01 章始め 上/発端の依頼
覚えているのは、混乱と喪失感。
誰もかれもが慌ただしく動いていて、珍しく誰も自分のことを気に掛けていないようだった。誰かを捕まえて、何が起こっているのか訊いて、あのひとの身の安全についても確認しようとしていたのだけれど。
聞こえていたのは、怒号。
辺りに、常には聞こえない悲鳴と怒号が行き交っている。
いつもは典雅に廊下を行き交っている人たちが、混乱と恐怖に顔を引き攣らせながら走り回っている。口々に色んなことを叫んだり話したりしているのだが、窓の外で大きな音がしていてなかなか聞き取れない。
廊下に立ってあちこちを見回す。動き回るのは良くないのかも知れないけれど、あのひとの身の安全だけはどうしても確認しておきたかったのだ。
記憶が途切れ途切れになる。さながら頁の半ば辺りから空白になっている本のように。
灯りが点いたり消えたりする。誰かが自分の手を引いている。きっと自分の世話を任された彼だ。けれど彼にしては珍しく、力が強すぎて痛い。
痛いのは嫌だ。あのひとに会う前のことを思い出すから。水が嫌いなのと全く同じ理由だ。あのひとがいれば水も怖くないけれど。
ある廊下に差し掛かったところで、前に進もうとしても進めなくなった。誰もいないのに、確かに誰かが進路を妨害しているのだ。その不可視の力に追い込まれるようにして、暗い部屋に入る。もう何が何だか分からず、涙が出てくる。
その部屋の中で、目に入ったのは真っ赤な水溜り。点々と落ちている赤い痕。そして聞こえる、彼の混乱したような誰何の声。襲ってくるのは眩暈。
そのぐるぐると回る視界に映る影。あってはならないその姿。
そして、身の内に封じたはずのものが抉り出される感覚。
それと、左の二の腕に走る激痛。
微かな、しかし確かなぬくもりが、頬を拭うように撫でていく。
そして暗転する視界。
そこに最後まで映っていたのは、ここにいるはずのない、あのひと。あのひとの、初めて見るその表情――
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月光に映えて舞い上がる、その廃墟――遺跡といってもいいが――の粉塵の凄まじさに閉口したのは全員同じだった。
しかし物理的被害の大きさを言えば、角灯を持って先頭を切ったアルディが首位に立っていた。角灯は全員が携帯してはいたが、何も全員が明かりを持って煌々と進むことはない。
無言で髪から埃を払おうと無駄な努力をしたアルディは、じとりとした目で最後尾のアトルを見た。
「おまえ、このことを予想してたな?」
アトルはへらっと笑って躱す。そして、懐からさっさと手拭いを取り出して鼻と口を覆った。他もそれに倣いつつ、口々に不満の声を上げた。
「ここ、番地間違ってないのかホントに」
「いや、合ってるぜ。っていうかここと番地間違えることなんかねえだろ」
「依頼主の手落ちじゃねえのか。こんなとこ、絶対何もないだろ」
「まー、そうじゃなきゃ、オヤジたちも私たちだけで来させるわけないじゃない」
「そこで待ってるくせに、わざわざ入る気にはなれないっていう本音、透けてるよねぇ」
彼らは総勢九人という、なかなかの大所帯でここに来ていた。
先頭から順に、茶髪のアルディ、金髪のジャスミン、黒髪のデリック、長身のレアル、小柄なシェラ、赤髪のミーシャ、左腕に派手な傷跡のあるラッカー、勝気な金褐色の髪のアリサ、亜麻色の髪に琥珀色の目のアトル。全員が男女の別なく綿のズボンに小刀やら箱やら角灯を提げた革ベルトを締め、麻のシャツの上に丈夫なベストを着、指なしの手袋をしている。
彼らは公には「運送屋」を名乗っているが、実情は「ただ運ぶ」からは程遠い。
彼らは依頼を受けて、運ぶものを探し、それを運ぶのである。簡単に言えば、雇われ冒険者か。金を貰って冒険し、その戦利品は成功報酬分を貰い受け、残りを指定された場所に届ける。「人に届ける」などという運送業の理想を踏み倒してはいる。
