10 「魔術師になろう」
「レーシア!?」
アトルとミルティアの声が見事に重なり、アトルは思わずレーシアに駆け寄った。
不思議なことに全く傷が痛まない。ただ、心臓がうるさく音を立てて騒いだ。
無言で動いたアジャットとほぼ同時にレーシアの傍に膝を突く。
ミルティアは既にそうしていたが、これほど唐突に倒れる人間を見たのは初めてなのか、おろおろと狼狽えているのみだ。
そしてその点、アトルは場慣れしている。
〈インケルタ〉ではよくあったことだ。無音の魔術式の銃でアリサが射程距離ぎりぎりから狙撃された時には、撃たれたことにさえしばらく気付かなかったほどだったのだ。ばったり倒れたアリサを前に一同騒然としたのはいつだったか。
レーシアを揺らさないようにしながら脈を確認し、そっと頭を持ち上げて頭部の傷の有無を確認する。脈はしっかりしていたし、傷はなかった。
「どうするの?」
ミルティアが慌てたように早口で言った。アジャットも緊迫した雰囲気を漂わせており、グラッドに至っては固まっていたが、アトルは安堵の息を漏らしていた。
「大丈夫だ、大したことない。寝かしておけばそのうち目を覚ますだろうし――怪我もないし」
恐らくパニックを起こしただけだ。まったく世話の焼ける、と思いつつ、アトルは肩の力を抜く。
「本当に大丈夫なんだな?」
アジャットが確認し、アトルが頷くとあからさまに深く安堵の息を吐いた。
恐らく――とアトルは考える。
恐らく、レーシア本人のことを気遣ったというよりは、貴重な人間を失うことを恐れたのだろう。レーシアの確保は命令であるのだ、万が一にでも失敗はしたくないだろう。
アトルは胸の傷のことを完全に忘れてレーシアを抱き上げた。彼女が気絶していても、彼女から垂れ流される魔力は健在で、その重みを見事に相殺していた。アトルに掛かる負担は殆どなく、ただそのことが若干の居心地の悪さを覚えさせる。
レーシアを無事に寝台に下ろしてから、思い出したように傷が疼いた。思わず「いてぇ」と漏らせば、アジャットとミルティアから呆れたような視線が向けられる。
「私たちが運んでも良かったのだが」
「むしろそっちの方がぁ安全だったしー」
確かにそれはそうだったが、認めるのも何だか癪である。アトルは寝台の傍の木箱に腰掛け、ぞんざいに吐き捨てた。
「うっせ」
レーシアの顔色は明らかに悪く、彼女の受けた衝撃の大きさを窺わせた。それを見ると何だかこの少女が哀れに思えてきて、アトルは覚えず呟く。
「大丈夫かな……」
途端にミラレークスの三人の顔色が激変した。
「ちょ、ちょっと待てアトル青年。な――何かあったのか」
「大丈夫だって言ったじゃないのよ何かあったの!?」
「じっ、自分に何か――出来ることは……」
アトルは慌てて手を振った。
「大丈夫だ、体調に関して言えば問題はない!」
少なくとも、病人の顔色の悪さではない。レーシアに掛け布を掛けてやりつつそう言えば、三人が揃って難しい顔をした。どうした? と首を傾げれば、アジャットがフードの奥の顎に手を遣る。
「今のところは確かに、レーシアさんの体調もいいだろうが……」
「これから襲撃が続けば、あるいは慣れない環境への心労が重なれば、体調を崩すことも、ある、かと……」
グラッドが後を引き継ぎ、アジャットは更に物憂げに言う。
「レーシアさんが我々に馴染んでくれれば、リアテードまでの道では守り抜こう。出来る限りは彼女の気分を明るくするようにもしよう。だが――彼女は〈器〉だからな。本部でどのような待遇を受けるのか分からない」
