08 指定魔術師の戦闘
――武器らしい武器もなく、どうしろと。むしろそこまで武装しなくてもいいですよと言ってやりたい。こちらは役立たずの女一人と怪我人だ。
この状況で倉庫に用がある人間もそういないのだろう、周囲に民間人がいない。
そっと後ろに下がろうとすると、すかさず銃弾が飛んできた。魔術式の銃だ――威力が強い。
ひゅんッと傍を掠めた魔弾に、レーシアが怯えるよりもきょとんとしている。
アトルは肩を落とした。「一般人です、人違いです」と主張することを考えなくもなかったが、無理がある。
どう転んでもレーシアは向こうに連れ去られるだろうし、九割くらいの確率でアトルも無事では済まない。
「ねえ、アトル」
レーシアが心底不思議そうに言った。
「どうするの?」
「俺に訊くな。おまえはどうする」
アトルは即答した。
「今の見てただろうが。問答無用で撃ってきたんだぞ。意味分かるか? 交渉する気ないんだぞ。俺にはもうどうしようもねえって」
潜めた声の遣り取りが聞こえたのか、集団の先頭で銃を構える数人が戸惑ったように銃口を揺らした。恐らくアトルを、それなりの脅威と思い込んでの発砲だったのだろう。
「え――どうするって……」
レーシアが戸惑ったように言い、アトルは頭痛を覚えた。
向けられている銃口の数は十ほど。抜刀している者が十ほど。残りの十人は魔術師なのか、身構えてはいるが得物は持っていない。
「動くな、その少女をこちらへ」
初めて集団の中から声がした。
「――だってよ、どうする」
アトルが低く尋ねると、レーシアはいっそうアトルに身を寄せた。
「あっちは怖い。なんか変。分からない?」
「きみを傷付ける気は無い。彼女をこちらへ」
また声がして、レーシアは縋るようにアトルを見た。アトルが、どうしようか、と眉を寄せたとき。
「何をしている、殺さない程度に追い詰めろ」
厳然とした男の声が背後から聞こえた。アトルが慌てて振り返ると、長身で金髪の、立派な外套を羽織った美男子がこちらへ歩みを進めてきているところだった。
多少息が乱れているが、アジャットたちと争っていたのは彼だろうか。アトルは無意識にレーシアと男の間に立った。その背中にぴったりとレーシアが張り付いている。
「――しかし、万一」
集団の誰かが反駁したが、金髪の男は遮るようにそちらを睨んだ。ぞっとするほど冷たい目だった。
「――万一、何だ」
「…………」
「彼女の起こす規模の魔力爆発なら防げると、私はそう言わなかったか?」
レーシアが零れんばかりに目を見開いた。驚いたようにアトルの後ろから半身を出す。
「撃て。死なない程度であれば、どんな傷を負っても構わない。青年の方には、極力当てるな」
準シャッハレイでの立場が逆転したらしい。レーシアが息を呑んだが、そのレーシアを見て、何を思ったか男は軽く首を傾げた。そして、ふとその整った口元に笑みを浮かべた。
辺りは暗かったのに、奇妙にその表情ははっきりと見えた。
そして、男はその緑の目に惚れ惚れするような光を宿し、言い放った。
「いや――、そうだな。レーシア・エンデリアルザには命中させてやれ。痛点を刺激してやればなお良しだ。ただし、殺すな」
いたぶるつもりだ。
その言葉はアトルの頭の中にすんなりと浮かんだ。
レーシアを、この子を、アトルが見付けたこの子を、一人の人間が己の命よりも重んじたこの子を、こんな大勢で、ふと思い付いたかのように、いたぶるつもりだ。
許すわけにはいかない。看過するわけにはいかない。見て見ぬ振りも出来ない。レーシアをそんな目に遭わせるわけにはいかない。
絶対にレーシアを、安心できる所へ連れて行く。
レーシア本人は言われたことがなかなか理解できないようだったが、ただ、ぼそりと呟いた。
「……私はエンデリアルザじゃない」
「本気でそう思っているのか?」
