11 疑念の始まり
ウィンドレンの一斉検問は厳しいものであったらしく、町に入ってすぐに、ただこの町に立ち寄ろうとしていただけの冒険者たちが嘆く声が聞こえてきた。
「やってらんね、なんだよいきなり」
「こんなの初めてよねー」
酒屋で飲み交わす冒険者二人組みの声が、開け放された扉を通して聞こえてくる。
屋台が出ており、そこで果物や装身具が売られている。その店主たちにも検問は及んでいたようで、商品に付いた傷のことで隣の店の者と意気投合し、愚痴を零し続ける者もあった。
「なんだってそんな厳しい検問が?」
アトルが当然の疑問を口に出すと、それを聞き咎めた一人の店主に、呆れたような目で見られた。
「兄ちゃん、何も知らねえのな。つい昨日だったかに、ちょっと離れた所でえれぇ騒ぎがあっただろ。軍が出てさ」
――あ、俺たちが原因です。
そう言うに言えず、アトルは「ああ、そういえば」という顔をする。店主はやれやれと首を振った。
「しかも検問が始まってしばらくしてから、隣の町があっという間に壊滅したっていうだろ? もう、昨日は厄日だよ」
リーゼガルトは首を傾けた。
「待てよ? 昨日の軍とのドンパチが検問の理由ってんなら、なんで軍は先にあっちの町を検問しなかった? あっちの方がドンパチがあった場所から近いだろ」
店主は肩を竦めた。アトルがぼそりと答える。
「ここ、ウィンドレンだろ。仕事で来たことあるけどさ」
オリアも不思議そうな顔をする。
「そんなに有名な町じゃないです?」
「いや、そうだけど」
アトルは店主と目を合わせ、肩を竦め合った。
「近くの他の町と比べると、すっげえ治安が悪いんだよな」
そーいうこった、と、店主が大口を開けて笑った。
百年戦争の爪痕の一つに、治安の悪化が挙げられる。どこかで揉め事や紛争が起これば、それを皮切りにして暴動が起きることは定石なのである。それを警戒して、元より治安の悪いウィンドレンにて検問が敷かれたのだろう。
「はあ、そんなに治安が悪いなら、レーシアさんをお連れしなくて正解でしたねえ」
オリアが頷きながら呟き、先に進んでしまった買い出し組の皆の後を追った。
買い出しは順調に進み、食糧を主として皆の手が埋まっていく。こういったときに重い荷物を負わされるのは、どこの社会でも男の宿命である。
アトルもまた干し肉の包みと堅焼きパンの包みを両手に持たされ、相変わらず最後尾を、リーゼガルトをオリアとで挟むような形で歩いている。リーゼガルトは、胡桃が入れられた袋と燻製肉の包みを持たされている。オリアはチーズの小さな包みを持っているだけである。
「あ、あれ美味しそうー」
などと嬉しげに言って、焼き菓子の屋台を指差している。その屋台には二人の男が立ち寄っているところだった。
「――検問では引っ掛かりませんでしたなあ」
「そうだな。きみたちはもう少し慎重にした方がいいだろうね」
屋台で焼き菓子を買いながら、二人の男がそんな遣り取りをしているのが見える。茶色い髪を後頭部で纏めた、やや背の低い男が焼き菓子を店主から受け取り、黒い肌に白い髪が映える、すらりと背の高い男が金を払う。
「いいですねー」
オリアが羨ましげに言い、リーゼガルトがその頭を小突こうとしたが、両手が塞がっているため未遂に終わった。
「仲いいな」
とアトルが苦笑し、それに対して二人揃ってきょとんとする様子に、ますます苦笑する。リーゼガルトは肩を竦め、オリアに顎で前を示して見せた。
「黙って歩け」
「はぁい」
焼き菓子を買っていた、茶色い髪の男は連れに焼き菓子を渡し、伸びをする。
「あんな急な検問で足止め喰らっちゃ堪りませんよ。ねえ旦那?」
黒い肌の男は苦笑した。
「私に対する皮肉かな?」
「とんでもねえですや、おっかねえ」
ふっと笑って、男が言う。
「まあいい。――で、この焼き菓子で口止め料はよろしいのかな?」
茶髪の男はにかっと笑う。
「へいへい。――旦那も相当なお方らしいですね。名うての冒険者とかですかい?」
アトルは通り際、横目で黒い肌の男を見た。男は困ったように苦笑いを浮かべている。
「それを言ってしまったら、また口止め料が必要になるだろう?」
焼き菓子を一口食べて、明るく笑う。
「私もきみたちのことを黙っておくのだから、お互い様だよ」
