表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/293

05 手紙

 宝国旧都の王宮から回収したものは、ジフィリーア王国三大都市の一つ、シャッハレイの外に広がる準シャッハレイで受け渡す約束だ。


 ジフィリーア王国三大都市は、交易のケルティ、産業のシャッハレイ、そして王都にして最大の金融都市、アリーフである。


 シャッハレイには魔術師が集まる。アルナー産水晶の術式加工も、この町で行われることが大半だ。ジフィリーアにおけるミラレークスの本部はこの都市に置かれ、延々と続き町を守る城壁の所々には魔術が用いられている。城壁の外にはその栄華に与かろうとして、シャッハレイの中に住むだけの財力はない人々が集まり、第二の町を形成する。無秩序に広がるその町は、一般に準シャッハレイと呼ばれる。


 準シャッハレイの宿に、全力で怪しまれながらもそれを全力の笑顔で躱し、〈インケルタ〉の宝国に派遣された十三人が宿泊していた。もちろん、櫃や箱や時計ともどもである。これで怪しまれない方がおかしい。運送屋としての身分が何とか通報を免れさせていた。


 だがしかし。


「何なんだよこの部屋の取り方はぁっ!」


 アトルが不満を爆発させた。


 部屋は三部屋取った。女性陣のために一部屋、男性陣のために一部屋、そして荷物のために一部屋である。ただ、荷物を荷物だけで放っておくわけには無論いかないので、「男はどこでも寝られるでしょ」という女性陣の偏見に満ちたお言葉を頂戴した男性陣、その中でもアトルたち「餓鬼」たちが順番に見張りを任されていた。これを免れることはアトルも出来ず、宿泊二日目である本日、見張りを任されているという次第である。


 宝国脱出は思ったよりもあっさりしたものだった。行きは散々手を出してきたアニムスやカエルムやトニトルスも引っ込んでいてくれ、余裕で逃げおおせたのだ。


 アニムスは思念体である。思念跡の名を持つ通り、意識の――多くは、死ぬ間際の――残像であり、生きていたときの行動をひたすら反復したり、恨みのある者の所に行って祟ったりする。対処法さえ知っていれば恐れることはない。――が、宝国の旧都に潜入してからのアニムスの数の多さには、ゼーンたちでさえ呆れていたほどだ。


 カエルムは空人の名の通り、空を自在に行き来するもので、種族として元素系の魔術に優れている。その技量は人間の比ではない。透き通るように薄青い肌、金色の目を持ち、姿かたちは人間によく似ているが、彼らには硝子細工のように見える白い翼がある。過去、この翼が高値で取引され、人間に襲われ続けた歴史があるために、彼らは人を敵と見なす。


 トニトルスは雷兵と呼ばれる通り、雷を自由に操る種族である。姿は二通りあり、どちらでも選べるようだ。一つは人に似た姿で、金色の肌を持ち、この姿の時には多く槍を携える。もう一つは鬣の豪奢な獣の姿であり、雲気を纏うその姿は多くの詩人によって讃えられてきた。彼らは完全に人間を低位種と見なしているので、狩りとばかりに襲ってくる。ゆえに多くの人間は、「最高に危険な獣」として対処するが、知性を取れば明らかに人間より上の種族であることには違いない。


 アニムス、カエルム、トニトルスはそれぞれで敵対はしておらず、むしろ生息地は似通っている。また、互いに意思の疎通も図れるようだ。


 そういった種族たちが引っ込んだのに反比例して、宝国脱出後から感じる追手の気配は増える一方だ。そんなに大したものを持ち出してしまったのかと、ゼーンたちが一度議論していた。


 というわけで、気が抜けない。今日は徹夜を義務付けられたようなものだ。アトルは溜息を吐く。


 宝国を脱出してから二箇月。追手は大盤振る舞いされている。

 脱出直後から追手が掛かったことから、どうやら追手を放っている側は宝国に侵入する度胸は無かったものの、アトルたちが持ち出した荷物は欲しいらしい。

 言い換えれば、アトルたちはばっちり見られていたのだ。即座に捕縛されることがなかったことから、追手は宝国の者ではないと思われる。


 宝国はジフィリーア王国の東隣にあり、三大都市は国の中央寄りにある。三大都市の中で最も東にあるのがシャッハレイなのである。


 逃避行紛いの旅程でただでさえ疲れているのに、徹夜。

 気が滅入る。

 昼間である今はまだいいが、夜中がどんなに辛いか、想像したくもない。


「おっす、不貞腐れてんのか」


 そう言いながら入って来たのは、昨日に見張りを務めたラッカーである。目の下に隈が出来ているものの、表情は至って元気だ。


「うるせえなあ、何だよ」


 アトルは答え、開かれた扉から廊下をちらりと見た。


 この部屋は二階建ての木造の宿の二階、突き当りだ。両脇の部屋が男性陣と女性陣がそれぞれ泊まる部屋であり、廊下を進むと一段踏むごとにぎしぎしと軋む階段があって一階へと続いている。一階には食堂があり、昨日はアトルもそこで食べたが、今日は半強制的にこの部屋で食事をする。

