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26 「互いの意志」(6)

 エリフィアの援護に回る一隻の飛翔船から攻撃が降り注ぐ。


 最もエリフィアに接近して立ち回るエミリアは、飛翔船が照準を合わせられるような速度で動いてはいない。


 ゆえに飛翔船が狙うのは、エミリアの援護に回るアジャットたちだった。



 飛翔船から降り注ぐ氷槍、雷霆、衝撃波を、アジャットとフィリップが防ぎ続ける。

 防壁に攻撃が当たる轟音、防壁が砕け散る大音響が、ひっきりなしに耳朶を打つ。

 攻撃の余波で瓦礫が跳ね、崩れ、無事だった市街までが立て続けに崩壊していく。

 視界には半透明に煌めく防壁の欠片が飛び散り、ちらちらと輝いていた。


 アジャットもフィリップも、共に手負いの身である。

 防壁を構え、その防壁が揺らされる度に傷から全身に痛みが響き、もはや血管の中に溶岩を流し込まれているかの如き痛苦。


 フィリップが低く呻いて泣き言を誤魔化す一方、アジャットは唇を噛み、必死になって耐えていた。


「……生きながらにして全身を焼かれた経験――舐めるなよ……!」



 グラッドとデルはエミリアの援護に回り、それぞれの特等指定事由を如何なく発揮してエリフィアを狙い撃っている。


 エミリアとエリフィアが至近距離で切り結んでいることを考えれば、グラッドやデルの援護の一撃がエミリアに当たることも有り得ることだ。

 だが、エミリアはそれこそ目にも留まらぬ速度で動いている。狙ったところで当たるはずもなく、そうして高速で移動するエミリアからすれば、グラッドやデルの攻撃は止まってさえ見えているはずだった。

 同士討ちは案じるにも値しない。



 グラッドとデルが退路を断ち、エミリアが致命の一撃を加えんとして細剣を振る。

 だがそれを、エリフィアが避け続けている。


 戦況はその繰り返しになっていた。


 始めこそエミリアの攻撃を喰らったエリフィアだったが、一度エミリアの姿を捉えてからは、かなり的確に彼女の攻撃を回避するようになっている。


 目で捉えられない速度のエミリアの斬撃をどうして予想できているのか、グラッドは見上げながらも心底から疑問に思った。

 高速移動の限界がきて足を止めれば、そのときのみエミリアの姿が見える。その他の瞬間には、エミリアがどこにいるのかすら――それどころか彼女が確かにこの戦闘の中にいるのかすら、分からない程の速度なのだ。

 エミリアが足を止めた瞬間に窺えば、念動の足場を生成して宙に佇む彼女の呼吸は荒く、顔色も徐々に悪くなっていっている。体力も魔力も、尽き掛けていると考えるべきだった。

 そもそもエミリアの戦法は、長丁場に向いたものではない。


 一方のエリフィアは念動の足場を作り出して空中に立ち、目まぐるしく動いてはエミリアの攻撃を避け続けている。

 速度においてはエミリアに大きく劣るが、しかしそれゆえに、体力にはまだ十分な余裕がある。レーシアの魔力を預けられているのだから、魔力も尽きようはずはなかった。


 今にも足が震えそうな程に疲労を溜め込むエミリアに対し、余裕綽々の態度を崩さぬエリフィア。


 この差があって、まだエミリアがエリフィアに喰らい付いていられる理由――その一つに、エミリア自身の功績がある。

 エミリアがエリフィアに反撃を許さず、速度に物を言わせて彼女に回避以外の間を与えていないのだ。

 回避こそ優雅にこなすものの、反撃の素振りを見せる度に、すかさず更なる攻撃を加えられ、エリフィアが攻撃に移れていない。

 シェレス相手にその立ち回りが出来ているのだから、もしもエミリアが軍籍の者ならば功労賞ものの活躍である。

 そしてもう一つの理由として、エミリアがエリフィア以外の何物にも注意を割かないでいられていることが挙げられた。

 即ち、飛翔船の攻撃を引き受けるアジャットとフィリップの功績である。


 アジャットとフィリップの奮闘は、エリフィアをして瞠目せしめるものであり、エミリアは飛翔船の攻撃を一切気に掛けずにエリフィアに相対することが出来ているのだ。



 だが、その状況に、徐々にエリフィアの表情が変わっていっていた。

 苛立ちが濃く浮かび、戦況を変える一手を打つ間合いを計っている顔だ。


 この状況を変えさせてはなるまじと――エミリアの体力の限界がくる前に、エリフィアの息の根を止めねばならないと、グラッドとデルも焦燥を濃くする。



 グラッドが瓦礫ごと地面を隆起させ、エリフィアの背後で壁と成してその退路を断つ。

 同時にデルがエリフィアの頭上を雷霆で覆い、頭上への退路も断った。


 あら、と言わんばかりにエリフィアが目を瞠り、頭上と背後を一瞥する。

 そして、


「さっきからよくも飽きもせず。

 ――まだ甘いわ。こんなのでは全然だめ」


 からかうようなエリフィアの声を掻き消して、その背後で隆起した瓦礫の山が崩れ去る大音響が轟いた。


 それを尻目に、エリフィアは足場を解除して真下に逃れている。

 エリフィアが逃れたその先に、グラッドが衝撃波を撃って反撃を封じ、エミリアが次の一撃を加えるまでの数瞬を稼いだ。


 グラッドの衝撃波を躱したエリフィアは、宙返りして下向きの放物線を描くように、再び上空に戻っていく。


 グラッドが形成した瓦礫の山を突き崩したのは誰であろうエミリアだ。

 その激突のために動きの止まった彼女の姿が、今は見えている。


「ああ、もう……っ!」


 エリフィアに向かって、十分にその命に届く速さと強さで細剣を突き込んだものを、エリフィアに僅かな隙間を縫って躱された結果、勢い余って瓦礫の山に全身で衝突してそれを崩壊させたのだ。