へいへい、と答える男の声からは、少なからぬ嘲笑が窺える。
この治安の悪い時代に、このウィンドレンで、口止め料は何の役にも立たないことが多い。確実な口止めの方法は相手の息の根を止めておくことだけだ。
それはさておいて、買い出し組はレーシアたちと合流するべく道を戻る。奮発して――というよりは必要に駆られて、町で大き目の荷馬車を一台購入し、そこに買い出した荷物を積んでのことである。
雪が降り始めていた。
レーシアたちと合流し、荷馬車に積まれた荷物を見た人々から労いの声が掛かるのを聞きながら、アトルはリーゼガルト、オリアと並んでしばし佇む。オリアはひらひらと舞う雪を掌で受け、溶ける様をじっと見ていた。
ちらちらと景色を斑に染める雪片を見ながら、アトルは溜息を吐く。
今のレーシアに寒さは大敵だが、アトルは既に彼女を気遣える場所にいない。「お帰りー」と呑気に声を掛けてもらえることもない。
今までレーシアが、多少なりともアトルを頼り、特別視していたことを、それがどれだけアトルにとって特別なことであったかを、こうした形で突き付けられる。
はあ、と響いたアトルの溜息を、怒りと呆れを含んだ、更に大きな溜息が迎え撃った。
「げ」
「げ」
アトルはリーゼガルトと視線を合わせ、「うわあ」と表情で伝え合った。そして揃って恐る恐る振り返る。そこに腕を組んだアジャットが突如として現れているのを見て、二人の顔は強張った。
「た、ただいま、アジャット――」
リーゼガルトがなんとか言ったが、アジャットは氷の声でそれに応えた。
「ただいま。今、ただいまと言ったな?」
「えっ、あ、はい」
居住まいを正して項垂れるリーゼガルトから、関係のないオリアと、怒られる覚えが十分にあるアトルがこれ幸いと距離を置こうとしたが、アジャットの凍れる声はアトルまで射程圏内に置いていた。
「アトル青年。きみもだ」
「あ、ですよね……」
すごすごとリーゼガルトの隣に戻ったアトルに、オリアが「頑張って」とばかりに拳を握ってみせた。
アジャットは改めて腕を組み、冷ややかに言った。
「さて、覚えているかな、二人は」
「えーっと」
「レーシアさんの傍に残る戦力は多い方がいいと、確かにそういうことになっていたよな?」
「…………」
「…………」
「樹国のことにまで口を出すつもりはないから、オリアが行ったことをどうこう言うつもりはないが、しかしだからといって、指定魔術師が二人も買い出しの方に行くというのはどうなのかな?」
「すいませ――」
「しかも、リーゼガルト」
謝罪を遮られて口をぱくぱくさせるリーゼガルトは、呼び掛けに戦々恐々と答えた。
「はい……?」
アジャットの顔はフードの奥なので、視線の向きや表情などは窺い知れない。だが、半端でない圧力がリーゼガルトに掛かって、視線に重さが存在するということを立証していた。
「私はきみをとても信頼しているよ」
「あっ、はい……。どうも」
「いつも私の研究に協力してくれて」
「いえいえ……」
「だが、いや、だからこそ!」
アジャットはリーゼガルトに近付いてその手を取った。ぎりぎりと音がしそうな程に力を入れて握り締めるので、リーゼガルトの顔がどんどん歪んでいく。
「きみの意思は尊重したいが!」
「アジャット、手……」
「だが、さすがに樹国と連み過ぎるのは良くはない!」
「手が痛ぇ……」
「その上入信なんてことになってみろ! 私まで連帯責任で首が飛びかねない!」
「手ぇ痛ぇっつってんだろ!」
堪らず怒鳴って手を振り放し、リーゼガルトはぜぇぜぇと息をする。
「あのな! アトルにも言ったが――」
「アトル青年そんな話を!?」
「いやあの、聞いてやって」
「――俺とオリアは何でもねえ!」
リーゼガルトの絶叫に、アジャットは自身の顎に指を掛けた。
「む」
どうやらアジャットはかなり本気でリーゼガルトの入信を心配していたようだ。
「勧誘されていないと?」
「その通り!」
「浮気でもないと?」
「毛筋ほども!」
リーゼガルト、そろそろ声が嗄れないか心配である。
アジャットはいかにも思慮深げな姿勢で数秒佇み、ぼそりと「そうか……」と呟いた。
「分かったか?」
といくらか声を低めてリーゼガルトが尋ねると、アジャットは真面目な声音で言った。