アトルはひやりとした。
「ちょっと待て。それは――レーシアが酷い目に遭うかも知れない、ってことか……?」
少なくとも、「サラリス」はそんなことは望まないだろう。それは一人の人間が、己の命よりも大切にした願いだ。
「いや……。少なくとも、彼女が嫌がることを強要されたりはしないだろうがな」
「絶対なのか」
口調が固くなることを自覚しつつも言わずにはいられなかった。
アトルがレーシアを見付け出したりしなければ、このミラレークスの四人組はレーシアを見付けられなかったかもしれない。それは仮定の話であり、今更どうしようもないことではあるけれど、この四人とレーシアが一緒にいることの責任の一端は、間違いなくアトルにある。
だからこそ、レーシアの身に危険があるようならば、多少の無茶をしてでもここからレーシアを連れ出して、「サラリス」やレーシアのことを一切知らない人の所へ預けるべきなのだ。
「絶対だよ」
アジャットは軽やかに肯定した。
「そもそも、アトル青年、きみは宝具の何たるかを知らないだろう。だからそんなことを訊くんだ」
アトルは頷く。それはそうだ。だからこそ、アトルは宝国で「サラリス」の呼びかけを聞いた。
「――レーシアさんは今のところ、きみの傍でしか安心できないようだな」
アジャットは抑えた声で言った。
「だからこそ、きみに、私たちとレーシアさんの仲を取り持ってくれと頼んだんだよ。今の我々の関係では、何かあったときに取り返しのつかない事態を招きかねない」
アトルは眉を寄せる。確かに、そうだ。
「身勝手なのは分かっているが、アトル青年――」
アジャットは両膝を突いて手を伸ばすと、がっしりとアトルの手を握り込んだ。アトルは反射的に仰け反った。
「な、なんだ」
「今こそ! そう今こそ、一般人だからと遠慮せず、宝具のことや〈器〉のこと、レーシアさんのことを知ってはくれないか!」
「はっ?」
アトルは思わず訊き返し、アジャットは猛然と言葉を重ねた。
「無論、きみの存在を機密保持者として公表するつもりはない。上司への報告でも極力省こう。しかしだ、今のまま、きみがレーシアさんの価値も知らないままでいることは危険なんだ。彼女には〈器〉ゆえの制約もある。それらを知っておくことに、何の不利益もないだろう? ないだろう?」
――ない。
だがそれは「サラリス」の望みに反することで、しかしそもそもアトルに「サラリス」の頼みを聞く義理はなく――。
フードの奥から怨念にも似た嘆願の気配が流れ始め、アトルは天を仰いだ。
「分かった聞くよ。そこで勝手に喋ってくれ。俺はそれを小耳に挟む」
「それはいい考えだな!」
アジャットが子どものように笑った。皮肉などではなく、事実そう思っているようだった。
「まず重要なことから話そう。――レーシアさんは莫大な魔力を持っているが、それを扱ってはいけないという制約がある」
使ってはいけない? とアトルは首を傾げる。得たりとそれに頷いて、アジャットは続ける。
「宝具は――そして恐らく封具も――人体には有害なものだ」
アトルは思わずレーシアを見た。今は規則正しくすやすやと寝息を立てている。しかし目許はまだ強張っていた。
「そもそも我々は宝具の研究をしていたのであって、封具の存在を知ったのはきみと同時であるわけだが、恐らく両者に類似項は多いだろう。そこで、両者がほぼ同じものだという仮定で話をする」
アジャットはアトルの視線を追う形でレーシアを見ながら言った。フードに隠れていて顔は見えないが、何となく優しげな眼差しが想像された。
