08 証章が移る理由
アトルの撃った衝撃波と、デイザルトの撃った衝撃波がぶつかった。
どん、と腹に響く音と共に周囲を薙ぐようにして同心円状に広がる空気の波に髪を揺らして、デイザルトが片手を挙げた。
視界の回復した魔術師たちが反撃の体勢に移るよりも早く、十数人の魔術師が崖から飛び降りた。彼らはリリファたちに相対するような位置――つまり、アトルを挟んでデイザルトの正面、アトルの背後に降り立った。
「やば」
リリファが呟く。その呟きをアトルが聞くと同時に、アトルの身体が吹っ飛んだ。
吹っ飛ぶ間際にレーシアの手を振り放せたのは僥倖である。アトルは背後から衝撃波の束を喰らい、僅かに身体を傾けたデイザルトの脇を、放物線を描いて飛んだ。この状況ではさすがにレーシアを庇えない。今のレーシアにとっては、掠り傷ですら致命傷たり得るのだ。
「――っぉわっ!」
顔から地面に突っ込み、一瞬四つ這いで咳き込んだアトルは、しかしすぐに身体を反転させた。
「レーシア!」
「アトル大丈――」
「馬鹿逃げろ!」
目を見開いてアトルを見たレーシアは、怒鳴られて初めてデイザルトを、そして振り返って他の魔術師たちを見た。
たった今アトルを吹き飛ばしたのは新たに飛び降りて来た魔術師たちだが、彼らはレーシアの捕獲に専念できるわけではない。アジャットたちがそれを許さない。故に彼女が最も警戒すべきなのは正面にいるデイザルトだ。だが、デイザルトは警戒したところでどうも出来ないだけの腕を持っているだろう。
アトルは頬に出来た擦り傷に顔を顰めながらも立ち上がり、迷うことなく銃を抜き、発砲した。アルナー水晶が鋭利な煌めきを宿し、凝った光の弾が発射される。それはデイザルトの足を狙ったのだが、彼は剣に魔力を纏わせて、振り向きざまにそれを弾いた。
「レーシア、離れろ!」
次から次へと発砲しながらアトルが叫ぶ。アジャットもグラッドもリリファもディアナも、全員がレーシアの傍に寄ろうとしていたが、悉く阻まれている。
レーシアは咄嗟に一歩下がってデイザルトから距離を置き、慌ただしく左右を見回した。だが、今や周囲は魔術の飛び交う暴力空間だ。
息を吸いこんで、アトルは口を開いた。
「――アリサ!」
アトルが叫んだその瞬間、アリサがアトルの渡した銃を構え、撃った。
余談になるが、アリサの銃火器の扱いの腕はかなりいい。初めて見る武器であっても、ある程度は使いこなす。
その才能がここでも光った。
予期しない方向からの援護射撃に、さしものデイザルトの反応も僅かに遅れた。それでも剣の平で弾を弾いたのはさすがというべきだろう。だが、その瞬間の隙を逃さず、アトルは走り出していた。デイザルトの左側を突破しようとしたのだ。
「レーシ――」
「駄目っ危ない!」
レーシアが珍しいくらいに切迫した声で叫び、アトルは気配を感じて横に跳んだ。そこを抉るように軌跡を描く剣先を見て、アトルは罵声を漏らす。
「しつけえな!」
「こちらの科白だ」
デイザルトの凛とした声に、苛立ちは欠片もなかった。
「なぜそうエンデリアルザを庇うのか分からんな」
返す刀が暴風を伴って襲い掛かった。正確無比に横腹を狙う剣先がアトルの皮膚と肉を捉え、風が轟々と唸ってアトルを吹き飛ばそうとする。
アトルは自分から跳んで衝撃を殺そうとしたものの、それでも左側に数メートル吹っ飛び、背中を強打した。斬られた右横腹から血が滲んだ。「ってえ」と呻き声を上げると同時、デイザルトがレーシアに向き直るのが見える。
「レーシア!」
叫んだアトルに、堪らずアリサが駆け寄って支え起こしながら怒鳴った。
「馬鹿っ! 他人より自分の心配しなさいよ!」
アトルは傷口を押さえ、思ったよりも出血が多いことに他人事のように驚いた。
「止血しないと」
「俺よりレーシアだ!」
アトルは怒鳴った。
レーシアが自力でこの状況を何とか出来るとは考え辛い。デイザルトを負傷したアトルが撃退できるとも考えられない。アトルは立ち上がると、とにかく最も近くにいたリリファに向けて叫んだ。
「リリファ! レーシアが!」
「分かってるってばうるさいなあ!」
リリファは苛立ちを丸出しにして怒鳴り、自分に向けられる攻撃を捌きながらも声を上げた。
「レーシアさん、とにかく離れて――」