「うむ。――遠からぬ先にオリアたち樹国とはまた敵対することになるから、そのときにリーゼガルトが辛い思いをすることになったら大変だと思ってな。杞憂で良かったよ」
何も恋情がなければ辛くないとは限らないのだが、アジャットの頭からはそれが抜け落ちているらしい。晴れ晴れとした声である。
ふう、と息を漏らしたリーゼガルトだったが、アジャットはぽんと手を打つと、あっさりと言った。
「そういえば、レーシアさんを置いて買い出しに行ったことに対しての話し合いがまだだったな」
アトルもリーゼガルトも固まった。
延々と続く冷静の皮を被ったアジャットの叱責はそれから三十分に亘って繰り広げられ、ようやっと終わったときには、既に出発間際だった。
「あー、もう死ぬかと思った」
アトルがげんなりと呟けば、同じくげんなりしたリーゼガルトが返す。
「ま、しゃーないだろ。戦力が勝手にレーシアの傍から離脱したことを思えば……」
「戦力って……。――待てよ」
はたと気付き、アトルは表情を改めてリーゼガルトを見た。
「確か最高指定魔術師は、アジャットを瞬殺できるくらいに強いんだよな?」
「――――」
「なんで今この局面に出てこない?」
リーゼガルトは顔を顰めた。
「そりゃあ……最高指定ともなれば数もいねえし……」
「確か五人くらいはいたよな?」
アトルは顔が険しくなるのを自覚した。
「その中の誰も、レーシアを守りに来ねえのか?」
「俺もたかだか下等指定だ、詳しくは――」
「ミラレークスは――」
アトルは息を吸い込んだ。
「――レーシアをそれほど重く見てねえのか?」
疑念の滲んだ声に、リーゼガルトはやや慌てた顔をする。
「そんなわけねえだろ! こっちにも組織の事情があんだよ……」
だが彼は、アトルと目を合わせない。
アトルは唇を噛んで俯いた。思考が回転する。
――もしも、ミラレークスがレーシアを軽んじているのならば、このままミラレークスの下にレーシアを置いておくのは余りにも愚かしい。
はっきりと、ミラレークスに対する不信がアトルの中で形を成した。
それはむしろ遅過ぎる程で、アトルは自身の頭の足りなさに歯噛みする。
――戦闘が何度も起こっていて、なおかつミラレークス本部にはレーシアの居場所が、アジャットたちを通じて、大まかにではあれ伝わっている。
その段階で、彼らの有する最大戦力を、アジャットたちが要請しないにせよ差し向けるのが、普通ならば為されるべきことだ。
事実、リリファやディーンは樹国の中でも腕利きに入るのだろうし、宝国は宝士を遣わした。国旗や近衛の旗を掲げていたとはいえ、実際にデイザルト本人がどこに属しているのか、正確には分からないが、あの技量で腕利きでないなどと言われた日には、宝士ですら世界の腕利きではなくなってしまう。そしてあの、アディエラという少女。彼女が誰のために働いているのであれ、あれだけ膨大な魔力を任されていたのだ。
明らかに、ミラレークスだけが手を抜いている。
ディーンたちも、アジャット相手には苦戦した。つまり最高指定魔術師は、ディーンたちに戦力として勝るはずなのだ。
その彼らが、レーシアの傍にいない。
そのことは間違いなく、ミラレークスがレーシアのことを軽んじながらも手に入れようとしているということ――あるいは、ミラレークスがレーシアの価値を知らないということを示している。
取り敢えずではあっても、レーシアはミラレークスの庇護の下にいるのがいいだろうと思っていたアトルにとって、それは晴天の霹靂。
そして今、そのことをレーシアに伝えようとしても、近付く度に避けられてしまうという、どうしようもない心痛すらをも伴っていた。
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何よりもアトルが案じているのは、レーシアの魔力と宝具が、二つの封具を抑えておく限界が、いつ訪れるかということである。
レーシアは滅多にアトルに顔を見せなくなっており、一団の中での現在地ですらも把握できていない。つまり、レーシアの体調が分からないのだ。
嫌われたことよりも何よりも、これが一番アトルには辛かった。
