02 サラリスが残したもの
ケルティに入った馬車は、そのまま〈インケルタ〉の事務所に向かった。
アリサたちは慣れない面々との行程で明らかに疲れており、町の城門を潜ったときにはかなり嬉しそうだった。
一方のアトルは、以前レーシアがゼーンに怯えていたことを思い出し、予め「〈インケルタ〉のオヤジたちはかなり強面だけど怖くはない」だとか、「絶対大丈夫だから動揺するな」とかと言い聞かせていた。レーシアはそれにいちいち頷いてはいたが、顔は確実に強張っていた。
いざ事務所の前に馬車が停まると、レーシアはアトルの袖を掴んで言ってきた。
「やっぱりここで留守番を――」
「宝樹玉ってやつの見た目はおまえしか知らねえだろうが! いいから来い、何もねえから! あったところで守ってやるよ!」
正論を怒鳴ったアトルをじっと見て、レーシアは覚悟を決めたように頷いた。おっかなびっくり馬車を降り、事務所を見上げてぼそりと呟く。
「――すごくまともに見える――」
「喧嘩売ってるの?」
思わずというようにシェラが言い、アトルがレーシアとシェラの間に入って彼女を宥めた。
「悪気がある訳じゃないんだ」
事務所はアトルの記憶にある通りにがさつで騒がしい、親しんだ空気が流れる場所だった。
一階には来客用の椅子が置かれ、依頼を受けるための大き目の机が鎮座している。その奥で、〈インケルタ〉の面々が思い思いに寛いでいた。依頼から戻って来たばかりの者や、今から依頼に出ようとしている者たちだ。
レーシアは及び腰になったが、アトルたちにとっては実家であり、アジャットたちはこの程度で怯むような根性の持ち主ではない――グラッドだけは、レーシアと同じように腰が引けていたが。
「オヤジー、戻って来られたよー」
アリサが堂々と帰還を告げ、直後どっと歓声が上がった。
「アリサ! デリック! ラッカー! シェラ! 良かった、無事だった!」
ジャスミンが叫んで飛び付いて来る。ちなみにアトルは最後尾でレーシアを宥めすかしていた。
「ゼーン親父! アリサが戻って来たよ!」
「すげえ、よく逃げられたなあ」
「そいつら誰だよ?」
「そいつら」つまりアジャットたちは僅かにアトルを振り返る素振りを見せた。アトルは取り敢えずレーシアから離れ、前に出る。
「この人たち、俺の連れ」
一瞬、事務所が静まり返った。
そして次の瞬間、うおおお、と歓声が上がる。
「アトルだ! 餓鬼どもが揃ったぞ!」
「久し振りだなあ、背伸びたか?」
「宝国に行かせて以来だもんなあ」
「ちっ、賭けは俺の負けかよ」
最後に聞き逃せない科白があったものの、アトルは笑った。
「おう、久し振り。――なあ、宝国から持ち出した荷物ってどこにあんの? 三階?」
ざわり、と面々がどよめき、奥から現われたゼーンが眉を寄せて、言った。
「なんでまたあんな物を?」
「要るんだよ」
アトルは端的に答え、振り返ってレーシアを引っ張った。
「で? 三階なのか? ここにあるってアリサたちに聞いたんだけど」
レーシアの姿を視界に捉えたゼーンは、それはそれは深い溜息を吐いた。
「――その子がいるってことは、また追っ掛けられるってことか?」
「心配ない、こちらで対処する」
アジャットが素早く答え、至極真面目に頭を下げた。
「どれくらい前だったか――半年程前かな? 一度お会いしたと思う。その節は色々と失礼もあったと存じ上げる。申し訳ない。アトル青年にも勝手に同行いただいて」
「そうよそうよ」
アリサとミーシャが声を揃えた。だがゼーンは肩を竦めただけで頓着せず、片手をひらひらと動かした。
「三階にあらぁ」
「ありがとうな!」
声を弾ませて、アトルはレーシアの腕を引き、階段に向かった。その場にいたほぼ全ての男性がレーシアを見た。
