02 荒廃の都
宝国の旧都、レンヴェルトは噂に違わぬ荒廃ぶりだった。
アニムスたちが無数に浮遊する。その青白い光の中に時折虹色が閃く不安定な姿は、アニムスの例に漏れず、生前の行動を反復しているか、生前の執念を成し遂げようとしている。
『ああ、アーシャット。いつもありがとう、それはそこに置いておいてくれ――』
『お客様のことを聞いたかい? あんなにお綺麗で、この国を気に入ってくださったのなら名誉なことだねえ――』
『お母さんお母さん、お母さん、どこ、どこにいるの?』
『なんでこんなことになったんだ、返せ、返せ、誰がこんなことを――』
『そこの花はこっちだよ。丁寧に扱っておくれよ、売れなくなっちまう――』
『手を出すな。手を出すな。この先に進むな――』
『頼むからもうそっとしておいて差し上げろ!』
見上げればカエルムが威嚇の声を上げ、トニトルスが槍を構えている。集団になられない限りは何とかなるが、集団で襲われれば逃げられるかは五分である。
幾度か襲われ、その度に殆ど総掛かりで対処して距離を取り、群で寄って来られないうちにさっと身を隠してやり過ごす、この繰り返しだった。知性はあるらしい生命体だが、意思の疎通は不可能なのだ。ただし、人間を見ればまず間違いなく襲ってくる。
オヤジたちはレンヴェルトのすぐ外で待機しており、いざというときには、一つ数万ガルドするアルナー山脈産の水晶に光の魔術を仕込んだものを投げて合図すれば来てくれるらしいが、「これがいくらするか分かってんだろうな……ミスで投げたら殺す」という出発間際の科白が、ばっちりアトルたちの手枷となってそれを入れた袋から手を遠ざけていた。
王宮は廃れ切っていた。旧都の様子もひどいが、王宮はそれ以上だ。
倒壊した建物が散乱し、傾いた家々の間を伸びる雑草の生い茂った通りの果て、錆びて傾き、蔓に巻かれる鉄の巨大な門――それが広大な王宮の始まりである。どのくらい広大かと言えば、レンヴェルトの中央区は丸ごと王宮に占められているくらいだ。
王宮に入ると、アニムスやカエルム、トニトルスの威嚇と攻撃、それに出現さえもがぴたりと止んだ。
「なんか怖いなんか怖い」
ミーシャが幾度となく呟く。
宝国に入る、誰もが緊張するあの一瞬、彼女は誰よりも平気そうにしていたのに、いざ荒廃した旧首都に入るとこれだ。ひしゃげた窓枠に乗る鼠の目が光ったというだけで及び腰になっている。しかしながら、そこらを浮遊し、時にはこちらに手を出してくるアニムスには無反応である。
門を入ると荒れた――などという生易しい言葉では表現できない、腰まで伸びた雑草に埋め尽くされた、かつては庭園だったのだろう場所を通る。高い城壁は曲線を描いて城を囲っているはずだが、直線に見えるほどに規模が大きい。
幾つもの倒壊した建物や、内部まで雑草に浸食された建物を横目に見ながら通り過ぎると、階段に行き当たる。
この階段がちょっと笑ってしまうような代物だった。
この王宮は、二重の城壁に守られているが、その肝心の中心部、王宮の本宮がある部分とそれを守る城壁は「遠距離魔術で狙ってください」と言わんばかりの丘の上にあるのだ。尤もそれは、いかに狙われようが防御し切るという自信があっての構造だったのだろう。事実、百年戦争以前に宝国が王宮を侵略された例はない。
本宮とそれを守る二番目の城壁、その他諸々の高級建物群がある丘は、少し見上げるような高さにあり、その斜面は全て階段に覆われているのである。ぱっと見には、階段で丘が作られているようにも見えるほど。
段差は小さいものの、その段数は半端ではない。かつては敷石がしっかりと敷かれていたのだろうが、今となっては見る影もなく、敷石は剥がれ、砕け、破片が散らばり、歩きにくいことこの上ない。