「レーシアさんとサラリス・エンデリアルザ――この二人は〈器〉だ。〈器〉とは宝具――そして恐らくは、封具の宿主たる資格を持つ者のこと。条件はただ一つ、数百人分の魔力量を持っていることだ。彼らは宝具――と封具に声を届かせ、その力を行使することが出来る。――〈糸〉を体内に宿すのだが」
アジャットは言葉を切り、ようやく立ち上がった。座っているアトルを見下ろす形になるが、深く深くフードを被っているので顔は見えない。その状態で、アジャットは腕を組んだ。
「〈糸〉のことは、宝具から伸びている導線と思って良いようだ。宝具と〈器〉を繋げ、〈器〉の呼び掛けに応じて力を与える。――その呼びかけがあのような古風な歌だとは知らなかったがな。察するに、呼び掛ければ体内に注ぎ込まれている力が強まるようだな」
アジャットはひょいひょいと宙に指を走らせた。その人差し指の先端が白く輝き、空中に光の軌跡を残していく。
アジャットは描いた円形の中に『宝具』と流麗な筆跡で書き、そのやや離れた隣に『器』と書いた人型を描く。円から人型に矢印を伸ばした後で、さっと手を一振りしてそれを消し、『呼び掛け』と両者の上方に書いた後、先程よりも太い矢印を人型に向かって伸ばす。
アジャットが書いた文字は、全てアトルから見れば鏡文字になっているはずだったが、これぞ魔術の不思議、アトルから見ても普通の文字に見えた。
大変分かりやすい図である。
宝具や封具からは、普段から〈器〉に向けて力が供給されており、〈器〉が呼び掛けるとその力の量が増えるらしい。
だからこそ、アトルの命を救った後にレーシアが倒れたのだ。
呼び出されて増大した封具の力を、宝具の力が打消し損ねたというわけだ。連続して宝具を呼び出せばいいと思わなくもないが、封具の力を行使した後すぐにレーシアが倒れたことからして不可能だろうし、そもそも宝具を起動させた結果、周囲にどれだけの被害が及ぶことになるのかアトルは知らない。
「常人が〈糸〉を宿そうとすれば、宝具――や封具に負けて即死ものだ。これは間違いない。歴史上に二人だけ、そのような愚行に走った馬鹿者がいた記録があった。どちらも酷い死に方をしたらしい。――だが、〈器〉はその圧倒的魔力量を緩衝材にする形で、〈糸〉を宿すことが出来るらしい。詳しい手続きは分からないが」
だからこそ、と続けた言葉に少しだけ熱が籠った。
「――〈器〉が魔力を使うことは死に直結する。レーシアさんで言えば、垂れ流している分の魔力と緊急時に爆発する魔力、そのときに生命力の代替をする魔力以外は全て、宝具と封具から彼女を守るためのものであるはずなんだよ」
「…………」
「尤も普通ならば、緩衝材にする魔力だけで内在魔力を使い切るはずなのだが――レーシアさんの場合、魔力を垂れ流してさえいるからな。我々が調べた限りでは、そこまで大きな魔力を持つ〈器〉はいなかった。――だがそれでも、自分で魔力を扱えば、いつか緩衝材としている魔力まで消耗することもあるだろう。レーシアさんも魔力を使えないと見て、まず間違いはないはずだ」
アトルはもう一度レーシアを見下ろした。今度は考え事をする間の、視線を留める場所として。
――〈器〉がそれほど莫大な魔力を持っているのならば、「サラリス」がレーシアを眠らせたことも、それどころか宝国の王宮にまるごと状態維持魔法を掛けていたことにも納得はいく。だが、サラリスが〈器〉であるならば、それは自殺行為に等しいはずだ。
――あるいは、宝具と封具を手放したか? そんなことは可能なのか?