 部屋の中は至って質素。隅に小さな寝台、その枕元のやや大きめの窓。そして窓の向かい側に衣装箪笥。今はそこに、櫃四つと置時計二つ、そして十数個の箱が詰め込まれ、見張りは肩身の狭い思いをしている。大きい方の置時計など、床に寝かされているほどだ。そして現在、その時計はアトルの腰掛となっている。

 どう見ても立派な置時計が、薄汚れた綿のズボンの下敷きになっている様には、相当な違和感がある。


「不貞腐れているだろうアトルに差し入れだ」


 ラッカーは言って、ひょいとアトルに小瓶を投げた。それをしっかり受け取ったアトルはそれを一瞥してぱっと顔を輝かせる。


「酒か?」


「安物だけどな」

 ラッカーは言って、神妙に続けた。

「寝るほど強烈じゃないけど、何とか退屈さには勝てるぞ」


 アトルは笑みを零した。


「ああ。ありがとな」



 ――そんな遣り取りを反芻しながらの、夜になった。


 夕食はきちんと差し入れられるだろうが、一人で食べる侘しさは如何ともし難いと今から予想できる。

 五歳までは路上で生活していたが、アリサを始めとして乞食の仲間は沢山いたし、ゼーンに拾われてからこちら、常に大人数での食事が基本なので、アトルは一人の食事が嫌いだ。

 口を付けていない小瓶を掌から掌へ転がしながら、アトルは窓の方を見る。


「明後日までの辛抱だ」


 明後日には、この櫃やら箱やらを別の運送屋に渡すことになっている。見張りの犠牲となるのもあと一人だけであり、それはアルディに決定していた。

 ふあ、と欠伸をしながらアトルは時計の上で反っくり返る。何となく身体の右手、振子の方を見た。


 金色の、重厚な振子。これが揺れていたとき、この時計はさぞかし立派だったことだろう――と今更ながらに意識し、アトルは腰を浮かせた。


 壁に取り付けられた燭台に揺れる灯が、ちらちらと揺れる。


 その光の加減か、硝子の向こう、振子の後ろに何か白いものが見えた気がした。

 硝子が反射したのかと思い、近付いてよく見る。すると、実際に振子の後ろに何か紙のようなものが挟まっているのが見て取れた。


 触ってはいけない。これは、他人様のために持ってきた、他人様の物となるべき時計である。

 それは重々分かっていたが、まだまだ続く夜の退屈さを紛らわせたいという欲求もあり、しばらく逡巡したのち、「ばれなきゃいいんじゃないか?」という発想が、当然ながらやって来た。


 調べてみると、振子を磨くためなのか、どんな理由かは知らないが、硝子戸は簡単に開くらしい。


 これは証拠を残さずに紙を検分できそうだと踏んだアトルは、瓶を置き、小さな硝子戸に手を掛けて静かに開き、そうっと振子を持ち上げ――そのずっしりとした重さに少々驚き――、後ろの紙をそろりと取り出した。そして違和感に眉を寄せた。


 紙、だ。

 慣れ親しんだ紙の感触だ。


 しかしそれはおかしいのだ。これがアトルの推測通りに百年前のものならば――それ以降に入れられたものだと考えると、必死に自分を納得させたあの仮説がおかしくなるのだが――、使われていたのはまだ羊皮紙だったはずだ。

 紙が軍部の他でもつかわれるようになったのはその後、今から六十年程前のことだ。



 ――この子を助けて。



 あの声が脳裏に蘇り、アトルは罪悪感を覚えた。

 そんな義理は無いのだが、もしかしたら自分は「この子」を見捨てて来たのかも知れない、と思うと覚えずにはいられない感情だった。そしてそのことを誤魔化すようにして、その紙を広げた。流麗な筆跡で、そこには古風な文が綴ってあった。





