03 事務所の攻防
次の瞬間、アトルがレーシアの腕を引っ掴んで奥へと進んだ。
セルダでディーンと共に行動していた――彼の上司であるような言動もあったリリファである。
つまりは、樹国の者だ。
「え、ちょっとひどくない? また会えたのに挨拶もなしなの? ええっと、アトルだっけ?」
アトルはレーシアを見下ろした。ディーンへの――ひいては樹国への怒りは収まっていないらしく、先程までとは打って変わった険しい表情だ。
アジャットたちがレーシアとリリファの間に立つ。各々表情は氷点下だ。
「ああもう、まだあんたたちといたの」
リリファが苛立ったように呟いた。その表情からすっと笑みが抜け落ち、酷薄ささえ漂う。
「――邪魔でしかないんだけど」
リリファを取り巻くようにして風が唸った。アトルは思わず、半ば振り返る。ここは彼の家であり、恩人たちの住む所なのである。むやみやたらに破壊されて納得できようはずもない。
アジャットが手を伸ばした。全く無音で、〈インケルタ〉の事務所の壁や床、天井や窓、戸枠や備品に膜を張るようにして障壁が生成された。高等指定魔術師の張る障壁であり、そう簡単に破れるものではないだろう。それに安心すると同時、アトルは唇を噛んだ。いかなアジャットといえ、こうも繊細な障壁を維持した状態で戦闘に参加するのは不可能なことなのだ。
「グラッド、思う存分やれ」
アジャットが厳然と命じた。
「この女に付き合っているほど暇ではない」
「はい」
グラッドが頷き、前に出た。リーゼガルトとミルティアがその両脇にいる。
「いいよ、相手してあげる」
リリファが大剣を抜き、それをそのまま杖のように床に――正確には、床に張られた障壁に突き立てた。
グラッドの足元に円形の魔法陣が幾つも重なって展開される。その魔術が発動されるまでの時間稼ぎとばかりに、リーゼガルトとミルティアの魔術がリリファに殺到した。
ミルティアの呼び出した大火炎がリリファの足元から渦を巻いて立ち上がる。リリファの金髪が紅蓮の陰影の中で熱された空気に巻かれて舞い上がった。そこに大粒の、白熱した魔術弾が幾つも着弾する。
本来ならば事務所が倒壊してもおかしくないだけの威力だったが、アジャットの障壁は軋みこそすれ、壊れることなく耐え切った。
そして、リリファ自身も暑がる素振りすらなかった。炎に巻かれながら、にい、と口元を歪める。
彼女の構える大剣の刀身が波打った。
雫に叩かれる水面のように波紋を広げた刀身が、ぐにゃりと広がる。それは水そのものの動きだった。
リリファが大剣を――最早柄と鍔にしか原型を留めていないそれを、勢いよく振った。
透明な水が奔流となって炎を鎮め始めた。しゅうしゅうと激しい音と共に水蒸気が立ち込める。
〈インケルタ〉の面々が絶句する一方、リーゼガルトとミルティアは舌打ちを漏らした。
「あの剣――」
ふふっと笑ったリリファが踏み込んだ。同時、グラッドの魔術が完成する。
耳を劈く轟音と共に、リリファを真下から雷が貫いた。辺りを閃光が突き刺し、弾けるような音が耳を聾す。アジャットの障壁が軋み、悲鳴のような甲高い音を立てる。
「ああああああっ!?」
リリファが絶叫した。水の剣を持っている身としては致命的な一撃だっただろう。
ごとり、と大剣の柄部分が床に転がった。リリファが堪らず取り落したのだ。長い金色の髪の毛先が黒く焦げて焼き切れている。全身の至る所が焼け焦げ、衣服も破れている。膝を突き、大きく喘いだ彼女に、リーゼガルトが容赦なく止めを刺そうと、自身の大刀を抜き、構えて一歩を踏み出した。
しかしその瞬間、リリファが顔を上げ、怒鳴った。
「――野郎っ!」
「まだ動けんのかよっ!?」