その呟きを拾ったのか、男が嘲るように言った。
「少しは考えるといい。貴様がいたのは百年戦争当時だろうが。百年が経ったのだぞ。貴様以外のエンデリアルザたる資格がある者が生きていると思うか?」
レーシアは顔色を変えすらせず、初めてまっすぐに男を見た。
「サラリスは生きてるよ」
乾いた銃声が轟いた。
「レーシア!」
叫んだアトルが、自分の影から出ているレーシアを迷わず引き寄せる。真横につんのめったレーシアに、それでも幾発かは当たったか、掠めたか。レーシアが痛みに呻き声を上げた。
前後、どちらに逃げる。三十人からの集団か、男一人か。普通に考えれば一人の方へ突っ込むべきだが、アトルの本能が警鐘を鳴らしている。
この男はやばい。
武器を構えてなどいない、身構えてすらいない、それでも発するこの覇気。ゼーンでさえ、出会えば無言で降伏を選択するだろう。怪我をしているアトルが、敵うどころか逃げ切れる道理はない。
それでも、ここで負けるということは。
それは、レーシアが苦しむことになるということで。
「サラリス」
レーシアが痛みに顔を歪め、囁くように声を絞り出した。
「サラリス、一緒にいてよ……」
行動を決めかねるアトルの前で、金髪の男は眉を寄せた。
表情がはっきり見える。
「青年、邪魔をするなら退いてもらわねばならなくなるのだが……」
「こいつに何の用だよ」
アトルは喧嘩腰で言った。男は困ったように笑う。
「すまないな、言えない」
アトルは違和感を覚えて眉を顰めた。その違和感が何に起因するものかは分からないが、けれど――。
「撃て! 宝具を起動されると厄介だ」
誰かが号令し、一斉にレーシアに銃口が向けられた。アトルはそちら、つまりは背後を半身で振り返る。レーシアは痛みに気を取られながらも、ただ金髪の男の方を見ていた。
アトルの動きに全く注意を払えないほどに、レーシアは途方に暮れているようだった。恐らく「サラリス」のことで頭がいっぱいなのだろう。
「馬鹿! レーシア!」
アトルが叫ぶ。
銃口が真っ青な火を噴いた。
咄嗟にレーシアに腕を回して庇うようにするが、このままでは二人とも蜂の巣だ。多勢に無勢、しかも怪我人。どうしようもない状況ではあったが、これは余りに――
――気分が悪い。
ぱんぱんッと爆ぜるような音と共にいくつかの銃弾が弾け飛んだ。アトルの魔力が宿主の命の危機に反応して、ささやかな抵抗を示したのだ。無論これでは何の解決にもならないが、この場合そうではなかった。
アトルの魔力に触発されたのか、それとも「サラリス」のことが引き金か。
小さく震えたレーシアが顔を上げた。それが合図だった。
圧倒的な魔力がその場で爆発した。真っ白に波立つ空気に漲るのは、想像もできないような上質な、高密度の魔力。魔弾をいとも容易く消滅させ、地面を抉り、外界からの一切の干渉を拒む。
――アトルを除いて。
なぜだかアトルはレーシアの傍に留まっても平気だった。あのとき、準シャッハレイの宿でのときと同じだ。
「押さえ込むぞ。――前方に防壁魔法陣を構築して、離れろ。後方、離れろ、そうだ、それでいい。構築した魔法陣の保持を頼む――」
あの金髪の男の声が聞こえてくる。
「レーシア、おい、大丈夫か」
アトルは言いながら、レーシアを凝視した。確実に怪我はしたはずだ。
予想に違わず、彼女の脇腹には血が滲んでいた。取り敢えずアトルは片手で腰の道具箱を開き、手拭いを引っ張り出す。それを傷口にあてがった。
「痛い」
レーシアが半泣きで訴えた。
「痛い。なんで、私が辛いのに、サラリスがいないの」
真っ白な光が、花弁のように咲いては散る。
「サラリスは、どこにいるの」
レーシアの肩が不安に揺れた。アトルは何も言えずに黙ったが、レーシアはそんなことは気にしなかった。ただ、思い詰めたような顔で言っていた。
