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02 割り込む記憶

 馬車に戻って寝台に腰掛けたレーシアは、アトルの手を握りながらアジャットたちを見据え、言った。


「私、今、死に掛けてるの」


 アトルが絶句してレーシアを見た。レーシアは自分を指差しながら、抑えた声で言う。


「ここに、宝具が一つと、封具が二つ繋がれてる。――宝具一つじゃ封具を二つも抑えられないわ」


 リーゼガルトが目を剥いた。


「それって――」


「私の魔力と宝具が、封具の力を抑えてる。でもそれが限界になったら――」


 封具は、未然の事象を否定する。

 それが心臓の鼓動であれ、呼吸であれ、傷の治癒であれ、否定されてしまえばそれは停止される。

 すなわち、


「おまえ、死んじまう――」


 アトルが息を呑み、呟いた。自分で呟いた言葉にはっとする。


「ど、どうすんだよ!? おまえこのままじゃサラリスって人にも会えねえじゃねえか!」


 叫ぶように尋ねれば、レーシアは億劫そうに頷き、言った。


「うん。だから、宝具を捜さないと。宝具を捜して〈糸〉を繋いで、封具の力を相殺するの」


 全員が呻いた。


「い、今からじゃ――」


「どっちにあるかは分かるの」


 レーシアは辛そうに言った。


「サラリスが持ってる二対の宝具と封具、私が持ってる一対の宝具と封具は、文字通りお互いに対になってるの。引き合うの。だからさっき〈糸〉を繋いだ封具にも、対になる宝具があるの――」


 はああ、と息を吐き、レーシアはアジャットたちを見る。


「宝具を捜すのが、私からのお願い。聞いてくれるんでしょう?」


「勿論だ!」

 アジャットが叫び、レーシアの、アトルの手を握っていない方の手を取った。

「レーシアさん、すまない。私たちが――余計なことを言って」


「決めたのは私だよ。いいの」


 レーシアは呟いたが、その目はアジャットを見てはいなかった。どことも知れない一点を見て、彼女は呟く。


「――命を懸けるほど、私はサラリスに会いたいの。分かって」


 ミラレークスの四人組の表情が、今までに見たどんなものよりも険しくなっている。特にグラッドなど、狼狽と罪悪感と切迫感の合い交じった、悲壮な表情になっていた。

 助けられないか、と直接にレーシアに問うたのは彼なのだ。


「レーシアさん――本当に――」


 グラッドは言い差し、それでも言葉にならずに俯いた。


「猶予は!?」


 アトルが鬼気迫る顔でレーシアに訊き、レーシアは反射的に怯えた顔になりながらも、小さく答えた。


「ま、まだ大丈夫のはず――。私の魔力は大きいし」

「どっちに行けばいい!?」


 レーシアは目を閉じ、それからすっと腕を上げて西の方角を指差した。


「あっち」


 これ以上なく急いで馬車が出発し、その中でまだアトルの手を握ったままのレーシアは、やや得意げにアトルに囁いた。


「ね、アトル。私ってさっき『交渉』ってやつやったんじゃない? ちょっとかっこいいね」


 アトルは射抜くような目でレーシアを見た。


「命懸けるような交渉はかっこよくもなんともない。ただの破れかぶれだ」

「え」






 ――うだるような暑さだった。空は地上を威嚇するかのような眩しい青。太陽は衰える気配も曇る気配もなく燦々と照る。じいいい、じいいいいい、と、どこかで虫が鳴いている。

 そんな灼熱の天候の中、森の入り口に建てられた掘立小屋の前に自分は立っている。目の前には背の高い男の人。白皙の顔に汗を浮かべて、しかし凛々しい表情は崩さない。

 変な人だ――、と思いながら彼を見上げる。

 暑い、暑い暑い。早く中に戻りたい。

 そんなことを考える自分の前で、彼が言う。名前を呼ぶ。


「――ファリシャさん、だね」




 違う。

 違う、自分の名前は――





「レーシア!」


 アトルの声でレーシアははっと目を覚ました。目を開ければアトルの顔。どうやら彼に支えてもらいながら、寄りかかって眠っていたらしい。アトルは焦ったような、戸惑うようなそんな顔。


