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20 最後の宝具の〈糸〉

 天空へと向かって突き立った漆黒の光の柱を目にし、アディエラはほうと息を吐いた。


「――宝具がレーシアさまに(いら)えましたわ。これで何の愁いもございませんわ」


 だが、戦況はアディエラに優位とはいえない。拮抗しているのが現状だ。

 アジャットたちは戦況に合わせての移動を余儀なくされつつも、常にアディエラを囲む形で動いている。九人のうち誰かが常にアディエラの死角にいるようにしているのだ。また九人もいたからこそ、先程防壁が決壊してもなんとか二つ目の防壁を築くことが出来、こうして戦っていられるのだ。


 魔術師九人を相手取り、なお互角の戦況を保つアディエラがこなす術式の構築は、同瞬に一つに留まらない。

 同時に幾つもの術式を組み立て、自身の魔力と紅玉に溜めた魔力を用いて、その術式が指示する事象を起こす。

 火炎と氷塊が競り合って、アディエラの氷塊から水が滴る。それを見ながら衝撃波を撃ち出し、更に障壁を連ね、雷霆を撃つ。氷塊を突破した火炎が襲い掛かってくるが、連ねた障壁がそれを阻んだ。

 衝撃波を喰らったミルティアがそれを防ぎ、ミルティアの反対側にいるディアナがアディエラを閉じ込めるようにして竜巻を発生させる。


「あら」


 捲れ上がろうとするドレスのスカートを、淑女らしく最初に押さえてから、アディエラは自分の身体を囲む防壁を構築する。効果の見込めない魔術を長々と維持できるほど、魔力に余裕を持てる人物は今ここにはいないのだ。その考え通り、数十秒で竜巻は消失し、続いて四方から防壁を破ろうと衝撃波が撃ち込まれ始める。


 がん、がん、と硬質な音が蒼穹に響いてヒースを揺らした。アディエラは防壁を維持しながら可愛らしく顔を顰める。

 紅玉に手を触れ、アディエラが意識を集中する。防壁の術式に別の術式を当て嵌め、その発現形を大幅に変える。


 防壁が輝き、撃ち込まれる衝撃波を巻き込みながら波状にその形を広げる。アディエラの頭上が開き、足下を守る部分が持ち上がる。そうして防壁が、念動系から元素系へとその属性を完全に豹変させられる。

 衝撃波を抱え込んで、防壁から氷壁へと変じたそれが砕け散る。だが全体は砕けていない。頭上と足下、それらを守っていた部分までが上乗せされたのは厚さだ。氷壁は分厚い。砕け散り、きらきらとその破片が散る――しかし、残って耐え切った部分も存在しており、


「守れ!」


 叫んだのはディーンとアジャット。

 氷壁が震え、次の瞬間大波となって九人に襲い掛かった。


 リリファの大剣を彷彿とさせるような攻撃に、今度は守勢に回った九人が張った防壁が耐える。耐えはしたが、反撃に移る余力は残せず、防壁が消失する。

 雨の後のようにぐっしょりと濡れて滴を宿し、それが陽光に煌めくヒースの荒地。一見牧歌的に見えるその光景を、戦意と殺意が塗り潰す。


 アディエラは溜息を吐いた。彼女は無傷だが、それは九人も同じこと。殺傷能力が高い分防御力にも優れているため、それぞれが有効な一撃を放つことが出来ていない。


 九人を一度に相手取ることは難しい。

 だがここで、一息に全てを決着させるだけの威力のある、腕輪の水晶に溜められた魔力を使うことは出来ない。

 宝具の傍でレーシアの感情に波を起こすことは避けたいし、何よりも、〈器〉が一人しかいない中で二人分の〈器〉の魔力を感知しては、宝具が混乱を起こして暴走しかねないからだ。

 しかし、ここまでレーシアが無事に到達するには、ミラレークスだけではない魔術師の協力が要ったのだ。

 最早その必要もなくなり、アディエラにはこの場にいる樹国の魔術師たちの殺害が命じられている。


 宝具を確保してしまえば、レーシアには行動の自由が利く。ミラレークスの後ろ盾があれば、移動にも困らない。だが、余計な口を叩くだろう樹国の者たちは邪魔でしかない。そう、アディエラの主が判断した。



 まだ、アディエラの主はレーシアを確保するために動きはしない。



 だが、レーシアをどこに預けるのかは、アディエラの主が決めたがっている――否。


 決めるべきことだ(・・・・・・・・)