「あの、金髪の人。サラリスのこと知ってるのかな」
「どうだろうな。今どこにいるのかは知らないみたいだったが――」
アトルが言い差す、そのときレーシアから溢れ出す白い光が噴水のように吹き上がり、直後完全に消失した。
代わって、レーシアの前方と後方に魔法陣の無色の光がぼんやりと浮かぶ。レーシアがふらついた。こうして強制的に魔力爆発を収められた影響だろう。だが、意外にもレーシアは動揺しなかった。
ただ、傷の痛みに顔を顰めながらも、金髪の男に視線を当てた。
「あなたが誰なのかは分からないけれど、――サラリスを知っているの?」
「…………」
男は答えない。収斂した魔力爆発の、その余波を警戒するように構えを取って佇んでいる。
「サラリスを知っているなら、分かるでしょう?」
それでもレーシアは続ける。確信があるようではなく、むしろ相手の同意を必死に取ろうとしているような、そんな口調がいっそ哀れを誘った。
「サラリス」の生存は疑っていないようだが、それよりも、「サラリス」がどうして傍にいないのかを気にしている口調。
彼女に嫌われることを、何よりも恐れている口調。
「サラリスは嘘を吐かないもの。セゼレラを出るとき、次にどこに行くか地図で教えてくれたもの。だから、そこに、連れて行ってくれるはずでしょう……?」
「――笑えるな」
男が口を開いたが、それはレーシアが求めた同意ではなく、嘲笑。
「百年前の約束を信じるなど愚の骨頂。第一、嘘を吐いたことがないなどと言うが――」
男は男はわざとらしく首を傾げる。
「嘘だと気付かせなかっただけで、実は度々嘘を吐いていたのかもな」
「おまえ――!」
あからさまにレーシアに向けられた皮肉に、アトルが思わず口を挟む。だが、それすら押さえ込むようにして男は続けた。
「どちらにせよ、もうどうでもいいことだ」
アトルが腕を回したままのレーシアの身体が震えた。
「どうでも良くなんかないっ!」
レーシアが叫んだ。恐らく感情が理性を圧倒しているのだろう、またしても白い光が彼女から溢れようとしている。薄ぼんやりとレーシアの全身が燐光を纏い、魔力爆発の前兆を示していた。
「百年が何よ! そんなの、そんなの――サラリスが何とかしてくれる!」
二度目の魔力爆発が、しかしすぐに押さえ込まれる。先程発動した魔法陣の効力が続いているようだった。
しかしレーシアは拳を握り、まだ叫んだ。
「いつだってそうだったもの!」
平常時ならば、アトルは言っていただろう――
――おまえ、もうちょっと自分で何とかする気はないのかとか。このままアジャットたちに付いて行って、サラリスって人に会えるとも思えないぞとか。
しかし今はそんな場合ではない。
レーシアの魔力爆発を防ぐ魔法陣に魔力を注いでいるのは、恐らくこの中の中心人物であろう金髪の男。そしてレーシアのもの程強力かつ、上質な魔力を抑えるのは並大抵のことではないはず。
だが、ここで金髪の男を突破しようとするのは愚の骨頂。勘ではあるが、彼に隙は出来ないだろうという確信がある。だからこそ、アトルは背後を窺った。
先程の男の科白から、魔力こそ男が流し込んでいるものの、魔法陣自体の保持は後ろの部下たちの役割であると分かっている。
ならば、レーシアの不意討ちの魔力爆発に、多少なりとも注意を払うはずではないか。
アトルの読みは当たり、今しがたの魔力爆発で、レーシアの感情が不安定であり、魔力爆発が何度起こるか分からないという認識を抱いたのだろう、数人の得物が僅かに下がっている。視線も無論、アトルではなくレーシアを向いている。
恐らく彼ら全員、かなりの手練れ。アトルが怪我を抱えていることなど、一見で見抜いたのだろう。警戒の対象なり得ないと判断したのは正しいが、その判断も、レーシアの方へと意識を向け過ぎれば慢心となる。