レーシアは及び腰ではあったものの、周囲に興味はあるらしく、アトルに引っ張られながらも好奇心の覗く瞳で周囲を見ていた。
二階には更に〈インケルタ〉の面々がおり、久し振りに戻って来た――生死も危ぶまれていた――アトルとの再会に歓声を上げた。
「アトルじゃねえか!」
「死んだと思ってたわよ、生きてたの!」
「アリサが寂しがってたぞー。そのアリサも捕まったけどな」
「ああ、アリサなら俺と一緒に戻ったぞ、下にいる」
「マジで!?」
遠慮なく話し掛けてくる強面の男たちと雰囲気の厳しい女たちに、レーシアが怯んだようにアトルの手を握る手に力を込め、それに気付いたアトルはさりげなくレーシアを庇う位置に立った。
「悪い悪い、話は後でな! 上に用が――」
「んだよ連れねえなあ」
文句のようなことを言いつつも、必要以上にしつこく絡む者はおらず、アトルはそのままレーシアを引っ張って三階に上がった。
目的の荷物は部屋の隅に山積みにされており、その周囲にわんさか積まれた武器の類にレーシアが目を丸くした。
「すごい……」
「そっちはいいだろうが」
アトルは言って、荷物の前にレーシアを連れて行く。
「それで、宝樹玉ってやつの見た目は?」
レーシアは人差し指と親指で円を作った。
「これくらいの大きさの宝石。色は玉虫色」
櫃と箱と時計を見上げ、アトルは言った。
「箱から探すか……」
念動系の魔術を使いながら、積み上げられていた箱を下ろし、蓋を開けて中を改める。
最初の箱には革袋に入れられた大量の紅玉と金貨が入っていた。袋から零れた紅玉と金貨が箱の中で溢れ、目に眩しい景観を作っている。
次の箱にはぎっしりと本が詰め込まれており、歳月がもたらした風化によって、最早読める状態ではなくなっていた。次の箱には緩衝材である布と、陶器の器が複数入っている。
それらを見て、アトルは否が応にも、今でも腰の道具箱に入っている「サラリス」の手紙の文句を思い出していた。
――お詫びに、この部屋にあるものを全て差し上げます。どのくらいの価値があるかは分かりませぬが、セゼレラのものだと謂えば価値が付加されるでしょう。
「サラリス」は本気でそのつもりで、あの部屋に、レーシアと共に価値のあるものを残したのだ。
レーシアは別の箱を漁っていたが、眉を寄せて呟いた。
「ないね……」
「なくて堪るか」
アトルは向きになって言い返し、次の箱を引っ繰り返した。丁寧に畳まれた絹が床に広がり、レーシアが力なく笑う。
「綺麗なんだけど」
「ああもうっ、次だ!」
アトルが次の箱を開ける。中には宝石箱が二つ入っており、指輪や腕輪が箱の中に散らばっている。慌てて放り込んだかのようで、品物が傷付くことは考慮されていない。
宝石箱を開けると、片方には重厚な意匠の白金の首飾りが入っており、もう片方には布の包みが入っていた。包みを手に取って開いたアトルは叫んだ。
「レーシア! これじゃねえのか!?」
まさにレーシアが表現した通りの物が五、六個、布の包みの中にあったのだ。ただし幾つかは欠けており、球体ではなくなっている。
レーシアがアトルの手元に目を向け、大きく頷いた。
「それ!」
「よっしゃ! ――で、これをどうすんだ?」
アトルが訊くと、レーシアは安心し切った満面の笑みで答えた。
「飲むの」
アトルの目が点になり、彼は手元の宝樹玉をじっと見つめた。
「――丸ごと?」
「オヤジー、台所貸して」
アトルは一階に下り、手近にいたアレックに声を掛けた。そのアトルの後ろを歩くレーシアはまだ笑っていた。
「丸ごとって――丸ごとって――」
「黙れって」
アレックはその遣り取りを見ながら頬を掻く。
「あァ? 別にいいが?」
「ありがとな」
宝樹玉の包みを両手で持って肩を震わせるレーシアの頭を軽く小突き、アトルが台所に向かいながら言う。