傍にいれば、レーシアの体調がどれほど悪いのかが分かる。それが分からなければ、想像は悪い方へ悪い方へと傾いていく。
アディエラの襲撃から七日経ち、一団は西へ西へと進んでいる。方角の指示はレーシアが出しているのだろうが、表立って進路を示しているのはディーンである。
「レーシアさんの身体にどれ程の猶予があるのかも問題ですけれど――」
ディアナが、いつものように避けられながらもアジャットの傍に寄りながら言った。アジャットは手近にいたアトルを盾にしている。
「――困ったことになりましたわ」
「いつもだろ」
アトルがぼそりと突っ込むと、ディアナはアトルを睨んでから、アトル越しにアジャットに話し掛けた。
「デイザルトたちがあたくしたちを追っているようでしてよ、アジャット」
「――予想できたことだろう、逃げ切ればいい」
アジャットが頑としてディアナの方を見ずに、ぶっきらぼうに返す。ディアナはめげずに話を続けた。
「速さが段違いなのよ、分かるでしょ?」
こちらには徒歩の者も多いのである。
「だからね、ここで一旦怪我人その他足手纏いを置いて先に進むのが得策じゃないこと?」
「いや、待てよ」
アトルが口を挟んだ。
「俺がデイザルトたちを足止めしたのは、せめてあの日の日暮れくらいまでだ。それからすぐに俺たちを追ったんなら、もうとっくに追い着かれてるはずだぞ」
「疑問点を見付ける頭だけは働くようね」
ディアナは憎まれ口を叩き、溜息を零した。
「こちらの斥候の話では、ウィンドレンに立ち寄っていたというお話」
「ウィンドレン――」
「それも五日間も滞在したのですってよ。余程重要な用事があったか――」
アトルがその言葉を引き取って続けた。
「――すげえ強力な邪魔が入ったか、だな」
アジャットが「ふむ」と呟き、顎に手を宛がう。
「デイザルトたちは国旗やら近衛の旗やらを掲げていたな。彼らが本当に為政者の側の者なのか、ディアナ、そちらは把握しているのか?」
アジャットの問い掛けに、ディアナはなぜか胸が詰まったかのような顔で黙り込み、露出の多いドレスの上から羽織った、毛皮をあしらった外套の胸を掴んだ。
「――ん?」
アジャットはフードの奥からそれを見て、訝しげな顔をした。
「どうした?」
ディアナは緑色の目を潤ませた。
「だってアジャット。あなたがあたくしの名前を呼んでくれるのは久し振りのことでしてよ」
「…………」
沈黙を挟み、アジャットは端的に言った。
「……質問に答えてくれないか」
「あら、そうね」
ディアナはさくっと表情を切り替え、あっさりと言った。
「答えてはいけないの。ごめんなさいね」
「はあ?」
アトルは眉間に皺を寄せた。
「なんだそれは」
ふう、と息を吐き、ディアナは指を振った。
「レーシアさんのために動き回っている組織は多々あれど、ミラレークスほど情報に乏しい組織はなくてよ」
指を折りながら数え上げるように言う。
「〈器〉の何たるかも知らない。エンデリアルザの何たるかも知らない。彼女を追っている組織が幾つあるのかも知らない。それぞれの目的も知らない。――こんなことでよく、レーシアさんを確保しようなどと思ったわね。いっそ賞賛に値してよ」
「ほお」
アジャットは苛々と声を出した。
「ではきみたちは、今きみが言ったその全てに対して答えを持っていると?」
「もちろん」
ディアナはにこやかに笑って、柘榴石色に染めた爪の先で唇に触れた。
「教えろだなんて無粋なことは言わないでね。あたくしにも許されていないことですし――」
くすりと笑って、ディアナはアトル越しにアジャットの額(と思しきフードの部分)をつつこうとし、避けられて失敗し、ややしょげた顔をした。
「――ま、知っていても知らなくても、あなた方にはどうでもいいことでしてよ。
レーシアさんを巡る争いの上で、明らかにミラレークスだけが、お粗末な戦力しか送り込んでいないのですもの。そのうちレーシアさんともお別れになりますことよ」
アジャットが無言でディアナから離れる方向に歩を進め始め、慌てたディアナがそれを追った。
「まあ、まあまあ、アジャット。怒らせるつもりはなくってよ!」
阿呆だあいつ、と思いながらそれを見送り、アトルは呟いた。
「ま、確かにそーだよな……」