この部屋を見付けてくださつた方へ


 この部屋を見付けてくださり、又この時計を、そしてこの手紙を見付けてくださつた方。

 どうかこの子をお救ひください。

 貴方がいつの時代に生きていらつしやる方か、わたくしには知るすべがございませぬ。

 ですけれど貴方はわたくしたちのことを知らない方でございませうから、きつとわたくしの罪の及ばない方でございませう。

 どうか慈悲の心ある方でありますやう。

 この子の名前はレーシアと云ひます。

 この子が己の利益のことしか考えないやうな、そんな心無い人に懐いてしまふことが今のわたくしには一番恐ろしい。

 貴方はこの子のことを知らない方ですから、どうかこのままこの子の傍についてやつてゐてほしい。

 勝手を申し上げて申し訳ありませぬ。

 レーシアは今眠つております。ですがずつとそのままでは、この子は緩やかに死んでしまふでせうから、目を覚まさせてやつてください。

 レーシアはこの時計の中にゐます。

 その限りでこの子の時は止まつてゐます。

 わたくしが最後まで守つてあげられたならば、それに勝ることはなかつたのですが、わたくしにはもうこの子の傍にゐられる時間が残されておりませんから、貴方にお願ひいたします。

 厚かましいお願ひだと存じます。

 理由をお知りになりたいだらうと思ひます。

 ですけれどどうか、何も知らないままでこの子の人柄に触れてほしい。

 お詫びに、この部屋にあるものを全て差し上げます。どのくらいの価値があるかは分かりませぬが、セゼレラのものだと謂へば価値が付加されるでせう。

 この子を助けてください。

 さうしてくださるならば、叶ふならば命すら差し上げても良いと思つてゐるのです。

 そしてどうか、目を覚ましたこの子に、この手紙を見せないでくださいますやうお願ひ申し上げます。

 わたくしのことを、この子が必要以上に慕うこと、それはとても悪いことでございます。悪し様に謂つてくださるやうお願いしたいところでございますが、貴方はわたくしたちのことを知らない方でございます。また、そのやうなお願いは厚顔であらうと存じます。

 元より厚かましいお願いを申し上げてゐる中で、今更何の気遣いあらむと、笑はれることとは存じますが、どうかこの子をお助けください。


 きつとこの手紙は読みにくうございませう。

 最近の文章を綴ることの出来ない不器用さを、御寛恕ください。


              サラリス・エンデリアルザ


二伸

 もしもレーシアが、サラリスの名を出したとしても、知らないと応へてくださいますやう。





 冷や汗が背中を伝った。

 お願いだらけの手紙であり、その時点で多大なる面倒事を含んでいるが、今考えるべきはそこではない。

 呆然と時計を見遣る。


(中に人がいる……?)



 血の気が引いた。


 この時計はここに運び込まれるまでに、馬車に積まれたり、浮遊術式を仕込んだアルナー産水晶の力で運ばれたりと、文字通り二転三転している。

 中に人がいた場合、どうなるか。

 考えるまでもない、全身打撲である。打ち所が悪ければ死ぬ。


 思わず飛び付いて時計を探り、恐らくここを引けば開くというところに手を掛けて、しかしアトルは固まった。

 もしもここを開けて、中にいるレーシアとかいう人物が生きていて、なおかつ目を開けた場合、責任を持って面倒を見なくてはならなくなるのか?


「この子」という呼び方、更には「懐く」という言い回しから、恐らく五、六歳の女の子だろうが、そんな小さな子供を背負って仕事は出来ない。


 しかしここで放置するのか。

 激しく良心が痛む。


 アトルには小賢しいところがある。それは確かだ。しかしそれは冷酷であることと等号では繋がらない。アトルはむしろ情に厚い。ただ、非合理なことが嫌いなだけだ。

 小さな子供を背負って、オヤジたちに冷やかされながら仕事をすることを想像してみる。金は掛かるし面倒だ。それでもきちんと面倒を見られるか。その覚悟がなくては、この蓋を開けることは許されないだろうと思う。

 しかし。


 ――ずっとそのままでは、この子は緩やかに死んでしまう


 アトルは唸った。

 誰かを呼びに行くという選択肢は端から浮かばなかった。――あの言葉を最初に聞いた自分、あの部屋に最初に入った自分、そして手紙を読んだ自分。そういったあれこれが頭に圧し掛かったからだ。


 命を捧げるほどの願いごと。

 この子を助けてくれと、それを一心に祈っている。


 深く深く溜息を吐いた。


「――どうにでもなれ」


 重荷になろうが、笑われようが、人が死ぬよりはましだ。


 確実に誰かが死ぬよりは、万が一でも生き抜く方に賭けるべき。たとえアトルが面倒を見切れずに放り出すことになろうとも、かつて放り出されたアトルやアリサは生き抜いてきたのだから。


 アトルは手紙を腰の箱に畳んで入れ、もう一度時計に添えた手に力を籠め、時計をぱっかりと開くようにして、蓋を押し上げた。


 錆のない蝶番は滑らかに動き、その内側を明らかにした。


 アトルはただ、絶句した。





評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