「――アトル?」


「大丈夫か、おまえ。熱はないみたいだけど――やたらと汗掻いてるし――」


 言われて、レーシアは自分の額に手を当てる。確かに汗を掻いていた。冬になり、もう寒いというのに。


「夢を――」


 レーシアは呟き、ずっと握ったままのアトルの手をじっと見た。


「暑い所の夢を見たの」


 アトルは訝しげに眉を寄せた。


「夢? 夢で、こんな?」


「うん、あのね。ただの夢じゃなくて――」


 馬車が緩やかに左へ曲がり、アトルが無言でしっかりとレーシアを捕まえた。レーシアも舌を噛まないように一旦黙り、それから口を開く。


「ただの夢じゃなくて、人の記憶なの」


「――うん?」


 アトルは首を傾げる。レーシアは蟀谷を押さえながら話し続けた。


「〈糸〉を繋ぐと、こういう風になるの。多分、これまでにこの封具と〈糸〉を繋いできた〈器〉の人たちの記憶じゃないかな? そういうのが、移ってくるの。私の一つ目の封具には、そんなのなかったけど」


 アトルは表情に緊張を滲ませた。


「大丈夫なのか」


「――あんまり」


 レーシアは正直に白状し、険しくなったアトルの眼差しに笑い掛けた。


「馴染むまではすごく辛いと思う。宝具と繋いだときもそうだったもの。だから――」


 繋いだ手を軽く持ち上げる。


「落ち着くまでこうさせててね」


 アトルは一瞬面食らったものの、すぐにしっかりと頷いた。


「おう」


「それと――、多分今日か明日には……雷兵さんたちと空人さんたちが来るはずなの――」


 前もそうだった、と呟いて、レーシアはまた目を閉じた。


 レーシアの寝顔を見ながら、アトルは頭の中を整理した。

 まず今、レーシアは死に掛けている。彼女が助かるためには宝具が必要だ。そしてそれを見付けたら、今度は「サラリス」を捜す。ミラレークスが裏切る可能性はあるが、そのときはそのとき、この火急の事態で考えるべきことではない。そして今、レーシアは他人の記憶という驚異に晒されているらしい。


