09 血色の妄信
「よっし、いいだろう」
アトルは唇を噛んだ。
そして、ゼーンとアレックが同時に言った。
「おい、そこにいるの、アトルだろ」
アトルは軽く固まった。
同時、がたんと音がして、男の呻き声が上がる。
恐る恐るアトルが立ち上がると、半壊した家の中の、一家団欒に使われていたのだろうテーブルに、アレックが一般魔術師の身体を押し付け、腕を捻り上げて拘束していた。
「な、なん、なぜだっ」
いかにも小物っぽく喚く男の前で、ゼーンが腕を組む。
「あのなあ、兄ちゃん」
そしてアレックと視線を合わせ、お互いに肩を竦め合う。いかにも仕方がないというような仕草で、口調で、ゼーンは言った。
「こいつが身体張って守ろうとしてる女を差し出すなんてことしちまったら、胸張ってこいつらの親父を名乗れなくなるだろ? こいつらは、俺たちの息子と娘なんだからな」
アレックがぼやくようにそれを受けた。
「一人たりとも悲しませねえって、俺たち親は日々大変なんだよ」
アトルは思わず、デリックとアリサと声を揃えて呟いた。
「オヤジ、かっこいー……」
ゼーンが――〈インケルタ〉のオヤジたちが、こうしてアトルたち「餓鬼」のことを息子と言ったのは、アトルに覚えのある中で初めてのことだった。
血の繋がりはない。ただ拾われただけの、文字通りお荷物でしかない餓鬼だった子供たちを育て上げ、戦う術を教えた。
容赦なく折檻を加えられ、私刑に遭って死にそうになっているときでも放置されたことさえあるが、間違いなく彼らは親子だ。
ほのぼのとした団欒を過ごした覚えはまるでないが。割と深刻に危ないときでも放任主義が行き届いていた記憶もあるが。
それでも、デリックが暴れ過ぎたために良家のお坊ちゃんを怪我させた際、捕まりそうだった彼を逃がして、代わりに鞭を受けたのはアレックであり、アリサが砲弾をぶっ放して割り砕いた隣の商家の窓について、警邏隊と商家の方々の追及を躱し続け、顔まで見られていたアリサを庇い通したのはゼーンとリィゼアだ。
そして今、アレックとゼーンはアトルの好きな女を庇いさえしたのである。
片恋が決定したような女であるが。
何か色々とこのところあり過ぎたせいもあり、アトルは涙腺が緩むのを感じた。
「お、俺、オヤジたちの息子で良かった……」
アレックは顔を強張らせた。そしてゼーンは無言でアトルに歩み寄り、その額に手を当てて、驚いたように目を瞠った。
「おい、熱ないぞ。どうした」
「親子愛を確かめようとしたら発熱まで疑われんのかよ、俺!」
やり切れないアトルは叫んだが、ゼーン親父の秘蔵っ子でもあるアリサは、薄情にも零していた。
「今のは、私でも言えない小っ恥ずかしさだわ……」
「ふざけんなーっ」
家族寸劇でもやっているような彼らに混じり、
「あ、あたしがぁ代わるからぁ手ぇ離していいわヨ」
「おう、すまんすまん」
「あ、折れてるみたぁい」
「いやぁ、手加減が余り出来なくてなぁ」
「いいのヨ、――こんの裏切り者。折れてるならぁちょうどいいわぁ、雁字搦めヨ」
という遣り取りがあって、アレックが男から一歩離れ、ミルティアが男を念動系の魔術で縛り上げていた。
「あんたらの組織の裏切り者だろ? あんたらで処理してくれ」
ゼーンが葉巻を懐から取り出し、アトルに「火」と言い付けながら、顎で一般魔術師の男を示す。
アトルは指先を軽く振って火を灯し、ゼーンの葉巻に火を点けた。人間火打石である。
ゼーンが煙を吸い込み、紫煙を吐き出す。
と、そのゼーンが「お」と声を出し、葉巻で戸枠の外を指した。
「アトル、おまえの大事な女だぞ」
え、と声を漏らし、アトルはその先に視線を向けた。
レーシアが戸枠の向こう、五メートルほど離れた場所に立っていた。その横にはディーンがおり、アトルは顔が強張るのを感じた。
それでも声を掛けてみようと、アトルは口を開く。
「よう、レ――」
「行こ、ディーン」
アトルのことをまるきり無視し、レーシアがそう促す。ディーンは頷きつつも、捕らわれた男をちらりと見た。
その瞬間、男の唇から滔々と言葉が漏れ出した。
「レーシアさま。レーシアさま。レーシアさま」
レーシアが振り返る。その瞳を見て、アトルは息を呑んだ。
人間は、これほど感情の凍えた目をできるのかと、そう思った。
「レーシアさま。レーシアさま。レーシアさまレーシアさま。レーシアさま」
