08 オヤジたちの判断
馬鹿なことをした。
ただでさえ「サラリス」のことで敏感になって傷付きやすくなっていたレーシアに追い討ちを掛けるようなことを、するべきではなかった。
そう思いながら、アトルは廃墟となった町の中を動き回る人々を目で追う。
町の生き残りの中にはミラレークスの職員もおり、その中に馬車の車輪を直せる者もいた。夜明けには出発の準備も整ったものの、町の被害は尋常ではなく、家が無事で済んだ住人は皆無と言ってよかった。
また、特にミラレークスの者たちはレーシアに対する敵意が大きくなっており、ディアナやディーンが、この上彼らと行動を共にすることに異議を唱えた。
これから後の危機に魔術師の数が必要になることも十分に考えられるが、内輪揉めの方が遥かに厄介であるという認識から、ミラレークス職員は、アジャットたちを除いてここで離脱し、町の復興に従事する。
「……はぁ」
アトルは溜息を吐いた。
レーシアはミラレークスの魔術師たちの視線の暴力に恐れをなして、ディーンを連れて町の隅に引っ込んでいる。いつもなら間違いなくアトルにお呼びが掛かるところを、レーシアはアトルに目もくれなかった。
時刻は早朝。一刻も早く出発するべきではあったが、ここまで事情も満足に知らされず、ここにきて完全にレーシアと縁が切れるミラレークスの魔術師たちの態度が二極化したために、予定外に時間を食っている。
三分の二はレーシアと離れることを歓迎している。任務ではあれ、レーシアのもたらす不利益が利益を大きく上回ると判断したためだ。だが残り三分の一が渋った。
アジャットたちがレーシアを確保した直後から懸念していた、派閥の問題だった。
アジャットたちが属する派閥が〈器〉の問題において優位を得ることを良しとせず、同行を主張しているのである。だが同時に、彼らは派閥に対する忠誠心からそうしているのであって、レーシアのせいで仲間が傷付いたことについて、彼女を敵視してもいる。
傍に置いておくのは余りに危険。今のレーシアにとっては、他者から悪意を向けられることさえ、動揺を招けば命に関わる――
「――ってぇのに俺は何をしてるんだ……」
アトルは額を押さえて呟いた。
「サラリス」のことを悪く言うなど、レーシアの精神を荒立てる最悪の手段だというのに。
レーシアは徹底的にアトルを無視し、昨日までアトルがいた場所にディーンを立たせている。好意を自覚してから約半日で、告白もしていないのに振られた形だ。悲惨過ぎる自身の行動結果に、アトルは一人静かに呆れ果てていた。
「馬鹿過ぎるだろ、俺。何やってんだ……ていうか何考えてたんだ」
町の門が見える位置で、あの惨劇の中生き残った、腰よりやや高さのある石の塀。そこに背中を向けて両肘を突いて、アトルは空を仰ぐ。
家族の死に誰かが上げる泣き声が聞こえる。家屋を失い、途方に暮れた人々の嘆く声が聞こえる。
襲撃者の数は今までで最も少なかったというのに、被害はこれまでで最も大きい。
あのアディエラという少女が使っていたのが、当代エンデリアルザの魔力であるならば納得も出来るが、納得できることと許せることは訳が違う。
門の外では、ミラレークスの巨大馬車の傍でアジャットとリーゼガルトが残留志望の魔術師相手に何やら言っている。二人とも疲労の色が濃く、苛立ちを隠し切れていないようだ。
「こんなぁとこでぇ何やってんのぉ?」
特徴的な抑揚で少女の声が言ったのが背後に聞こえて、アトルは左の肘に体重を掛けるようにして振り返った。
「よ、ミルティア」
ミルティアは鳶色の目でアトルを見て、小首を傾げた。
「昨日からぁなに落ち込んでんのぉ? リーゼガルトもぉアジャットもぉ気にしてたわヨ?」
「あー」
視線を逸らし、アトルは言葉を濁す。ミルティアはふんと鼻を鳴らした。
「昨日もぉいっぱい言われたとぉ思うけど、あんたはよくやったわぁ」
こつ、と爪先で地面を蹴り、ミルティアは仏頂面をする。
「癪だけどぉあたしにも出来たかぁ分からないわぁ。あんたはぁ町の半分を守ったのヨ。実際、生き残ってたぁミラレークス職員はぁ何も出来なかったぁし。ま、あいつらは一般魔術師だからぁあんたと比べるのぉは間違ってるけどぉ」
顔を顰めてはいるが、それは一種の負け惜しみだろう――ミルティアはアトルを励まそうとしている。
三つも歳下の少女にまで気を遣われているとは、アトルの様子のおかしさは随分なものであるようだ。
アトルは苦笑した。
「いや、別に――町の人たちを守り切れなかったことに落ち込んでるわけじゃない」