 普通ならば激突だけで命を落とす速度ではあったが、そこは特等指定魔術師。

 己で突っ込んだ目標物に衝突した結果に命を落とすような無様は晒さない。


 悪態を漏らしたエミリアが、瓦礫に突き刺さった己の細剣を腹立たしげに引き抜き、すかさずまた高速移動に入る。


 デルの雷霆がばちばちと爆ぜながら消えていき、グラッドとデルが一様に表情の険しさを増した。

 空中を走り抜けながら、エミリアもまた焦燥の色を濃くする。



 エリフィアが攻撃に特化したシェレスではなく、また彼女に反撃を許していないということ。

 飛翔船の攻撃をアジャットとフィリップが引き受け続けているということ。

 ――この二点があって、エミリアやグラッド、デルに目立った外傷はない。あったとしても掠り傷だ。


 だがその一方で、体力と魔力の消耗が著しい。


 高速移動を繰り返すエミリアは、先程から呼吸も危うく頭痛がする。手足も軋むように痛む。

 大規模魔術を繰り返して発動するグラッドに至っては、魔力も底を尽き掛けているはずだ。恐らくは生命力を――寿命を犠牲にして魔術を行使し続けている。

 デルはまだそこまで深刻な事態には陥っておらず、いざグラッドに限界がきた場合には、エミリアの援護を一手に担ってもらうしかない。



 まだはっきりと優位に立てたわけではない。

 だが、ここからはもう、時間を掛ければ掛けるほどにこちらが不利になっていくのみだ。


 それが分かっているからこそ、対エリフィアの攻撃を担う三人の胸中には、止めを焦る気持ちが強い。



 グラッドが大きく腕を振った。

 展開された白い魔法陣から、半透明の巨大なあぎとが突き出し、がばりと開いて真下からエリフィアを喰らわんとする。


 同時にデルがエリフィアの前後左右に炎壁を展開。

 陽炎が立ち、さしものエリフィアも顔を顰める。


 言葉も合図もなかったが、グラッドとデルが意図するところは明らかである。

 それを、エミリアも読み違えるようなことはしない。


 唯一残ったエリフィアの脱出経路――頭上から、エミリアが細剣の切先を下に向け、エリフィア目掛けて飛び降りた。

 残像すら残さぬ、目では捉えられない速度の落下。


 下からはグラッドの魔術、周囲はデルの炎壁に囲まれ、真上からはエミリア。

 エミリアの落下をエリフィアが知覚しているかどうかは定かではないが、限界を迎えて軋む全身に鞭打ちながらも、エミリアは「勝った」と確信した。


 グラッドが魔法陣を更に展開し、エリフィアの足元を無数のあぎとで埋めてみせる。

 エリフィアがレーシアの魔力を預けられているとはいえ、彼女も人間。蹴散らせる術式の数には限りがあるはずだと踏んだのだ。

 同じ考えでデルもまた、炎壁を幾重にも展開する。


 細剣を逆手に握り、重力を味方につけ、エミリアがエリフィアの心臓にその切先を突き立てようと――



「だから、全然だめだってば」



 がくん、と身体の動きを止められ、エミリアの喉を吐瀉物が逆流してきた。

 必死にそれを呑み下すと同時、エミリアは現状への理解を置き去りにして真下に蹴落とされる。


 グラッドが同士討ちの危険を察し、驚異的な速度で術式を解除する。

 しかしそれ以上はさすがに手を打てず、エミリアの落下を為す術なく見守った。


 見守るといってもほんの一瞬。

 瓦礫の上にエミリアが全身を打ちつけ、痛みと衝撃に息を詰まらせた後、背中から突き上がるように全身を苛む激痛に絶叫した。

 罅割れた、途切れながらも長々と続く、苦痛の悲鳴。

 のたうち回るようにエミリアの身体が動くも、すぐにその動きによって更なる痛みが誘発され、一際甲高い絶叫と共に動きが止まる。

 その後には、手負いの獣を思わせる呻き声が続いた。



 それを頭上から見下ろし、エリフィアはにこやかに微笑んだ。


 あの一瞬で、上空から迫るエミリアを認識すると同時に彼女を蹴落とし、彼女を足場にする形で自身は上空に逃れたのだ。


 その認識が現実に追い着いたデルが己の術式に手を加える。

 デルの炎壁が形を変え、蛇のようにのたくってエリフィアに迫った。


 だがそれを、エリフィアは左手を軽く振ったのみであっさりと霧散させた。


「本当に駄目ね。私たちシェレスを舐めては駄目。そんな程度の力では駄目。覚悟が足りないのよ、全然だめ」


 瓦礫に叩き付けられたことで全身に傷を負い、血を吐いたエミリアが、驚嘆すべき精神力で呻き声を抑えてよろよろと身を起こした。その背中から血が滴る。

 エミリアの唐樒の目が泳いでエリフィアの姿を捜す――しかしそこまでだった。


 身を起こすと同時に悲鳴を上げ、エミリアがその左脚を庇ったのである。


 何の自衛も出来ずに落下したのだから当然とも言えたが、骨が数本折れているようだった。

 むしろ、全身の骨が砕けなかったのが奇跡と言えた。



 エミリアが初めてエリフィアに反撃を許し――そのただ一度の反撃が、とてつもなく重く響いた瞬間だった。



「……シャルト特等指定」


 デルが思わずといったように声を出す。

 その声には、エミリアを案じる心よりもむしろ、この先の戦闘に対する不安が色濃く匂った。


 アジャットとフィリップは飛翔船の攻撃を引き受けるだけで手一杯だ。アトルですら苦戦する代物なのだから、たった二人で耐えていることがそもそも異常。

 そしてグラッドとデルは魔力の限界も近く、速度が強みであるエミリアは脚を負傷した。


 優勢が見えた、勝機が見えたと思った矢先の暗転、絶体絶命だった。


 グラッドは息すら憚って現状を受け容れようとした。

 彼をはじめとして、デルにもフィリップにも、もはや絶望以外の言葉が見付からない。


 そんな彼らを見下ろすエリフィアはいっそ退屈そうに唇に指を宛がい、首を傾げる。


「まあ、わざわざ私に挑んできたくらいだから、どれだけのものかと思えば。――とんだ雑魚ね、びっくりしてしまう」


 上空から、痛みに全身を震わせるエミリアを眺め、続いて硬直したグラッドとデル、そして防壁を掲げ、その重さに必死に耐えるアジャットとフィリップに視線を移し、エリフィアは独り言ちた。