 ――自分の中に他の誰かの知識があるような感じ。


 レーシアが言っていたことが蘇る。あれはかつてレーシアの宝具あるいは封具と〈糸〉を繋いでいた人物の記憶のことだったのか。

 落ち着くまでこうさせててね、と言われた手を見る。

 ――昨日までと比べても余計に懐かれたかも知れねえなぁ、と思い、アトルはそっとその手を握り直した。



 夕飯の時間になって、目を擦りながら起きたレーシアが、トニトルスとカエルムが来ることを改めて全員に告げると、ミラレークスの四人は絶句した。


「カエルムが?」


 リーゼガルトが唖然とした声で問い、レーシアは面食らった顔になった。


「だっ駄目なの? あの――来てもらわないとすっごく困るんだけど……」


 リーゼガルトとミルティアが揃ってアジャットを見た。その視線を追うようにアジャットを見たレーシアが首を傾げる。


「駄目なの? あ――」


 アジャットの名前を呼ぼうとしたらしきレーシアが固まった。


「あ――」


 まるで、目の前にいる人の名前が出てこないとでも言うように。


「レーシア?」


 アトルが声を掛け、レーシアははっとしたように瞬きを繰り返して言った。


「アジャット。駄目かな?」


 彼女のただならぬ様子に、アジャットも戸惑ったような声を返した。


「い、いや……」


 それからもレーシアを見ていれば十分に気付いた。

 咄嗟に人の名前が出て来なかったり、逆に違う名前で呼んだり。状況把握が上手く出来ていなかったり、話がすぐに脱線したり。

 明らかに様子がおかしい。

 別人の記憶に侵略されているかのようだ。

 レーシアは見る見るうちに不安げな表情になっていき、アジャットたちもこれは只事ではないと察した。


 馬車の中に戻ってから、レーシアはいっそう怯え始めた。とにかくアトルが傍に付いてレーシアの名前を呼び続けたものの、レーシアはとうとう泣き出した。


「サラリス――」


 寝台の上で丸くなり、涙を拭いながらレーシアが呼ぶ。


「サラリス、どこなの。なんでここにいないの――」


「レーシア、落ち着け」


「一緒にいてよ、サラリス。サラリス――」


 突然、馬車の扉が弾け飛ぶかという程の力で叩かれた。全員がびくっとし、そちらを見遣るのと、レーシアが泣きながら立ち上がって扉を開けに行くのが同時。

 レーシアが扉を開けた。夜の帳が下りた景色の中に、数人のカエルムが立っているのが見えた。

 アジャットたちが身を強張らせたが、レーシアは迷いなく彼らの中の先頭に立っていた者に抱き付いた。

 呻くような韻律を漏らしながら、レーシアを幼子のように抱き上げたカエルムが彼女の背中をぽんぽんと叩く。


「こわい……」


 レーシアが啜り泣いた。


「誰が私なのか分かんないよ……」


 歌うような声で、カエルムが何かを言った。レーシアが泣きながらも少し笑う。


「そうだっけ。でもそれはあれがすごく酸っぱかったからだもの」


 また別のカエルムが横手から何かを言った。レーシアは今度は声を上げて笑う。


「違うわ、あれはサラリスが悪いのよ」


 レーシアの返答を聞いて、アトルは会話の内容に察しを付けた。――思い出話だ。

 記憶の混乱を留めるために、レーシアについての思い出話をしているのだ。


 ――具体的な危険に関して、私があの人たちを呼べる状況は一つだけで、その危険には絶対に遭わないわ。


 レーシアが言っていたことを思い出す。エンデリアルザではない〈器〉であるレーシアが、カエルムやトニトルスを呼ぶことの出来る状況、その具体的な危険というのが、恐らくこれなのだ。


 他人の記憶に侵略されて、自我を失い掛けるという危険。


 宝具や封具があるはずがないと、レーシアは固く信じていたのだろう。だが実際にこうなったとき、彼らはきちんと現われた。

 彼らが事あるごとに〈器〉と親交を持つのもこのためだろう。語れる思い出が無くては話にならないのだ。

 百年前に生きていたレーシアを知っているのは、トニトルスやカエルムといった長命の種なのだ。


 アトルは胸に奇妙な座りの悪さを感じて眉を寄せた。

 レーシアを助けてやれるのが自分でなくて悔しいと、このとき確かに彼は思ったのである。





 ――うだるような暑さだった。空は地上を威嚇するかのような眩しい青。太陽は衰える気配も曇る気配もなく燦々と照る。じいいい、じいいいいい、と、どこかで虫が鳴いている。

 そんな灼熱の天候の中、森の入り口に建てられた掘立小屋の前に自分は立っている。目の前には背の高い男の人。白皙の顔に汗を浮かべて、しかし凛々しい表情は崩さない。

 変な人だ――、と思いながら彼を見上げる。

 暑い、暑い暑い。早く中に戻りたい。

 そんなことを考える自分の前で、彼が言う。名前を呼ぶ。


「――ファリシャさん、だね」




 違う。

 違う、自分の名前は――





「レーシア」


 穏やかに名前を呼ばれてレーシアははっとした。

 目の前に空人の金色の目があった。


「きみが初めて馬に乗ったときのことを覚えてる? サラリスの顔は見物だった」


 レーシアは仄かな笑みを浮かべた。


「そうだね、すごく慌ててたね」


「さて、もう朝だ」


 空人は言い、東の空を見上げた。

 暁闇の群青の空に一点、金色の光が差している。


「また辛くなったらいつでもお呼び。我々なり雷兵なりが必ず行くから」


 うん、と頷いたレーシアの頬を撫でて、空人は歌うように呟く。


「まったく。無茶しないようにと言ったろうに」






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