 アディエラはドレスを翻して撃ち込まれた衝撃波を躱し、十の指先全てに灼熱の輝きを灯した。

 それぞれに色の違う炎弾が、アディエラが水滴を払うように手を振るごとに樹国の魔術師たちに向かって放たれていく。


「当たれ。爆ぜろ。弾けろ。焼けろ」


 単調な口調でそう命じながら、最後の一つを撃ち切って、アディエラは即座に次の術式を組み立てる。

 地面を亀裂が走り、樹国の魔術師たちを奈落の底へ叩き落そうとその口を開く――


「これは疲れるな」


 ――寸前、ディーンとディアナ、アジャットが示し合わせたかのような間合いでそれを阻止した。


 呟きを零したアジャットは、フードを更に深く引き下ろしながら他の者には見えないその奥で顔を顰める。


「同意見ですわぁ」


 アジャットの呟きを拾い、アディエラが溜息混じりに微笑んだ。


「それにそろそろ終わらせませんと、痺れを切らした連れがこちらに来てしまいますわ」


 援軍の可能性に、九人の魔術師の顔が強張る。だが、その様子にアディエラがひらひらと手を振った。


「そんな顔をなさらなくても大丈夫ですわ。あの子は今は戦えませんの。

 ――あら、これ、言ってはいけないことでしたかしら?」


 どこかとぼけた表情で首を傾げる。おっとりとした深窓の令嬢のようなその様子。


 ディーンは眉を寄せて考え込んだ。非戦闘員がここへ来るというなら――それがアディエラの連れだというなら、人質に取ることを考えないでもない。

 だが、「今は」という言い回しから、本来は戦闘員であろうということが察せられる。大人しく人質になってくれるのか、それは賭けでしかないだろう。人質に取ろうとした挙句に打撃を被っては笑い話にもなりはしない。

 恐らくアディエラは魔術一辺倒。体術には一切触れたことがないだろう身のこなしだが、そのアディエラの連れがどうなのかまでは分からない。


 ディーンは考えながらも動いている。戦局は互角のまま動かない。


 だがその拮抗した戦局を、アディエラが突き崩しに掛かる。





************





 こちらに背を向けて地面に膝を突き、黒い光の中で歌を詠うレーシアの姿を、アトルは固唾を呑んで見詰めていた。


〈糸〉を繋ぐという作業に失敗が存在するのかは知らないが、もしもここで失敗したなどということがあれば耐えられない。〈糸〉が繋がれていない宝具はこれが最後――在り処が分かる宝具もまた、これだけなのだ。

 息を詰めるアトルの横顔に余程真剣なものを見たのか、アリサも沈黙を守ってレーシアを見ている。


 黒い光が明滅しながら消えていき、ふう、と息を吐いたレーシアが立ち上がって膝を払い、こちらを振り返った。

 その顔に確かな笑顔を見て、アトルは成功を悟った。


「よ――よっしゃああああ!」


 滅多にない大歓声を上げて、アトルは思わず傍にいたアリサに抱き付き、抱き上げてその身体を振り回した。


 頭の中がお祭り騒ぎだ。レーシアが封具と〈糸〉を繋いでからというもの、ずっと張り詰めていた糸が緩んだようなそんな気分で、アトルはぎゅうぎゅうとアリサを抱き締める。


「くるっ、苦しっ、アトル!」


 アリサが息絶え絶えに声を上げ、アトルはそれが聞こえた訳ではなかったが、はっと気付いてアリサを放し、レーシアの方へ駆け出した。


 レーシアは水を怖がっている。それに今度は、記憶の混乱が始まるはずだ。傍にいた方がいいに決まっている。


「なんなの……」


 傍迷惑だと言わんばかりのアリサの声を背中に受けながら、アトルは一足飛びに中庭を横切り、自分が架けた土の橋を蹴って渡り、レーシアの傍へ到達した。

 嬉しさと安堵で、レーシアにも遠慮なく抱き付きそうになったアトルだったが、近くで見たレーシアの顔色に即座にその気が失せた。


「レーシア……?」


 彼女の顔色が確実に悪くなっている。

 どうした、と尋ねようとしたアトルを遮るようにして、レーシアがその場に崩れるように膝を突いた。


「レーシア! おい、どうし――」


 切羽詰った声を出すアトルに、レーシアは苦笑を向けた。


「……大丈夫。もう大丈夫」


「でもおまえ――」


 言い差し、それからアトルははっと気付いた。

〈器〉が宝具や封具と〈糸〉を繋げるのは、〈器〉が常人の数百倍もの魔力を持っているからこそだ。

 レーシアは封具のみを二つ抱える状態が長く続いたことによって、魔力が磨耗している――つまり、宝具がもう一つ追加されたことによって増した負担を、魔力が受け止め切れていないのだ。