「……どれから片付けようかしら。レーシアさまと仲がいいのはどれかしら。

 どれを片付ければ、レーシアさまは諦めてくださるかしら」


 まずい、とグラッドの脳裏で警鐘が鳴り響いた。


 既に魔力に余裕もなく、飛翔船も片付いてはいない。

 空中戦の決着が着けばこちらに応援が来ることもあるだろうが、空中戦の戦況がこちらに優位なものになったとはいえ、まだ決着は着いていない。

 エミリアが縦横無尽に動いてエリフィアに攻撃を許さなかったからこそ、勝機も見えていたのだ。

 エミリアの足が封じられてしまえば、もはやレーシアの魔力で撃たれる一撃を凌ぐことは難しい。


 殆ど無意識に立ち位置を変え、グラッドはアジャットを庇う位置に立った。


 飛翔船から降り注ぐ攻撃を受け止め続けているアジャットが、群青色の目を見開いてグラッドを凝視する。

 だがそれは背後のことであり、グラッドはそれに気付けない。


(アジャットさん、あなたが私にくれたものは……余りにも大きい)


 エリフィアは眼下の獲物を吟味し終え、ほっそりとした指でこちらを示している。

 重傷を負ったエミリアに止めを刺すことは後回しにするようだが、どのみち全員を始末するつもりではあるらしい。


 当然といえば当然のこと、エリフィアはレーシアと近しい者を殺害し、レーシアの感情を諦念に傾けるためにここにいるのである。

 今ここでグラッドたちが命乞いしようと背を向けて逃げ出そうと、斟酌せずにこの場の人間を皆殺しにするだろう。


(私は、何一つとしてあなたに返せてはいません……ですが、せめて)


 エリフィアの左手首で水晶が煌めく。

 レーシアの魔力が水晶の内部で、エリフィアの命令を受けて動いている。


(あなたを……、私よりも先に、死なせはしません……!)


 グラッドが魔法陣を構築しようとした、まさにそのとき。


 背後でアジャットが叫んだ。


「グラッド! 防ごうと思うな! 目くらましでいい! バーセル高等指定、私に倣ってくれ! デル特等指定、グラッドの援護を!」


 フィリップが小さく、「え」と声を上げた。

 この現状を前に、まるで打つ手があるかのようなことをアジャットが言ったのが、どうにも受け容れ難く響いたらしい。

 デルもまた、金褐色の目を大きく見開いてアジャットを振り返ろうとする。


 だが、グラッドは違う。


 自分自身でいくら現状を絶望的であると判断しようが、他の何人が自分と意見を同じくしていようが、アジャットに対する信頼がそれら全てを凌駕する。

 アジャットが打つ手があると言えばあるのだと、全ての理屈を超えて判断できる。


 ゆえに、グラッドは描き出そうとしていた術式を変更した。

 目くらましと指定されたのだから、本来は精神系の魔術が望ましい。


 だが、精神系の魔術を戦闘中に使うのは、魔力と集中力の無駄遣い――下策中の下策である。

 魔術の三属性のうち、最も消費魔力が大きく最も難易度が高い魔術――それが精神系なのだ。

 つまりは、多大な魔力を支払った上で行使したとして、相手――つまりは敵の精神状態に効果が左右される唯一の属性だ、目に見える効果が現われることは少ないのである。


(アトルさんと、同じ理由で特等指定されていれば、……また別だったのでしょうが……)


 内心で苦笑するグラッドは、もはや懐かしくさえ感じるアトルの顔を脳裏に描いた。

 アトルの特等指定事由の一つは、彼が示した精神系の魔術に対する適性である。


 だが、グラッドの特等指定事由はあくまで、広域戦闘における殲滅だ。無いものねだりをしても仕方がない。


 グラッドが目の前に描き出した魔法陣が、真白い強烈な光を放った。

 アジャットの指示から僅か一秒、上出来な反応である。


 彼が躊躇いのない行動を示したことで我に返ったのか、デルもまた爆発的な光を放つ魔法陣を展開する。


 白光が虹色の光輪を描き出し、辺りを席巻して影すら掻き消す強烈な光で空間を埋めていく。


 アジャットがグラッドに指示を出す声は聞こえていただろうが、続いたグラッドの行動が素早かったため――また、目くらましと聞いて幾つかの術式を予想できる機転があったがゆえ、咄嗟に対応できず、エリフィアが目を覆った。


 だが、エリフィアもまたシェレスの一員に数えられるだけの手練れ。

 すぐさま対応する元素系の魔術を行使する。


 エリフィアの周囲で、漆黒の小さな花が無数に咲いた。

 宙に咲き乱れる可憐な花々が、光を吸い込んでいっそう黒々と沈む色合いに染まっていく。グラッドとデルの魔法陣から放たれる白光が弱まっていく。


 しかし、それは予想できたこと。


 すかさずグラッドが第二の魔法陣を展開する。

 大風が吹き荒れ、瓦礫から粉塵を巻き上げて周囲一帯に煙幕を張った。

 千切れ雲の向こうから下界を照らす太陽の光が遮られ、周辺をざらついた薄闇が覆う。


「鬱陶しい……!」


 エリフィアが呟き、彼女もまた風を呼んで粉塵を払おうとする。


「――堪えてくれ」


 アジャットの囁き声を聞き、グラッドは頷いた。

 幸い、瓦礫ならば際限なくある。粉塵を巻き上げることと静めること、どちらが難いか考えるまでもない。


 そしてこの状況は、上空の飛翔船からもよく見えたことだろう。

 空中戦の方がいよいよ宝国に不利となればそちらに向かうよう、エリフィアに指示されているとはいっても、こうまであからさまなエリフィアに対する妨害を、上空からであっても見過ごすことは出来ない。


