々が濃くなっており、町は見えない。


「どっちだ……どっちに行けばいいんだ……」


 青年はうわ言のように漏らした。歳は二十三、四、と見えたが、妙に幼い表情をする青年である。

 両膝を地面に突き、分かれ道で戦慄している青年は、言わずもがなでよく目立つ。


「あの……どうしたんですか?」


 恐る恐るといった声が彼に掛けられたのは、彼がその体勢になってから小一時間が経過した頃だった。それまでにも通行人はいたのだが、皆青年に視線をくれるものの声をくれてやる者はなく、青年は世間の厳しさをその身一つで実証し続けていたのであった。


 青年はがばっと顔を上げた。若干涙ぐんでいる。

 軽く屈んで青年に声を掛けたのは、黒い髪をお下げにし、防寒用の帽子を被って防寒用のマントを羽織り、毛織りのスカートとブーツを履いた、十代半ばと見える少女だった。彼女の灰色の目が案じるような光を湛えているのを見て、青年はいよいよ涙ぐみ始めた。

 が、少女の後ろから声が掛かる。


「こら、ステラ。そう無用心に声を掛けるんじゃない」


 少女が振り返り、その動作で青年にも声の主が見えた。

 黒い髪を刈り込み、毛織りの上着を着てズボンを履いた、厳つい顔の中年の男だ。彼は後ろに荷台を引いており、そこに大量の毛織物が載せられていた。


「でも、お父さん……」


 ステラと呼ばれた少女が声に躊躇いを滲ませる。そのまま彼女は青年を見下ろし、穏やかに声を掛けた。


「道に迷っているんですか?」


 青年はずずっと鼻を啜る。歳下相手にも何の虚勢も張る気はないらしい。


「……そうなんです……」


 まあ、と呟いて、ステラは微笑む。


「よろしかったらどこに行きたいのか教えてくださいな」


 道案内の申し出である。ステラの後ろで彼女の父親が、「まったく……」と呟いているのは聞こえていたが、青年は気にせず快哉を上げた。


「はいっ! ええっと、イリの町、だったかな。最近、近くに軍隊が出張して来たって噂の」


 ステラはぱっと顔を明るくした。


「イリ? イリに行くの? 私たちもですよ。良かったらご一緒に」


 青年は太陽もかくやという眩さで笑みを浮かべた。


「いいんですか……! 是非!」


「ステラ!」


 父親の叱責の声に首を竦め、ステラは唇を尖らせて振り返る。


「いいじゃないの、どうせ同じ所に行くんだし」


「おまえは……」


 ステラの父親はやれやれと首を振り、青年に視線を移した。その顔に疑問が浮かぶ。

 青年はステラの申し出により気力を回復し、長く蹲っていたせいで凝った膝を伸ばしながら立ち上がっている。そうしてみると、彼の装いは貧しいものではなかったのだ。

 黒い外套に白いシャツ。革のベルトに黒いズボン。ブーツも立派なものだ。腕には水晶の象嵌された金色の腕輪が輝いており、胸元には長い鎖に下げられた大粒の碧玉が煌めいている。背負った荷物は小さく、遠出をしているようには見えない。