ただひたすらにレーシアの名前を繰り返す男に、アトルは嫌悪感で眉を寄せた。
「黙――」
言い差したアトルを、しかしレーシアの発言が遮った。
「呼ぶのは一回でいいのだけれど。――なに?」
ディーンが半歩前に出て、何が起こっても対処する構えを見せる。そのことに、またアトルの胸が疼く。
対照的に、男の顔には笑みが浮かんだ。
「あああ、本当に。あの方がお育てしただけあって優しい方だ」
アトルの胃の中に、大きな氷塊が落ちたかのようだった。それほどの気の重さがアトルを襲った。
まただ。また出てくるのか、「サラリス」が。
レーシアは僅かに首を傾げる。
「サラリス……」
「優しい方です。慈悲深い方です。愛情深い方です」
男の言葉に、レーシアの表情が変わった。
花が咲いたように明るく笑ったのだ。
「そうよ。それで時々面白い」
「その一面を窺わせていただいたことはございませんが」
レーシアはますます嬉しそうだった。
「だって私は特別だもの」
「ええ、ええ、そうですとも」
男は肯定し、にこにこと笑うレーシアを眩しげに見た。
「サラリス」のことを好意的に話すだけで、レーシアはこんなにも美しい笑顔を見せるのだ。アトルにはもう見せてくれないその笑顔を。
思わず顔を歪めるアトルと対照的に、男は明るい笑顔を浮かべた。
「貴女には、笑顔が似合うと我が主が」
「え?」
「ご尊顔を拝せまして光栄です」
レーシアが訝しげに首を傾げる。
「これでお暇いたします。――レーシアさまにお下がりになっていただいてくれ、横の騎士」
そう言って、男はディーンを見る。ディーンはすっとレーシアの前にたち、彼女を二、三歩下がらせた。
直後、男の喉が引き裂かれた。
「ミルティア!?」
「知らない! こいつがぁ自分で勝手に……っ」
ミルティアの焦った声。男の傍にいたミルティアとアレックに血が降り掛かる。
凄絶過ぎる自殺に、アリサとデリックはぽかんとしている。
「おかしいだろ……」
アトルは呟いた。
貴女には、笑顔が似合うと我が主が――この意味は明白だ。
レーシアに笑顔が似合うと、この男の主が言ったのだ。そしてこの男は、血が降り掛からないようレーシアを気遣うことまでした。
これではまるで、「サラリス」のことを褒めて、レーシアに自信を持たせることが目的だったようではないか。
レーシアのことを、他の人間を駒のように使ってでも気遣い、元気付けようとする、誰かがいるようではないか。
絶命した男の周囲に沈黙が満ちる中、ディーンが極めて冷静に言った。
「レーシアさん。行きましょうか。ここは血の匂いが移りますから」
目の前で壮絶な最期を遂げた男がいるにも関わらず、レーシアはディーンを見上げてへらりと笑った。
「うん、そうね」
「宝樹玉はいかがいたしますか?」
「うーん、一つ貰おっかな」
ディーンが自身の懐から宝樹玉の包みを取り出すのを見て、今度こそアトルは胸が苦しくなった。
これはアトルに持っててほしい、と、彼女が言ったのは昨日のことだったのに。
そこはアトルの場所だったのに。
それはアトルの役目だったのに。
彼女はアトルに笑い掛けていたのに。
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昨夜、町への襲撃直後。
「ごめんなさい、申し訳ありません、お詫びの言葉もございません、どのような叱責でもお受けいたします」
町より少し離れた場所で、黒い軍服に身を包む、赤金色の髪の少女――アディエラが、一人ぶつぶつと呟いていた。
しかし彼女の周囲に人はおらず、通信の魔術も起動されていない。
「ああ、駄目ですわ。こんな言葉ではわたくしの気持ちは伝わりませんわ。どうしましょう、何と言えば分かっていただけるのでしょう」
言葉にならない思いに、アディエラは胸元を掻き毟る。
だが、やがて意を決したように胸元の紅玉を撫で、通信の魔術を起動した。
「――主上」
りぃん、と澄んだ音が鳴り、紅玉が淡く輝く。そして、応える男の声があった。
『――なんだい、アディ』
アディエラはうっと詰まり、目に涙を溜めた。それでも、極力声の震えを抑えながら、淡々とした口調を心掛けて言う。
「申し訳もございません、主上。レーシアさまを怒らせてしまいましたわ」
『おやおや』
「とても、とても怒っていらっしゃいますわ、主上」
