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厄災少女と百代の約束 ―百年後、あなたに出会う―  作者: 陶花ゆうの
Chapter-02 I Absolutely Guide Her To Somewhere Safely Place.
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06 戦闘勃発の模様

 かなりの時間が経った。


 始めこそ馬車の中を隈なく見て回っていたレーシアだったが、途中で飽きたらしく今はアトルが寝ている寝台の傍、本の山の上に腰掛けて、退屈そうな顔を隠しもせずに身体を左右に揺らしている。貧乏揺すりと言うよりは、むしろ小さな子供が退屈を紛らわせるためにやる動作に似ていた。


 一方のアトルは「どうやってミラレークスの四人組とレーシアを仲良くするか」ということを考えて退屈を凌いでいた。


 かくん、かくん。

 レーシアが揺れる。退屈極まりないらしい。

 かくん、かくん。


「アトルー」


 遂にお呼びが掛かったので、アトルは胡乱な目をレーシアに向ける。


「何だよ」

「退屈なの」


 即答されたが、どうしろと。アトルは半眼になった。


「俺にどうしろと」


 レーシアは言葉に詰まったが、縋るようにアトルを見ている。覚える必要などないはずの罪悪感に苛まれたアトルは、はたと気付いて手を打った。

 この暇な時間を利用しない手などない。今のうちにこの百年で変わったあれこれを教えてやればいいのだ。


「丁度いいから何か訊きたいことあったら訊けよ」


 アトルが言うと、レーシアはうんうんと頷き、しばらく考え込んだ。それから真面目に尋ねた。


「ミラレークスってなあに?」

「そこからか!」


 思わず声を上げたアトルは、傷に響かないようにしつつ素早く起き上がり、簡潔に答えた。


「大陸規模の、魔力使用に関わる協会だよ。魔術師の総本山、みたいな。あれだな、みんな一度は自分の魔力量をミラレークス支部まで測りに行くな」


「私がいたときはそんなのなかったなあ」


 レーシアはのほほんとして言い、アトルは曖昧に相槌を打った。


「ああ……。他には?」


 レーシアはこてんと首を傾げる。


「うん……。ああ、そうだ。なんでみんなセゼレラのことをセゼレラって言わなくなったの?」


 アトルは詰まった。


「いや……。それは知らん。と言うか、セゼレラっていう呼び方自体知らなかったし」


 レーシアは唸った。「そっかぁ……」と呟いている。


「おまえは宝国に行きたいのか?」


 アトルが訊くと、レーシアは不思議そうに目を瞬かせた。


「うん? でも私、このままリアテードに行くんでしょう?」


 アトルは眉を顰めた。


「いや、おまえはどうしたいかって訊いたんだが……」


 私? と驚いたように繰り返したレーシアは、首を傾げて小さく言った。


「サラリスに会いたいな……」


 アトルは内心で息を呑んだ。

「サラリス」はどうして、手紙をレーシアに見せないようにと頼んだのか。レーシアが過度の好意をサラリスに向けることを悪いことだと書いたのか。


「そのサラリスって人、どんな人なんだ?」


 訊かれて、レーシアは嬉しそうに笑った。


「綺麗な人なの。優しいし、何でも知ってるし」


「ほお」


 アトルが返答すると、レーシアはへらりと笑った。


「でも、リアテードに行った方がいいなら行くもの。サラリスに会わせてくれるっていう人がいるなら別だけど……変に動き回らない方がいいんだろうし」

「…………」


 アトルは沈黙した。


 このレーシアという少女は、本当に一度も自分自身の行く宛を決めたことがないのだろうか。

 へらへらと――良く言えば和やかに――笑っているレーシアからは、不満は一切透けて見えない。

 眠っている間に百年過ぎたことへの戸惑いや不安はあれど、今からどこに連れて行かれるのかは余り重要視していないらしい。同行者にいちいち怯えてはいても、脱走を企てないのはそのためだろう。


「サラリス」はレーシアのそんな性格も知っていて、手紙を認めたのだろうか。


 身の安全を保障してやれば、下手したらどこにでもほいほい付いて来そうだもんなぁ――とアトルは考え、嘆息した。

 黙っているアトルに何を思ったのか、レーシアが首を傾げ、何事か言いたげにした。アトルがそれに気付いて促す顔をすると、口籠って俯く。


「――どうした?」


 アトルが瞬きして訊けば、レーシアは一瞬顔を上げてからまた下を向き、その一種いじらしい仕草に、殆ど不可抗力でアトルはこう思った――


 ――なにこの可愛さ!