ミルティアは鼻白む。
「そぉう?」
「そりゃまあ、俺たちがあそこで食糧調達したから巻き込んじまったってのはあるだろうけど、別に俺が食料調達の場所決めた訳じゃねえし。そもそもレーシアを連れて行ってれば『レーシアはどこか』なんてことで何人も惨殺されることはなかったんだろうけど、俺たちの目的はレーシアを無事に宝具まで連れて行くことだからな。履き違えちゃいねえよ」
身体を両断され、あるいはばらばらにされて死んでいった彼らのことを思い出して、アトルは吐き気を堪えるために眉間に皺を寄せる。
ミルティアはそれに気付いたのか、レーシアの名前が出たことを幸いと話題を変えようとする。彼女は二つに分けて結い上げた小麦色の髪を揺らして腕を組んだ。
「――そのレーシアがぁあの樹国の騎士とぉどっかにぃ行ってたわヨ。なにぃ樹国の奴とぉ二人にしてんのヨ」
「あー」
アトルは身体を戻して空を見上げた。
「俺、あいつと喧嘩してんだよな……」
「――っはあ!?」
ミルティアが声を荒らげた。
「なにぃしてんのぉ? やるにぃ事欠いてぇこの間合いとか、舐めてんのぉ?」
「馬鹿なことしたとは思ってるけどさ」
アトルは顔を顰めた。ミルティアは大袈裟な仕草で頭を抱える。
「このぉ大変なぁときに。レーシアをこっちにぃ引き留めとくのぉに役立たずならぁ、せめてアジャットたちのぉ応援しなさいヨ。あんただってぇ指定魔術師でショ?」
「…………」
アトルはますます顔を顰めた。それはそうなのだが、失恋の痛みから今はそういう、派閥だの何だのという乾いた話をしたくなかったのである。全くアトルらしくはないが、本心だ。
「大体――」
そこまで言って、ミルティアがすっと目を細めて城門の辺りを見据えた。塀に肘を預けてそっくり返り、逆さまになった視界の中でそれを認め、アトルは眉を寄せる。
「どうした?」
訊いて、アトルも背筋を伸ばしてミルティアの視線を追う。城門付近にはレーシアと行動を共にする者たちが多くうろついており、彼女が明確に誰を見ているのかの特定は出来ない。が、ミルティアが短く言った。
「お仲間」
アトルの仲間といえば〈インケルタ〉である。アトルが見た限り、城門付近にいる〈インケルタ〉の者はゼーンとアレック、デリックとアリサのみだった。
アトルはすっと目を細めた。彼ら四人に、見知らぬ男が近付き、話し掛けているのだ。
「誰だあれ」
「ミラレークスのぉ一般魔術師。応援の中の一人ぃだけど」
ミルティアは首を傾げた。
「一般魔術師はぁ指定魔術師に比べてぇ権力が弱いわぁ。――碌でもぉないことを考えてるんじゃぁなきゃいいんだけどネ」
出世のために手段を選ばない者もいるということだろう。アトルは顔を顰める。
「俺とレーシアの喧嘩は他の奴は知らねえんだろ。で、俺とあいつらの関係が周知なら、そこを利用しようとされかねねえぞ」
「あの人たちぃを介して、アトル経由でぇレーシアに媚売ろうってー?」
ミルティアは即決でゼーンたちに向かって歩き出そうとした。
「よーし、排除」
「どっちをだ!?」
聞き捨てならない単語にアトルは声を高める。
「あの一般魔術師のぉ提案を受けるなら、あんたのぉお仲間ネ」
「ふ、ざ、け、ん、な」
アトルは一音一音区切って言い、手を伸ばしてミルティアの腕を掴んだ。
「いくらなんでも俺の仲間に手ぇ出したら敵同士だからな」
ミルティアは横目でアトルを見て、馬鹿にしたように鼻を鳴らした。
「はん。言っときますけどぉ、あたしたちミラレークスのぉ一員でもあるのー、アトルは」
アトルは鼻白んだ。
「そりゃそうだけど」
「とにかぁく行くわ。下手にあんたのぉ仲間があの一般魔術師のぉ提案を断ったら、消されることだってぇ有り得るわヨ」
「それは困るな」
アトルはミルティアの腕を放し、並んで歩き始めた。
上手くゼーンたちに声を掛けられれば良かったのだが、声を掛けるよりも早く、一般魔術師が四人を促してその場を離れ、町の中、アトルたちから遠ざかる方向へ、城壁沿いに歩き出した。
「……レーシアの行った方だ」
アトルがぼそりと呟いた。ミルティアは眉を上げる。
「やっばぁい」
二人は足早に城門の前を通り、五人を追いかけた。
五人はそのまま、半壊して扉の外れた家に入っていく。アリサは律儀に「お邪魔しまーす」と声を掛けた模様だ。
「割り込むぞ」
アトルが足を速めてそう言い、ミルティアは彼に合わせるために小走りになりながら、アトルを睨み上げる。
「お仲間のぉことになるとぉ、お優しいことでー」