最初から自発的に冒険をすれば良いではないか、と、よく依頼人に言われるが、そんなとき依頼を受ける担当はにっこり笑って言う。
「いやねー、そう出来ればいいんですけれども、いかんせんこんな世の中じゃ、そうそうネタが転がってませんや」
本音は違う。
彼らはあらゆるものを運ぶ。それこそ箪笥から、魔法仕掛けの時計から、麻薬から、――人までも。
指定された人間を捜し出し、誘拐することも仕事のうちなのだ。
犯罪である。胸を張って言える犯罪である。捕まれば無論、ただでは済まない。――しかし、それを「依頼」として引き受けた場合はどうだろうか。
嘘八百並べ立て、「詐欺師を捕まえてほしいと頼まれたんだ、誘拐なんてそんなつもりは!」と言い募ればいいのである。
これは実際にあったことで、いつもは屈強なオヤジたちが警邏隊に手を突き膝を突き、涙ながらに「事情」を説明する光景は、しっかりとアトルたちの胸に刻み込まれた――警邏隊が言い包められて帰った後の、オヤジたちの勝利の仁王立ちと共に。
仮に言い訳が通らなかったとしても、「あっちが主犯、こっちは共犯」という言い訳が成立する。勿論、依頼主がそれを見越してこちらを罠に嵌める可能性もあるが、その辺りのことは片眼鏡が厳しい頭脳担当の淑女リイゼアが何とかしてくれている。
十年前、アシャト歴四百二年に終結したばかりの百年戦争の爪痕である、慢性的な物資の不足。働き盛りである壮年層の不足。そんなこともあって景気よく稼ぐには非合法な手段しかないとされ、一応合法の職業とされている(物資はどうしても要るのだし、危ない場所にある何某かを得てくれれば誰だって礼を弾みたくなるので誕生した職業である)冒険者も、やっていることは違法か脱法だ。そのように、乱れに乱れた世の治安。
そんな中で、かなり安全な職場にこの〈運送屋インケルタ〉は入ると、アトルは思っている。
そう、「安全」だと。
「うわあああああっ!」
頭上の天井の落下を目撃しながら、アトルは他の全員と仲良く声を合わせて絶叫したのだった。
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「はあ? 繋ぎの仕事ぉ?」
語尾を上げた「オヤジ」たちの中でも一番の腕っぷしを誇るゼーンに、その話をうっかり受けてしまった依頼引き受け担当のショーンは首を竦めながらも頷いた。
時は、アトルたちが遺跡に踏み入る二箇月半前。
処は、〈運送屋インケルタ〉の事務所。
〈インケルタ〉の事務所は、このジフィリーア王国の三大都市の一つ、ケルティにある。ケルティの東の一角にある、三階建ての瀟洒な建物がそれだ。「鐘塔」からも離れていて、日当たりは抜群である。
雇われ冒険者の仕事が当たって、このような贅沢が出来ている。
一階は接客に、二階は従業員たちの居住に、三階は「絶対に警邏隊には見つかってはいけないもの」と「特に問題はないが十分に殺傷能力がある」武器の収納に使われている。尤も、アトルたちは一人前の武器を出し惜しみされている。
曰く、「勿体ない、すぐ駄目にするに決まってる」とのこと。
今、ゼーンたちがいるのは二階。一階で依頼を受けてしまったショーンが、二階に話を持ってきたのだ。
ゼーンは暖炉前に置かれた肘掛椅子に腰掛けて眉を上げており、周囲のソファや床にはアトルとアリサとラッカーが座り込んだり寝転んだりしていた。他の連中は他の部屋で寝ているか、町に賭博でもしに行っているか、依頼に出ているかだろう。
因みに〈インケルタ〉は総勢五十名ほどである。
アトルたち「餓鬼ども」は九人いるが、全員、親がいない、捨てられた、などの危機的状況からゼーンたちに救われた者たちばかりである。
餓鬼とはいっても、もう全員が十六歳を超え、法的には成人している者もいる。アトルはもう十九だし、ラッカーは二十歳だ。最早餓鬼ではないはずだったが、ゼーンたちにそれを言ってみると、「俺に一勝できたら認めてやろう」などと言い出すので、最近では誰も触れない禁断の話題となっていた。ゼーンとやり合おうものなら、翌日動ける保証はない。
