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04 雷兵の逆鱗と慰撫

 前回に彼らと遭遇したときのことを思い出し、アトルが慌てて膝を突いた。

 それと同時に、レーシアが顔を上げてトニトルスの姿を認める。


「雷兵――」


 トニトルスのうち六人ほどが地上に降り立ち、レーシアの周囲に立った。アトルは膝立ちのまま後退り、彼らから距離を置く。トニトルスたちは〈器〉の危機にあって、体表に雷光を纏っていたのである。


□□□□□(どうしたの)□□□(我々の)□□□□□□□□□(可愛いおちびちゃん)?」

 トニトルスの一人が優しく声を掛け、屈んでレーシアの肩を抱き寄せた。


「《SARALIS(サラリス)□□□□□□□(に会いたいから)□□□□□□□□(こんな無茶したの)?」


「うん……っ」


□□□(じゃあ)□□□□□□□(それがきみだよ)


 別のトニトルスが軽やかに言い、それから首を傾げ、ケヴィンたちを一纏めに一瞥した。


□□□□□(こいつらが)□□□□□□□(きみを苛めたの)?」


 レーシアが顔を上げ、ゆるゆると首を振った。


「分かんない……」


 でも、と呟いて、レーシアがその細い指でアトルを指した。


「このひと――あ、あ、――」


「アトル」


 アトルが小声で言い、それを受けてレーシアが頷いて、言葉を繋げた。


「アトルは、私を守ってくれた」


□□□(ふうん)……」


 トニトルスたちは声を重ね、その中の、人型の一人が喉に手を当てた。それから口を開いたが、その言葉はアトルたちにもはっきりと分かるものだった。


〔そこの人間、我々の可愛いおちびちゃんを守ったことは褒めてやる。――で、おちびちゃん。他のはどうする? 狩っとくの?〕


「どうすればいいのか分かんない――」


 レーシアの目にまた涙の膜が張ったのを見て取り、トニトルスが慌てたように屈み込んで、レーシアの頭を撫でた。


〔辛いね、おちびちゃん。ごめんね、来るのが遅れて。きみはレーシアだよ。ファリシャじゃない〕


「《FARISHA(ファリシャ)》? □□(ああ)□□□□(あの子か)


 獣の姿のトニトルスが一人、ぼそりと呟いた。そのトニトルスをちらりと見て、レーシアの傍に屈み込むトニトルスが言葉を重ねる。


〔言っておくけれど、私はファリシャとも、子どもの頃に会ったことがあるよ。きみとは似ても似つかなかった。きみは、サラリスが可愛がって可愛がって育てた子じゃないか。レーシアだよ。花の冠を作ろうとして、根気が足りずに小さいものしか作れなかった、レーシアだろ?〕


「い、今ならもうちょっと根気もあるわ」


 レーシアが思わずというように反駁し、それを聞いてトニトルスたちがころころと笑った。


〔ほら、それを覚えている。きみはレーシアだよ〕


 レーシアの頭を撫でて、トニトルスは歌うように言う。


〔大丈夫。さすがにそろそろ収まるはずだよ。辛いし、怖いだろう。けれど、知っているだろう? 収まればちゃんと元通りになるから。それよりも気を付けて――〕


 トニトルスは真剣な目でレーシアを覗き込んだ。


〔今はまだ大丈夫なようだけれど、もう少ししたらきみの魔力と宝具が封具の力を捌けなくなる。そうなったら、きみにとってはどんな掠り傷でも致命傷になり得るんだ、分かっている? 少しでも感情が昂れば、それが封具ときみとの距離を近くして、きみを殺しかねないんだよ、分かっているね?〕