アトルはあくまでも「小耳に挟む」ことになっているので、アジャットたちはアトルの反応を気にも留めないようにひたすら話し続けた。
「数百人分の魔力を持っていれば――レーシアさんが持っているだろう魔力総量からすれば、垂れ流している分も魔力爆発の分も、総量の半分にも満たないはずだ。では、そんな彼女でさえ少し呼び掛けただけで倒れるほどの影響を受ける宝具とは何なのか」
「ほっとんど分かってないけどぉ」
「む。――我々が宝具について調べていたとはいえ、重要な史料は宝国か樹国にある上に、そもそもの資料が少ないからな。分かったことはごく少なく」
アジャットが決まり悪そうに言い、ミルティアがもう一つの寝台にどっかりと座って着替えを手繰り寄せ始めた。グラッドが面白いほど慌てたが、ミルティアはちょろっと舌を出すと自分の周囲に障壁を張った。アジャットのものとは違い、周囲が鏡のようになって光を遮り、中が見えなくなる寸法だ。
「まず、宝具には〈動〉のものと〈静〉のものがあるということ。銀髪の〈器〉は〈静〉〈動〉両方の〈糸〉を一つずつ所持しており、紺色の髪の〈器〉は〈動〉のものしか所持していないということ。――これも、史料を当たり回った上での推測だったが、恐らく正解だろう。それと、宝具の巻き起こす事象は巨大であること。それのみだ。どのようにして造られるかも、いやそれどころか外見すら不明ときた」
アジャットは控えめにレーシアの髪を撫でた。
「アトル青年、分かるかな? この子は下手をすれば大陸を滅ぼせるだけの戦力なんだ。下手なことをして怒らせれば、一国くらいは軽く吹き飛ぶ。だからこそ本部の者たちは、この子に下手なことをしない。この子の意思を最大限に尊重する」
「でもそんなのは、」
アトルは思わず口を開いていた。
「――ただの飼い殺しだ」
アジャットが驚いたようにアトルを見た。グラッドも同じだった。
アトルは顔を顰めてレーシアを見ながら、その視界の端に動きの止まったアジャットの手も見ていた。
――莫大な魔力量、ただそれのみで数奇な運命を課せられた彼女を、少しばかり哀れに思ってしまったとして何の咎めがあるだろう。
無論、レーシアは食べることに困ったことは無いだろう。
寒空の下で死を覚悟しながら膝を抱えて眠ったこともないだろう。
そういった意味では非常に恵まれている。社会の最底辺の生活を経験したアトルが味わった辛酸を、この子は恐らく知らない。
「恵まれ方もそれぞれだなぁ……」
ぽつんと呟いた言葉が、レーシアの上に漂った。見ることが出来ればそれは、非常に味わい深い、何とも言えぬ色をしていたことだろう。
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レーシアは夜明けまで目覚めなかったが、目が覚めてから最初にしたことは、きちんと着替えることだった。
水色のワンピースは踝までの丈で、腰の切り替え部分に白い刺繍がされ、レーシアに大変よく似合った。寸法が少々大きいが、それはこの際無視してよい。
それからレーシアは真面目な顔で言い放ったのだった。
「アルファーナ高原に行く。連れて行ってくれないならここであなたたちと別れて、歩いてでも絶対に行く」
――と。
彼女の目は完全に据わっており、自身に起こった不可解な出来事を解き明かすためならば何でもするといった目付きだった。
そりゃあそうなるよなぁ、とアトルは一人頷く。現在、レーシアが持っている「サラリス」についての唯一の情報は「アルファーナ高原に彼女が捜していたものがある」ということのみなのだ。そこに行こうとするのは当然だ。
納得の色を漂わせるアトルとは対照的に、ミラレークスの四人組は「どうする?」といった眼差しを交わしあう。
今、馬車は街道を外れた草原の中に停められており、早朝の空気に圧倒的な存在感を醸し出していた。馬車の中には全員が揃っており、レーシアの発言に対し額を寄せ合った四人は難しい顔。
それを見るレーシアの顔がどんどん険しくなっていく。
「連れて行ってくれないなら、一人でも行く。絶対行く」
「おまえさー」
呆れ返ったアトルが口を挟んだ。