アトルはレーシアの激昂に戸惑ったような視線を彼女に向けつつ、内心では金髪の男の応酬の一言を待った。
だが、男はちらりとアトルに視線を向けると、部下に視線を移す。
「――もういい。取り押さえろ。青年の方には出来るだけ怪我をさせないように」
大幅な計算違いへと繋がる発言に、アトルは無意識に目を見開いた。
ここで男がレーシアを刺激するような発言をすれば、それで彼の部下たちの注意がレーシアの魔力爆発――それを抑える魔法陣の方を向き、僅かでも出来るだろう隙を、多少無茶をしてでも突いて逃げ出せたはず――なのだが。
どうしてここで会話を打ち切るのか。レーシアの発言は、アトルでさえ何か言ってやりたくなるような代物だというのに。
こんな計算違いは恐らく数えるほどしか遭遇したことがないものだ。アトルは次善の策を考えつつ、こちらへ迫ってくる三十人からの集団の方へと向き直った。
――打つ手がない、どうする――、アトルの脳が活路を見出すべく高速で情報を処理し始め、それに伴い景色がゆっくりと見えてくる。レーシアが怯えたようにアトルの腕を掴み、その手が僅かに震えているのが分かった。
ここで囚われれば、恐らくレーシアは地獄を見ることになる。金髪の男の言葉からしても、推し量るまでもなくそれは明らかだ。
十の銃口が僅かに輝き――
つん、と清涼な香りがした。
「指定魔術師を舐めると、痛い目を見ると言っただろう!」
聞き慣れた声が轟き、瞬間、真っ青な業火がアトルとレーシアを取り囲むように展開した。唐突な救援に驚く暇もない、これはアジャットの魔術だ。
「――追い着いたのか」
金髪の男が驚いたように呟き、しなやかな動きでアジャットを――つまりは、自身の後ろを振り向いた。
「……ほんの二十年前にはこれほどの魔術師は魔力法協会にはいなかったな」
その呟きを、聞き取れた者はいなかった。
相変わらずの怪しい風体で息を荒げたアジャットが立っていた。
右手がこちらに向けて真っ直ぐに伸ばされ、指先にはまだ青い炎が小さく灯っており、連続して炎を撃つことも可能だということを暗に示している。
「私が追い着いたことに驚いているようだが、私からすれば貴方が、一度とはいえ私の追跡を振り切ったことの方が意外だ」
まだ息は荒いが、アジャットは悠々と言葉を紡いでみせた。
「つまり、私からすれば貴方に追い着くことは容易かったということだ、と言い直せるな」
業火に照らされながらレーシアが、ぽかんとした顔でアジャットを見ている。次いで自らを取り巻く炎輪を不思議そうに見て、アトルを見上げた。
「熱くないね、これ」
アトルとレーシアを庇うためのものだ、熱くてどうする、とアトルは思ったが、口には出さなかった。アトルの返事がないことは気にも留めず、レーシアは続けた。
「でも、ここからは動けないみたい」
「…………」
アトルも全く同感だった。炎輪はアトルたちを庇っているが、同時に拘束してもいる。外に出ようとすると圧力が掛かるのだ。それが、アジャットが意識したことなのか、それともアジャットが少し抜けているだけなのかは不明だが。
「しかしもう一人の姿はないようだな。――なるほど、さすがは高等指定魔術師、他とは格が違ったか」
アジャットが低く笑った。
「そういうことだ。貴方が誰だかは知らないが――」
アジャットのこの一言に、双方の間で戦闘が始まった状況が透けて見える。
アジャットたちが名乗り、相手の名乗りを待った、その瞬間だ。
「――先程も言った通り、レーシアさんの身柄はミラレークスが預かっている形だ。いかなる権威であれ、それを覆すことは出来ないと思え」
それを聞いた男の目に、奇妙な光が走った。
憤激にも似た憐れみ。そのようなもの――。アジャットが怪訝に思って問い返そうとするのと、男が確信を込めた言葉を発するのが同時だった。
