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Monologue-02 This Is a Story For Confess a Girl's Guilt

名前を付けられたときのことを覚えていると断言できる者は数少ないだろうが、サラリスは断言できた。


「サラリス。サラリスという名はどうでしょう?」


 そう言ったのは若い男で――といっても当時のサラリスからすればどれもこれも「大人」という括りの生き物でしかなかったわけだが――、それを受けてサラリスを腕に抱えた人が頷いた。


「良い名だね。そうしよう」


 サラリスが床の上に下ろされる。ふかふかの絨毯の上でころんと転がったサラリスと、膝を折って屈み込んだ彼が視線を合わせた。


「分かるかい。サラリス。きみは今日からサラリスだ。そう呼ばれる」


 後になってサラリスが推測したことだったが、〈器〉は早熟らしい。生きるため、周囲の意図を察することを早くに覚える。なので、このときもサラリスはなんとなく、相手の言いたいことを察した。


 サラリス。それが彼女の名前になった。


 悪意にも害意にも触れない、大切にされる日々が幕を開けた。サラリスは笑うようになり、甘えるようになった。

 言葉を覚えると褒められ、食事を残さず食べると頭を撫でてもらえた。


「サラリスは良い子だな」


 頭を撫でてあの人がそう言う。サラリスが笑うと、彼も少しだけ表情を緩めてくれる。


 空人、雷兵と呼ばれる生き物たちもやって来て、サラリスに沢山の話をする。

〈器〉のこと、エンデリアルザのこと。サラリスが当代エンデリアルザであること。自分たちがサラリスの遊撃兵であること。宝具のこと、封具のこと。彼らが自分の胸に咲く紋章――エンデリアルザの証章――を重んじていると知り、サラリスは驚くと同時に途轍もない喜びを感じる。


 ここにいれば、ここにいる限りは。


「サラリスは本当に良い子だ」


 ここにいる限り、自分は生きていられるのだと。


 そんな日々が数年経過して――サラリスが四歳になったとき、彼が頭の上に手を置いて言う。


「〈糸〉を繋ごうか。確かアルナー山脈の方に宝具と封具がまとまってあったと思うんだが」


 空人や雷兵から、宝具と封具は扱いさえ誤らなければ恐れるべきものではないと教わっていたので、そしてそもそもそんな考えは思い浮かびすらしなかったので、サラリスは反対しなかった。


 馬車で外に出る。生まれて初めての旅行だった。あの人は一緒に来ることはしなかったが、頭を撫でて待っていると告げてくれた。


 女の人が二人、幼いサラリスと同じ馬車に乗り、サラリスが退屈しないようにあやし、適度に食事を摂らせ、サラリスの様子を見て休憩の指示を出す。


 当時、治安は決して良くはなかったが、野盗の類などは恐れるに足りないものだった。初めて、武器を携えて汚い言葉を吐き散らすあれらを見たときには、サラリスも心底怯えて魔力を暴発させたものだが、あっと言う間に雷兵が来て蹴散らすのを見て、自分の身に危険は及ばないものなのだと悟ったのである。



