03 風の声
実際、宝国に潜入するのは命懸けであり、潜入中に大絶叫するなど言語道断である。
しかし、この旧都は宝国の人間にとっても厭わしい場所であるらしく、滅多に監視の目が向けられることはない。というわけで、九人ともかなり気が緩んでいるのである。
崩れた天井が濛々たる粉塵を上げる。
「っ、いっつー……」
アトルは呻きながら、天井の下から這い出した。幸いにというか、天井は完膚なきまでに砕けたので、欠片が頭部に直撃でもしない限り命に関わる事態にはならないだろう。ついでに言うならば、〈インケルタ〉の「餓鬼」たちは伊達にアレックを筆頭とするオヤジたちから折檻の嵐を受けていない。咄嗟に頭を庇う反射神経は鍛えに鍛えられているのである。
腰に着けた小刀や角灯や小箱のせいもあって、身体に数箇所の打撲が出来たことを自覚し、顔を顰めながらもアトルは周囲を見渡した。
「おーい……みんな、生きてるか?」
「おー」
デリックがせっせとシェラの上の瓦礫を撤去しながら答え、あちこちでがらがらと音を立てながら皆が立ち上がり始める。アトルはその頭数を、頭上から差し込む月明かりを頼りに数えた。角灯の灯りはアルディ共々瓦礫の下に埋没し、アルディの手振りから察するに硝子が砕けて角灯が駄目になったようだ。
確認できたのは六人だった。
シェラを救出し終えたデリックが首を傾げる。
「あれ、誰が足りない?」
「点呼ッ」
ラッカーの声で号令が掛かり、ラッカーが続けて呼ぶ。
「アルディ?」
「おう」
「ジャスミン?」
「はぁい」
「デリック?」
「おう」
「レアル?」
「…………」
「アルディとデリック、レアルを捜せ」
「よしきた」
がらがらがら、と瓦礫を引っ掻き回す音が早速始まる。
「はい次、シェラ」
「いるよ」
「ミーシャ?」
「…………」
「ジャスミン、シェラ。ミーシャを捜してくれ」
「はいはーい」
がらがら、という音が増えた。
「次、アリサ」
「…………」
ラッカーは面食らったような声を出す。
「え、いねえの? アトルは?」
「いるぜ」
「アトルと俺で捜すぞ」
「おう」
瓦礫を退けながら声を掛ける。
「アリサー、アリサ、生きてるかー?」
呑気極まりないアトルの声に、ラッカーは呆れたように呟いた。
「心配しろよ」
「怪我してたら心配してやるさ。今は取り敢えず捜してる」
アトルはラッカーを見もせずに答え、手だけはてきぱきと動かしながら捜索を続けた。アリサがいたはずの所から瓦礫を撤去していく。一人では持ち上げられない重さのものは、ラッカーに合図して手伝わせる。
「ミーシャ! 大丈夫?」
アトルたちの背後で声が上がる。どうやらミーシャが見付かったらしい。
「う、うう、背中が痛いー」
ミーシャが半泣きになっているのが声から分かった。
アトルとラッカーが大きな瓦礫を二人で退かす。その下に、アリサが頭を庇った格好で俯せに倒れていた。アトルが素早く屈んで助け起こし、その菫色の目がぱちっと開くのを確認すると、深い安堵の溜息を落とした。
「生きてるな。怪我は?」
アリサはアトルの手を借りながら起き上がり、ゆっくりと身体を伸ばした。
「んー、うん、ないと思う。あったとして打ち身くらい」
「なら良し」
アトルは言い、未だに見付からないレアルの捜索の方に注意を向けた。
ミーシャとアリサは背中やら腕やらを擦って、実際に怪我が無いことを確認し、それ以外の全員がレアルの救出に従事する。
月明かりしか光源が無いので全員見て見ぬ振りを貫けているが、辺りは大惨事である。
この古い王宮に止めを刺したのが九人分の体重だったのか、息をする度に建物に襲い掛かる空気の揺らめきだったのか、そんなことは今となっては分からない。しかし実際問題、天井はこの部屋だけを覆っていたのではないのだ。この部屋で天井が崩壊したということは、この王宮の屋根が全壊したにしろ半壊したにしろ、修復不可能なところまでいってしまっているということに他ならない。