リーゼガルトが瞠目した。リリファがゆらりと立ち上がり、元の形に戻った剣を拾い上げ、振ったのだ。
がんっ、と硬質な音が響き、リーゼガルトとリリファが鍔競り合った。だがそうなれば、筋力で勝るリーゼガルトに分がある。徐々に押され始めたリリファが怒鳴り声を上げた。
「邪魔なのよっ!」
「こっちの科白だ!」
リーゼガルトが押し切った。勢い余って後ろによろめいたリリファに、ミルティアとグラッドの魔術が降り注ぐ。
驚異的な速さで防壁を組み立て、リリファがそれを防ぐ。同時に火傷の手当もある程度はしたようだ。防壁を解除したリリファが、今度は自分から踏み込んだ。
すかさず放たれる魔術を掻い潜り、弾き返し、リリファがリーゼガルトに斬り掛かった。それを受けたリーゼガルトの剣を自分の剣の下に押さえ込もうとしている。しかしその競り合いが続いたのは僅か数秒だ。リーゼガルトが押し切って剣を跳ね上げ――
「くそっ!」
リリファの細い身体がリーゼガルトの頭上を越えた。驚異的な身体能力を発揮し、リーゼガルトの大刀の鍔を踏んで飛び上がったのだ。人ひとり分以上の重みが掛かり、リーゼガルトの剣を持つ手ががくんと下がる。それでも下から斬り上げようとして、だがそのとき既にリリファは着地している。
「ごめんね、嬢ちゃん」
いっそ軽やかにさえ言って、着地の勢いそのままに、リリファがミルティアを殴りつけた。
普通ならば昏倒、悪くすれば死亡も有り得る一撃だったが、ミルティアは魔術師である。ぎりぎりのところで薄い防壁を形成し、その一撃の威力を大幅に殺した。かしゃん、という音を立てて防壁が砕け散る。
「――っ何がぁごめんヨ!」
体勢を崩したミルティアが罵った。
「ごめんで済んだらぁ軍隊は要らないの!」
「気絶してくれれば楽だったのに」
リリファは毒づき、三人の中心で胸を張って立った。
「レーシアさん、こんな暴力的な人たちと一緒にいていいんです? ひどいったらないわ」
レーシアは思慮深げな顔をした。
「――仕掛けてきたのはあなただと思うの」
足元に魔法陣が展開されているのを察知し、リリファが飛び退る。一瞬後、魔法陣を突き破って出現した巨大な咢が獲物を捕らえ損ねて霧散した。
リリファはそのまま客人用の椅子に飛び乗り、更に奥の机に飛び移ろうとして空中で姿勢を崩し、床に叩き付けられた。ミルティアの仕業である。
舌打ちしたリリファが跳ね起き、そこにグラッドが巻き起こした暴風を喰らって奥の机に激突した。
アジャットの張った障壁は、対象の破損を防ぐものであって、対象の移動を妨げるものではない。よってリリファは机と、更にその向こう側の椅子を巻き込んで床に叩き付けられることとなった。
轟音を上げて倒れたリリファに、思わずといったように同情的な顔をしたレーシアを引っ張り、アトルは更に奥へ行った。万が一にでもレーシアに危害が及ばないようにしているのである。
「なんだありゃあ……」
「魔術師怖ぇ……」
周囲で仲間たちが囁き合うのが聞こえる。
リリファが椅子と机を押し退け、ゆっくりと身を起こした。
「いったぁ……」
さすがに無傷という訳にはいかず、彼女は額から血を流している。それをぐいと乱暴に拭うと、リリファは憤怒の声音で怒鳴った。
「嫁入り前の女性の顔に怪我させて、ただで済むと思わないこと!」
しかしリリファは目的を見失っておらず、視線でレーシアの姿を捜している。レーシアの姿を認めると、リリファは声色を一転させて言った。
「ヴァークでうちの馬鹿――ディーンって奴が説明しませんでした? 私たちはあなたをお守り申し上げたい」
レーシアの目がすうっと冷たくなった。「落ち着け」とアトルが囁く。