「どういう依頼だ、詳しく話せ」
ゼーンが言い、面倒そうに葉巻を吸った。
話を聞こうとして体勢を変えたアリサが「いったー」と呟いた。どうやら床のささくれが刺さったらしい。床板は手入れもされずにささくれており、寝転ぶにはどうも不都合なのだが、ここで暮らして十一年、アリサは何度ささくれが刺さろうとそのことを忘れる。
対して、同じく床に寝転がってはいても、アトルは視線をショーンに向けたのみで身動きしていない。床に大の字になったままである。ラッカーはソファの上なので、ささくれの脅威には晒されていない。
「はあ、その」
ショーンがゼーンの視線にびくびくしながら話したところによると、依頼の内容はこうだ。
ある廃墟がある。遺跡といってもいい。そこから指定するものを回収し、別に頼んである運送屋に引き渡してほしい。報酬は二千万ガルド。これは庶民の年収の数十倍に該当し、依頼される仕事の中でも群を抜いて高い部類だ。つまり、違法の匂いがぷんぷんする。
違法なことは問題ではない。その遺跡で予期される危険も、道中の空人――カエルムや、雷兵――トニトルスとの遭遇、現地での思念跡――アニムスとの遭遇及び憑依くらいなもので、正直アトルたち「餓鬼」でも何とかなる。
だがしかし。問題は場所と依頼主なのである。
「依頼主なんですけどもね」
ショーンが語るに、依頼主はフードを深く被り、素顔を晒さなかったという。しかし帰り際、わざとらしくも印章の彫られた首飾りを落としていったのだそうだ。――王宮近衛の印章を。
「近衛ぇーっ!?」
ゼーン以外の聞き手が一斉に叫んだ。
「なんで近衛!」
「この依頼断ったらどうなるんだ!」
「それ私も思った!」
「そう思ったからこそ受けちゃったんですってば!」
近衛といえば、王族に仕える武力の精鋭。この国で、冗談抜きに最も強い戦力なのである。敵に回せばその末路は火を見るより明らか。
「――んで? 場所ってのはなんだ」
ゼーンが低い声で言い、ショーンは一歩下がってから神妙に言った。
「あ、はい。その遺跡、場所が宝国なんだそうで」
「はあああ?」
ゼーンはあからさまに嫌そうな声を出した。
「また面倒な」
「ゼーン親父」
ラッカーが口を挟んだ。
「宝国って言ったって、樹国に入ったオヤジたちだ、入れねえことはねえだろう」
宝国、それは百年戦争の発端になった国である。
一般人には分からない宗教的なものを囲い込んでいた結果、その宗教的なものを巡って近隣の国――このジフィリーア王国を含む――に宣戦布告無しの大量虐殺行為を仕掛け、それがきっかけとなって大戦争を引き起こしたらしい。
尤も、その大量虐殺行為がどのようなものであったのかを含め、もう百十年も前のことなので詳しくは分からない。だが、史実ではそうなっている。
そして、その戦争に割り込んだのが樹国である。
なんでも彼らの宗教、アロ・フォルトゥーナの教えからして宝国を看過できなかったらしいが、歴史関係の話を聞くに、樹国が手を出さない方が戦争は早く終わったのではないかと思われる。
宝国、樹国共に大陸最小の国であるが、大戦を生き延びた両国は現在、片や大陸最高の軍事国家として、片や大陸最高の宗教国家として名を馳せている。
そして両国ともに、極端に人口が少ない。税収が見込めないほどだ。国の中枢の人物のみが国民として存在しているのである。だからよく、節約家のことや研究者のことを「宝国(樹国)の方々みたいな」と表現する。要するに、霞を喰っているのでもなければ一体何を食べて生きているのだ、ということである。
そんな両国は、神経質なまでに侵入を嫌う。国境を少し超える程度ならば、寿命を数年犠牲にする思いで挑めば何とかなるが、国の中枢に入ろうとすれば、それこそそのとき自分が立っている場所が墓場になってしまいかねないのである。
ゼーンであっても、樹国の中枢には入っていない。国境線を越え、少しばかり奥の方に入ったのみだ。だが、それでも十分に猛者である。
「そりゃあなあ、ちょっとお邪魔するくれえなら何とかなるがな、問題はそこじゃあねえ」