「後悔するぞ、魔力法協会。この女はその保護者同様、周囲に厄災しか招かんからな」
レーシアの保護者――すなわち、「サラリス」。
彼女を非難されたことによってか、レーシアが怒りに身を震わせる。しかし、彼女が具体的な反応を示すよりも早く、アジャットが乾いた口調で言い放った。
「関係のないことだ」
「ほう?」
「私はミラレークスの高等指定魔術師。上からの命令に従っているのみ。その尻拭いは私に命令を下した、組織そのものの仕事というもの」
金髪の男が笑った。そして何を思ったか振り返り、レーシアを真っ直ぐに見て声を掛ける。アジャットから視線を外した格好になるが、それでもアジャットが攻撃を躊躇うほどに隙が無い。
「以前もそうだったようだな、レーシア・エンデリアルザ」
「…………」
「尻拭いは出来るだろうという浅はかな思い込み――その結果おまえは百年眠ることになったということだ」
それとも――、と言葉を繋ぐ。
「もしや、自分がどのような立ち位置にあったのかも知らないか?」
レーシアの沈黙が、雄弁に肯定を語る。それでもレーシアには後悔も動揺も浮かんでいない。
「ではセゼレラの名が使われなくなった理由も知らないのだろうな?」
レーシアが初めて、少しの興味を持って男を見た。男はそれを受け、はっきりと嘲笑する。
「――貴様らがいた国であるセゼレラの名が、疎ましく、忌まわしくなったからだそうだ」
呆然としてレーシアが男を見た。
「……うそ……」
不意を突かれたようなレーシアの驚愕を、横手から差し込まれた大きな掌が遮った。
「おい、こっちだ」
掌はレーシアの腕を掴み、引く。必然、彼女に腕を回しているアトルも引かれることとなり、そちらを見て少しばかり驚いた。
「リーゼガルト?」
同瞬、金髪の男も呟いた。
「下等指定魔術師まで来たか」
「ああそうだよ!」
リーゼガルトは怒りの気配が明瞭に分かる声で言い、炎輪の外に二人を強引に引き出しながら――外部から力が加わればあっさりと抜け出ることが出来た――、憤然と言った。
「なんで外に出た! 馬鹿だろ!」
「いやなんでって」
あんたたちを疑って――とは言えず、言葉を濁したアトルを一睨みして、リーゼガルトは低い声で言った。
「アジャットが言っただろう、馬車は特別製だと。あれがレーシアさんの魔力を覆い隠してくれてたのに、ふらふら外に出る馬鹿がいるか!」
「どういう特別なのかまでは聞いてねえよ!」
アトルも思わず叫び返した。
「ていうかまず、あいつ誰だよ?」
「俺も知らん。名乗ったら襲ってきやがった。あれ、アジャットがいなかったら死んでたな。戦闘になった後は振り切られるし、俺もアジャットに付いて行けるほどじゃねえし、もう散々だ」
で、と彼が荒々しく言葉を続けたので、アトルはてっきり怒られるものと思ったのだが、リーゼガルトは予想を裏切った。
「傷は? 大丈夫なのか」
アトルはぽかんとした。
「え? あ、ああ……今のところは」
「そりゃあ良かった。――行くぞ」
リーゼガルトは言い、金髪の男を睨み据えながら悔しげに続けた。男は、恐らくはレーシアの動向を気には掛けていても、アジャットを侮ることも出来ないのだろう、今はこちらに背を向けている。
「俺じゃあの二人の間に割り込めねえし、アジャットの援護も出来ん。ミルかグラッドさんを呼ばねえと。レーシアさんを逃がすついでに迎えに行く」
アトルは頷いたが、苦笑した。
「ああ――だけど、俺はこれ以上動いたら気絶しそうだ」
「はああ?」
リーゼガルトは素っ頓狂な声を上げ、それから舌打ちした。同時に、三十人の集団から飛んできた魔弾を、いとも容易く弾けさせる。更に襲って来た念動系の魔術を霧散させ、苛々と言葉を続けた。
「畜生、じゃあここにいろ。あいつの口振りからしてもあんたが積極的に狙われることはないと思うが、どっちにしろレーシアさんは危ないから連れて行くぞ。いいな?」