「エンデリアルザ」
デイザルトが呼び掛けた。アトルに声を掛けたときとはまるで違う、殺意と怨嗟に溢れた声だった。
「おまえは、私たちがこうしておまえを追っていることに、何の心当たりもないのか?」
低い、激情に塗れた声が言った。レーシアはやはり怯えながら、はっきりと答えた。
「――うん、ない」
デイザルトが息を吸い込んだ。
「おまえは!」
彼が剣を振り上げる。アトルは銃を持ち上げ、そちらに向けて三度発砲した。更にデイザルトの部下と思しき者たちまでもが制止の声を上げる。
「いけません、デイザルト様!」
「生かして捕らえなくては意味がありません!」
デイザルトはアトルの銃撃を僅かに振り返って剣の平で弾き、左手でレーシアを断罪するように指差した。
「……本当に、何の心当たりもないのか」
「デイザルト、ばーかばーか!」
リリファが叫んだ。科白こそ子供の喧嘩のようであったが、それは彼女が言葉を選ぶ余裕さえ失くしているからだった。
「なに言おうとしてんのかは分かるけどねっ、そんなの意味ないよ!」
己の部下を相手取って立ち回りを演じながらも口を挟んできたリリファに、デイザルトが眼差しを向ける。
「あんたはねぇっ、責める相手を間違えてんの、なんで分かんないかなあ!」
デイザルトが口元に笑みを浮かべた。
「ああ、我々が咎を責めるのはエンデリアルザだ」
レーシアは二人の遣り取りを呆然と見ていたが、その言葉には反応してぽつりと言った。
「――エンデリアルザは、サラリスだよ。他の人じゃないよ」
「おまえがエンデリアルザだろう」
デイザルトではない誰かが、戦闘の合間に声を振り絞るようにして言ったのが聞こえた。
「違――」
「証章はおまえにあるだろうが!」
その誰かが叫び、その場の空気が凍り付いた。デイザルトの舌打ちがやけに大きく耳に響き、レーシアの唖然とした声が全員に届いた。
「――なんで」
彼女は大きく目を見開いて、その誰かを捜すように視線を泳がせた。
「なんでそのことを知ってるの……?」
意図したことではないだろうが、全員が同時に動きを止めた。失言したのが誰であれ、知られてはいけない情報だったのだろう。
「レーシアさん、気にしては駄目」
ディアナが軽く息を切らしながら声を出した。それに便乗するように、しばし呆然としていたリリファも言う。
「な、なに適当なこと言ってんのよ!」
一瞬にして戦場とは一線を画す空間へと早変わりした空気に、アリサが声を潜めてアトルに囁いた。
「……ねえ、どうなってんの?」
アトルにも正確なところは分からない。エンデリアルザや〈器〉について、アトルは余りにも無知だ。だが今、レーシアが非常に動揺していることだけは分かった。
「エンデリアルザの証章は、」
デイザルトが溜息を零して言った。
「エンデリアルザの死亡、またはその意思でしか、他の〈器〉に移らない」
「なんであなたが知ってるの?」
レーシアが責めるように言った。それには答えず、デイザルトはいっそ楽しげに続けた。
「分かるか、レーシア・エンデリアルザ。おまえに証章が移ったということは、」
何を言わんとしているのかを悟ったアトルは、考えるよりも先に叫んだ。
「聞くな、レーシア!」
レーシアはアトルに視線を移し――彼女もまたデイザルトの言わんとしているところを知って、蒼白になった。
「無論、証章だけがエンデリアルザをエンデリアルザたらしめる訳ではないがな」
デイザルトは剣を地面に杖のようにして突き、酷薄な微笑みを浮かべた。
「だが――」
「もう黙れ!」
リリファが怒鳴り、自分の前にいたデイザルトの部下を押し退けるようにして片手を挙げた。しかしそれを黙って見ている者もおらず、またしても戦闘が再開される。
銃弾が飛び交い、光が弾け、火の手が上がり、氷の弾幕が張られ、念動系の魔術で何人かがまるで投げ捨てられるように宙を飛んだ。動物などの意思を持ち、自身で動くものを念動系の魔術で動かすには通常よりも多くの魔力が要る。無茶をした者がいるようだった。
リリファもディアナもアジャットもグラッドもその戦闘の渦中だ。
離脱してレーシアの傍に行こうとはしているようだが、デイザルトの部下がそれを許さない。
