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18 宝具の在り処

 些細なことから飛躍した思考が「サラリス」への思わぬ疑念を呼び、アトルは難しい表情をしていたとみえる。


「アトルが怖い顔になってる」


 とレーシアがアジャットに呟いているのを耳にして、即座にいつもの表情に戻したのだが。



 九日目である。

 アトルは制限時間の残り少なさに発狂し掛けていた。


「こっちでいいんだよな!?」


 語調を荒らげないよう気を付けつつ、それでもやや固い声で訊けば、レーシアは自信を持って頷く。


「うん、合ってる」


 言いながら目を閉じ、アトルの腕を掴んで言った。


「もし私が死んだら、何が何でもサラリスにそのことを伝えて、大好きだって伝言を――」


「冗談にならねえぞ!」


 レーシアの言葉に激昂し、思わず怒鳴り声を上げたアトルのもう片方の手を引っ張って、アリサが落ち着かせる。


「はい、どうどう。どうしたの、らしくないよ」


 レーシアはしゅんと眉を下げていた。


「ごめん……」


 問答無用の罪悪感にアトルは呻いた。

 とはいえ、焦っているのは全員共通のことであり、そして何よりも自分の命が懸かっているのはレーシアである。後追いを決意している段階で、アトルも自分の命が懸かっていると言えなくもないのだが、それは他の者の知ることではない。

 レーシアは今では寝台の上に起き上がっていることが多くなり、僅かでも方角のずれがあれば素早くそれを指摘するようになっていた。

 先述のような冗談を述べたりもする彼女だが、誰からも見られていないと思ったとき、滅多に見せない厳しい表情をしているのを、アトルは何度か目にしている。



「朝には 久方の光 露に映え

 風に吹かるるその様は

 貫き留めぬ 玉散るが如

 茜さす 昼の目庇 木の葉揺れるは

 さやさや音す 其は水音の如

 木の葉雨の日に臨むに見ゆる 雨注ぎが玉簾

 烏羽玉の夜には月影の 儚く隠るる

 水面に映るその様は

 揺らぎ揺らいであえかに散れり」



 レーシアが小声で歌う声からも、美しさが随分と削ぎ落とされ、焦燥が濃く匂うようになった。



 だが、そのときは来た。


 九日目の夕方、奇しくもレーシアの心臓が止まったときからちょうど二日目、寝台の上で膝を抱えて目を閉じていたレーシアが、ぱかりと目を開いた。

 そして言った。


「もうここまで来たら歩いて捜した方が早いと思うの」


「っしゃ!」


 アトルは拳を握り、その旨を御者のリーゼガルトに伝える。


 馬車が停まり、最早人と同程度にしか慣性の影響を受けないレーシアに肝が冷える思いをしながら、アトルがレーシアの手を取る。


「行くぞ」


 外に出ると、そこは荒地の真ん中だった。

 ヒースが夕日に照らされながらさやさやと揺れ、そのヒースは馬車の通り道を示すように、悉く焼き尽くされている。だが、荒野全体を覆うヒースに比べれば、焼かれた部分の小さなことは言うまでもない。そして前方、やや離れた所には崩れかけた砦が見える。

 砦を囲う防壁が歳月に負けて崩れ、砦の中にもヒースが生い茂っている。防壁の傍には、ヒースではない、白い花を咲かせる茂みも見えた。砦は堀に囲まれているようだが、その堀も長い年月に埋もれ、僅かな地面の凹みでしかない。