不法侵入の証拠を、これでもかとばかりに残してしまったのである。
辺りは一気に廃墟の風を強め、かつての栄華は殆ど残っていない。
「レアルー、レアル、死んじゃったの? そうならさっさと出て行って逃げるんだけど……」
腕を擦りながらかなり薄情なことを口走るミーシャだったが、これが彼女だ。いつも安定して穏やかなのは、彼女が物事に拘らないからだ。反対に、アリサは拘りが強いので、いつもながらにミーシャの後頭部を平手で叩いている。
「でも実際、死人を捜すことほど無益なことはないぞ」
アトルは一旦手を休めながら真顔で言い、アリサがすっと目を細めるのを気配で察して慌てて救出作業に戻った。アリサのことだ、そこらの手頃な瓦礫を投げかねない。
レアルがいたはずの場所を掘り返してもレアル本人が出てこないので、アトルは眉を寄せた。
天井が落下してくるのを目撃して咄嗟に逃げたにしても、あの短時間――というか数瞬――に、それほどの距離が移動できるわけがない。普通に考えればこの近くにいるはずなのだが、声を上げすらしないのだ。気絶しているのかも知れない。
「この辺にいるはずなんだがな……」
呟いてレアルがいたと推定される場所に立つ。周りを見渡すと、壁も天井に巻き込まれて一部が粉塵と化したのか、見事なまでに見晴らしが良くなっていたが、その月明かりに照らされた夜景は見なかったことにする。
瓦礫を掘り起こしたせいで、アトルが立っているレアルがいたはずの場所の周囲は、瓦礫の山が周囲より高くなっており、アトルは瓦礫の上ではなく床の上に立つことが出来ている。床も、天井の激し過ぎる突撃を受けて無傷では済んでおらず、石造りの建物にあるまじき軋みを上げているのだが、堪えてもらうことを祈るしかない。
とはいえ、月明かりに頼るしかない現状、瓦礫の影となっていることもあり、床に穴が開いていたとして気付く自信は無い。
そう思った直後、アトルはおもむろに拳大の天井の破片を取り上げて足元に転がした。
「何してる?」
ラッカーが尋ね、アトルはその破片を軽く蹴りながら答えた。
「いや、床に穴でも開いてたらそこに落ちたのかな、と思って」
「あー、穴は見えないもんな」
「そーいうこと」
からからと音を立てながら転がる破片が、数回蹴られて方向を変え、こつ、という音を最後に落下する。
「あった、穴」
アトルは背後に報告し、穴の縁に手を掛け、手探りで大きさを計った。
床を作っていた石のブロックが幾つかまとめて外れたらしく、かなり大きい。レアルが落っこちるわけだ、と苦笑し、アトルは振り返ってこちらを窺う七人に報告する。
「ちょっとこの下見てくる。誰か、縄」
「はいはぁい」
アリサが最も早く反応し、ベルトに通して腰に付けた小さな箱――全員が携帯しており、最低限必要なものが入っている――から縄を取り出した。無論、これはアトルも持っているものだが、命綱として使用したいのだから、予め誰かにしっかりと縄を持っておいてもらう方が明らかに賢い。加えて、降りていった先でアトル自身が縄を使わなければならない場面に出くわすかも知れないのだ。
ひょい、と投げられた縄を受け取り、胴回りで縛って固定する。アリサがしっかりと縄を固定していることを一瞥して確認すると、アトルは躊躇わずに穴に入り、穴の縁に手を掛け、ぶら下がる格好で真下の部屋の様子を窺った。
月光が差し込むそこは、部屋というよりは食堂のようだった。腰辺りの高さから天井近くにまで達する縦長の張り出し窓が五つあり、月光を呼び込んで床の五箇所に白い光溜まりを作っている。窓硝子は年月に晒されて曇り、汚れてしまってはいたが、月光を通す程度には透明度を保っていた。窓のうち一枚は、硝子が割れて床に散らばり、月光を乱反射して煌めいていた。
テーブルがいくつかあるが、それら悉くが倒れるか、破損しているかのいずれかだった。特に部屋の中央はシャンデリアが落下し、テーブルと椅子を巻き込んで大破している。シャンデリアの水晶が煌めいて、その粒の小さな水晶が広範囲にわたって散乱していることが一目で分かった。テーブルクロスが床に投げ出され、その上に埃が積もってうっすらと灰色に変じている。