 うん、とレーシアはしおらしく頷いたが、アトルにとってはそれどころではなかった。


 少しの傷でも致命傷。感情が昂れば死にかねない。

 ――さすがにそこまでとは聞いていない。


 ――それほどまでして、「サラリス」に会いたいのか。


〔――そこの人間〕


 唐突に視線を向けられ、アトルは思わず背筋を正した。


〔我々の可愛いおちびちゃんに何かあってみろ。その首引き抜いてやる〕


 アトルが息を呑むのも意に介さず、トニトルスはレーシアに確認するように優しく訊いている。


〔あれはまだ信じられる方なんだね?〕


 レーシアはこくりと頷いた。


「――うん」


〔だったらちゃんと助けてもらうんだ、いいね?〕


「――……うん」


 次々と宙にいたトニトルスたちが舞い降りてきた。彼らがずらりとレーシアの前に並び、ミラレークスに籍を置く魔術師たちを睥睨する。


〔さて〕


 レーシアの傍にいたトニトルスが立ち上がり、すい、と一歩を踏み出した。


〔どいつがこの子を苛めたの?〕


 やべえ、と呟いたのはケヴィンだった。


「やっべ、襲われる――おいイヴァン! イヴァン! 正気に戻ったか、ずらかるぞ!」


 リーゼガルトが目を見開いた。


「――おまえ……?」


「ごめんな、リーゼ。嘘ついて」


 にやっと笑ったケヴィンを、後ろから突き飛ばすようにしてイヴァンが現われた。まだアトルの術の影響が残っているのか、蟀谷を押さえている。

 二人は逃げ切ることをやや危ぶむような顔をしていたが、心配は無用だった。トニトルスたちが気にしたのはレーシアの安全ただそれだけであり、レーシアから遠ざかる人間のことなど、気にも留めなかったのである。