 砦の他には建物らしい建物はなく、遥か昔には、ここが戦場となることも予測される国の要所であったことが窺える。だが今となっては荒野である。


「あっち」


 アトルの手を握って、レーシアが砦の方向を指差した。おう、と答え、アトルがレーシアの手を引いてそちらに向かおうとする。

 他の魔術師たちは周囲を警戒して見渡しており、アリサは、取り敢えずその傍にいれば安全だと判断したのか、アジャットの斜め後ろを付いて回っている。

 そもそもが荒野で、死角の存在しにくい場所である。


 だが今、砦の中から駆け出してくる人影が一つ。


 逸る気持ちを抑え、アトルはレーシアの手を引いてその歩みを止め、彼女を庇うように前に出た。

 足下の起伏に躓きながらも転倒だけは免れて、薄紅色のドレスを着た赤金色の髪の少女が、こちらに向かって走って来る。

 アトルは舌打ちを漏らした。


「あいつ……!」


 アディエラ・シェレスが、再びレーシアの前に現れた。






「レーシアさま!」


 声を上げ、アディエラがアトルからほんの五歩ほど離れた所で立ち止まる。

 上がった息を整えて、アディエラがドレスのスカートを指先で摘み、片足を引いて深々と腰を落とし、頭を下げた。


「――先日の無礼をお詫び致したく、このように御前に参りました。

 ……あなた、邪魔ですわ。わたくしはきちんとレーシアさまに――」


 少しだけ顔を挙げ、不機嫌に目を細めてアトルを見るアディエラ。

 アジャットが、ディーンが、その場にいた魔術師が皆、臨戦態勢に入っていく。


「おまえが邪魔だ」


 そんな中、アトルが堂々と啖呵を切った。その言い様にアディエラが目を見開く。


「まあ、失礼な御仁ですわ」


「ああ、そうかもな」


 言いながら、アトルはぎゅっと握ってくるレーシアの手を親指で擦った。


「今はおまえの相手してる場合じゃねえんだ。レーシアを殺すように命令されてないっていうんなら、そこを退け」


 アディエラはますます目を見開く。


「レーシアさまに害を為すなど、そのような恐ろしいことをするはずもないでしょう?

 ――退きますわ、勿論ですとも。だからどうか」


 アディエラは身体を起こし、首を傾げる。


「あなたの声で、あなたの言葉で、あなたの口で、あなたの喉で、どうかわたくしにお声をお掛けくださいませな、レーシアさま」


 レーシアを庇うように立つアトルは動かない。アトルの後ろのレーシアもまた、アディエラの口調に異様なものを感じ取っているのか、口を開く気配はない。

 小さな溜息を零して、アトルはアディエラを真っ直ぐに見た。

 レーシアの唇が動くことを期待して、レーシアをじっと見詰めている少女に、一言一言を投げ付けるように。


「レーシアの声も言葉も、おまえには勿体ねえ。くれてやらない」


 レーシアの手を握ると、同じように握り返されたのが分かる。

 アディエラは初めてアトルを見て、その琥珀色の目を訝るように細めた。


「……なぜ、あなたが」


 声は今までより数段低い。


「なぜあなたがレーシアさまの手を取って、レーシアさまの代わりのように口を開くのでしょう?」


 ぐ、とドレスの胸元を握って、紅玉の首飾りに爪を立てて、アディエラが眉を顰める。


「これほどお待ち申し上げ、これほどレーシアさまを希い、これほどレーシアさまを切望し――そのわたくしに、あろうことか、レーシアさまのことを何も知らない不届き者が、『勿体ない』と?」


 アディエラの明確な敵意がアトルに向けられた。そのまま、アディエラの顔が陰惨な笑みを刻む。


「笑止。笑いを禁じ得ませんわ。いっそ憐れでさえありますわ。わたくしたちが――」


「行くぞ!」


 アディエラの長科白を打ち切るようにそう声を上げて、アトルがレーシアの手を引いてアディエラを回避するように走り出す。それと同時にアジャットたち魔術師全員の攻撃がアディエラに降り注いだ。