そんな中に、レアルがいた。床に倒れてぴくりともしない。気絶しているだけであることを祈り、アトルは片手で命綱を弄った。
結び目を解き、命綱を掴んでぶら下がる。縄の長さが床まで届かないのだ、このままではレアルを助けに行けない。
アトルはレアルの真上に落下しないよう、縄にぶら下がった身体を前後に揺らし始めた。上にいるアリサたちも心得たもので、しっかりと縄を固定してくれている。アトルは十分に振幅が大きくなったところで手を離し、思ったよりも床が遠いことに内心焦りつつ、着地の衝撃を足から膝、尻、肩へと逃がしながら着地した。
舞い上がった埃に咳き込みつつ立ち上がり、レアルに近寄って呼吸を確認する。安堵の息が漏れた。
「レアルいたー?」
重みが消えたことで縄を固定することを止めたのだろう、穴の縁まで寄って来たアリサが、こちらを覗き込みながら訊く。アトルはそちらに視線を上げ、手をひらひらさせた。
「大丈夫だ、生きてる。気絶してるみたいだな」
「怪我は?」
「待て、今から調べる」
アトルはレアルの傍に膝をつき、慎重に頭を持ち上げて出血の有無を調べた。どうやら無いようだと分かると、今度は手足の骨折を調べる。それから触診の真似事をし、ひとつ頷くと上に向けて声を上げた。
「無いみたいだ」
そして、遠慮なくレアルの頬をぺしぺしと叩く。
「おい、起きろ。起きろってば」
気絶した人間は、そう簡単には起き上がらない。
「はあ、ったく。何ていう迷惑な冷やかし依頼だ」
溜息と舌打ちを漏らしつつ、アトルは何となく食堂の奥へと視線を向けた。
食堂の入り口は立派な両開きの扉であり、かつての格調の高さを窺わせるが、今はその重たげな扉の片方は上方の蝶番が外れ、不恰好に枠に収まっており、もう片方は開け放たれたままになっている。
「おーい、アトル? レアルは大丈夫そうか?」
上からデリックの声が降ってき、アトルは「ああ」と気のない返事を返した後に、ふと思い付いて声を掛ける。
「俺、このまま五階を見てくる。その間にレアルの目も覚めるだろ」
「っておい、一人でか?」
「何かあったら呼ぶから来いよ」
抜け駆けだ! などという声を受けつつ、アトルはさっさと廊下に出る。ここまで荒廃した王宮に何かあろうはずもないからこそ、アトルはこの行動に出たのである。
廊下に出ると、ここが廊下の突き当りにあるのだということが分かる。廊下の突き当りが小さな広間のような幅の膨らみを見せ、食堂の扉へと続いている形だ。幅広の廊下には、等間隔に扉があるようだが、そのどれも、この扉より豪奢ということはなさそうだ。
床には絨毯が敷かれているが、一歩進むごとに埃が舞い上がるので、アトルは盛大に咳き込み、またしても手拭いで口と鼻を覆うこととなった。
「絶対何もないなこれは……」
くぐもった声で呟きながら、蝶番から外れた一番近くにある扉の奥を見遣る。明かりがないとよく見えないので、溜息を零しながら腰にぶら下げてある角灯を取り、腰の箱を探って火打を取り出し、明かりを灯す。
ぼんやりと浮かび上がる周囲の様子。覗き込んだ部屋の中には大きなテーブルが一脚と、それを囲むように配置された椅子がある。どうやら会議室のようだった。
その向かいの部屋を見ようと扉に手を掛けると、いとも呆気なく蝶番が外れて扉が内側に倒れ、濛々と埃を巻き上げた。
「…………」
沈黙し、最早義理で中を一瞥する。中は賓客に対応するための部屋のようで、低めの机とそれを挟んで向かい合うソファが置いてある。見事に埃を被っており、櫃、箱、時計の類は一見してない。
扉は等間隔に並んでいるが、一箇所だけ、不自然に扉が抜けている箇所があった。その両隣の部屋のどちらも、特別に広いというわけではないようなので、妙だとは思う。
(隠し部屋か何かあんのか?)