「無理だろ、一人でとか。おまえ生活力なさそうだし」
レーシアは一瞬詰まったが、高らかに宣言した。
「そっ――そんなことないもん。サラリスと何回も野営だってしたし、吟遊詩人に紛れ込んであっちこっち行ったことだってあるし、隊商と一緒に国を横断したことだって」
意外に強かな経歴にアトルは内心で驚いたが、「サラリス」が必要なことを全部していた可能性もあることに一秒で思い至った。しかし敢えてそれには言及せず、現実的に述べた。
「おまえ、金持ってんの?」
レーシアが黙った。
ミラレークスの四人組も黙った。
全ての視線がレーシアに向く中、レーシアは一旦自分の膝をじっと見てから顔を上げ、リーゼガルトやグラッドからは微妙に視線を外しつつ、主にアトルに向かって開き直って傲然と言った。
「持ってるわけないと思わない?」
「じゃあ一人旅は無理だよな」
アトルが一刀両断すると、レーシアはたちまちしゅんとして小さくなった。現金がなければどうにもならないということはさすがに知っていたようだ。アトルは更に言う。
「野盗とかに襲われたらどうすんだよ」
「…………」
「街道から外れたらあっと言う間に獣が――」
「分かったから!」
レーシアは叫び、少々涙目になりながらもアトルを――というか、アトルだけを見た。
「一緒に来てください」
なんで俺に言うんだアホ。
俺はおまえと同じ無一文で、金の稼ぎ方は犯罪まがいの方法しか知らないんだぞ。
それよりもここに俺より遥かに社会的にも力量的にも頼りになりそうなのが四人もいるだろうが。
――と、こんなことをアトルは言いたかったが、言わなかった。閃いたことがあったからだ。
「いや、別にいいけどさ――怪我があるから」
レーシアはぱっと顔を輝かせ――それを曇らせた。ううん、と唸り、右手の人差し指で自分の胸を突く。
「〈静〉の宝具があれば治せるのだけど」
「使ったらまたおまえがぶっ倒れるんだろ」
アトルが言えば、レーシアは拗ねたように顔を背けた。
「宝樹玉があればなあ」
ぼそりと呟かれた意味不明の一言は置いておいて、アトルは言う。
「なあレーシア。思ったんだけど――」
レーシアが首を傾げる。アトルは敢えて魔術師たちの方は見ず、レーシアだけを見て言った。
「封具が未然の事象を否定するなら、毒の効き目はどうなんだ」
「おぉ」
「わお」
「あぁ」
「おお」
ミラレークスの四人組が声を上げた。
今まで彼らがアトルに治癒魔法を使わなかった理由はただ一つ、使っても無駄だと判断したからだ。無駄に魔力を垂れ流す余裕などない。だが、実際に毒の効力が消えているならば話は別だ。
早速――とばかりにアジャットが手を伸ばしたが、レーシアがそれを止めた。
「待って」
アジャットが手を止める。それから首を傾げた。
「何かな?」
「効力は消えないと思う」
えっそうなの? という視線が集中し、レーシアは怯んだが、確信を込めた口調で続けた。
「だって毒って、その場で効くでしょ。傷の悪化とは訳が違う。効果が切れるまで待たないと」
力を込めて。
「封具は、已然の事象を打ち消すことはできないの」
レーシアは威厳さえ漂わせて断言した。
「……そんなものなの?」
ミルティアが疑わしげに呟いた。アトルはがっくりと項垂れる。
「マジか……まだこの不自由さとおさらばできねえのか……。毒の効力っていつ消えるんだよ……」
「ごっ、ごめんね」
なぜだかレーシアが謝った。まあ、レーシアが原因と言えなくもない傷ではある。
そこで話がレーシアの一人旅是か非かに戻った。アトルの傷が治らない以上、四人に同行してもらわなければ移動すらままならない。
四人は額を突き合わせて相談していたが、顔つきから察するにレーシアをさっさとリアテードに連れて行きたいようだった。リーゼガルトが地図を取り出し、アルファーナ高原の位置を確かめている。
「アルファーナって――あ、ここか……へえ、ここより南じゃねえか。通らねえこともないぞ」
「馬鹿を言え、リーゼガルト。アルファーナ高原と一口に言っても広いんだ。しかもどちらかと言えばルルセット寄りではないか」
