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12 「――サラリス?」

 レーシアを腕に抱え、しっかりと彼女の存在を確かめながら、アトルは驚き切った瞳で見られることに耐え切れず、視線を外してレーシアを見た。

 同時に、本当に彼女を取り返せたのだと、胸の詰まるような喜びが鮮烈に溢れるのを感じる。


「ほら、おまえも会ったことあるだろ……。目を覚ましたときに」


 レーシアは薄青い目を瞬かせ、アリサたちを見てからその目を大きく見開いた。


「ああ、そう言えば」


 そこでまた、レーシアは咳き込んだ。

 アトルが慌てた顔をしたが、レーシアはすぐに顔を上げると、確認するように問い返した。


「セゼレラに、入った人たち? アトルと一緒に」


「そうだ」


 アトルは答え、アジャットとミルティアに軽く頷いた。

 ミルティアが地下牢から出て先頭を行き、アジャットがそれに続く。

 レーシアを抱えたアトルもそれに続きながら、軽く背後を振り返った。


「来いよ、アリサ。デリックもシェラもラッカーも」


 四人は顔を見合わせ、アトルに続いた。

 アトルは首を傾げて訊く。


「なんでおまえら捕まってんの? オヤジたちは?」


「いなかったのよ」


 シェラが憤りを籠めて言った。


「信じられる? あの超危険な荷物があるのによ? 事務所に私たちだけを残したの。で、ここにいる連中が来て捕まって――オヤジたちも途中で戻って来たんだけど、魔術師には対抗できなくて」


「アトルは何してたの? っていうかあの怪我――よく治ったわね!」


 アリサの問いに、アトルははは、と短く笑いを零す。レーシアを出会った日、彼女を庇って受けた傷は確かに致命傷だったが、封具の力とアジャットたちの尽力のお蔭で完治したのだ。


「俺はまあ……色々だな」


 レーシアにまつわる事情を話すのを躊躇い、アトルは半端な返事をした。デリックがにやにやと茶々を入れる。


「その子ともすんげー仲良くなったみたいじゃねえか。やることやってんの?」


 レーシアが訝しげに首を傾げた一方で、ミルティアが呆れたように瞳を回し、アジャットがごふっと咳き込む。

 アトルは真顔で、力を込めて断言した。


「そういうのじゃねえから」


 ちょうどそのとき、殺気を感じてアトル以下〈インケルタ〉の面々が正面に顔を向けた。


「アジャット」


 アトルが注意を促し、アジャットが前に出る。アトルは逆に下がって、万が一にもレーシアに被害が及ばないよう心を配った。

 アジャットは敵の姿を確認するや、ここに来るまでより数段容赦のない攻撃を相手に放った。僅かでも気温を上げ、レーシアの負担を減らそうとしているのか、放った魔術は元素系、火炎。

 極めて高温の白い炎が奔流となって相手を襲う。


「レーシアさんにあんな仕打ちをして――。精々消し炭にでもなるがいい」


 低く呟かれたその言葉に、アリサたちの顔が微妙に強張った。それはあるいは、見たこともないような規模の魔術に対しての強張りだったかも知れない。


 アトルは腕の中のレーシアの様子を確認した。行く手を凝視している彼女がディーンを捜していることは明らかだ。更に言えば、この騒ぎが階下で起こって、ディーンが姿を見せない訳もない。