「――魔力が回復するまで、どうにもならないのか」


 アトルのその問いで、レーシアはアトルが事情を察したことに気付いたのだろう。ゆるゆると頷いて、傍に跪くアトルの、立てた片膝に手を突いて縋った。


「そう――だけど、大丈夫。これは死ぬようなものじゃないから」


 だが、しばらくは動けないだろう。レーシアは気分が悪そうに片手で胸を擦り、目を閉じて眉を顰めた。

 その尋常ならざる様子を見て取ったのか、アリサもこちらに近付き始める。


「ちょっと、大丈夫!?」


 目を開いてその姿を見て、レーシアは無意識にだろう、顔を顰めた。


「どうした?」


 アトルがそれに目を留めて尋ねると、レーシアは元気がない仕草ながらも、拗ねたようにぷいとそっぽを向く。


「――別に」


 アトルが困惑していると、傍に到達したアリサがレーシアを覗き込み、気遣わしげに声を上げた。


「わ、すごく顔色悪いわよ」


「大丈夫……」


 レーシアはぐったりと片手を挙げた。


「これはちょっと魔力が――」


 そこで言葉を切り、訝しげに辺りを見回す。


「ん? ――ここ……でも……」


 その様子に、アトルは覚えず強く彼女の名前を呼んだ。――他人の記憶の脅威が、またしてもレーシアに降り掛かろうとしているのだ。


「レーシア」


 レーシアがアトルの顔に視線を戻す。

 彼女が辺りの様子から混乱を見せそうだったことから、アトルはレーシアをここに置いておくべきではないと判断した。


「立てるか? ここ出るぞ」


 言うと、レーシアは心許ない顔をする。

 その様に溜息を吐いて、アトルは言った。


「担いでくから」


「いやいやいやいや!」


 レーシアが慌てて両手をアトルの前に突き付けた。


「いい! 歩ける! 心配しな――う」


 大声を出したためか、魔力が尽き掛けているレーシアが蟀谷に手を当て、顔を歪める。

 恐らく極限まで魔力を使った戦闘後のような状態なのだろうと判断し、アトルは呆れた息を漏らした。


「おまえ、頭とか痛くないか?」


「そうだけど――」


 レーシアが図星を突かれて視線を彷徨わせる。

 魔力を使い切った後には頭痛が付き物だ。それを身を以て体感したことのあるアトルはやや厳しい声を出した。


「無理して動くな。担がれるのが嫌なのか? 負ぶさるのならいいか?」


 レーシアは顔を強張らせた。


「あ――そうじゃなくて……」


 言葉を濁らせるレーシアは顔を伏せ、極限まで小さな声で呟いた。


「……今は、重いから……」


 その言葉を聞いて、アリサが訳が分からないという顔をする。常に念動属性を付与された魔力を垂れ流しているという、レーシアの体質をよくは知らないからだろう。

 だがアトルは正確にその意味を理解し、ますます呆れた顔をした。


「おまえな。俺だって鍛えてねえ訳じゃねぇんだから」


 アトルのその言葉でレーシアの言葉の意味を察し、アリサも重ねて言う。


「うんうん。アトルは――っていうか〈インケルタ〉にいる男なら、荷物持ちなんてざらだし。砲だって重いの支えて撃つしね」


 アトルは思わず突っ込んだ。


「砲をぶっ放すのは大抵おまえだろ」

「だってちまちま銃を撃つより気持ちいいじゃない」

「おまえな。そんなだから嫁の貰い手を心配されるんだよ」

「一生独り身でいいもん」

「オヤジが泣くぞ。マジだぞ」

「じゃあオヤジと結婚しようかなあ」

「馬鹿言えよ」

「なに、妬いてんの?」

「……そこまでボケたか」


 二人の掛け合いに、またしても少しばかり顔を顰め、レーシアは俯く。それから、やや不機嫌な声を出した。


「――じゃあ、おんぶで」


 アトルとアリサが同時にレーシアへ視線を向け、アトルがにっこりする。


「よし」


 レーシアの手を膝から一旦退かせ、彼女に背を向ける形で跪く。レーシアがおずおずと体重を掛けてきてアトルの肩を掴み、その仕草にアトルは思わず微笑んだ。

 アリサに見られれば、「なににやけてんの」とでも言われそうなので顔を伏せたが。

 レーシアをしっかりと支えて、アトルは立ち上がる。それから思わず首でレーシアの方を半ば振り返り、言った。


「なんだよ、軽いじゃん」


 レーシアが驚いたような顔をし、それから少しばかり嬉しそうに頬を緩めたことは、角度の問題でアトルには見えなかった。だがそれをしっかりと見たアリサは何かに気付いたように首を傾げる。


(子供と保護者の関係かと思ってたけど……ん? これは――)


 アトルが軽々と歩き出し、アリサがその半歩後に続く。

 アトルの背中で揺られながら、レーシアがぽつりと呟いた。


「――いつもありがとう、アトル」


「……おう」


 アトルは答え、真っ直ぐ前を向いたままでいた。


 耳元でレーシアの声がしたことに照れて顔が赤くなったのを、見られては敵わないと思ったので。







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[良い点] アリサも気がついた、これは修羅場か!!
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