ルルセットはジフィリーアの東隣の国である。アルファーナ高原はジフィリーアとルルセットの境の南方に位置していることを、アトルは職業柄知っていた。だが、アトルの目的地であるケルティはここから南西にあるのだ。
だが、アトルの了承はあるも同然なのだからそこは気にしなくても良い。つまり、もしもアルファーナ高原に行くとすれば、まずアルファーナ高原に行き、ケルティに行くために西へ進み、そこから南下してリアテードに入るということになる。
「アトル青年」
アジャットが疑問の声を上げた。
「きみはさっさとケルティに帰りたいのではなかったか」
どことなく拗ねたような声音だった。
確かにアトルはそう言ったが、今ではアトルは、レーシアを安心できる所へ連れて行くと決めている。レーシアが頼れるのは今のところアトルだけなのだ。アトルだけは損得の関係なしにレーシアと一緒にいてやらなくては、ただその莫大な魔力量のみで百年を飛び越えさせられた、アトルの命の恩人の少女が完全に独りになってしまう。
だからこそ、アトルがケルティに戻るのはレーシアの安全を確保してからか、それが無理ならレーシア共々だ。アルファーナ高原に行くことがレーシアの希望ならば、この怪我で〈インケルタ〉に戻っても良くて邪魔者扱いされるのが落ちなのだから、付き合うことに異論はない。
アトルは肩を竦めた。
「別にそんなに急がねえもん」
ぱあああっと顔を輝かせたレーシアが、心から嬉しそうにアトルの手を握った。
「一緒に行こうね、アトル」
アトルは苦笑を浮かべ、手を握り返す代わりに解いて持ち上げ、レーシアの頭をぽんぽんと叩いた。
「おう」
二人の様子をフードの奥から見たアジャットは、疲れたような溜息を一つ零すと、ぴっと人差し指を立てて揺らした。
「アルファーナ高原に行くには条件が一つある」
「なあに?」
小首を傾げたレーシアに、不利な条件なら断れよと、アトルがいちいち注意する。アジャットは首を振った。
「レーシアさんには何の負担もないとも。ただ、最寄りのミラレークス支部に寄りたい」
「それは絶対だな」
リーゼガルトがふむふむと頷く一方、アトルとレーシアは首を傾げていた。
「なんで?」
アトルが端的に尋ねれば、リーゼガルトが億劫そうに説明した。
「レーシアを確保したのは俺たちだってことをきっちり通達しねえと。個人で使える通信の魔術じゃ、いくらなんでも本部の上司に直接伝えることは出来ねえし」
ミラレークス支部には、どうやら大掛かりな通信魔術のための設備があるらしい。
「それにぃ、誰が何やったかハッキリさせとかないとぉ、出世も昇給もややこしくなるしー」
ミルティアが欠伸交じりにそう言って、猫のように伸びをした。
「尤も、もう伝えられる範囲には伝えたからな……徐々に広まっていっていると思うし、誰かが本部に伝えるとは思うが……過去にはこういった報告がなされなかったこともあるが……報告しに行ったら行ったでまたややこしいこともあるし……だが疎かにするとそこの二人がうるさくて……」
アジャットが歯切れ悪く言いつつ、リーゼガルトとミルティアをちらりと見る。
「……旅程をまとめてもよろしいでしょうか……?」
グラッドがおずおずと言い出し、そのおずおずとした言い方の何に今更驚いたのか、それとも単に今まで空気と化していたのでその存在を思い出して驚いたのか、レーシアがびくっとしてからなぜか返事をした。
「――よっ、よろしいですはい……」
では、と言ったグラッドは、誰の顔を見て話せばいいのか決めかねているらしく、視線をおろおろと彷徨わせながら述べた。
「まず、目的地は最寄りのミラレークス支部ということですが……いいのですか?」
「え、何が?」
リーゼガルトがきょとんとしたように言う。ミルティアも同じような表情で、アジャットも首を傾げている。
「どういうことかな、グラッド」
「我々指定魔術師は本部に籍を置き、支部には滅多に出入りをしません」
グラッドが珍しく、言い澱むことも噛むこともなく言ってのけたその科白に、アジャットはきょとんとしたままだったが、他の二人は「あー」と納得の声を漏らす。
「あれな、あれだろ。支部の職員全員でのお出迎え――」
「――からの、全員でのおもてなし」