 事前の打ち合わせも何もなかったために、その属性はばらばらだ。むしろ同時に攻撃が降り注いだだけで、彼らにしては息が合ったと言えるだろう。

 炎と氷が相殺し合う、というような元素系の打ち消し合いを警戒してか、降り注いだ攻撃の中では念動系が最も多い。次に多いのが対抗属性が出し難い雷霆の群れだ。

 稲妻と土埃、そして焦げたヒースの切れ端を大量に巻き上げながら、その魔術がアディエラに着弾する。

 だが、それでも――


「欠伸が出ますわ」


 アディエラは無傷。そのアディエラが、己を覆った障壁を解除し、自分を回り込んでレーシアの手を引くアトルの方へと腕を伸ばす。


「レーシアさまはお通し致しますけど、あなたまで通すつもりはございませんわ!」


 その指先に光が凝り、破壊の予兆を撒き散らす。咄嗟にそれを防ごうとした魔術の群れをアディエラが相殺して、張られた防壁も全て砕いて、


「アトル青年、躱せ!」


 アジャットが怒鳴り、攻撃は来るだろうと読んでいたアトルが、レーシアの手をぐいと引いて自分の前に回らせ――


「うわっ、わあっ!」


 レーシアの歓声とも悲鳴ともつかぬ声、それをもたらしたのはアトルの魔術だ。


 アディエラの魔術がもたらしたのは熱と光と爆風である。本当にレーシアを巻き込む気がないのか、疑わしくなるような容赦のなさで、小規模な爆発が巻き起こる。

 それに乗じ、利用する形で――


「なっ……」


 さすがのアディエラも呆気に取られた。


 爆発よりも前方に回っていたアトルが、レーシアを抱え、障壁にぴったりと背中を付け、障壁そのものを爆風に乗らせたのだ。

 当然、二人の身体は障壁に乗る形で吹き飛ぶ。


「無茶な! 落ちますよォ!」


 ヘリオが叫び、彼はその瞬間だけはアディエラと通じ合っていたことを表明した。


「レーシアさまが……!」


 アディエラは、アトルが落ちると判断して何よりもレーシアの身を案じ、二人が落下するだろう位置に念動系の魔術で緩衝材を構成していく。

 その緩衝材を放棄されては堪らないので、アジャットたちもその瞬間はアディエラへの攻撃を止める。


 だが、アトルは吹き飛びながらも第二の術式を組み立てており、その術式を障壁の術式に捻じ込み、魔術の発現形を捻じ曲げた。

 障壁が重さを得てアトルたちの足下に滑るように落下する。その時点でアトルは捻じ込んだ術式を解除、障壁は性質に従って術者アトルの身に――この場合は、足下に張り付く。

 そしてアトルが、レーシアを抱きかかえていない方の手を伸ばす。

 その意思に従って、レーシアが宝具があると言った方向、砦まで一本道を切り開くように、紅蓮の炎が荒野を焼き払い、ヒースを散らして道を作る。


「助かった、アディエラ!」


 嫌味ったらしくそう叫んで、アトルの障壁がアディエラの緩衝材を利用して着地――直後、術者であるアディエラがその術式に介入し、アトルごとレーシアを己が手元に引き寄せようとしていることを察知する。


「させるか、よっ!」


 声を上げ、アトルが第三の術式を起動。それは氷結だ。

 熱されたばかりの一本道を、白く煌めく氷の結晶が覆う。熱を相殺してから更に温度を下げる必要があったため、通常よりも多くの魔力を割くこととなったが、緊急回避のためだ、仕方がない。

 凍らされ、摩擦を大幅に失った道の上を、アディエラの緩衝材から逃れたアトルの障壁が滑る。落下の勢いもあって、その速度は生半なものではない。


 そしてアディエラの緩衝材が無用となった今、アジャットを始めとする魔術師たちの猛攻がアディエラに殺到する。


「――計算の内ですわ」


 ぼそりと呟き、アディエラが魔術師たちに向き直る。


「レーシアさまが宝具に到達することは必要なことですわ……余計なおまけも付いて行きましたけれど」


 アジャットが不機嫌な声を出す。


「――レーシアさんが宝具を必要としていることを知っていて、なおかつ宝具の在り処まで把握していて待ち伏せていた――というわけか」


 アディエラは嫣然と微笑む。その腕で水晶の象嵌された黄金の腕輪が、そして胸元で紅玉の首飾りが輝く。


「当然ですわ。レーシアさまを失う訳には参りませんもの。常にお傍でお守り申し上げたいこの気持ち、堪えるのも全てあの方のため――いえ」


 首を振り、貞淑な口調で続ける。


「あの方に喜んでいただきたい、わたくしのためですわね」


「戯言を――もういい!」


 ディーンの怒声と迸る炎に、アディエラは顔色を変えもしない。

 ただ粛々と炎を掻き消し、降り注ぐ一切の攻撃を跳ね除けて、その場で胸を張る。


「そう、だからわたくしのために、せめてここで死んでいただかなくてはなりませんの」


 アディエラの赤みの強い琥珀色の目が、夕日に橙色の光を弾いて魔術師たちを見据える。


「樹国の狂信者ども、あの方に仇なす害虫め。

 ――ここで、本当に、死んでもらいますわ」


 リーゼガルトが素早く雷霆を撃ち出しながらも首を傾げる。


「……俺らはいいのかよ?」


 アディエラはその呟きを捉え、毒を含んだ微笑を浮かべた。そして今までで最も嘲りの色の濃い声を出す。


「いいんですわぁ。だって何も知らないんですもの」


 その言葉は明確に、リーゼガルトたちとディーンたち、二つの勢力の陣営の違いを理解していることを黙示する。

 アディエラが反撃に転じる。衝撃波と氷塊と風の刃を同時に三方向に向けて繰り出しながら、アディエラがくすくすと笑う。


「レーシアさまのお傍をちょろちょろされたところで、毒にも薬にもならない小物どもですわぁ」


 まるで全て掌の上だと言わんばかりのその言葉に、苛立ったのは全員共通の感情だろう。


 その魔術師たちが防壁を展開する。アディエラを囲む形のその防壁が、アディエラが撃ち出した三つの攻撃を受け止め――軋み――



 そして決壊した。






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