 その可愛らしさにいっそ感動していると、言葉を口の中で転がし、結局呑み込んでしまったレーシアが顔を上げ、にこりと笑って言った。


「あの二人、まだかな?」





************





 また、かなりの時間が経った。

 日暮れが迫っていることからしても、どんなにのんびりと買い物をしたところで、既にミルティアもグラッドも戻っていなければおかしい。レーシアはそんなことは感知せず、木箱の上で呑気に舟を漕いでいるが、アトルの表情は徐々に険しくなっていっていた。


 ミラレークスの指定魔術師は、話を聞いていてもかなりの手練れであるはずだ。その彼らが何らかの危険な目に遭っているとしたら、アトルには手の打ちようがない。


 転寝をしているレーシアをそっと窺う。呆れるほど不用心な寝顔がそこにあった。

 アトルが見付けて目覚めさせた少女は、どうやらかなり警戒心が薄いらしい。


 溜息を零し、アトルは起き上がった身体を慎重に動かした。どの程度痛みがあるのかを把握するためだ。

 胸を張る。――裂けるような強烈な痛み。身体ごと控えめに振り返る。――鮮烈な痛み。立ち上がろうとすると凄絶な痛みに悶絶する羽目になった。

 いざ追手がここまで迫って来ても、逃避行をすることは厳しそうだ。


 太陽は随分と傾き、影が長く伸びつつある。


「ほんとに遅いな……」


 アトルが呟くと、その声で目が覚めたのか、レーシアがかくんと揺れてからはっとしたように顔を上げた。


「――――っ!」


 何やら驚いたように周囲を見回す。アトルは一瞬、その目覚め方をからかおうとしたが、直後にレーシアの様子が尋常でないことに気が付いた。

 冷や汗さえ浮かべて怯え切った目で周囲を窺っている。


「レーシア?」


 レーシアの薄青い双眸が、暗くなり始めた馬車の中でアトルを捉え、大きく見開かれた。


「どうし――」


 た、まで言わないうちに、レーシアが飛び付いてきた。


「アトルっ――」

「……は?」


 状況に対する不可解さにアトルは目を瞬かせたが、どぎまぎしたりはしない。それにはレーシアに色気がなさ過ぎた。怖い夢を見て親に飛び付く幼児の図である。

 だが、傷は素直に反応し、一拍を置いてアトルの脳に痛みを訴え始めた。


「いてて、痛い、痛いってレーシア」


 アトルがレーシアの後頭部をぺしぺしと叩きながら進言すると、レーシアははっとしたように身体を離したが、アトルの服の裾は握ったままだった。

 はあ、と息を吐き、アトルはレーシアを見遣る。


「どうした。怖い夢でも見たか」


 レーシアは、うう、と呻き、小声で言った。


「怖いというか……嫌な……」

「嫌な?」


 アトルが眉を上げると、レーシアは唇を結んだ。

 だがすぐに唇を震わせ、さながら、これだけは断言しておかなければならないのだというように、断固とした声で言った。


「サラリスがセゼレラに戻った夢を見たの。でも、そんなことはなかったの。私がいた間、サラリスが戻ったりはしてないの」


 アトルはどきりとした。


 レーシアが眠りに就く寸前――いや、その瞬間には、確かにサラリスはレーシアの傍にいたのだ。でなければレーシアが時さえも停めて眠ることはなかったはずだ。

 それにも関わらず、レーシアはサラリスがあそこにいなかったのだと言っている。

 なぜか。――サラリスがあの場にいたことが、レーシアにとって不都合となる何らかの要素を含んでいるのだ。


 レーシアは澄んだ目で、縋るようにアトルを見た。


「ねえ、アトル。私を見付けた時に、誰が私を時計に入れたのか、分かるようなことは起こらなかった?」


 アトルは内心で息を呑んだ。それでも完璧にそのことを隠し、肩を竦めてみせる。


「いや。おまえを――というか、おまえ入りの時計を見付けたのって、ほんと偶然だったんだよ。おまえが時計の中にいたってことも、あの宿で時計を開けてみるまで知らなかったくらいなんだから」


 きりきりと胸が痛む。傷ではない、そこよりもずっと深いところが痛んでいる。

 この綺麗な、今はアトル以外に頼れる者もない少女に嘘を吐くことを、アトルの中の何かが是としていない。

 レーシアは項垂れたが、すぐに窺うように顔を上げた。


「……どうして……時計の中を見ようと思ったの?」


 アトルは黙り込んだりはしなかった。視線を泳がせることも、不自然に即答することもなく、いつもレーシアに何かを教えるときのように自然に、当たり前の解答をする顔で答えた。


「荷物の中は一通り検めることになってんだよ。中にとんでもない物が入ってることもあるからな」


 レーシアは疑念すら持たなかったらしい。残念そうではあったが、納得の色を漂わせて頷いた。


「そうなの……」


「まぁ、人が入っていたのは初めてだけどな」


 アトルは茶化すように言い、レーシアのがっかりした顔が少し緩んだのを察知して、すかさず話を続けた。


「麻薬が入ってたことはあったんだけどな」


 そもそも麻薬の密輸という話で結んだ契約だったのだが、レーシアにありもしない「荷物改め」の規則を話してしまったからには、それらしい響きを与えておかなくてはなるまい。