深く頷いたグラッドは、レーシアへと視線を転じた。ようやく視線が定まってほっとしたようである。
「レーシアさんのことは一般魔術師や支部の職員には知らせておりません……。我々がレーシアさんを同伴していけば、あっと言う間に……」
「あれは誰だ何者だ、どういったおもてなしをすれば、の質問の嵐――というわけか」
アジャットがようやく納得して深く頷いた。
「はい。支部を訪れるにも口実が必要――かと」
リーゼガルトが面倒そうに言った。
「そんなもん、適当にでっち上げればいいじゃねえか」
「馬鹿じゃないのぉ、リーゼガルト。人への連絡事項はあたしたちの使える通信魔術で済むしぃ、極秘事項でも傍受妨害は出来るしぃ、そもそも支部になんて行く必要がないからぁ、行かないんでしょうが」
「こういう本部への連絡のときは行かなきゃなんねえから行くんだろうが。本部を守ってる魔力防御を個人の魔術で突破できるかってんだ」
「本部への連絡の度にすごい歓迎を受けるけどぉ」
「俺、三回しか受けたことねえけど懲りたわ」
「え? リーゼガルト、そんなに受けてるのぉ? あたし一回だけだしぃ、それで十分懲りたしー」
「ミルの場合人に押し付けてんだろ」
「私は五回ほどあの歓待を受けたぞ。――とにかく腹が膨れる歓迎だったな」
「グラッドはぁ?」
「じゅ、十回ほど……」
レーシアとアトルはぽかんとして話を聞いていたのだが、グラッドのこの回数に他の三人が上げた驚愕の声に、揃って首を竦めた。
「何があったらぁそんなに行くことになるわけぇ?」
「私の倍か! それはまたすごいな」
盛り上がる指定魔術師たちに置き去りにされ、アトルとレーシアは意味なく声を低める。
「大変なんだな、高給取りも」
「そうみたいだね。でもなんで歓迎されるのが嫌なんだろう」
「歓迎の度が過ぎるんじゃねえの」
「……いいことじゃないの?」
「正直、俺もそこまで大歓迎されたことはねえからなー、よく分かんねえけど」
レーシアはこてんと首を傾げ、アトルを見た。
「アトルって何してたの」
「言ってなかったけか? 〈インケルタ〉の下っ端だって」
アトルがきょとんとして答えると、レーシアはますます首を傾げた。
「それは今の話でしょ? 前は何してたの?」
「いや、餓鬼の頃にオヤジに――ゼーン親父に拾われたから、ずっと〈インケルタ〉にいるけど」
レーシアはやはりゼーンのことを「怖い人」と認識していたらしく、「げ」と声を漏らした。
「――あんな怖い人に拾われたの……」
「うるせえ。殆ど気絶してるときに拾われたから相手の顔なんざ見てねえよ」
レーシアは分かったような分からないような顔で頷いている。アトルはふと思い付いて尋ねた。
「おまえは? 何して暮らしてたんだ?」
「私?」
レーシアは一瞬面食らったようだが、ミラレークスの四人組が彼女に注意を向けていないことを確認すると、笑って答えた。
「サラリスと一緒にあちこち回ってたの。サラリスは色んなことが出来るから――」
話を聞くに、レーシアと「サラリス」はどこかに定住するということがなかったようだった。レーシアが言った国名地名を合わせれば、総移動距離は恐らくアトルを上回る。行先は非常に適当に決めていたようだったが、何か特別な用事が入ればそちらに向かうという形を取っていたらしい。
「そんなあちこち行って――嫌にならなかったのか?」
〈インケルタ〉の面子でさえ、ときたま「もういいから帰らせてくれー、ゆっくり寝たいー」と弱音を吐く。旅路というものは、夏は暑いし冬は寒いし、とにかく快適とは言い難いものなのだ。
レーシアはアトルの問いに目を丸くすると、さも面白い冗談を聞いたというように笑った。
「そんなこと、あるわけないじゃない。サラリスが一緒だもん」
アトルが逆にその返答に目を丸くしたところで、ミラレークスの四人組がアトルに向き直った。
「アトル青年、打開策を思い付いた」
「なんで俺に?」
リーゼガルトがアトルの肩を掴み、にっこりと笑った。
「アトル、なろう?」
意味不明の言葉にアトルがぽかんとする。
「はあ?」
リーゼガルトは力強く頷いた。
「魔術師に、なろう?」
「はあああ!?」
これで二章が終了です。