魔法陣が彼らの足元と頭上に幾つも幾つも重なり合って目まぐるしく展開され、効果を現わすものとそれを相殺するものとがせめぎ合った。
一方の〈インケルタ〉の面々は、自分たちの領分ではないと弁えて――また、事情も全く分からないことから――静観している。デイザルトたちが自分たちには危害を加えないということを、早々に呑み込んでのことだった。
そのどちらとも切り離されたような顔色で、レーシアが呆然と立っていた。魔力爆発の兆しはない。示唆されたことの理解そのものを彼女は拒んでいるようだった。
戦闘の最中で誰かが悲鳴を上げた。デイザルトが思わずといったようにそちらを振り向く。その隙を突いて――というよりは、もうこれしか機会はないと悟って、アトルがアリサの傍を離れ、走り出した。
走りながら術式を組み立て、意識すらせずにそこかしこに小さな魔法陣を展開しながら、アトルがデイザルトの傍まで到達する。部下の窮地に気を取られていたデイザルトがそれに気付いた瞬間、アトルの術式が働き、光を放った。
光量でいえば先程の、デイザルトが用いたアルナー水晶以上である。
まともにそれを見たデイザルトが耳と目を覆って顔を顰める。魔術的な聴覚にかなりの負荷が掛かったのだろう。その横をすり抜けて、アトルは呆然と突っ立つレーシアの腕を掴んだ。
「走れ!」
レーシアは腕を引かれるままに走り、アジャットたちとデイザルトと、ちょうど三角形を描くような位置に誘導されながら、まだ呆然とした顔つきで呟いた。
「サラリスはなんで――」
「ああもうっ、がたがたうっせえ!」
アトルは怒鳴ってレーシアを振り返った。レーシアはびくっとした。
「なんでそう人から言われたことをすんなり信じるんだよ! ちょっとは別の解釈もしてみろよ! ついでに言うとそのサラリスって人が何をしたんであろうと、おまえをどう思っていようと、俺には関係ねえんだよ!」
正論過ぎる言葉に、レーシアは初めてそのことに思い当たったかのように瞬きした。
「おまえは何なんだ、いっつも『サラリスは』『サラリスが』『サラリスに』って! ちょっとは自分で考えろよ!」
レーシアは唖然としてアトルを見上げた。どうしてそこまで驚くのか、アトルにはまだ分からなかった。
だが今この状況で、腑抜けになったレーシアを守り切る自信はなかったから、とにかく彼女をしっかりさせねばならないと思った。
「おまえはどうしたい。おまえはどう思ってる。それをちゃんと決めとけよ!」
出会った当初からずっと言っていたことを、またもやアトルは叫んだ。
「俺はちゃんと決めてるぞ。俺は自分が何をどう思ってて、何をしたいのか分かってる」
デイザルトはレーシアを取り逃がしたことよりも、部下の危機を救うことを優先するつもりのようだ。
今のところアトルたちに追撃を掛ける素振りはない。尤もそれは、たとえここでレーシアを逃がしたとしても、この辺り一帯にいる自らの手の者が必ずレーシアを捕らえると確信してこそのことだろう。
アトルはそのことを見て取ると、足を止めてしっかりとレーシアに向き直った。
「俺はサラリスって人のことを知らない」
レーシアは悲しげに頷いた。
「うん……」
「けど俺は、おまえのことは守るよ」
「…………」
「サラリスって人のことを知らない俺がそうしたいんだから、おまえには、サラリスって人とは関係ないところでの価値があるんだ」
「…………」
レーシアは眉を寄せる。
「だからサラリスって人のことをどうこう言われても、そんなに動揺するな。おまえはサラリスって人に会いたいんだろ?」
「うん」
レーシアは断固として頷いた。やはりそこには、そこだけには、一点の迷いもないようだった。
「だったらおまえがやるべきことは、いちいち動揺することじゃなくて、そのために強くなることだ」
戦闘の音が激化した。レーシアの背後に当たるそこに注意を払いながら、アトルはやや口早に続けた。
「それでだ。おまえはどう思う。おまえは誰よりサラリスって人のことを知ってんだろ? サラリスって人は、おまえに責任全部を押し付けて捨てるような、そんな人なのか?」
レーシアは唇を噛み、決然とした表情を浮かべた。
「――ううん」
そしてそのまま続ける。
「それに、私に何も言わずに死んじゃうなんて、そんな人でもないよ」