 富裕層の出で立ちである。ステラもそれに気付き、戸惑った表情を浮かべた。


「ええと、お供の人とかはいらっしゃらない……?」


 青年は青い目を細めてにかっと笑った。


「いないですよぉ。俺、大した人間じゃないですもん」


 自身の格好を見下ろし、青年は嬉しげに頬を緩める。


「これ、俺を育ててくれた人がくれたんですよ。とってもいい方で」


「そうなの」


 ステラは目を丸くし、続いて片手を青年に差し出した。


「ええと、私はステラよ。あの人が父のジョン」


 青年は面食らった顔をしたが、すぐにステラの手を柔らかく握り返した。


「よろしく。俺はハッセラルト」


 人懐こい笑みで、青年――ハッセラルトがステラを褒め称える。


「もうマジで道に迷ってどうしようって思ってたんだよ。ステラ、きみが救世主」


「まあ、ふふ」


 ステラは満更でもなさそうに笑い、「行きましょ」と父とハッセラルトを促す。ハッセラルトは嬉々として、ジョンは溜息混じりに歩き出した。


「あれを売りに行くの?」


 ハッセラルトが荷馬車を示して言い、ステラは苦笑した。


「まあね。私たち流民だから、そのときそのときで色んなものと色んなものを交換して生きていってるの」


 ハッセラルトは目を見開いた。


「流民? にしては綺麗な格好だね」


 百年戦争は多くの犠牲者を生んだ。そして多くの戦災孤児を生み、多くの人々が家と財産を失って流民となった。流民の暮らし振りは劣悪極まりないものであるはずだ。

 ステラは嬉しそうに笑った。


「小さかった私を食べさせてくれるために、お父さんがいっぱい頑張ってくれたのよ」


 へえ、と言ったハッセラルトは、敬意の籠もった笑みでジョンを見た。


「すごいですね! 親からの愛情って、子供には大事ですもん。お嬢さんもいい子に育つわけですね」


 ジョンは照れたように苦笑する。


「まるで年寄りのようなことを」


「や、俺って孤児ですからね。あの方が拾ってくださらなかったら死んでましたよ」


 軽い口調で言うハッセラルトに、ステラは穏やかな笑みを浮かべる。


「いい人に見付けてもらえたのね」


「そうそう」


 ハッセラルトは破顔した。


「俺には勿体ないくらい良くしてくださる」


 その口調は誇らしげだったが、彼の恩人にそれ以上の言及をすることを躊躇わせる響きがあった。

 ステラはそれを察して話題を変える。


「なんで迷子になってたの?」


 ステラの問いに、ハッセラルトは顔を顰めた。


「手前の町まで他の奴が用事のついでに送ってくれたんだけど、ちょうどそこでそいつが折り返さなくちゃならなくなってさ……」


「災難だったな」


 ジョンが笑いながら言った。ハッセラルトへの警戒心は薄れたらしい。


「本当にそうですよー」


 ハッセラルトはお道化て頭を掻いてみせた。


「くそう、あいつぅ。ぽんっと俺を放り出しやがって。仕方ねーけど」


 悔しがるその様子を父娘が笑う。と、ステラが不意に尋ねた。


「そういえば、なんでイリに行きたいの? 何か用事?」


 不思議そうに首を傾げたステラに、ハッセラルトはにこりと笑った。


「うん、まあそんなとこ」


 頭の後ろで手を組んで、ハッセラルトは心から得意げに言った。


「期待を裏切るわけにはいかねえからな。きっちりお役目果たさねえと」





************





 夜になって、レーシアが一先ず落ち着いて眠ったのを確認して、アトルたちは改めて合流について議論し合った。

 ジャディスは御者をしているため、ここにはいない。


「そもそも町に戻る必要があるのかって話ですよォ」


 ヘリオが言って、横目でアジャットたちをちらりと見る。


「下手したら明日にでも襲われて全滅するかも知れないじゃないですか。そうして、宝国の者が町で待ち構えていたら、ですよォ? レーシアさんを差し出すようなもんじゃないですか」


 不吉な予想にアトルたちは一様に顔を顰める。

 アトルは、相手の戦闘力を測る指標となる出来事を思い出し、今更ながらに問い掛けた。


「そういえば、なんであの砦の所でアジャットたちが追い詰められてたんだ?」


 アリサの話では、少なくともしばらくは互角だったはずだ。

 アジャットはフードを深く引き下ろしながら答えた。


「――分からん」


「はぁ?」


 アトルが訊き返すと、アジャットは忌々しげな口調で続けた。


「恐らく精神系だろうな。全員の動きが少しの間止められた。念動系の感覚ではなかった」


 ベティが俯きながらも腹に据えかねたように言葉を引き取る。


「戦闘中に精神系の魔術を使うとか、そんな魔力の無駄撃ちを誰が考えますか。大体精神系のものはかなり集中して使わないと術者が危なくなるっていうのに」


 リーゼガルトがベティに注釈を入れる。


「アトルに言っても駄目だぜ。こいつ精神系の魔術に適性がある」


 それを聞いて、オリアが目を見開く。ミルティアが何やら誇らしげに胸を張ったが、彼女は話題になっていない。

 リーゼガルトはそのまま視線をディーンに向けて、リーゼガルトは不機嫌な顔をした。


「そいつがあの女は元素系が得意だとか言ったから、そっちばっかり警戒してたんだよ」


 アトルが溜息を吐いて話題を戻した。


「精神系でやられたんだな。

 ――で、連絡は取ったけどまだ襲われてはないだろ。戻って何が悪いんだよ」


 アリサが険しい顔をしている。


「少なくとも私は送って行ってよね。みんなとちゃんと合流しないと。人質になるの承知で付いて来てあげたんだから、それくらいしてよね」


 ヘリオは不満げな顔をしたが、ベティが顔を上げてはっきりと言った。


「ヘリオ、それにディーンさん。戻らないと駄目ですよ」


 ディーンは苛立たしげに眉を寄せた。


「なぜ。――レーシアさんから離れる訳にはいかない。宝国の者が向かっているかも知れない場所に赴くということは、我々がレーシアさんの近くから排除される可能性を高めるということだぞ」