 だからこそ、飛翔船の船底で唸りを上げて魔法陣が展開された。

 放たれるのは衝撃波。

 周辺の粉塵を払うべく、白く凝ってさえ見える、空気を薙ぎ払う衝撃波が撃ち下ろされた。


「バーセル高等指定!」


「あなたに倣えって言うんでしょう!?」


 アジャットの呼び掛けに、このときばかりは阿吽の呼吸でフィリップが応じた。


 ヴォン、と音を立てて展開された魔法陣が煌々と輝いた。


 アジャットとフィリップが掲げるその魔法陣が、撃ち下ろされた衝撃波と激突し――



 目に見える光景が歪んだ。


 名状し難い音が炸裂し、アジャットとフィリップの魔法陣が大きく撓む。

 撓んで元に戻ろうとする、その間にも魔法陣とぶつかった衝撃波の余波で、周囲の粉塵が吹き散らされていく。

 それに留まらず、アジャットとフィリップの足が瓦礫にめり込んだ。


「アジャットさん!」


 なおも粉塵を巻き上げ、エリフィアへの目くらましとしながら、グラッドが溜まらず声を上げた。

 だが、それに応える余裕などアジャットにあろうはずもない。歯を食いしばり、術式を補強しようとしながら、必死に耐え抜く彼女の額に汗が浮く。


「――こ、のぉぉ……っ!」


 呻くアジャットの隣で、フィリップは殆ど膝を折っていた。


「重……過ぎる――っ!」


「――どこがだっ!」


 弾けるように叫んだアジャットが術式を補強し、魔法陣が冴え冴えと輝く。



「大事な友達を庇った上に、焼けた家が崩れ落ちてくることに比べれば――まだ軽い!!」



 激しいばかりのアジャットの断言、それと同時に二人の魔法陣が完全に衝撃波を押し返した。


 押し返して――しかし衝撃波の軌道が逸れた先は飛翔船ではない。

 真上に返す余力は、さすがにアジャットにもない。


 だが、それは狙い通り。


「本当に……小賢しい!」


 未だに巻き上がり続ける粉塵を透かして現状を認識し、忌々しげに呟いたエリフィア。

 彼女目掛けて、宝国国王ゼティスが編んだ術式から生まれた衝撃波が迸った。









 ――何かが弾け飛ぶような炸裂音を耳許で聞き、エリフィアは自らの身体が空中で、大きく後方に吹き飛ぶのを感じた。

 防壁は築いたものの、その防壁ごと身体が押し遣られている。


 レーシアの魔力で練成した防壁だというのに、ゼティスが編んだ術式はそれすらも脅かす。


 押されるばかりでは体勢を立て直すことに時間が掛かる。

 それを分かっているからこそ、エリフィアは身を捩り、強引に足場を形成、それを蹴って上空へ逃れた。


 衝撃波に煽られて視界が回転するも、エリフィアはすぐに自分自身を安全な高さまで運ぶ。

 同時に防壁を解除――途端、防波堤を失った大波の如く、衝撃波が足下を過ぎ去った。轟音と共に瓦礫を粉砕し、粉塵を巻き上げながら、衝撃波がレンヴェルト市街に太い一本の道を切り開く。