「レーシア、自重しろよ」


 囁くと、レーシアはアトルに視線を移し、こくりと頷いた。

 だがちょうどそのとき、行く手――地下通路からの出口にディーンが現われた。余りの間の悪さにアトルは悪態を吐き、レーシアを抱き上げた腕に力を込める。


 ディーンは一瞬、絵画のように動きを止めて七人を見た。そしてレーシアを見て、大きく目を見開いた。


「レーシアさん――」


 アジャットとミルティアが同時に魔術を放った。ディーンはさっと身を躱し、声を張り上げた。


「失礼をお詫びいたします、しかし――!」


「――黙れ」


 低い声が言った。間違いなくレーシアの声だった。


 レーシアは声を荒げはしなかったが、凍り付くほど冷たい視線でディーンを見据え、いつもの彼女からは想像だに出来ない低い声で繰り返した。


「黙れ」


 さわり、と彼女の濃紺の髪が騒ぐ。そこにぱちぱちと火花が絡むのを見て、アトルは咄嗟に後退った。

 無論、それでレーシアとディーンの距離も開く。アジャットがさっとレーシアとアトルの前に立ち、レーシアの視界にディーンが映らないようにした。

 アジャットとミルティアが更に連続して魔術を放ったが、ディーンはそれを悉く受け流した。軌道を逸らされた魔術が、石の壁を穿ってぱらぱらと砂塵を零した。


「あたしがぁ足止めしてたぁあの蛇のおっさん――来たら、レーシアを庇いながらじゃぁやばいヨ」


 ミルティアがそっと囁く。ディーンもベルディも、明らかに手練れ――それも、戦闘に特化した手練れだ。勢いやアジャットの魔力量で押し切るのは厳しいだろう。

 状況は分かっていないだろうが、アリサたちもどことなく不安げにしている。


 一方のディーンも、奥にいるレーシアを傷付けることを恐れ、迂闊には手を出せない。アトルたちも、地上に通じる道を押さえられ、二進も三進もいかない状況だ。


 レーシアはアジャットの背中に遮られ、ディーンを見られなくなったからか、アトルの肩に頭を預け、目を閉じた。落ち着こうとしていることが分かる、強張った表情をしている。


 靴音が響き、ベルディがディーンの後ろに姿を現した。ミルティアとの戦闘で傷を負ってはいたが、動きに支障が出る程のものではない。ミルティアが早々に足止めを中止し、地下へ向かうアトルたちに合流したからだが、こうなってはそれは判断を誤ったと言わざるを得ない。手練れの魔術師が二人、揃ってしまったのだ。


 アジャットが耳飾りを弾いた。通信の魔術を使い、指示を撤回してリーゼガルトたちを呼び寄せようとしたのだろうが、すぐに舌打ちを漏らす。どうやらこの教会内から外部に連絡を取ることは不可能らしい。

 ――援軍を呼ぶ道が断たれた。


 その場の空気が膠着した。


 ベルディとディーンも、構えてはいるものの、レーシアの無傷での確保を優先しているのか、動く気配がない。アジャットたちも魔術を控えた。

 アトルが魔力を使い切っている今、戦力として数えられるのはミルティアとアジャットの二人だ。

 二対二で、しかもレーシアを庇いながらとなると、不利は否めない。無駄撃ちして魔力を浪費することは愚かなことだ。


「…………」


 ベルディとディーンが目を見交わす。それからディーンが注意深く言った。


「降伏は、しないか?」


「愚問だ、しない」


 アジャットが即座に答え、静かに防壁を築き始めたが、それをベルディかディーンかのどちらかが、やんわりと、だが確実に阻もうとする。

 ミルティアがアジャットに加勢する形で防壁を構築しようとするが、うっすらと輝く透明な防壁は、腰ほどの高さの宙で構築され始めては縮み、広げられては縮み、一向に防壁としての用を為さない。

 ミルティアが苛立ったように爪を噛む。


「鬱陶しいぃ……!」


 まるでその声が合図であったかのように、ディーンたちの背後、教会の礼拝堂に通じる扉辺りで何かが光った。


「――――?」


 レーシアがはっと顔を上げた。アトルが条件反射で「どうした?」と訊くよりも早く、状況が変わった。

 橙色を帯びた金色の光が迸り、撓り、ディーンたちを背後から襲った。

 予期しない攻撃に、驚愕をその面に張り付けてよろめいた二人が振り返る。その瞬間、防壁を破棄しアジャットが熱波を二人に叩き付けた。


 二人がまともにそれを受け、僅かながら吹き飛んだ。だがすぐさま体勢を立て直し、風の術式でアジャットたちを後退させようとする。

 ごう、と風が唸った。だがそれは長く続かない。強制的に緩められたように、徐々にその威力を落としたからだ。――術式相殺。


 ディーンとベルディの顔を、鮮やかに恐怖が彩った。


 術を行使した本人である彼らには分かったのだ。その術式相殺が、術式を解き、逆の事象を指定する魔術によってもたらされたものではないと。全てが力押し――術式が捌き切れないだけの魔力を強引に押し付けることによってもたらされたものだった。


 ベルディが怯えた声で呻いた。


「まさか――」


 レーシアがそっと手を伸ばし、半信半疑の、戸惑ったような声で、躊躇いがちに呟いた。


「……サラリス?」


 また光が瞬いた。キン、と冷えた音がして、ディーンとベルディの脚を氷でできた蔦が絡め取る。


「違う! そんなはずは――」


 ディーンが声を張り上げると同時、三度光が瞬いた。


 花が咲いた。

 光が象った花がその蕾を優雅に開き――爆発した。音のない、凄まじい光量を撒き散らす爆発。影すら奪って視界を白く染め上げる、典雅かつ凄絶な爆発だった。


 真っ白になった視界に、アトルは一瞬、白いドレスを身に纏い、手を身体の後ろで組み、長い銀色の髪を揺らして向こうへ歩いて行く、女性の姿を幻視した。


 そして今度は光の花の爆発の残滓から生じるようにして、あちこちで一斉に小さな花が咲いた。それらは漆黒の――光を吸い込んで黒々と咲く花だ。


 視界が回復する。しかしそれはアトルたちだけのようだった。ディーンとベルディにその様子は見えない。


「――行くぞ!」


 アジャットが叫んだ。ディーンたちは無論足止めしようとする、だがレーシアに当たる事を恐れて魔術を撃てない。

 辛うじて、自らの身に防壁を纏わせ、アジャットたちの去り際の攻撃に備えたが、それだけだ。


 アジャット、ミルティア、レーシアとアトル、アリサとデリック、ラッカーとシェラが次々に地下通路の最後の数メートルを駆け抜けて地上に出る。勢いそのままに、礼拝堂に通じる扉に駆け込み、そのまま反対側にある、外へと続く扉に殺到した。