「確かにあの愚図は色々と失礼をしたようですけれど、考えてみてください。私たちの方がずっと、あなたを確実に安全に――」
ミルティアが撃った魔術がリリファを掠めた。
「今話し中で――」
リリファが不機嫌に眉を寄せたが、アジャットの冷ややかな声にその顔色が変わった。
「止めた方がいいぞ。レーシアさんは今とても、ディーンというきみの仲間に怒っているから」
リリファは「やっばい」と口の中で呟いた。彼女がレーシアを見ると、レーシアもまさにリリファを見ていた。
レーシアが首を傾げ、言った。
「ねえ、そのディーンって人は今どこにいるの?」
「落ち着け!」
アトルがレーシアを一歩下がらせる。
「あああもう、あの馬鹿、拗らせちゃって……」
リリファはわざとらしく頭を抱えたが、すぐにまた顔を上げた。
「ま、それでもあなたには来ていただきたいんですけどね、レーシアさん」
リリファがにっこりと笑った。
「あるべき定めのため、ご協力願いますっ」
アロ・フォルトゥーナの教義を軽やかに言い切って、リリファがリーゼガルトに向かって床を蹴った。
――それは直感であり、違和感であり、危機感だった。
アトルは殆ど本能的に勝手口を振り返っていた。
最初に比べ、レーシアとリリファの物理的な距離は縮まっていた。リーゼガルトはリリファからすれば、レーシアから遠ざかる方向にいたのだ。
それなのにどうして、リリファはレーシアに向かってではなく、リーゼガルトに向かって飛び掛かったのか。
なぜ、アトルに対しただの一度も攻撃をしてこなかったのか。
それどころかなぜ、最初から奇襲という形を取らず、ごく普通に入り口から現われたのか。
もしも彼女の行動の全てが――
アトルの鼻先を、蠱惑的な、それでいて禍々しくさえある毒の匂いが掠めた。
「全員下がれ!」
アトルが叫び、全員がそれぞれ訝しげに彼に視線を寄越し、その中でリリファだけがいっそ面白がるように笑っており。
ミラレークスの四人がアトルを見て思い当たったような表情になり。
そして、勝手口の戸が吹き飛ぶ勢いで開かれ――
突風が、台所のありとあらゆる器具を、そして机を、椅子を、人をも押し遣り、室内を蹂躙して吹き荒れた。
リリファの行動の全てが、陽動だったのだ。
「さあ、レーシアさん」
女性の声が艶っぽく響いた。
「あたくしたちと一緒に行きましょ?」
アトルの行動は迅速だった。現われた女性に向かって躊躇なく銃を乱射し、それを苦も無く防いだ彼女を他所にアジャットに呼び掛けた。
「アジャット!」
敵が二人になったのだ。アジャットも戦力として参戦すべきだった。
女性は褐色の肌をしており、長く豊かな、緩く巻いた黒髪を背中に流している。黒いドレスを身に着けていたが、そのドレスは体型がはっきりと分かるもので、彼女のくびれた腰や豊かな胸など、女性としては満点だろう身体つきを如実に知らしめていた。目鼻立ちのはっきりとした美人で、鮮やかな緑色の目が室内を見て細められた。
「あーら、あらあら」
言って、彼女は右手の指先を赤く艶やかな唇に当てた。全ての爪が柘榴石色に染められている。女性の左手は腰に当てられていた。
「リリファちゃんを虐めてくれちゃって。あなた方、分かっていて? リリファちゃん、随分しどけない格好になってしまっていてよ」
それに、と、彼女は唇に当てていた手をアトルに向ける。
「見ず知らずの女性に向かって発砲するのは褒められたことじゃなくってよ、坊ちゃん」
「うるせえ」
アトルが吐き捨てると、女性は嘆かわしげに頭を振った。
「言葉遣いにも改善の余地ありね。――それで」
女性は両手を合わせ、満面に笑みを浮かべた。