「はい、ですが」


 ベティは存外に強い口調で切り返し、アリサを見てやや目許を和らげた。


「――親しい者の傍に戻りたいというのは、これもまたあるべき姿です」


 アトルたちからすれば「は?」という反応を返さざるを得ない言葉だったが、ディーンは黙り込んだ。

「あるべき定めのため」――彼らの教義。

 アトルは初めて、ディーンの宗教家としての一面を見た。


 とにかく町までは戻るという合意が保たれたが、毎日町の者たちと連絡を取り、無事かどうかを確かめ、全滅が確認されれば進路を変えるという、ヘリオが主張したこともまた合意に至った。全滅が確認されてしまえば、戻ったところで出来ることはないという、アジャットたちの反論を許さない理論がそこにはあった。アトルとしては、一人でも生き残ることを願うことしか出来ないことが歯痒い。


「非魔術師が生き残ったとしても、連絡は取れないだろ?」


 アトルはそのヘリオの案の不完全さをそう指摘したが、アリサと眠っているレーシア以外の全員がそれには首を捻った。


「――魔術師が全滅した上で、まだ非魔術師が生き残る状況、というのは疑問でしてよ」


 魔術師は非魔術師と比較して、圧倒的な戦力となる。それは、生き残るという一点においても有利不利を分けるのだ。


 そのように合意に至り、各々が心中に蟠りを抱えてはいただろうが、皆が仮眠の体勢に入る。

 アトルとしても釈然としない合意ではあったが――町にはグラッドもいれば〈インケルタ〉もいるのである、何が何でも戻りたいに決まっている――、とにかく、ここで合流を避けてしまう樹国の言い分が通らなかったことの決め手となったのは、アリサの言葉である。

 アリサの言葉がベティの中の、アロ・フォルトゥーナに忠実であろうとする心に火を点けたのには間違いないのだ。だからこそ、アトルはアリサに何かしらの礼を述べようとして傍に寄った。


 アリサは固い表情で木箱に寄り掛かっており、アトルが近付いて傍に腰を下ろすと、アトルに先んじて口を開いた。


「……なーんか、嫌になるね」


 アトルは気まずげな顔をした。


 確かにアリサ以下〈インケルタ〉の面々は、関係のないことに延々と関わらされ、魔術戦に巻き込まれ軍隊に追い掛けられ、挙句事態の推移も分からない中で見知らぬ町(構成員の誰かは仕事で訪れたことがあるかも知れない)に待機させられているのである。アリサに至っては人質候補として連れ回されている。人生一、二を争う不幸の連続だ。


「――ごめん、悪いと……」


 アトルが言い掛けると、アリサは首を振った。


「分かってない、アトル。全然、私が何を嫌になっているのか分かってない」


「ん?」


 アトルが訝しげな声を漏らすと、アリサは深い溜息を吐いて膝に額を落とした。


「もういいよ……」


 その声が滅多にないほどに弱気なものだったから、アトルは問い質すことを躊躇った。



 ――このときアリサが言いたかったことを、アトルは最悪の形で他人から突き付けられることになる。





************





 夜が明ける。馬車の中にもイリの町にも、平等に朝日は降り注ぐ。



 アトルたちは目覚めて活動を始め、夢の中で他人の記憶を見たレーシアを、アトルとミルティアとで宥める。



 そしてイリの町手前では、三人連れがその町を望んでいた。


「最寄の町からほぼ丸一日掛かるって――田舎だなあ」


 そう零す蜂蜜色の髪の青年に、黒髪をお下げにした少女が笑い掛ける。


「そうね。アリーフとかケルティだと、ちょっと歩けば隣の町に着くものね」


 彼女の父親が肩を竦める。彼が引く荷馬車には毛織物が大量に載せられていた。


「ま、三大都市とは比べるまでもないがな」


 うんうん、と青年は頷く。


「シャッハレイに至っては町の外が別の町になってんもんなぁ」


 そう笑って言って、昇る朝日の光を掌で遮りながら、青年は――ハッセラルトは、にぃ、と笑う。

 病的なまでに白い面の中で、青い目がきらりと輝いた。


「ま、ともかくも――とうちゃーく、と」







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