「言い掛かりだ。ていうか俺は優しくない振る舞いを普段してるのか?」
「別にぃ」
「おい!」
掛け合いながら家に駆け寄り、二人は凍り付いた。
「レーシアってあの子が、別の国で賞金首?」
そんな、ゼーンの声が聞こえてきたからだった。
「え、ホント?」と言わんばかりにミルティアがアトルを見上げ、アトルが声を低めて囁く。
「阿呆。百年前に生きてた人間を、どうやって賞金首にするんだよ」
普通に考えて時効である。だが、ゼーンたちは、レーシアが百年前の人間だということを知らない。時計から出て来た立場の特殊さを知っているのも、ゼーンのみである。
二人は足音を忍ばせ、じりじりと家ににじり寄った。気配に敏感なアリサや、特にゼーンやアレックに気付かれないよう注意する。
「はい、けれども組織の意向で捕らえる方向になっておりまして。あなた方も見られたでしょう、あの圧倒的な魔力量」
一般魔術師の男が話すのが聞こえてくる。
アトルは戸枠の傍で壁に張り付き、ミルティアはその隣でアトルの膝に肘を突く。
「ですが僕は、一人の人間としてあの子をきちんと出すべきところに突き出したいんですよ」
男の声は真摯だった。
「いや、訳分かんねえんだが」
ゼーンが溜息混じりに言った。
「ミラレークスはあの子を保護してんだろ? なんで賞金首を保護する」
その尤もな疑問に、淀みなく一般魔術師は答える。
「あの魔力量ですからね。彼女が暴れると取り返しがつかない」
アリサがぼそっと呟いた。
「――暴れる……?」
どうやらレーシアの臆病振りは見ていたらしい。
ミラレークスの男は、「この連中の正義感に訴えるとか不可能だわ」と気付いたらしく、実際的に短く言った。
「彼女をきちんとこちらで引き取れた場合、あなた方には二百万ガルドの利益が出ます」
「にひゃくまんっ!」
デリックとアリサの声が揃い、アレックが感心したように言う。
「へえ。組織を裏切って正義に尽くす訳かい?」
「そうなりますね」
「滅茶苦茶な魔力量の娘さんをどうやって連れて行くね?」
「お任せください」
「ほうほうほう」
アレックが微笑を含んだ声で言う。ちなみにその後ろでは、
「二百万ガルドだって、何できるかな?」
「豪遊? あ、まず事務所の建て直しだよな」
「えっ、建て直せるの?」
「さあ、被害額知らねえし」
という、アリサとデリックの会話が展開されている。
ゼーンが息を吐いて訊く。
「それで二百万なぁ。――具体的に何をすりゃあ?」
飛び出し掛けたミルティアを、アトルが必死に止める。が、内心ではアトルもかなり不安である。
オヤジたちは金儲けを優先する。
そのことをアトルは知っている。
「簡単なことです。あのアトルという子はレーシアと仲がいいんでしょう? 彼を説得して、その彼に彼女を説得してもらえれば」
「もっと前に機会はあったろうに」
アレックの問い掛けに、男はしばしの沈黙を挟む。
「――場所が、悪かったので」
そう言って、明確に告げる。
「彼女を連れての単独移動は、出来るだけ短距離にしたいものでしてね」
「はっはあ」
納得したようにそう言って、ゼーンが確認する口振りで言う。
「そんなにあの子は悪人か」
一瞬、男の表情が空白になったが、それをアトルたちは見られない。
「そう、ですね」
男は考えを纏めながらといった風な口調で言った。
「悪人ではないですかね。ただ彼女にとって、この世界は生き辛いんでしょうね」
それを聞いたデリックが呟く。
「わっけ分かんね」
「ねえねえオヤジ、事務所の建て直しってどれくらい掛かるの?」
アリサが訊き、ゼーンが答える。
「建て直しだけなら五十万ガルドってとこだ。備品を買い揃えるのに金が要るんだよ」
「どれくらい?」
「五百万くらいじゃないかね」
アレックが答え、アリサが言う。彼女が笑っているのが、付き合いの長いアトルには分かった。
「なんだ、二百万じゃ足りないの」
「お望みなら額は上乗せしますが」
素早く一般魔術師が言い、ゼーンが笑い声を上げた。
「あの女の子は相当なことをしでかしたんだな!」
一般魔術師はしみじみとした声を出した。
「それはもう――壮絶なことを」
「んで? 上乗せしていくらになる?」
ミルティアの腕をアトルが掴み過ぎたため、ミルティアの肘が鳩尾に入った。
アレックの言葉に、男は詰まったものの、答えた。
「五百万、出しましょう」
ヒュウ、と口笛の音が鳴る。
「太っ腹だなああんた!」
デリックが感心したように言い、オヤジ二人が手を叩く。
「よっし、いいだろう」
アトルは唇を噛んだ。