アトルはまた頷き、逆にレーシアは不安そうにした。
リーゼガルトは右耳に着けた柘榴石の耳飾りを指先で弾く。チィン、と硬質な音が微かに鳴った。
アトルの記憶が正しければ、リーゼガルトは耳飾りをしてはいなかったはずだが、レーシアとアトルが馬車にいないことを確認するためか、一旦馬車に戻ったのだろう。そのときに着けたと思われた。同じときに取って来たのだろう、大刀もしっかりと背負っている。
柘榴石の中心部に白光が宿った。リーゼガルトは耳飾りごと右の耳を掌で覆い、声を上げた。
「ミル、ミルティア!」
花を思わせる芳香が、アトルの鼻腔を満たす。
「おいミル! おまえ今どこにいるんだよ?」
リーゼガルトがミルティアからの返事を聞いているらしい数拍の間に、レーシアが小声でアトルに囁いた。
「ね、ねえ、本当に私この人と行くの?」
「ぐだぐだ抜かすとあそこの金髪と楽しい旅程を歩むことになるぞ」
アトルの地を這うような声に、レーシアもさすがに黙り込んだ。
「はあ? なんでそんなとこに――、俺たちは今、東の倉庫街だぞ」
ミルティアの現在地がここから離れていたのか、リーゼガルトの声が苛立ちと焦りを含んだ。
「すぐにこっちに向かってくれ。アジャット一人じゃレーシアさんまで手が回らねえ」
俺からも迎えに行く、と言って通信の魔術を終了したリーゼガルトが、極めて礼儀正しくレーシアの手を取った。
レーシアはあからさまにびくっとしたが、アトルの脅しが効いて大人しくリーゼガルトに付いて行く素振りを見せた。
だが、それがあっさりと許されるようならば苦労はしない。
「彼女は置いて行ってもらおうか!」
アジャットと睨み合う金髪の男ではない、集団の中の一人が言い、これまでとは比較にならない密度の攻撃が一斉に放たれた。
「……そうくるよなあ、やっぱ」
リーゼガルトが呟き、レーシアをアトルの横に並ばせ、自分はその前に庇うように立った。
魔弾が光跡を引いて撃ち出される。それに追随するようにして念動系の魔術と元素系の魔術が唸りを上げる。
それら全てをリーゼガルトは落ち着いて迎撃し、念動系の魔術を撃ち返しながら背の大刀の柄に手を掛けた。
左肩越しに右手で柄を掴む。そのまま身体を中心に円を描くようにして大刀を引き抜き――一閃。
白い光と共に延長された斬撃が、真っ直ぐに相手方へと迫った。間違いなく十人規模で両断できる軌道と勢いだったのだが、驚いたことに斬撃は地面を抉って盛大に砂塵を巻き上げたのみだった――避けられたのだ。
一糸乱れぬ動きで左右に分かれ、リーゼガルトの斬撃を避けた三十人、そのうちの十人が剣を手に一斉に地面を蹴った。
アトルが〈インケルタ〉で学んだ剣術は、技よりも力押し、相手の隙を誘って一気に攻勢に持ち込む、そういったものだったが、今目の前で繰り広げられているのは、それとは格が違う。
無駄のない舞うような動き、剣が身の一部であるかのような身ごなし、剣捌き。連携の見事さは事前に詳細な打合せがあったかのよう。
これを避け、迎撃し続けるのは不可能に近い。ゆえにリーゼガルトが取った戦法は単純だった。
破られない強度の防壁を張る。
そこに開けた矢間から攻撃すれば良い。
リーゼガルトとレーシア、アトルを囲む目には見えない防壁と剣との間で火花が散る。甲高い音を立てて剣が防壁を擦った。決して心地よくはないその音に、レーシアが思わずというように耳を塞ぐ。
剣では埒が明かないと判断したのか、剣を手にした十人が一旦下がる。そして入れ違いに、豪雨のような勢いで魔術が防壁に殺到した。
リーゼガルトが耐えるか、防壁の主導権を失うか。
防壁の表面で高温の炎が弾け、雷光が煌めく。防壁が徐々に擦り減り――その瞬間、リーゼガルトが自ら防壁を解除した。不意討ちの解除に攻め手が刹那の戸惑いを覚える、その一瞬にリーゼガルトが一回り小さな防壁を展開した。