「オヤジたちの悪意をひしひしと感じるな……」
アルディが呟いたが、先頭に立っていたアトルは振り返った拍子に気付いた。
月光に照らされた廃墟の都市の、儚いまでの美しさ。しんしんと闇を湛えていながら、白い光に照らされる石材の、影を落とす優美さ。かつて栄えた都市に漂う、醸すものもないはずの寂寥。
宝国も樹国も、百年戦争以前には他国と同じように国民がいた。それが、両国の首都壊滅と共に失われてしまったという、未だ学者でさえ首を捻る史実があり、現在に至る。
階段は果てしなかった。意地で口には出さない男どもと違い、堂々とそれを主張出来る女性陣は、三分の二を登った辺りから、「脚が痛い……」「疲れた……」と零し始め、登り切った瞬間には辺りの様子を見ることもなくしゃがみ込んでいた。
階段を登り切ったところには、のっぺりとした城壁がある。白っぽい石で作られた城壁は、さすがに所々崩れており、城門を探すまでもなくそうした所から侵入するのが早いだろう。足元にはやはり剥がれた石が散乱する石畳の道が敷かれており、城門の方へと続いているが、アトルたちはそれをきっぱりと無視して城壁の綻びに近付いた。
中を覗くと、綺麗な立方体の建物と、それを取り巻く小さ目の建物が見える。城下や城壁の外と比べ、建物の損傷は少ないようだ。
「あれが本宮だな」
アトルは顎で立方体の建物を示した。
「じゃ、あそこが目的地ね、行こうか」
アリサが引き継ぐようにして言い、先頭を切ったアトルに続いた。
雑草の類も少ない。戦火に焼かれたのだろう、派手に倒壊している建物はあるが、歳月に負けて倒壊したように見える建物はない。
「――妙だな……」
アトルは呟いたが、今回の依頼はこの奇妙な現象の探求ではないので、敢えて無視するより外はない。
本宮は焼けてもおらず、ほぼ当時のままだろう外見を保っていた。入り口は堂々たる両開きの巨大な樫材の扉で、金色の装飾が施されている。
「よし、開けるぞ」
アトルは言い、扉を開けた。扉は音もなく滑らかに開き、アトルはさすがに怪訝な表情を隠せない。
「ん、どした?」
アルディが問い、アトルは扉を押さえながらも眉を寄せ、答えた。
「いや……普通、百年も前の扉なんて蝶番が錆びて動かなくなると思うんだが」
きょとん、とアリサが首を傾げる。
「そんなの、誰かが現状維持魔法掛けてるんじゃないの」
「そんな高等魔術を維持してたら寿命は半分になるっての。ついでになんで掛け続けてんだよ、百年以上続けるとか、どんな家業だ」
突っ込んだアトルは、はあ、と溜息を零し、いかにも紳士な様子で他の連中を先に通し、最後尾に着いた。さっきまで二番手にいたアリサがなぜか最後尾から二番手になっていたことについては、もう何も言うまいと唇を引き結ぶ。
中に入り、明かりを灯す。仕事柄夜目が効く彼らではあっても、夜中の建物の中で物をはっきりと見るのは至難の業だ。先頭のアルディが角灯を持った。全員が一応小さな角灯を腰からぶら下げている。魔術が発達し、アルナー産水晶が市場にも出回っているとはいえ、やはり灯りとして多く使われるのは火である。
魔力を持っている人間は多くいるが、魔術師になれる可能性があるほどに大きな魔力を持っている人間は少ないし、きちんとした魔術師に師事して技術を身に着け、魔術師となれることは更に稀なのだ。
純粋な魔力は「純然たる力」であり、どんなに微弱であろうと宿主の生命の危機には反応し、ちょっとした火花を散らすくらいはする。しかし微弱ゆえに、意思の力に負けることが多い。
つまり宿主が「使おう」と思えば思うほど、その意思に圧迫されて消えてしまうのだ。