 それを見送り、エリフィアは明確な苛立ちを籠めた眼差しでアジャットたちがいるはずの方向を振り返った。

 衝撃波に押された距離は相当のものだが、まだアジャットたちを見失うほどではない。


 この隙にアジャットたちが逃走したことも十分に考えられるが、それならば見付け出して嬲り殺しにするまでのこと。


 粉塵が濛々と立ち込めている。

 先程から、つくづく鬱陶しい。


 憤激を籠めた仕草で手を振り、エリフィアはその場に風を呼び込んだ。

 ごうごうと吹く風が粉塵を散らせ――


「……あら?」


 エリフィアは眉を寄せ、呟いた。

 先程まであれほど、エリフィアが粉塵を散らすことを妨害してきたというのに、今度は自棄にあっさりと粉塵が散らされていくのだ。


 どういう風の吹き回しか。


 まず真っ先に考えられるのは、アジャットたちが逃走し、もはや近くにいないという可能性。

 近くにいなければ、こちらが粉塵を晴らすことを妨害できなかったとして不思議はない。


 そして、考えられる他の可能性は――


「――エリフィアああああああっ!!」


 悲鳴なのか絶叫なのか、あるいは雄叫びなのか、判断がつきかねる声がエリフィアの名を、声を限りに吐き出した。


 その声は眼下――粉塵が晴れつつある地上、瓦礫の上から聞こえる。

 だがエリフィアの本能が、すんでのところで頭上から迫る危険を察知した。


 右の掌の中に、棒状に防壁を生成する。

 それを握り、振り被り、エリフィアは反射と本能の命じるまま、目の前の一点に向けてそれを振り下ろした。



 ぎんっ! と、背筋を撫で上げる不気味にして激烈な音が上がった。


 エリフィアが生成した防壁に食い込む細剣を握る女が、ち、と険しい顔で舌打ちを零す。



 防壁と細剣の、奇妙な鍔迫り合い――その中で、エリフィアは赤紫の目に、さすがに驚きを浮かべていた。


「あなた……どうして?」


 全身の力を籠めてエリフィアの防壁を割り砕かんとしているのは、間違いなくエミリア・シャルトだった。


「確か脚を――」


 エリフィアが上空から蹴り落としたとき、確かに脚を砕いたはずだ。

 治癒の魔術を使ったにせよ、あの痛みの中で本人が治癒魔術を行使することは不可能。

 治癒魔術は極めて繊細なものなのだ。痛覚を持って生まれた以上、激痛に苛まれながら、骨の接合など出来るはずがない。


「――っ! そういうことね!」


 はっと気付き、エリフィアはエミリアの細剣を押し返す。


 後ろに体勢を崩したエミリアが、しかしすぐに足場を生成して持ち直す。

 そうして細剣を構え直し、エリフィアに相対するその表情は鬼気迫るものだった。


 そんなエミリアには注意のみを割いて一瞥もくれず、エリフィアはいよいよ粉塵が晴れた眼下に視線を向ける。


 アジャット、グラッド、フィリップ、デル――この四人がいた場所を見る。

 ()()しかいない。

 外套を羽織った群青色の目の女――アジャットがいない。


「よくもまぁ……」


 呆れと称賛を半々に匂わせる声で呟き、エリフィアは視線を移動させた。


 そして、先程までエミリアが倒れていた辺りに座り込むアジャットを見付けて、その唇を歪ませる。



 粉塵でエリフィアの目をくらませ、その隙に飛翔船の攻撃を跳ね返してエリフィアの注意を逸らせる。

 そして更にその隙を拾い、アジャットがエミリアの脚を治療したのだ。


 疲労も痛みも相当のものだろうに、それでもその策を立てたアジャットには、さすがのエリフィアも称嘆の念を抱かざるを得ない。



 だがそれでも、この世界に完全な回復など存在しない。

 エミリアを筆頭としてこの場の全員が、既に限界が近いはずだ。


 アジャットに対しては感嘆し、その健闘を称える気持ちがありつつも、エリフィアは己の勝利を確信した。


 そもそも回避を得意とするエリフィアの戦い方は、アディエラやハッセラルト、ウィルイレイナや――そして誰よりもレナードのように、自身の戦闘力で相手を叩き潰すことにはない。

 戦闘を長期化させ、自身の消耗は最小限に、相手の消耗を誘って勝つやり方なのだ。


 つまりこの戦闘は、ほぼエリフィアの台本通りに進んでいると言って良かった。


 どれだけ足掻かれようとそれは変わらない。

 相手が疲労を知る人間であるということ、ただそれだけでエリフィアは優位に立つ。


 エミリアが戦線に復帰したことで、確かにエリフィアがこの場の全員を殺すことに要する時間は延長された。

 だがそこまでだ。

 エリフィアの勝ちは動かない。


「本当に――ご愁傷様!」


 嫌味を籠めてエリフィアがエミリアに言葉を投げ付ける、それと同時に空中戦の情勢が大きく傾いた。




 耳を聾する爆音、視界の隅で炸裂し、そのまま網膜を灼く鮮烈な光。




 アトルが王宮内に叩き付け、どんな重傷を負おうとも決して浮上を許さなかった宝国の飛翔船。


 それが、遂に動力源たるアルナー水晶の暴発を引き起こし、破裂音と共に爆発炎上したのである。









 耳を劈く音が複数回、重なり合って響く。

 飛翔船を中心として、同心円状に吹き荒れる衝撃波。

 そして天を衝く程に高く突き上がる火柱。


 紅蓮の炎が黒煙を伴い、王宮の建物群をも巻き添えにして飛翔船に断末魔を叫ばせている。


 大破する飛翔船の周辺で、地面が立て続けに捲れ上がって王宮諸共に燃え上がっていく。

 凄まじい上昇気流が発生し、空人と雷兵が一斉に退避した。


 爆風が王宮全体を席巻するように吹き荒れ、市街にまで風が及んで宙に佇むエリフィアとエミリアがよろめく。

 エミリアに至っては、風を受け流すだけの余裕もない。押されるままに数歩よろめき、足場から転落し掛けたところで踏み留まった。


 風に粉塵が完全に吹き飛ばされ、灰色の薄闇が風下に向かって散っていく。



 このときばかりは、エミリアもエリフィアも、一様に王宮を振り返った。



 天に衝き上がる炎に照らされて、空人の翼が無数の星のように煌めいていた。

 雷兵が操る雷霆の輝きが炎に呑まれ、まるで炎が派手な火花を纏っているかのよう。


 まだ昼下がりだというのに、紅蓮の光に照られて明暗がはっきりと分かれたレンヴェルト市街も王宮も、いっそ日暮れの一時に見えた。



 王宮の一画で展開され続ける大規模魔術の応酬、それすら一瞬間の沈黙を選んだ。

 飛翔船の船体が内側から弾け飛ぶ爆音があってなお、奇妙な静寂を感じさせる一瞬――





 その一瞬に、誰よりも影響を受けたのはアトルだった。


 レーシア目掛けて本宮を指し、疾駆する彼が、並べた念動の足場から危うく転落し掛ける。

 飛翔船を押さえ続けていた魔術、それが対象の消失により、外部から強引に解除されたことによる衝撃がアトルを襲ったのだ。


 空中戦の余波から、思うように進めないアトルは焦燥に唇を噛み、翠玉の色に染まった目を閉じて頭を振る。

 そうしてその衝撃を振り払い、アトルは次の一歩を踏み出した。


 点々と血の足跡が念動の足場に残り、彼の余力ももはや無いに等しいことを突き付けている。


 念動の足場に落ちた真っ赤な足跡は、その足場が解除されると同時に雫となって眼下に降り注ぐ。

 ぽたぽたと落ちるその凄惨な雨粒の間隔は、そう開いたものではなかった。


 ――如何に気力を振り絞ろうとも、既に限界近いアトルの移動速度が遅々としたものになっていることを、その雫が示しているのである。





 紅蓮と漆黒の二色に、まるで絵画のように染め上げられた王宮と市街。


 それを目に映して一秒、エリフィアが叫んだ。

 その眼前に渦を巻いて展開されたのは通信魔術だ。


「――行って! あちらに加勢、敵の飛翔船を墜とせ――空人と雷兵を撃ち落とせ!