 アルナー山脈の麓で宝具を捜す。見付かったのは〈静〉の宝具だった。


〔お気を付けて、サラリス〕


 傍に寄って来た雷兵が言う。


〔宝具と〈糸〉を繋ぐと、色々と大変ですからね〕


 雷兵と空人が蒼穹を埋め尽くす程に集まって来て、あれこれと怒鳴り、囁き、叫び、呟く。


 サラリスはまだ小さいのに、何て事をさせるんだ。一緒にいる他の〈器〉もいないのに。無茶だ。止めさせた方が。


 サラリスは事態がよくは分かっておらず、またあの人を疑うということを知らなかったために、雷兵や空人の言う事を注意深く聴くことをせず、とてとてと宝具に近付いた。



 山の麓の岩の影で、半ば透き通った人影がこちらを見ていた。


 漆黒の髪に、緑柱石を思わせる瞳。若い男の愁いに満ちた厭世的な面差しがはっきりと認められ、それでいてはっきりと生き物ではないと分かる姿だった。


「これがホーグ?」


 サラリスが幼い、高い声で尋ねた。空人の一人がサラリスと視線を同じくして、寂しそうに微笑んで頷く。


〔そう、宝具です。〈静〉の宝具――已然の事象を否定するもの〕


 サラリスはこくりと頷き、紅葉のように小さな手を伸ばした。


「あなたと〈いと〉をつなぎにきたの」


 宝具はその面に微かな驚きを浮かべ、サラリスと視線を合わせた。


「――きみが?」


 喋った、とサラリスは驚きを籠めて呟く。空人がぎゅっとその肩を掴んだ。


〔忘れないで。これは物ですよ、サラリス〕


 サラリスはまた頷いて、両手を宝具に向けて伸ばした。


「〈いと〉つなぐ」


 空人は溜息を吐いた。宝具は薄く微笑み、呟いた。


「久々に人を見たと思ったら、〈器〉か」


 サラリスは傍の空人を見上げた。本当にこれがただの物であるのか、疑問に思ったからだったが、空人はサラリスの意図を誤解したらしく、丁寧に言った。


〔あの人の姿の幻の手を握ってください。あれは宝具の一部ですから、それで〈糸〉が繋げます。浮かんできたように歌を詠って〕


 サラリスは自分の疑問を胸に仕舞って、こくんと頷く。そして背伸びして宝具の――宝具の幻の右手を、自分の両手でぎゅっと握った。


「〈いと〉――」


 宝具はその緑柱石の瞳で暗澹とサラリスを見下ろしたが、やがて囁いた。


「――(いら)えよう」


 キン、と高い音がして、宝具の幻が立つ岩の下から黒い光が漏れた。漆黒であるのに眩しさを感じる、サラリスが幼心にも奇妙さを感じる光だった。サラリスの腕を光が伝い、肩まで達して拡散し、鳥籠のようにしてサラリスを囲う。

 サラリスの頭に歌が浮かんだ。口を開けば、それは宝具と全く同時だった。



「さやぐかぜさつさつたる なでふさやけしかぜこそありけれ」


 歌と共に、何か――サラリスには馴染まない何かが――


「みなもわたりてさえざえと このはゆらしてさやさやと

 よぞらわたりてひかりのしづく

 はなばなゆらしてふくむかのをかしかりけれ」


 諦めや失望や、――そしてそういったものとは比較にならない何かが――


「あふなあふなにおもひはすべしものなるぞ」


 宝具の声が徐々に力強くなる。サラリスは無意識に眉を顰めた。


「かやうにはなのかのするは なむぢのはなをおもひそめすがゆえなるか

 ゆくらゆくらにここちゆれ とどまりしらぬかぜなるなむぢ

 さうさうはなうみほしうみぞする さやはおもふとおもほへど

 そがなむぢがさが そのよりどころ

 なむぢのなでふかほれるぞ」


 サラリスの頭の中に、赤い髪を長く伸ばして緩く結った女性が浮かんだ。彼女はどこか暗い場所に立っていて、白いドレスに身を包んで、自分の手の指先をじっと見ている。象牙色の肌をしており、そして顔色は蒼白だった。煙水晶の色合いをした目を悲しげに伏せて、今にも泣き出しそうに見えた。


 そして、記憶。


 まだ四年しか生きていないサラリスの記憶を圧倒して余りある、記憶の奔流。


 色や温度や匂いや音。どこかの町並み。何かの感情。

 大通りを馬車が走る。その窓から女性が顔を覗かせて手を振る。大通りに集まった人々が歓声を上げる。自分もその一人だ。自分はその女性に目を奪われる。本当に綺麗な人だ。赤い髪を丁寧に結い上げて――輝く目は煙水晶のような――。


 城のバルコニーにその女性が立っている。自分はそれを物陰から見上げている。同じ部屋の空気を吸う事すら烏滸がましい程に高貴な人だ。


 それでも傍に行きたいと願うならば。



〔――サラリス! サラリス! 大丈夫ですか?〕



 赤い髪の女性が振り返って、その美しい面に笑みを浮かべる。


 ――あなたが、ティニス?


 そうです、と――



〔サラリス!〕


 耳元で怒鳴られ、サラリスははっとして目を上げた。


「サラリス――」


 自分の名を確認するように呟く彼女に、人間の女が寄って来て、懐紙に包まれた粉末と革袋に入った水を差し出す。


「サラリスさま、これを」


 ひどく苦くて不味いものだったが、これを宝樹玉といい、今のサラリスの命を繋ぐのに必要なものなのだと、雷兵と空人が説明するので、サラリスは納得する。


 宝具はまだそこに立っていて、感情の窺えない目でサラリスを見ている。サラリスがその目をじっと見ると、ふいと顔を背けて溶けるようにいなくなった。


 サラリスの、サラリス自身の記憶の中で、あの人が笑っていた。待っていると言ってくれた。だからサラリスはぎゅっと小さな拳を握る。


「だいじょうぶ。つぎはどこにいくの?」


 あの人が待っていてくれるのだから、サラリスは生きていけるのだ。







少々ですが、刺激の強めな流血表現が出てきそうですので、R15のタグを付けさせていただきました。

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