男の声は穏やかだったが、アディエラは心底から恐れて頭を下げている。
「ごめんなさ――申し訳ございません」
数瞬の間があって、男が訊く。
『時間稼ぎは出来たのかな?』
「はい。それは問題ございませんわ」
アディエラはやや早口になって答える。
「大丈夫ですわ。これからどんなに早く出発しても、レーシアさまがウィンドレンでの一斉検問に掛かることはございませんわ」
男は穏やかな声で彼女を褒めた。
『よくやった』
アディエラの頬が僅かに染まる。
『ところで彼女が怒ったのは、サラリスの魔力に勘付いてのことかい?』
「はい――」
アディエラは頭を垂れる。
「あの方の前では使わないように、気を付けてはいましたのですけれど。ひどい怒りようですわ。サラリスさまの、レーシアさまへの愛情に疑問を持たれたようですわ」
不意に、男の笑い声がした。
『そうか――そうか。本当のことを知ればあの子はさぞ取り乱すことだろうね。――まあいい。こちらで手を打っておくよ。誰かにサラリスのことを褒めさせて、サラリスにとってあの子が特別だったと言わせれば、大方直る機嫌だろう』
恐縮したように身を縮めて、アディエラは言う。
「お手間をお掛けしますわ。ごめんなさい、申し訳ありませんわ」
アディエラの言葉に、男の声が苦笑を孕む。
『アディ。私はきみに、時間を稼いでくれと命じたね。怒らせるなとは命じていない。きみは少々判断を誤ったが、致命的なことではない。私の命令を全うしてくれた。何一つ、謝ることはないよ』
「主上――」
アディエラの目の涙が頬に落ちた。
「わたくし、こんなに出来が悪くて。拾っていただいたのに、何もお返しできなくて」
『アディ。アディエラ』
男の声はやや硬くなった。
『私は報いてもらいたくてきみを拾ったわけではないよ。そしてアディエラ、きみは近年稀に見る逸材だ。きみが無償で私のために働いてくれる――きみを拾えた私は幸運だ』
アディエラの頬に血の色が昇った。男の声は続ける。
『アディ、一度こちらへ戻っておいで。飛翔船を迎えにやろう』
「はい」
歓喜に震える唇で、アディエラが言葉を紡ぐ。
『その後でまたきみには出てもらいたい。その近辺になるから、とんぼ返りをさせてしまうが――久しぶりにまた皆で食事がしたくてね。付き合ってくれるかい?』
アディエラは胸に手を当て、いっそ厳かなまでの口調で言った。
「いつなりと、どこなりと、この身は主上の望む場所に。この心は主上の足下に。この魂は主上の願いのために」
間違いなく、男は通信魔術の繋がる先で微笑んだ。
『嬉しいね。きみは――きみたちは本当に、私のために沢山のことをしてくれる。こちらで何かお返しをしなくてはね』
アディエラは息を呑んだ。
「と――とんでもないことでございますわ、主上。そのお言葉で、既にわたくしからはお釣りを返さなくては釣り合いが取れない程ですのに」
男の緩やかな笑い声が、アディエラの耳に届いた。
『言うことまで皆同じか。――アディ、もうハッセルとウィリーナは帰って来ているよ。私も、彼らも、早くきみに会いたい』
アディエラは歓喜の余り言葉に詰まり、唇を忙しく開け閉めした。
「あ――あの――わたくし、あの、光栄ですわ!」
もう一度、おかしそうに笑って、男は言った。
『ではまたすぐに。今度はジークと一緒に出てもらう。退屈はしないだろう』
じゃあね、と柔らかい言葉と共に通信が途絶え、アディエラは胸を押さえてその場に崩れ落ちた。
「ああ、いいのかしら、こんなに幸せで」
頬は赤く、胸を弾ませて、アディエラは反芻するように「皆で食事」と呟く。
「あの方の仰る『皆』の中にわたくしも、このアディも入っているのですわ……」
ぱっと手を挙げ、髪を手櫛で整える。
「出来るだけ綺麗にしていかなくてはいけませんわ。船で着替えられるといいのですけれど。お化粧をする時間があるといいのですけれど」
ドレスを着ましょう、と呟く。
「あの方に頂いた赤いドレスがありますわ。橙色のドレスもありますわ。黄色いドレスもありますわ。ああ、どれにしましょう」
頬に両手を当てる。
「腰はぎゅーっと締めて大丈夫ですわ。あの方の前で沢山食べて、わたくしが大食いの、嗜みのない女だと思われては嫌ですもの」
空を仰いで、アディエラは呟く。
「娘にも妹にもなれないのですもの。せめて可愛い部下でいたいものですわ」