************





「俺に謝れ」


 アトルが仁王立ちで言い放った。


「あろうことか裏切ったかも知れんと疑ったこと、しっかり謝れ」


 言われているのはリーゼガルトで、彼とミルティアは揃って沈み切った空気を発して肩を落としていた。

 ミルティアの前ではアジャットが膝を突き、彼女の火傷と擦り傷の手当てをしている。


 彼らは今、トニトルスが去った後の馬車の外に集まっており、馬車の内部が大破しているのを見たグラッドが、無言で修理を始めたところである。

 壊れたのが中で良かったですと、グラッドはしみじみと呟いていた。


 レーシアはアトルの背後で、何とか無事だった木箱を馬車から持ち出し、それに寄り掛かるようにして眠っている。

 あの後、しばらくの間トニトルスたちに宥められたためか、随分落ち着いているようではあった。

 トニトルスたちは立ち去る際に、たっぷりと人間たちを脅して行ったが、レーシアには始終優しく接していた。


「――うん、悪かった」


 リーゼガルトがぼそりと言い、それにアトルが怒鳴ろうと口を開いたところで、アジャットが立ち上がって膝に付いた砂埃を払いながら言った。


「アトル青年、勘弁してやってくれ。友人が敵に回ったともなれば落ち込むものだろう?」


 傷口を抉られてミルティアとリーゼガルトが顔を強張らせた。アジャットはそれには気付かず、更に言った。


「組織から離反者が出たともなれば、これは厳しい状況だな……。他にもいるとすれば早々に取り締まって厳罰を科さねば。それと、逃げた者の捕縛と粛清――」


「おまえが勘弁してやれよ」


 逃げた者云々という件で表情が死んだリーゼガルトたちを見て、アトルが思わず言っていた。

 それでようやっと二人の様子に気付いたらしく、む、などと呟いてアジャットが口を閉じる。それから、話題を逸らそうとしたのかアトルを見た。


「――それにしてもアトル青年。自分で術式を編むとはすごいではないか。しかも精神系のものを」


「え? ああ――」


 あの状況で見ていたのか、とアトルは驚きを禁じ得ない。アジャットは嬉しげに両手の指を組んだ。


「これは本当に指定魔術師にもなれるかも知れんな、アトル青年!」


「いや、俺は――」


 言い掛けて、アトルははっとした。


 支部での扱いを見ても、指定魔術師のミラレークス内の地位が高いということは分かる。そしてその権能は、いつ何時役に立つか分からない。


 ちらり、とレーシアを振り返る。


「うん――それもありかもな……」


 ちょうどそのとき、レーシアが目を開けた。寝惚けた目で周囲を見たレーシアが、アトルを見て仄かに微笑んだ。


「……アトル」


 アトルはほっと息を漏らした。どうやら記憶はしっかりとしているらしい。


「おう」


 ふああ、と欠伸を漏らし、レーシアが目を擦ってにへらと笑った。


「お腹空いた」


 アジャットがぐい、と腕捲りをする。


「グラッドは忙しいことだし私が――」

「アジャットはいいから!」


 ミルティアとリーゼガルトの声が重なり、アジャットがしゅんと項垂れた。





************





 天井の高い、豪奢な部屋にその男はいた。


 円形の部屋である。天井と壁に埋まっている柱は金色で、壁は白く、煌びやかなシャンデリアが重たげに天井から下がっている。

 マントルピースには何枚か飾り皿が並べられており、壁際に置かれている棚には、いくつもの肖像画が額に収められ、大小様々にずらりと並べられていた。

 肖像画はどれも相当に古い物のようで、色褪せ、絵柄の判別すら難しいものすらある。だが、確認できる物にはどれも、大勢の人物がずらりと並んでいる様子や、大人数が大部屋に集まっている様子が描かれていた。


 部屋のほぼ中央に、寝台も兼ねる大きな長椅子が置かれ、その前に低い机が置かれている。


 男は柔らかな褥の敷かれた長椅子に身体を預け、背凭れに肘を突き、物思わしげに口元にその手を宛がっていた。


 と、滑らかな動きで扉が開いた。入って来たのは長身の男である。銀灰色の短髪と顔に走る大きな傷が相まって、何とも酷薄そうな顔であったが、発した声には心からの敬愛が込められていた。


「――主上」


 長椅子に身体を伸ばす男が、ゆるりとした動きで振り返ってそちらを見た。

 褐色の目が長身の男を捉え、細められる。


「――どうした、レナード?」


「レーシアがアルファーナ高原の封具と〈糸〉を繋ぎました」


 褐色の目が驚いたように丸くなった。


「ほう……、また無茶を。空人や雷兵が止めると思ったが」


 億劫そうに男は身体を起こし、床に足を下ろした。

 レナードと呼ばれた長身の男が気遣わしげに言う。


「ご無理をなさいませんよう――。

 あなたが齢を取られるようになって、もう十年以上が経ったのですから」


 ふっと男が笑った。


「大丈夫だ。――それで、レーシアの様子は?」


「雷兵、空人ともに行動の異常がありませぬ。命に別条はないかと。報告によりましても、記憶の混乱はあるようでしたが――」


 男が頷くが、その仕草も非常にゆったりとしていた。


「ならば良い。――ではレーシアは、宝具を取りに行くな?」


「恐らくは」


「出来る限りで障害を排除してやりなさい。――あの子がこの世にある最後の〈糸〉の繋がれていない一対を手に入れることは、とても大切なことだ」


「心得ております」


 男が立ち上がり、部屋の窓の外を見た。正確には、窓から見える円蓋を。


「――それで、あちらは?」


 その視線を追って同じ方向へ視線を向けたレナードは、痛ましげに目を細めた。


「いつものように。――主上」


 呼び掛けられ、褐色の目の男が視線を相手に戻した。


「――お気になさいますな」


 その言葉に、男が目元を緩めて笑みを零した。


「ありがとう。だが私は気にしてなどいないよ」


 男が微笑みながら、並べられる額縁に収まる絵を愛しげに見詰める。


「『エンデリアルザとの約束』は直に果される。本当に楽しみだ」


 レナードも、釣られるように笑みを浮かべた。


「はい」


 褐色の目の男は、その瞳にきららかな光を躍らせた。


「もうすぐだ。長かった。――レーシアで間違いはないだろう?」


 首を傾げた主に、レナードはしっかりと頷きを返した。


「はい。主上の仰せられるように、レーシアは、歴代〈器〉の中にも類を見ない、ずば抜けた魔力を持つ〈器〉です」


 褐色の目の男は、心の底から嬉しげに目を細めた。


「史上最大の魔力か。――あの子のための犠牲は、無駄ではなかったね」


 物思わしげに男はその黒髪を掻き上げた。四十を幾つか過ぎたと見えるその、精悍な横顔に仄かな笑みが浮かんだ。


「――一度、会っておきたいね」


「主上……?」


 レナードが主の意を図りかねたように首を傾げる。彼を見て、褐色の目の男は柔らかな笑い声で、控えめにその喉を震わせた。





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