「アジャット、と呼ばれていたわね。あなた、そこのフードの人」
アジャットは凍り付いたように動かなかった。女性は慎ましげに声を上げて笑う。
「あのアジャットなの? ねぇ、どうしてフードなんて被っているの? あなた自慢のお綺麗な顔は見せていただけないのかしら?」
リーゼガルトが明らかに、切実なまでに焦った顔をした。アジャットの表情は分からないが、ぴくりとも動かない。
「……知り合いなのかな……?」
レーシアがそっとアトルに囁き、その囁きを女性に拾われた。
「あーら、レーシアさん。あたくしのことを彼女からお聞きでない? まったく友達甲斐のない人ね、アジャット」
女性は髪を掻き上げた。
「あたくしはディアナ。そこのアジャットの同郷――そうね、幼馴染みといってもよろしくてよ」
ディアナは嫣然と微笑んだ。
「こんな所で会えるなんて、あたくしの運の良さは並外れているわね。まあ何にせよ、話が分かりそうなおつむの方がいて良かったこと」
合わせた両手を顎に添え、ディアナは小首を傾げた。
「ねえアジャット。ここはあたくしに譲ってくださいな」
レーシアにぎゅっと手を握られ、アトルは訝しげに眉を寄せた。
「――なんだ?」
レーシアは答えず、どことなくむくれたような顔をしている。
「――ディアナ」
アジャットがようやっと口を開いた。
「久し振りだったものですぐには分かりかねたぞ――それに、随分と雰囲気も変わったな」
ディアナが本気で目を瞠った。
「――ちょっと、アジャットよね? 本人よね? どうしたの、その芝居がかった口調?」
「そちらに言われたくはない。それと、ディアナ――レーシアさんを譲る気はない」
ディアナの眼差しが冷えた。
「あら、そう?」
ディアナは顎から手を離し、合わせたままの両手の指先に火を点した。青白い炎がちろちろと揺れる。
だが、ここでアトルが黙って成り行きを見守っていられるほど事態は甘くない。そもそも今のレーシアの前で戦闘を繰り広げること自体が望ましくないのだ。――そして、ここはアトルの家なのである。地の利は彼にある。
「アジャット、障壁を解除――」
してくれ、とアトルが言い終える前に障壁が解除され、ほぼ同時にディアナが指先から炎の弾丸を放った。
拳大の炎の塊が連続でミラレークスの魔術師たちを襲う。アトル以外の全員がそれを防ぎ、アトルはレーシアごと身を躱した。炎の術式を防ぐには氷の術式が最適だが、それを使った結果にレーシアの体温が下がることを恐れたためである。
机や椅子が一瞬で燃え上がり、灰燼に帰したのを見て、アトルは思わず顔を覆った。
「……オヤジ、ごめん」
〈インケルタ〉の構成員たちは事務所のことなどお構いなく、命あっての物種と言わんばかりに逃走を開始し始めていた。階上にいた少数の者たちも階段を駆け下りてくる。とはいえ勝手口の傍にはディアナが、玄関に向かうには途中にリリファがいる。そういうわけで彼らは、我先にと窓から外へ出て行った。余裕を残した天晴な身のこなしでどんどん仲間が離脱していくのを、アトルは横目で見ていた。しかしさすがにアレックやゼーンといった保護者格の者たちは逃げかねているようだ。
障壁を手放し、自由になったアジャットがリリファに向き直った。直後、腹に響く音と共にリリファに衝撃波が激突する。リリファはこれを間一髪、大剣を床に突き立て、刀身を盾のようにして防いだが、大剣ごと押されて床に長く太い傷が刻まれる。
グラッドとリーゼガルト、ミルティアが、転倒した椅子や机を乗り越えてディアナとレーシアの間に立とうと走った――だが、ディアナがそれを許さなかった。