見事としか言いようがない手際だったが、これでは消耗戦だ。リーゼガルトがそう遠くない先に押し負ける。なにしろ三十対一という多勢に無勢、それだけではなくリーゼガルトはレーシアとアトルを庇っての戦闘である。
「ミル、聞こえるか」
落ち着いた声音でリーゼガルトが通信の魔術を再開した。
「予定変更だ、迎えに行けない。倉庫街にすぐ来てくれ」
背後で轟音。アトルが咄嗟に振り返ると、部下の援護をしようとしたのか、それともレーシアを捕らえようとしたのか、こちらに向かおうとした金髪の男をアジャットが牽制し、撃ち合った魔術が爆音を轟かせたようだ。
アトルの視線を追い掛けたレーシアがぽそりと言う。
「魔術で言うなら、アジャットの方が強いみたい」
戦争前夜を生きていたレーシアは、こういった魔術戦も見てきたのだろう。
「でも、あの男の人は技術がある」
アジャットも同じ感想を抱いているのだろう、次に打ち出した魔術はどちらかと言えば、相手の出方を窺うようなものだった。
男もそれが分かったのか、敢えてそれを何の技巧もない防壁で弾くと、躊躇いなく抜刀しながら距離を詰める。
素早い足運びだったが、アジャットは動じず、一歩下がりながら右の人差し指をぴっと立てた。
複雑な魔法陣を空中に刻むようにして光が走り、直後男の足場が崩壊した。さすがに驚いたのか、男は足元に意識を集中し、足場を確保する。仄かに輝く足場が完成すると同時、アジャットの追撃が目の前に迫った。
「デイザルト様!」
リーゼガルトの防壁に攻撃を仕掛けていた複数人が一斉に叫んだ。どうやら主の戦況も見ていたらしいが、そんな隙を見せて無事でいられるわけもない。
デイザルトがアジャットの追撃を剣の平で流し、部下に怒号を浴びせる。
「馬鹿者――」
「よっしゃあ!」
リーゼガルトの勝鬨と共に、五、六人が後ろに吹き飛んで地面に叩き付けられた。まだ息はあるらしく微かに動いているが、頭を強く打ち付けたのだ、戦闘には参加できないだろう。
だが、これが金髪の男――デイザルトの怒りに火を点けた。
「リーゼ――」
アジャットが呼び掛けようとするが、デイザルトの動きの方が遥かに早い。
誰もが度肝を抜かれた。それほどに予期しない行動だった。何の躊躇いも、アジャットに背後を取られる懸念さえもなく、デイザルトは右手を振り抜いた。
投擲。
長剣が、念動の魔術の補助を受けて真っ直ぐに宙を走る。魔術の補助があるのだから的を外すことは有り得ない。
的は――レーシア。
リーゼガルトは三十人の相手をしていたのだから、レーシアとアトルと、デイザルトの間には誰もいない。
それはリーゼガルトの、アジャットに対する信頼の表われであったが、この場合は無防備と言わざるを得ない。
リーゼガルトの張った防壁はあるが、それを忘れさせるような気迫――、否。
凄まじい音と共に、リーゼガルトの防壁に罅が入った。
レーシアはぽかんとしている。
それどころか、デイザルトの部下たちでさえ騒然とした。
当然だ。魔術だけで勝負をすればアジャットの勝ち――あるいは果てしなくそれに近い引き分けは確実。
物を投げた直後には、他の動作へと移るのに僅かな時間が掛かる。
魔術は問題なく使えるだろうが、しかし、三十人がかりでも苦戦するリーゼガルトの防壁を割り砕くだけの魔力を剣に付与したというのに、あとどれだけ魔力に余裕があるだろうか。
リーゼガルトの防壁が砕け散った。すかさず押し寄せるのはそれを引き起こした剣のみならず、他の者たちの魔術、剣戟。
アジャットが援護の魔術を飛ばしたものの、限度がある。
「レーシ――」
アトルが咄嗟にレーシアを引き寄せようとするものの、間に合うわけもない。
レーシア本人はまだぽかんとしている。
そして――