ゼーンが葉巻を咥えて言い、アリサがさらりと言った。
「近衛が何で宝国に用があるのよ、そこよ問題は」
「そうだな」
ゼーンが頷き、アトルはよっこらせと(ささくれに注意しつつ)起き上がりながら意見した。
「宝国に何か忘れ物でもしたんじゃねえの。あ、でもそれだと百年戦争のときの忘れ物ってことになるな」
ゼーンが煙を吐き出した。
「百年戦争、なぁ……」
ゼーンたちに拾われて一年経ったあのとき、当時九歳だったアトルもよく覚えている、百年戦争の終焉。
空が真っ赤に染まるほどの爆炎と、あっと言う間に湧き出した圧倒的な迫力の黒雲。そして豪雨。爆炎を消し大地を沈めるような、そんな雨は一日中降り続いた。
自然の現象であるとすればそれは激し過ぎた。しかし誰がそんなことをしたのかは誰も知らない。あんな大規模な魔術は、普通の魔術師が一族の命と魂を捧げようと行えないし、高位の術師の百人や二百人が犠牲になったとしても、成功するか危ういだろう。炎にしても雨にしても、人間業ではなかった。
しかしそれでも、あれで戦争は終わったのだ。
「全くもって、謎だなぁ」
ショーンが肩を竦めて言っていたことがある。
「各地同時のあの爆炎といい豪雨といい、やった人が誰だかなんて分かってないのに戦争が終わったんですよ」
と。ショーンは二十七歳。当時十七歳だった彼は、徴兵され戦線に出される寸前にあの炎を目の前で見たらしい。距離は随分あったというが、そのときの火傷の痕は今も彼の背中と脚を覆っている。何人もがあの炎で蒸発するのを、彼は間近で見たのだ。
その彼は今、眦を下げてゼーンを窺っている。
「ゼーンさん、やっぱりこの話断った方が良かったですかね?」
「受けちまったもんは仕方ねえ」
ゼーンが葉巻を棄てながら言った。葉巻を棄てるのは勿体ないと、アトルなどはいつも思う。
「他の運送屋が絡んでるのが気に入らねえが、やってやろうじゃねえか。――おうし、誰が行くか決めねえとな」
「ねー、オヤジ」
アリサが首を傾げて言った。
金褐色のふわふわした髪に、菫色の大き目の猫目。色白な肌と可憐な仕草、彼女は間違いなく美少女の部類に入る。ただし、彼女がその顔で、その細腕で、銃火器を難なく扱えると知って、それでも彼女に惚れる男は少ないだろう。
「思ったんだけど、こそこそ入る必要あるのかな?」
ゼーンが「ん?」というように首を傾げる。アリサはゼーンに可愛がられていて、このような少々勿体ぶった言い方をしても、「さっさと話しやがれ」と凄まれることはない。
「だって、宝国だって国境線を超えてる奴がたまにいるのは知ってると思うの。だったらいっそ事情を説明して、取りに入らせてもらった方が良くない?」
「できねえな」
アトルが横から一刀両断した。
「それは、近衛が欲しがってるもんが宝国に価値がなかった場合の話だろ? 今はどうとも言えねえんだから、慎むべきだ」
アリサはちょっと考えた後、にこっと笑った。
「そっか、うーん、ちゃんと考えなきゃな」
ゼーンはアトルを面白がるように見ていたが、アリサの言葉を受けて膝を叩いた。
「まあ、潜り込むのは樹国のときと同じ手でいいだろう。――さて、誰を連れて行くかな」
夕食時、依頼に出ている数人を除いて全員が揃った〈インケルタ〉の面々を、二階の食堂で睥睨しつつ、ゼーンはショーンたちに任せた仕事の仕上がりを待っているようだった。
ショーンたちは依頼を引き受けるだけが仕事ではない。引き受けた依頼の調査もするのだ。
「へえー、宝国ねえ」
ゼーンから話を聞き、一番の古株の「オヤジ」アレックが苦笑いした。
「行かせるのも相当な手練れになるか……」
「宝国といっても、入っちまえば外と変わらんよ、ゼーン。樹国もそうだった」
アレックの言葉に、上座に座る古株や手練れたちは爆笑した。
「そりゃあ、あんただから言えることだよアレック」
夕食も終わろうかという頃合いになって、何とも微妙な顔をしたショーンが登場した。待ってたぞ、と声が掛かると首を竦め、すいません……と口走る。そして、ゼーンに封筒を手渡した。