「じゃあ、さっきのはあの、デイザルトって奴の戯言だな?」
アトルが駄目押しのように言うと、レーシアはやっといつものように笑った。
「うん!」
そしていつものように手を握って、軽く目を伏せて微笑んだ。
「いつもほんとにありがとう、アトル」
「ああ、礼は後でな。今は逃げるぞ」
デイザルトが戦闘の方に気を取られているとはいえ、それが長く続くとは限らない。今のうちに距離を開けておくべきなのだ。守るといくら言っても、アトルとデイザルトでは実力に差があり過ぎる。
アトルは走り出す前に〈インケルタ〉の面々と目を合わせた。「ごめん、そこにいてくれ」と唇の形で伝える。
勝敗がどう転ぼうと、積極的に彼らを傷付けようとする者はいない。
ほぼ全員が心得たように頷く一方で、アリサだけが不安げにアトルを見ていた。
「アトル、どこに行くか心当たりあるの?」
レーシアが純粋に不思議に思ったように口にし、アトルは舌打ちした。
「取り敢えず上に戻らないと」
「上に行ったらまた戦ってるんじゃ……?」
「一生この崖下で暮らすわけにもいかねえだろ」
アトルのお道化た科白に、レーシアがふふっと笑うが、すぐに何かに気付いたように真顔になった。
「でもどうやって上に戻るの?」
「それが問題なんだよな……」
アトルは苦々しげに呟いた。
崖下に飛び降りたのはアトルの考えであり、そうしなければ遅かれ早かれ大軍に追い付かれていたとは思われるが、上に戻ることは大変な労力でもある。
アトル一人ならば適当な崖を根性で登ることもできるが、レーシアにそれを強いるのは些か酷と言わざるを得ない。
「ね、ねぇアトル」
レーシアが言いにくそうに口を開いた。
「なんだ」
「崖の上にずらっと並んでた人たち、どこに行ったのかな……?」
アトルははっとした。
デイザルトの参戦などで、彼らしくもなく忘れ果てていたが、確かに崖上には兵士が鈴なりになっていたはずだ。彼らは一切攻撃を仕掛けてこなかったが――
慌てて崖上を見上げたアトルは舌打ちした。
一人としてそこにはいない。人間が蒸発するはずもないので、どこかに移動したと考えるのが筋だが、どこに移動したのか。
レーシアは、真面目に「消えちゃったね」と呟いているが、アトルは握った手に軽く力を込めて否定を表した。
「んな訳あるか」
戦闘から離れ、崖に沿って走り始める。アトルは目で登りやすい箇所を探そうとしたが、断崖絶壁というほど険しくはない崖ではあっても、レーシアに登らせるのは――あるいは、レーシアを介助しながらアトルが登るには険し過ぎる崖だった。上から縄か何かを投げてもらうのが現実的な方法だが、実際には難しい状況である。
レーシアは早くも息切れし、アトルは速度を緩めざるを得ない。
「レーシア、大丈夫か?」
こくんと頷いたレーシアは、若干弱々しく微笑んだ。
「大丈夫……宝樹玉も飲んでおいたし」
まるでこうなることを見越していたのだと言いたげな口調に、アトルは彼女の頭を軽く小突いた。
「ま、飲んどいたことは幸いだよな」
しかし本格的にレーシアの息が苦しげになってきたので、アトルは足を止めた。崖に手を突いて喘ぐレーシアの背中を擦ってやりながら、周囲に目を配って追手の有無を確認する。戦闘の音は聞こえてきたが、随分と遠くなっていた。
「他の連中はどこに行ったんだか」
アトルが案じるように呟き、レーシアが珍しくもまともな苦言を呈した。
「他の人のことより自分のことを考えないと」
はいはい、と答えたアトルは、直後に殺気を感じてレーシアの腕を掴んで身を翻した。レーシアは「うわっ」と声を上げたが、そこに降り注いだ矢の雨を見て口を噤み、静かに蒼褪めた。
見上げると崖の上に、ずらりと弓を構えた兵士たちが並んでいた。
アトルたちの逃げた方向を察知して彼らが集まったのか、それともアトルたちが彼らの待機していた場所に飛び込むことになったのかは分からないが、とにかくも見付かってしまったのだ。
だが魔術が降ってくる様子はない。幸いにも中に魔術師はいないようだった。
レーシアを崖下から離れるように誘導しながら、アトルはにぃ、と笑う。
「だったら――」
レーシアが何かを言いたげにアトルの袖を掴んだが、それを振り払い、アトルは崖の上を見上げた。
「魔術師は無敵だろうがよ」