一方で魔術師級の魔力は強く、意思の力を逆に吸収できる。「使おう」と思えば思うほどに威力が増すし、意思の力を吸収するからこそ、属性を付与して術式に当て嵌め、魔術として行使できるのである。
属性は元素系と念動系、精神系に分けられる。魔術師それぞれで得意不得意があるのが自然だが、近衛に所属している魔術師ともなると、どれも問題なく使えるらしい。
ここにいる九人も、デリックとミーシャ以外には魔力が備わっている。魔術師級の魔力を備えているのは、アルディ、シェラ、アリサ、アトルの四人だ。しかし四人が四人とも、訓練も受けたことがないので、魔術の「マ」の字も使えない。
ゆえにこんなとき、格好良く「よし俺(私)が何とかしよう」なんて言い出せないのだ。
先頭から順番に沈黙が広がっていく。何とも言えない顔の九人は、揃って「おまえ何か言えよ」という視線を送り合う。
簡単に言ってしまえば、中は酷かった。
元は豪奢だったのだろう玄関ホールは、絨毯さえも引き裂かれている惨状を晒している。荒らされた、などというものではない。これは最早、家探しされ略奪されたという感じの荒らされ具合だ。
「――回収するの、何だっけ……」
呆然とシェラが口を開き、レアルがオヤジたちから渡された依頼の詳細を記した紙を慌てて取り出して開き、覚束なげに口にした。
「櫃、箱、時計の類」
「ねえだろンなもん!」
ラッカーが叫んだ科白が、全員の心境を如実に表していた。
櫃――被せ蓋がついた箱のことだ。脚はあったりなかったりするが、用途は一つ、物を入れること。箱の用途も同じであり、まともな強盗であれば、まず真っ先に盗み出すもの。ここまで荒らされている宮殿内に、残っているはずがない。
時計――時を計るため、数百年前に開発されたもの。日時計や水時計などもあるが、これらは移動不可能なため、持ち出すのは後々に開発された、懐中時計や少々頑張って置時計、掛け時計の類になる。高く売れるものの代表格だ。櫃や箱と同じ原理で、残っているはずがない。
「でも取り敢えず探さなきゃ」
ミーシャが穏やかに言い、九人分の溜息が床に零れた。
その床にも、埃が積もっていない。
――つくづく妙なことだった。
地下から見て回るということになった一行は、地下への階段を探して入ったが、空気が澱んですらおらず、さすがに気味が悪くなってきた。
地下も見事に略奪済みであり、価値のありそうなもの――櫃、箱、及び時計の類を含む――は一切なかった。
次に最上階である六階へと上がったが、妙なことがある。地下も一階も年月を感じさせなかったというのに、三階から一階層上がるごとに、周囲が廃墟に近付いていくのだ。
そして最上階、アトルは最後尾に引っ込んでいたが、最初の部屋の扉を開けるまでにかなりひやひやする瞬間があった。
床が今にも落ちそうに軋む。柱が呻く。窓は既に割れており、風が吹き込んでは不気味な音を立てる。
そして最初の扉を開け、その空気の動きで舞い上がった埃をわんさか被ったアルディは、アトルをじとりとした目で見ることとなったわけである。
このアトルという青年、腕っぷしで言えば中の上というところであり、その上をいく者は多くいる。しかしながら、目端が効くというか目敏いというか、とにかく機転が利き、悪い言い方をすれば小賢しいところがある。
この番地は間違いなんじゃないかとか、そういった掛け合いをした後、みしりという音が聞こえた気がして全員が押し黙った。
みしり、みしっ、みしみしっ。
気のせいではない、全員確信は同時であり、はっと顔を上げるのも同時だった。
そして、亀裂が入り、砕けながら落ちてくる天井を見て、九人仲良く悲鳴を上げたのだった。