ディアナが左腕を大きく振る。ぱしゃん、と清らかな音を立て、透明な水の膜が出現して三人を阻んだ。そこにすかさずアジャットが火球をぶつけたが、水の膜はいとも容易くそれを消し飛ばし、穴すら開かなかった。
「さて、と。レーシアさん――」
ディアナは余裕の滲んだ顔でレーシアを振り返り、顔を顰めた。アトルがレーシアをゼーンの傍まで引っ張って行っていたのだ。
「ちょこまかと!」
ディアナが不機嫌極まりない声で叫び、魔術師の敵意にさすがのゼーンも困惑した顔になる。
「ゼーン親父、こいつを頼む」
アトルは口早に言ってレーシアをゼーンに押し付けた。そして、レーシアの傷付いたような、棄てられた子犬のような顔に物凄い罪悪感を覚えた。
「……ご、ごめん」
レーシアはそれはそれは怯んだ目で傍らの男を見上げたが、首を振った。
「だ、大丈夫」
アトルはレーシアの頭をがしがしと撫で、ゼーンの目を見てぼそりと言った。
「オヤジ、ごめんな。いつか弁償するからな」
そして振り返り、ディアナに向かって指を突き付けた。その指先が淡く光り、先程彼女が放ったものには劣るものの、胡桃大の大きさの火球が数十、ディアナ目掛けて降り注いだ。
逃げ出していなかった〈インケルタ〉の面々――保護者格の者たちから、これまでで最も大きな驚愕の声が上がった。
ディアナは難なくアトルの魔術を防いだが、訝しげに自身が張った障壁の向こう――リリファを見遣った。
「あらぁ? あの子の話だと、あなたは全くの戦力外であるはずなのだけれど?」
リリファも面食らった顔をしている――その顔に、リーゼガルトの撃った衝撃波が命中し、彼女は後ろに倒れ掛けたが踏み止まり、倍の勢いで魔術を返した。
アトルは鼻を鳴らした。彼の意思で、彼の魔力がディアナの足元に金色の魔法陣を描き出す。方形の魔法陣が重なり、密度を増して輝く。
相殺するよりも捌くよりも、避ける方が手っ取り早い。
そう判断し、優雅にドレスを翻して、ディアナが魔法陣の上から自身が張った水の障壁側へと逃れる。障壁は破れる気配もなく魔術師たちの引き続いている攻撃に耐えていた。
ディアナの回避の直後、アトルの魔法陣が輝き、衝撃波を真上へ撃ち上げた。ディアナには掠りもしなかったが、威力は確か――一階の天井、つまりは二階の床に大穴が開いた。衝撃波で砕かれた天井と床がばらばらと降り、大きな破片が床を叩いた。
「狙いがなっていなくてよ」
くすりと笑い、ディアナが指先を軽く振った。稲光が瞬いたが、アトルはそれを最低限の防壁で凌ぐと、もう一度魔術を撃った。
天井の穴に向かって。
ディアナがさすがに訝しげな顔をする。だが〈インケルタ〉の面々は違った。
それこそ血相を変え、罵詈雑言を吐き散らしながら勝手口、あるいは窓から事務所の外へと出て行く。悪口雑言を吐き散らすゼーンに腕を取られたレーシアも、混乱はしていたが素直にそれに従った。
アトルの二発目の魔術は二階の天井、三階の床に穴を穿った。
ばらばらとその破片が降ってくる――いや違う。それだけではない。更なる重器物が空中に投げ出されていた。
武器である。
支えを失い、大量の銃火器が落ちてくる。重力加速を得て、それ自体が凶器となって落下してくる。
事務所をその重みで揺らし、耳を聾する騒音を立てながら銃火器が床に激突し――
「一応これでも指定魔術師なんだよ! 舐めんな!」
アトルの放った火炎の術式が、全く同じ場所で赤い光を撒き散らしながら爆発した。
火炎の術式はそれそのものが、自然界には有り得ない熱量を生み出す。そこに加えて、銃火器に仕込まれた火薬が引火した。
形容し難い音を立て、炎が何倍にも膨れ上がった。