 あの青年――アトルは!? まだ殺せていないの!?」


 その指示が誰に向かって下されたものか、考えるまでもない。

 頭上の飛翔船だ。



 霞む意識の中、エミリアは微かに、「助かった」と思考した。

 飛翔船がこの場から去れば、アジャットとフィリップがエリフィアへの攻撃に魔力を回せる。

 魔術の火力を言えば、この場の五人の中ではアジャットが最大なのだ。

 エミリアの負担は軽くなると言える。


 だが、アジャットとグラッドが抱いたのは危機感だった。


 アトルが今どういった状況にあるのか、この場にいる限りは分からない。

 だが、王宮方面で空中戦が激化していること、そして同じ方向で何度も何度も大規模魔術が展開されていることは、この場にいても分かることである。


 アトルが身を置く状況が、決して甘いものではないと察せるのだ。

 ――だからこそ。


「まずい……」


 グラッドが呟き、離れた場所でよろよろと立ち上がりながら、アジャットもまた呟いた。


「アトル青年の方へ行かせるわけには……!」


 空中戦で、宝国の飛翔船が一隻片付いた。

 こちらに、空人なり雷兵なりの援護が見込める状況になったのだ。

 だが、空人と雷兵にそれを要請する手段がない。アジャットたちには、彼らの言葉は分からない。

 そして、空中戦をこなす者たちの側でそれを判断している間にも、この場の飛翔船が宝国への助勢に行ってしまう。


 空中戦の戦況が振り出しに戻ってしまう。


「――駄目だ……!」


 掠れ声でアジャットが囁き、手許に魔法陣を構築し始める。

 上空との距離がある中、そして単独での火力をとっても、飛翔船を墜とすことは不可能だ。

 だが、なんとか足止めだけでも図ろうとしたのである。


(通信魔術の補助道具――、いや、何でもいい!

 中で何か、魔術の媒体に使える結晶を使っていれば――!)


 過去に一度だけ、アルテリア皇城で成功させた手段を使おうとするも、消耗が激し過ぎた。

 今更あのような、危ない橋を渡ることは出来ない。



 飛翔船が、船首を大きく王宮の方へ向けて振った。

 アジャットとグラッドが無力感に呻いた。





 ――同瞬、空中を踏んで上空に迫り、飛翔船に取り付く小さな影。









「……はい、それは駄目」


 疲れ切ってなおお道化たような声が、飛翔船の上構の上で零される。

 声と同時に少量の血を吐きながらも、その声の主は小さく微笑み、乱れて解けた金髪を掻き上げた。


「せっかくここまで追い着かれずに来たんだもん。

 せいぜい私の役に立ってもらうわよ、飛翔船さん」


 飛翔船の上構の上へ、決死の大跳躍を成功させたリリファが、大剣をそこに突き立てて縋り、金髪を旗のように靡かせながら、達成感と哀惜を同時に滲ませる声を零していた。















 ふと厭な予感を覚え、ディーンは眉を寄せた。


 レンヴェルト市街を駆け回る戦況は不利にも程があり、厭な予感どころか厭な現実が全身を苛んでいる状況である。

 だがそれでも、唐突に心臓の辺りに走った予感が、きりきりと鼓動を圧迫した。


「ディーンさん!」


 レティオに叫び声で注意を促され、ディーンは正面に注意を戻して見えない相手に向かって剣を突き刺した。

 切先を肉体が掠めた感覚があり、すかさず一歩踏み出して距離を詰め、刃を相手の腹に貫き通す。


「後ろもです! ――オリアさん、左! ゲルドさん、右斜め前――上!」


 続くレティオの叫びに、ディーンは宝士の身体から剣を抜く間も惜しんで振り返り、見えない宝士の遺体――その背中側から突き出した剣先で、己の背後を突こうとした宝士を返り討ちにした。