ミラレークスが現在投入している戦力のみで、レーシアを確保し続けることは不可能に近い。過去にあった襲撃を退けられたのも、運と――何よりもレーシア本人がアトル、ひいてはミラレークスと共にいることを望んでいたからこそだ。
それが、今ではレーシアは、ミラレークスの手の者の前に顔を見せることすら滅多になくなっている。
(俺のせいなんだが……)
内心で呟き、アトルは心持ち項垂れた。
それはさておいて、デイザルトたちが実際に国の命令で動いているとするならば、レーシアは犯罪者として追われている可能性すらあるということだ。
――問題は、その罪の内容だ。
デイザルトはレーシアを「エンデリアルザ」と呼び、激しい怒りを露わにしていた。そして「エンデリアルザ」が確実にいたと言える最後の時期は、
(――百年戦争前夜)
アトルは苦い思いを噛み締めた。
彼は戦災孤児である。戦争のために親を失い、路上で凍えながら生き延びたのである。その彼が、百年戦争を引き起こした戦犯を憎まないはずはない。
だからもしもレーシアが――
大丈夫だ、と内心で呟く。レーシアは百年戦争が始まったときには眠っていたか、眠る寸前だったか。とにかくあの臆病な性格で、戦争そのものに関わったとは考え辛い上に、当時彼女はエンデリアルザではなかったはずだ。
エンデリアルザを、なぜデイザルトたちがああまで憎むのか――
(あの大火事――)
百年戦争を終わらせた、あの大火と豪雨。大勢を虐殺したに等しいあの大火――
(〈器〉の魔力なら起こすのも可能……なのか?)
それでエンデリアルザを追っているということも十分に有り得る。だがそれならば、なおのことレーシアを追うのはお門違いだ。
十年前、レーシアは確かに眠りの中にいたのだ。これ以上ない不在証明である。
あと考えられるのは、戦争そのものの引き金を引いた虐殺行為だが、こちらは詳細が現在まで伝わっていない。
(レーシアの倫理観のなさからして、やらかしてたとしても不思議じゃねえが、もしレーシアがやらかしてたなら、「エンデリアルザ」目指して追っ手が掛かるか……? レーシアの名前を出すはずだ)
「サラリス」がそれを行った、と考えることも出来るが、アトルは疑問を禁じ得ない。
もしもサラリスが百年戦争を望んだのだとしたら、レーシアを利用されることを恐れて眠らせ、何も知らない人間にしか彼女を見付け出せないようにした意図が分からなくなるのだ。
ではなぜ、デイザルトたちがレーシアを追うのか。
あるいはあの旗は、偽りのものだったのか。
************
彼の眠りはいつも浅く、短い。
同じ記憶の片鱗を夢に見ては、その度ごとに目を覚ます。
デイザルトは目を開けた。宿屋の、梁の低い天井が目に入り、その明瞭な視界と現実感が、夢を現実の幕から後ろへ追いやっていく。
息を吐き、頭を振って身を起こす。寝台脇の窓から、曙光が白く差していた。
まだ夜が明けたばかりだというのに、彼の部下はしっかりと身支度を整えて宿の食堂に集まっており、ゆっくりと食堂に入って来たデイザルトを出迎えた。
「デイザルト様――」
デイザルトは彼らを見渡し、目当ての人物がいないことに落胆の表情を見せた。
「……お師様は?」
「つい先ほど発たれました」
その答えに、半ばは予期していたこととはいえ、デイザルトは肩を落とす。その様子に、彼よりも年上と見える数人が苦笑した。
「デイザルト様は、聞きしに勝る師匠っ子ですなぁ」
笑いが広がる中で、デイザルトもまた苦笑する。
「それを言ってくれるな、『若輩者』が」
二十代と見える男の口から発せられたその言葉に、反論する者も不快げにする者もいない。いっそう笑いが広まるだけだ。
「『賭け』の最中でも仲のよろしいことで」
笑いながら言われた言葉に、デイザルトはやや気まずげな顔をする。
「――で、お師様は何か言っておられたか?」
デイザルトが尋ね、それに、表情を改めた若い男が答える。
「はい。――あと一度だけ機会をやるとのことです。あと一度、仕掛けて失敗すれば、指示があるまで待機せよと」
しん、と全員が静まり返り、その中にデイザルトの舌打ちの音が響いた。
デイザルトの表情が苦々しげな――忌々しげでさえあるものに変わっていた。
「お師様は――相も変わらず生温いお方だ」