爆心地に近い場所に立っていたアトルは、そもそもこの事態を招いた張本人だ。誰よりも早く防壁を張り、炎の熱から自分自身を遮断した。しかし更に爆心地に近かったディアナは咄嗟のことに対応が遅れた。
防壁を一から作り出すよりも早く、本能が水の障壁を炎に向かって倒れ込むような形で崩させた。水蒸気が濃霧のように視界を覆う。だが炎は収まらない。なぜならば、たった今まで水の障壁が遮断していた空気がどっと流れ込んで来たからだ。
炎が酸素を舐め尽くすように燃え、身を躍らせて建物を蹂躙しに掛かる。だが、寸でのところでアトルが渾身の力で障壁を構築した。炎を覆う円蓋の形に展開した障壁を、徐々に徐々に縮めていく。そしてその障壁の内側にディアナがいた。
炎に巻かれて数瞬、ディアナが己を包む氷の鎧を形成した。揺らめく炎に巻かれて何も見えない。幾らか煙を吸い込んだのか、げほげほと咳が出た。
ぱちぱちと炎が爆ぜる音がする中、リリファの焦ったような声や、ミラレークスの魔術師たちの怒鳴り声が聞こえてくる。
「――これはもうさすがに」
ディアナは咳き込みながら言い、顔を上げて魔力を練った。
「おいたが過ぎてよ!」
氷点下の魔力が渦を巻き、六方晶を描き出しながら事務所内の温度を氷柱が下がるほどに下げた。アトルの障壁が崩れ、炎が消し飛び、吐く息が白く染まる。
アトルは僅かに目を見開いたが、すぐに次の魔術を放った。
彼の周囲で小さな魔法陣が幾つも浮かび、雷光を散らす。
アジャットがリリファを押さえ込み、その間にミルティア、グラッド、リーゼガルトがアトルに加勢する形で同じ術式を編み出した。
半壊した部屋の中で小さな魔法陣が幾つも浮かび――
ディアナは己を守る防壁の準備を始めた。いつ相手が魔術を放つのか、その一瞬を見極めるために集中する。自分が展開した術式ではあれ、この部屋の気温をすぐに元に戻し、なおかつ全ての水分をを除去するのは不可能。先程自分を包んだ氷の鎧の残滓もあって、雷の魔術は致命的に働くだろうと考え、アトルたちの魔術を防ぐべく、魔法陣一つ一つに注意を払う。
ばちん、と弾けるような音がして、アトルが魔術を撃ち出した。
魔法陣を起動させたのではない、魔術を撃ち出したのだ。それは単純な熱閃を呼ぶ術式だ。勿論ディアナはそれを軽く弾く。
防壁を早めに張ってしまえば、そこからは守勢に回ることになってしまう。攻撃のために一度張った防壁を解除するのは、単なる魔力の浪費だ。だからこそ、ぎりぎりまで防壁を張らずに戦うのが、魔術師の基本的な戦闘方法である。
それゆえ、ディアナは熱閃を弾いた。守るのではなく、弾いたのだ。
ミルティアが衝撃波を撃ち出す。ディアナはこれも弾いた。次にグラッドが風の刃を飛ばす。
どれも、弱いとは言えないまでも、全力で防がねばならない攻撃ではない。しかも本命の攻撃であると分かる魔法陣の群は目の前にあるのだ。
ディアナは警戒を強めた――こうして、言わば「どうでもいい」攻撃を連打した後の隙を突かれると思ったのだ。
そのように身構えたディアナの目が見開かれる。
宙に浮かぶ無数の魔法陣が輝き始める。だがその標的は自分ではなく――
「えっ、うそっ!?」
リリファが焦りの声を出し、アジャットから逃れ、雷の魔法陣からも逃れようともがく。
「待っ――」
ディアナは覚えず一歩走り出し、それと同時にアジャットがくるりとディアナに向き直り、掌を翳した。
その掌が煌々と輝く。
目の前に滑らかな氷の円盤が形成されるのを見て、ディアナは己の読みの甘さを悟った。
魔法陣から吐き出された全ての雷光がリリファに向かって迸り、――アジャットの作り出した氷の円盤に反射され、ディアナの身体に突き刺さった。
貫かれるような痛みを覚えたのを最後に、ディアナは意識を失った。