 同時に、オリアとゲルドが撃たれた魔術を受け止め、その威力を逸らして暴発させる。傍の建物がその影響で大破し、ばらばらと石片と粉塵が飛び散った。



 何十人と相手取るうち、レティオの指示も堂に入ったものになり、彼が注意を促すときに宝士が大抵どの位置にいるのか、ディーンたちにも把握できるようになっていた。


 だがそれでも、相手取る人数が多すぎる。

 その全員がレーシアの魔力を使っている現状で、何一つとしてディーンたちに有利に働く現実がない。



 宝士の遺体から剣を引き抜く。

 目の前に血飛沫が散る。

 それを方々に飛散させ、宝士たちの大体の位置を洗い出す。


 ――そうしながらもディーンの胸に、先ほど覚えた厭な予感が、しこりのようにわだかまって残っていた。


「……リリファ?」


 呟いた声は小さく、他の誰に聞き取られるものでもなかった。















 眼下で対エリフィアの戦闘が行われているのを覗き込み、風に髪を嬲らせながらも、リリファは口笛を吹いてみせた。


「ふぅーっ、すごい! あの特等指定、ほんとに見えない速度で動くんだ!」


 飛翔船はその針路を、完全に王宮の方向へ定めている。

 大剣に縋って立ちながらも偉そうに、リリファは上構を爪先で蹴った。


「――駄目だってば、ほんと」


 必死の思いでシャレイエルを引き離し、空中に飛び出してここに至ったのである。

 走る経路が瓦礫の山になったことで、シャレイエルから身を隠しやすかったということも吉に出た。


 だが、シャレイエルを侮辱したリリファに対し、彼の怒りようは凄まじかった。

 心配せずとも、今もきっちりとリリファを追尾していることだろう。


 息を吐き、リリファは上構の装甲から大剣を引き抜いた。途端、慣性と風圧に身体を持って行かれそうになり、「うわっ」と小さく呟く。

 そうして、とん、と軽く上構を蹴ると、敢えてその身体を空中に躍らせた。


「勢い余って上まで来たけど、狙いはそこじゃないのよね……っ!」


 自分自身を鼓舞するために声に出して呟き、リリファは全身を叩く豪風の中、身を捩って足下に魔法陣を形成、己の落下軌道を修正した。



 そうやって至ったのは、空気を割って進む飛翔船の船底付近である。

 丸みを帯びた銀色の筐体を頭上に仰ぎ、まさに手が届く位置。


 そこに念動の足場を生成、足場を飛翔船に繋ぐ。

 巨大な鋼鉄の塊を見上げることに閉塞感を覚えて顔を顰めつつも、生成した足場の上にしっかりと足を踏ん張り、リリファは風に踊る金髪を左手で後ろへ掻き遣った。


 そして、両手を大剣の柄に戻す。

 ぎゅっとそれを握って大剣を正眼に構え、リリファはふっと微笑んだ。


「長い間、世話になったけど。……このでかぶつを墜とすのが最後の仕事になりそうよ、相棒」


 大剣の鍔で、アルナー水晶が冴え冴えと青く輝く。


「アトルに貸したりしてごめんね、扱い荒かった? ま、いっか……」


 吹き付ける暴風の中、リリファはにっと笑う。


(この飛翔船は、宝国国王の術式で守られてる)


 事実を頭の中に並べ、鋭利な水流としての本性を顕わした大剣の刀身で以て、渾身の力で飛翔船の船底部分に斬り付ける。

 削断の意志を籠めて回転する水流が、飛翔船の硬い装甲を僅かながらに斬り裂いた。


(つまり、防御に回りさえすれば、大抵の攻撃は通さない)


 今こうやってリリファの大剣が届いているのも、リリファが飛翔船に比して余りにも小さな存在であるため、この行動を飛翔船側に察せられていないからこそ。


(こいつの中にも、防衛本能のある人間がいるのよ。

 落下し始めれば間違いなく、その衝撃を殺すために防御に回るわ)


 それこそ、墜落したとしても飛翔船は戦力になるということを、ファラ・シャンディエが乗る飛翔船が証明してみせたのである。

 同じようにして、落下しようとする飛翔船は恐らく、その能力の全てを防御に傾ける。


(そうなればもう、誰が何しようと、短時間ではこいつを破壊することは不可能。落下軌道を変えることも難しい。だから――)


 ぎぃぃぃっ! と耳障りな音を立て、飛翔船の装甲を成す、正方形に形を整えられた板金の一枚が剥がれた。

 外れた板金は、錐揉み回転しながら眼下へ落ちていく。


(こいつの動力源のアルナー水晶に干渉して、こいつを墜とす!

 落下地点にシャレイエルを誘き出して、死ぬ気で足止めする!

 シャレイエルを墜落するこいつの下敷きにすれば、さすがのシェレスでも絶対死ぬわ!)


 シャレイエルとて、墜落する飛翔船が迫れば確実にその場から退避しようとするだろう。


 だからこそ、リリファは()()()()()()、シャレイエルの足止めをしなくてはならない。


(……心中とか、趣味じゃないけど)


 己の死を成功の条件とする策を自らが立てたことに対し、淡い苦笑がリリファの唇に浮かぶ。


(レーシアさんの魔力を使ってるんだもん、これくらいしか方法は思い付かないわぁ)


 剥がれた板金の向こうには、動力源たるアルナー水晶の働きを助けるための無数の水晶、そして歯車や骨組みが見えている。


「めんどくさいなあ!」


 歯を食いしばって声を荒らげ、リリファはそれらに対しても躊躇なく大剣を揮った。

 水晶が砕かれ、儚い音と共に煌めきながら欠片を風の中に飛ばす。歯車が破壊され、弾け飛ぶ一方、残った歯車は空転した。

 骨組みに大剣を突き立て、リリファは奥歯を噛み締める。


(早く、早くしないと――!)


 シャレイエルに追い着かれれば、彼を相手取りながら飛翔船に対する破壊工作をすることになる。シャレイエルが飛翔船に警告を発すれば、それすら儘ならなくなる。


 骨組みの一部を斬り裂き、リリファは足場を上昇させ、肩から身体を飛翔船内に捻じ込むようにした。大剣を握る手の甲に青筋が浮かび、腕が震え始める。

 ぱきんっ! と音がして、更に数個の水晶が砕け、歯車が弾け飛ぶ。

 入り組んだ骨組みに向かって、大剣を突き込むだけに留まらず、リリファは衝撃波まで撃って動力源のアルナー水晶に近付こうとする。


(早く、早く、早く!)


 己を急かす思考が焦燥に灼ける。


(早く、早く、早――)