首を捻りつつ、他の扉を触り、また倒壊させてしまう。
――扉に触れると、どうも扉を破壊してしまうらしいと、五枚目の扉の倒壊と共に思い知った。
それでも一応は中を見ないでおくわけには行くまいと思い、更に数枚の扉を倒壊させる頃には、ノブに触ると同時に飛び退って口と鼻を覆うという一連の流れが身についていた。
「それにしても何もねえな」
独り言を零し、覗き込んだ部屋に首を振る。それから廊下の先を見て、アトルは思わず考え込んだ。
正直、本宮の広さを舐めていた。廊下は闇を吸い込むようにして延々と続いている。
これは一人では見て回れない。諦めて、誰かを呼んで来るべきだろう。
そう思い、踵を返し掛けたとき、ひゅう、と響く風の音を耳が捉えた。
アトルは咄嗟に振り返り、苦笑する。空耳だ、考えるまでもなく空耳だ。ここは本宮の中心を貫く廊下であり、両脇に部屋があることからも当然察することが出来るが、窓などない。つまり、風の音が聞こえるはずがないのだ。
もちろん、どこかの部屋の窓が壊れており、そこから入った風の音が更に壊れた扉から廊下に漏れてきた、ということは有り得るが、そうだとすれば外がずっと無風状態だったのでもない限り、ずっとこの音は聞こえていたはずで……
ひゅう――。
アトルは強張った笑みを浮かべた。不気味だ。とんでもなく不気味だ。暗い廃墟の廊下に角灯の灯りだけを頼りに立っているときに、こんな絶妙に甲高い風音を聞くなどと、不気味に過ぎる。
戻ろう、と思った。ここでアニムスと遭遇すれば、相手がどうこうとかではなく間違いなく悲鳴を上げる自信がある、と考察し、アトルはきっぱりと踵を返した。
実際問題では、アニムス程度なら問題なく対処できる。所詮は実体のない思念の塊なのだから、アニムスはそう危険なものではない。カエルムやトニトルスとは違うのだ。
踵を返したところで、また風の音を聞いた。しかしそれが声のようにも聞こえる。
「うっわ……」
自分自身を茶化すためにわざと声を上げ、アトルは蟀谷を押さえた。角灯を持ち上げて辺りを見渡す。
別段異状はないはずだ。扉は規則正しく並んでおり、通ってきた方を向いているので、全て蝶番から外れているはずだった。
しかし。
「……嘘だろ」
アトルは呟き、その扉を凝視した。
扉がある。きちんと枠に嵌まった扉が、一枚だけある。
「あ、有り得ねえ……」
アトルが呟いたのも道理、それは規則正しく並んでいた扉の列の中で、唯一空いていた空間に存在する扉だった。
また、風の音がした。
いや、今度のそれは、間違えようもなく言葉になっていた。声というにはささやか過ぎるが、空気の流れが言葉を作って流れてくるのだ。
――ここに来て。
アトルは根が生えたように立ち尽くした。アニムスの仕業かとも思ったが、連中にこんなことが出来るだなどと考えるのは、馬鹿らしいにも程がある。
あの扉を、先程の自分は視認できなかった。つまりそれは、魔術の中でも最も魔力を消費する、精神系の魔術が掛けられていたということに他ならない。しかし、周囲の埃の積もりようからしても百年近く、ここに人が入った形跡はない。そして百年以上も、そんな術を維持できるはずがない。
そして、この声。これも精神系の魔術だとすれば、最早国――あるいは「魔力法協会」に報告が必要な水準の出来事だ。
――敵ではないでしょう、ここに来て。
そろりと一歩踏み出す。無視して通り過ぎようと思った。内心では竦み上がっている。奇妙過ぎるし、不気味過ぎる。
元素系の魔術では空気も操ることが出来るが、ここまで繊細な操作は不可能なはずだ。念動系の魔術で補助を加えるにしても限界があるはずだ。
アトルは魔術師ではないが、そんなことは魔術師と接していれば分かる。〈インケルタ〉にも魔術師は何人かいるのだ。
――ここに来て。この子を助けて。