 最後にアトルたちを救ったあの魔術。一体誰がしたことなのか見当も付かないが、


 ――……サラリス?


 レーシアの声が耳に残っていた。


 この近くにいるのか、陰から見ていたのか、そう思うが、それにしてはレーシアが喜んだり――会いたいと騒ぐ気配がない。ただアトルにしがみ付いている。


 外は既に暗い。夜陰に高くアトルたちの靴音が響いた。レーシアを取り戻した以上、この町に留まる理由はない。ひたすらに城門を目指すのみだ。


 しんしんと冷える夜の中を逃走する彼らに、背後から幾つもの足止めの魔術が投げられる。それらをミルティアをアジャットが迎撃し、跳ね返した。硬質な音が響き、空気に罅が入ったような閃光が断続的に生じる。


「アトル、走れる! 私も走れるってば!」


「おまえを下ろしてる暇ねえよ! ついでにおまえのろいだろ!」


 レーシアとアトルが叫び合う声に被って、背後で炎の蛇が身を擡げ、アジャットに掻き消された。


「城門どっちぃ!?」

 ミルティアが怒鳴り、アトルが先頭に出た。


「こっちだ!」


 運送屋〈インケルタ〉で鍛えられた彼の方向感覚は確かだ。

 雨霰と襲ってくる魔術を躱しつつ、アトルの先導で大通りへと出た七人は、最早後のことなど考えず我武者羅に走った。傍で立て続けに敷石が割れ砕ける衝撃に、シェラなど泣き笑いの表情だ。

 そして遂に見えた。馬車の影が行く手に黒々と見えた。

 アトルは魔力どころか体力まで限界を迎えており、最後に残った力を使って、耳飾りを用いての通信と声と、両方届けとばかりに絶叫した。


「防壁――っ!」


 グラッドとリーゼガルト、二人が同時に七人の背後に防壁を構築した。


 衝撃波が防壁にぶつかり、鈍い音を立てて弾け飛ぶ。

 氷の槍が、暴風が、弾丸のように飛ぶ敷石の欠片が、全て同時に防壁に当たり、凄まじい音を奏でて防壁を揺らした。


 御者台には既にリーゼガルトが乗っていた。グラッドは馬車の入り口からこちらに手を伸ばしている。

 ミルティアを中に引っ張り上げ、アジャットが飛び乗るのを介助し、レーシアごとアトルが馬車内に飛び込むのを躱したグラッドが、怪訝そうにアリサたちを見る。


 アリサたちも馬車の外でたたらを踏んだが、アトルはここで彼らを見捨てる気は毛頭なかった。


「乗れ!」


 叫んで手を伸べる。その手を取って、最初にアリサが馬車に乗り込んだ。デリック、ラッカー、シェラもそれに続き、扉を閉める間も惜しんで馬車が走り出す。


 全員の溜息が――疲労や安堵ゆえのものだ――重なった。


 床に座り込んだレーシアが、ゼティスから譲られた外套を羽織った状態で不安げにアトルを見上げた。


「だ、大丈夫?」


 アトルは、グラッドが走行中の馬車の扉を閉めるのを見てから、頷いた。


「ああ、もう大丈夫だ。とっとと宝具を目指そう」


 レーシアは一瞬口籠ってから、控えめに尋ねた。


「――寄り道は駄目……かな?」


 事情を知らない四人以外、全ての人間が凍り付いた。

 特にアトルはレーシアを張り倒しそうになったが、寸でのところで思い留まる。


「……念のため訊こう。なんでだ」


 押し殺した声で問い詰められ、レーシアは首を竦めたものの、しっかりと答えた。


「宝樹玉を――取りに行きたくて」


「ホウジュギョク?」


 幾つかの声が重なる中、レーシアはアリサたち〈インケルタ〉の面々を見て、言った。


「宝樹玉は、私を助けてくれる」


 そして、はにかんだような笑みを浮かべた。

 それに対して顔を赤らめたラッカーとデリックを、仲間とはいえアトルは殴りたくなった。


「きっと彼らが持ってるわ」


 そして続けられたレーシアの言葉に、アトルは迷うことなく言い放った。


「よし、出せ。おまえら」







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