「なぁぁにしてんだぁあ?」



 今、最も聞きたくない声が真下から聞こえて、リリファは全身を硬直させた。



「……うそ……」


 呆然と声を零し、リリファは身体を捻じ込む飛翔船の外を見下ろした。



 そしてそこに、額に怒筋を立てるシャレイエルを見た。



「これは主上の物だぞぉお? それに、おまえは、なぁぁにしてんだぁあ!? あァ!?」


 声を荒らげ、シャレイエルがリリファの足首を掴んだ。


 骨が砕けんばかりに力を籠められ、リリファの喉から絶叫が迸る。

 もう片方の足でシャレイエルを蹴り付け、その手を離させようとするも、全くの無駄だった。


 ぐい、と足首を引かれ、リリファが飛翔船の中から引き摺り出される。

 ごうごうと吹く風に全身を晒され、右足首に掛かる負荷も緩まず、リリファは危うく失神し掛けた。

 そんな彼女を、シャレイエルは己が生成した念動の足場に叩き付ける。


「あああっ!」


 叫び、リリファは手にした大剣をシャレイエルの腹部目掛けて突き出した。


 だが、直撃の寸前で揺らめくようにシャレイエルの姿が掻き消える。

 右足首に掛かる力は緩んでいない。つまりは手の届く範囲にいるということ。


 だが、それでも、大剣が当たらない。


 (くう)を虚しく噛んだ大剣の柄を握り締め、リリファはいよいよ砕けそうになる足首の痛みに悲鳴を上げた。


「どぉぉこ狙ってんだよぉお」


 ぱっ、とシャレイエルの姿が現われる。

 リリファの足下から、リリファの右横へと移動した彼の若草色の目に、満身創痍のリリファが映り込んでいる。


「――ッここよ!」


 売り言葉に買い言葉でそう怒鳴り、リリファは跳ねるように上体を起こし、自らの右足首を掴むシャレイエルの左手目掛けて大剣を振った。

 がんっ! と騒々しい音を立て、大剣が防壁に阻まれる。

 阻まれたと見るやリリファは大剣を翻し、シャレイエルの喉元目掛けて切先を跳ね上げた。


 その切先を避けようと、シャレイエルが仰け反る――


 ばきっ! と凄まじい音がした。

 リリファの脳裏も視界も真っ赤に染まった。


 ――遂にリリファの右足首が砕けたのだ。



 意識が遠のく痛みに抗い、リリファは右足首がシャレイエルの手から解放されたことだけを意識した。

 リリファの大剣を避けるため、シャレイエルはリリファの右足首を砕いて手を離したのだ。


「くれてやる――足の一本くらいくれてやるわよ!!」


 もはや支離滅裂に、己を鼓舞するためと意識を保つためにそう叫び、リリファは左脚のみで足場の上に踏ん張り、その足で足場を渾身の力で蹴り付けた。


 足場は揺るがず、それゆえにリリファの身体が真上に跳ね上がる。


 跳ね上がると言っても大したことではない。

 座り込んでいたリリファが立ち上がったに過ぎない。

 その体勢も元より大きく崩れている。


「だああああっ!」


 気合の声というよりも悲鳴を誤魔化すための叫び。それがリリファの唇を劈いて上がり、リリファは体勢が崩れたことさえ利用して、全身でシャレイエルに体当たりを喰らわせた。


 有効とはとても言い難い、児戯のようなその動きに、シャレイエルの対応も一瞬遅れた。

 その一瞬で、リリファは無我夢中になってシャレイエルの左手首に手を伸ばす。

 レーシアの魔力が籠められた水晶さえ破壊すれば、シャレイエルの戦力を大きく削ぐことが出来るからだ。


 だが、


「主上からの賜り物にぃい! てめぇ如きが手を伸ばしてるんじゃぁないッ!」


 膝で鳩尾を蹴り上げられ、リリファの指先が空しく水晶を掠める。呼吸が詰まって目の前が暗くなる。


 最後の足掻きの如く、リリファの手が自分の胸倉を掴むのを感じながら、シャレイエルは嘲笑を漏らした。


「臆病者だの何だのぉお、随分と勝手を言ってくれたなぁあ。――てめぇはそれに負けたんだぁあ。

 せいぜい自分の馬鹿さ加減を恨みながら、惨めに挽肉にでもなってろぉお」


 血塗れになったリリファの身体を掴み、シャレイエルが彼女を眼下に向けて放り投げた。


 重力に従い、未だに大剣をしっかりと握り締めるリリファが、足場の上から地上に向けて落下を始める。



 ――その一瞬。



 にぃ、と、リリファの唇が弧を描いた。

 同瞬、僅かに身体を前に引かれ、シャレイエルは眉を寄せる。わざわざ落ちる謂われもなく、足場に踏ん張り直したそのとき、ぷつん、と何かが切れる音を耳許で聞いた。


「……あ?」


 訝しく思い、シャレイエルは耳許に手を遣った。

 そのときには既に、リリファは遥か眼下に向けて小さくなっている。


 耳許――何ら異常はない。

 指先を首筋に下ろす。ちくり、と痛みが走った。


「――――ッ!」


 その瞬間、シャレイエルの背筋を悪寒が駆け抜けた。

 抑えようも無く全身が震え、シャレイエルは戦慄わななく手で拳を握る。


「……あの女……っ!」


 首に下がっているはずの、ゼティスから預けられた、腕輪の他のもう一つの魔力の貯蔵庫――緑柱石の首飾り。それが無かった。



 胸倉を掴んだリリファが、首飾りを握っていたのだ。

 そして落下の勢いに任せ、鎖を引き千切って緑柱石を奪い去った。



 ――腕輪の水晶と違い、緑柱石に籠められているのは、常日頃から蓄えられていた凡百の魔力だ。

 失ったところで、相手に奪われたところで、レーシアの魔力を有するシャレイエルの戦局に不利には働かないだろう。


 それが分かっていてなお、シャレイエルは己が激昂することを止められなかった。



「――それは、それは……!」



 足場を蹴り付ける。

 甲高い音を立てて念動の足場が崩れ去り、幾千の欠片となって空に舞い散る。


 その中を、シャレイエルは空中に飛び出してリリファを追っていた。




 ――シャレイエル、どうだろう。

 ――これからも私のために働いてくれると嬉しいな。


 ――これはその、お礼なのだけれども。



 シェレスの名を賜ったその日に、ゼティスの手から直接、あの緑柱石の首飾りを渡されたことを――その瞬間の何一つとして、シャレイエルは忘れていない。


 認められたのだ、役に立てているのだと、息詰まるような歓喜を覚えながら拝受した首飾りは、魔力を籠められているにせよ籠められていないにせよ、間違いなくシャレイエルの、唯一無二の宝なのだ。




 地上に向かって落下するリリファを追いながら、シャレイエルは喉も破れんばかりに怒号を上げた。



「それは主上が!

 俺に! この俺に下さったものだぁあ!!

 てめぇ如きが――触るなぁあああッ!!」













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