「おまえが当然みたいな顔で飲むとか言うからだろ? 何だよげらげら笑いやがって」
「だ、だって」
レーシアは笑いを堪えようとして顔を歪めた。
「あんなきょとんとした顔で――丸ごと? って」
あははは、と声を上げてまた笑うレーシアに、アトルは渋い顔をした。
「うるせーなー……」
一階にいたアジャットたちは、来客用の椅子に行儀よく座っていたが、アトルたちが姿を現したのを見て腰を浮かせた。
「あったのか?」
「ああ」
アトルは頷き、未だ笑い続けるレーシアを一瞥した。
「これから飲むんだと」
ミルティアが首を傾げ、レーシアの手の中にあるそれをじっと見て、呟いた。
「――丸ごと?」
レーシアが大爆笑した。
笑い続けるレーシアをアトルが台所に引き摺って行った。
台所は水を引く関係で一階に造られてはいたが、分類で言えば二階の、〈インケルタ〉の構成員の居住区である。
アトルは戸棚からすり鉢を取り出し、不満解消のように力を込めてごりごりと宝樹玉の一つを潰し始めた。宝石のような感触であった宝樹玉は、実際にはかなり脆いらしく、呆気ないほどに素早く粉々になっていった。隣でその様子を見るレーシアはのほほんとした声を上げた。
「アトル、すごい。手早い」
「うるせえ」
ごりごりと擂り粉木を動かしながら、アトルは台所の隅を顎で示した。
「これ、このまま飲むんじゃないだろ? 水ならあっちにあるから」
レーシアは首を巡らせ、勝手口の傍に水瓶を発見した。水瓶には大都市ならではの上水管から水が流れ込んでおり、溢れた水は床に刻まれた溝を伝って排水されている。
百年前では家の中に水道が引かれていることなどまずなく、あるとすれば王宮の中くらいだった。レーシアは過ぎた年月の重さに一つ首を振り、ブリキで出来たコップを一つ手に取ると、水瓶から水を汲んだ。
アトルが手を止め、すり鉢を傾けてレーシアに見せた。
「こんなもんか?」
レーシアはそれを覗き込み、大きく頷いた。
「うん!」
小さ目の匙ですり鉢の中の粉を掻き集め、口に運んだレーシアは、さながら粉薬を飲むときのように顔を顰めて水でそれを飲み下した。不味いのか、とアトルが訊けば彼女は猛烈な勢いで頷き、言った。
「アトルは絶対飲んじゃ駄目だからね。〈器〉じゃない人だと死んじゃうから」
残った宝樹玉はアトルが道具箱に仕舞う。そうしながら、アトルはレーシアを窺った。
「――大丈夫か?」
レーシアは口の中に残る味に顔を歪めていたが、訊かれてにこりと微笑んだ。
「ちょっとは楽になったよ。大丈夫」
「……良かった」
レーシアは鹿爪らしく続ける。
「また辛くなったら言うから、そうしたらまた宝樹玉を飲ませてほしい」
「おう」
レーシアが両手でコップを弄んでいるのを見て、アトルがそのコップを取り上げ、水瓶の水で軽く濯いで調理台の上の適当な位置に置く。
「よし、戻るぞ」
アジャットたちのところに戻ると、魔術師たちは相変わらず来客用の椅子に腰掛け、見事に周囲から孤立していた。
アジャットは端から気にしているようには見えず、リーゼガルトはつまらなそうにしている。グラッドはいっそ周囲に申し訳なさそうにしていたが、ミルティアは逆に周囲を馬鹿にしたような目で見ていた。
「済んだのか?」
アジャットが言い、立ち上がった。アトルが頷くと、続いて全員が立ち上がる。
「じゃぁ支部に行きまショ?」
ミルティアが言い、アジャットがフードを更に深く下ろしながら頷く。
「そうだな。応援を呼ばなくては」
事務所の扉が開き、冷気が滑り込んで来た。
奥の方から「いらっしゃーせー」という声がし、直後、威勢のいい女の声が響いた。
「追い着いたぁ!」
長い金髪を下ろし、線の細い印象ながら大剣を背負った、二十を幾つか過ぎた年頃の女が、その青い目をきらきらと輝かせながらレーシアたちを見ていた。