百年戦争前は貴重品だった紙も、今では日用品だ。戦時、指揮系統で伝達をこまめに間違いなく行うには、通信系の魔術が最も有効ではあるが、魔術師はそう多くいない。だからこそ、紙の作り方が模索され、大量生産が可能になったのだ。
同じ経緯で、今では魔術を結晶に溜めておくことさえ実用化された。始まりは、魔力のない将校たちが通信魔術を必要としたことによる。
かねてから、術式を用いて魔力を結晶に溜めておくことは、魔術師の間では常道だった。それを応用し、特に術式を保持しやすいアルナー山脈産の水晶にのみ、魔術を溜めておくことが可能となった。これは魔力があろうがなかろうが魔術の起こす現象を扱えてしまう、かなり便利かつ高級な技術である。原料であるアルナー山脈産水晶の収集は、冒険者のお定まりの仕事だ。
封筒を開け、中を見たゼーンは驚いた顔をした。それから上座の連中でそれを見せ合い、なぜかひとしきり笑った後、立ち上がって意気揚々と言った。
「ようしこれから、宝国に乗り込む面子を指名する!」
おう、と声が上がる。尤も、「餓鬼」たちは自分たちに振られることはなかろうと安心し切っていたのだが――
「まず、俺だ。俺とアレック、シーナとグレイス」
誰もが認める手練れの名前に、ふむふむと頷く頭が多数。
「それから、アトル! ラッカー、アルディ、デリック、レアル! シェラ、ジャスミン!」
は? という擬音付きで、名前を呼ばれた全員がゼーンを見た。
「なに考えてんだ、オヤジ。とうとうボケたか」
この失礼な発言をしたのはラッカーである。
「もういっそ餓鬼ども全員で行かせるか」
ラッカーを無視してゼーンは言い、上座が爆笑に包まれた。
当の「餓鬼」どもはぽかんとするしかない。そんな中、アリサが固い顔で断言した。
「ゼーン親父、私はアトルが行くなら行くよ」
またしても巻き起こる爆笑に、アトルは蟀谷を押さえ、アリサを胡乱な目で見た。
「てめー、いい加減ふざけてるだろ」
アリサの「アトルが行くなら私も行く」は今日に始まったことではない。そもそもの発端は、二人がゼーンに拾われたのが同時であったこと――もっと言えば、拾われる以前から持ちつ持たれつで生活していたことである。
その頃の感覚が抜けないらしいアリサは、未だにアトルと自分を一組で見ている節がある。出来はいいのにそこだけ残念だ、とよく言われているものだ。
「ふざけてないってば」
アリサは飄々として言い、上座は盛り上がってきている。
「宝国の中まで引率するだろー、それで残りは餓鬼どもにやらせればいいじゃねえか」
「いい練習になるなあ」
「引率していけば死人も出ねえだろうしな」
何とも言えない空気が「餓鬼」たちの間に漂った。
「え、なに。どういうこと、これ?」
ジャスミンがきょとんとして尋ねれば、アルディが訝しげに声を上げる。
「さっきまで、宝国だから手練れを――とか言ってなかったっけか」
それが聞こえたのか、上座のシーナが封筒から取り出した書類を人伝いに渡してきた。アルディが受け取り、「餓鬼」たち全員が身を乗り出して覗き込む。
「んんー? なんだ、番地か」
普段、字を読む仕事をショーンたちに任せ切りにしているだけあって、「餓鬼」たちは字を読むことに慣れていない。全員でえっちらおっちらと字面を追っていく。
「いや、待てよ。この番地おかしくないか。宝国のレンヴェルトっていえば旧都だぞ。しかも通りの名前がない……」
「見せて。えっ……レンヴェルトの中央区って……旧王宮くらいしかないんじゃないの? ほらやっぱり王宮って書いて――えっ、しかも本宮指定?」
「はあっ?」
百年戦争のことを知っていれば五歳児でも指摘できるが、宝国の旧都は百年戦争初期に壊滅している。
つまり、今更何もないのだ。
「冷やかしの依頼かよ!」
アトルは思わず叫んでしまい、また蟀谷を押さえた。
「まーそうだろうな」
そう言ったゼーンはにやりと笑む。
「さあて、引率だけはしてやらあ。しっかりやれよ?」
そして彼らが宝国に赴くことになったのである。