声は嘆願し、アトルは震えた。背筋が凍るとはこういうことをいうのだと、生まれて初めて実感した。
細切れに響いていた声が、突如として滔々と響いた。あえかな空気の流れで作られている声が、途切れることなく続いていく。
――私たちを知らない人、あなたはこの声を聞き扉を開くことが出来る。中に入って助けて。どうかあなたが心ある人でありますよう。ここを出るべき人でありますよう。この声を聞いた人、どうかこの扉を開けてほしい。この声を聞いた人、その人の数が増えないことを祈っている。私たちを知らない人、その人がこの声を聞く人。助けてほしい。この子を助けてほしい。どうかお願いします。この子を助けて。
「あ、有り得ねえ……」
二度目の呟きを漏らし、アトルは眉間に皺を刻んだ。
その理由は二つある。一つ目は、この声が精神系の魔術であると確定したからだ。「私たちを知らない人」と断言しているということは、この術を仕掛けた人、あるいは術式自体が、ここを通る人物の記憶をある程度閲覧したということに他ならないのだ。
そしてもう一つは。
「だ、誰でもいいのかよっ」
実体のない相手に向かって、思わず真面目に突っ込んでしまったアトルだった。
「私たち」とやらが何かは知らないし、どんな状況にあったかも知らないが、助けを求める相手は「私たちを知らない人」であれば誰でも良かったのか。余りにも適当かつ迷惑。アトルは「無知は罪」という言葉に深く納得して項垂れた。
――来て。ここに来て。
声は執拗に続く。
――十年でこんなに荒れてしまった。もう保てない、この子を助けて。この子を独りにしないで。
アトルは固まった。
「え」
十年? と内心で首を傾げる。
この旧都は百十年ほど前に壊滅し、棄てられたはずだ。それなのに、十年? おかしい。この廊下の荒れ具合からしても、十年前に人がいたようには思えない。
むくむくと湧き出す好奇心。アトルは唯一枠に嵌まったままのその扉の前に立った。
「この子――ってことは、人がいるのか……?」
語尾を上げながら呟き、アトルはノブに手を掛け、捻ると同時に飛び退って口と鼻を覆った。
予想違わず、ぐらぐらと揺れてからばたんと倒れる扉。しかし、舞い上がる埃の量は若干少ないように思われる。
用心しながら覗き込んだアトルは、思わず口笛を吹いた。
そこが元々何の用途で使われていた部屋だったのかは分からないが、今ではそこはすっかり物置と化していた。
略奪されていない。
うっすらと埃が積もった箱が積み上げられた扉の傍。扉と向かい合う壁には窓があり、その窓を半ば覆い隠すようにして巨大な置時計が佇んでいる。更に、部屋の真ん中には櫃が四つ置かれている。二つ並べられた櫃それぞれに、もう一つの櫃が載せられる形だ。櫃の後ろには置時計がもう一つ、立て掛けられるように置かれており、他にも小箱が十数個、部屋中に積み重ねられていた。
「すげえ、あったー」
アトルは角灯を掲げながら目を輝かせた。しかし直後、首を傾げる。
「人いねえな……?」
この子を助けて、そう聞こえたのだが。
考えていたらかなり不気味な状況であり、アトルは再び蒼褪めたが、取り敢えず仲間たちを呼びに行く前に部屋の中を物色する。実際に人がいないかを確認するためである。
角灯の灯りを暗闇に向けながら、アトルは部屋をざっと見る。誰もいない。箱や櫃の中に入っている可能性も考えて、一応蓋を開けてみようともしたが、櫃の蓋は重すぎるし、箱の蓋には鍵が掛かっている。
「まぁ、誰もいねえな」
アトルは自分を納得させるように呟いた後、部屋から出て、他の八人を呼びに向かおうとした。
部屋を出る直前、誰かに強く呼び止められたような気がして振り返る。
当然ながら、埃まみれで暗い部屋の中には誰もいない。気のせいだなとかなり強張った顔で苦笑して、アトルは今度こそ他の八人を呼びに行くために部屋を出た。