「麻薬?」


 レーシアが驚いたように目を瞠る。アトルは笑って頷いた。


「ああ。ま、そのまま運んだけどな」


 いいの、それ? と言わんばかりに見開かれたレーシアの双眸を見て、アトルは例の、誘拐を引き受けたときの、警邏隊に手を突き膝を突き「事情」を説明し、警邏隊が帰った後にその勝利を仁王立ちで飾ったオヤジたちの話をしてやった。


「それって駄目なことだよね」


 と言いながらも、レーシアが笑っていたので良しとする。普段から気楽な――というか、のほほんとした顔を見せることが多いレーシアのこと、彼女が辛気臭い顔をしていてはどうにも気分が悪いのだ。


「まあな。でも生きる知恵だよ。オヤジたちの姿を見て学んだな――」


 アトルは言葉を切ると、鹿爪らしく続けた。


「――生きるためには何でもすべし」


 あっははは、とレーシアが笑い出し、アトルが慌てて口を塞ぐ。


「こら、この馬鹿! 外に誰がいるか分かんねんだぞ!」

「ごっ、ごめんなさい……」


 レーシアは少ししゅんとしたが、これは通常運転の範囲内だ。すぐにお道化た顔になる。


「だって面白かったんだもの」


 アトルは溜息を吐いた。


「あのなあ、もうちょっと警戒心を持て。それから自分の身の振り方くらいは考えておけ」


 警戒心、身の振り方、と復唱したレーシアは、困ったように笑った。


「よく分からない」

 どうやら正直に話しているらしかった。

「身の振り方といっても、今どんな状況なのかよく分からないもの」


 違いない、と笑いつつ、アトルは言った。


「俺もだぞ」


 近衛とミラレークスが同時にレーシアを捜した意味も分からなければ、その目的も分からない。

 レーシアがどんな立場にあったのかも分からなければ、宝具や封具についても今一つ分かっていない。

「サラリス」についてはもっと分からない。

 今一緒にいる四人が本当に信用できるのかも分からない。分からないことだらけだ。


 レーシアはアトルの言葉に目を丸くしている。


「そうなの? 色々考えてそうだと思ったのに」


「あのなレーシア」

 アトルは訳知り顔で言う。

「分からないことは分からないままで、どうすれば自分にとって一番有利かを考えられるかが、生き延びるコツってやつだぞ」


 こくこくとレーシアは頷く。具体的にどうしたらいいかは全く分かっていないと断言できるが、どうやら分かった振りをすることにしたらしい。そんな様子にアトルは、声を抑えながらも笑う。


 レーシアはアトルの笑顔を見て、一瞬眩しそうな顔をした。それから少し表情を改め、口を開いた。


「あのね、アトル。私が――」


 その続きは切れ切れになってアトルの耳に届いた。

「まだ」「もう少し」という言葉が聞き取れたが、その内容を云々している場合ではなかった。


 レーシアの方も驚いた顔で黙り込む。口の開き方から察して、言葉を途中で切ったらしかった。


 ――ォンッ


 無音の中に波動を広げるようにして、それでも耳で聞こえる現象として、何かが発せられた。それがレーシアの言葉を邪魔し、馬車の中を沈黙で満たしたのだ。


「――なんだ?」


 アトルが呟くと、レーシアが怪訝そうな顔をしながらもきっぱりと言った。


「念動系の魔術がぶつかったときの音だけど――なんでここでするんだろう」


 軽く目を瞠って、アトルは彼女を見た。


「おまえ、なんで知ってるんだ」


 レーシアはきょとんとした顔をする。


「だって――セゼレラでよく聞いていたもの」


 まさしく戦争前夜ならではの知識である。が、そうなるとこの音が意味するのは――


「嘘だろ――アジャットたち何やってんの」


 アジャットとリーゼガルトが、何者かと戦闘中、ということである。





 アトルはしばし考え込んでいたが、顔を上げると言った。


「よし逃げよう」


 レーシアが目を剥いた。


「アジャットたちが無事なら追い掛けて来るだろうし、そうでなくてもミルティアたちを見付けられれば御の字だし。それも駄目なら逃避行だ」


 実際問題、レーシアに大盤振る舞いされている追手たちをアトルだけで撃退し続けることは不可能だが、ここで万が一のことがあってレーシアがどこかに連行されては堪ったものではないし、それだけならばともかくとして、アトル自身の命数が尽きる可能性すらある。


「うん、そうしよう」


 アトルが自己完結していると、レーシアが恐る恐るというように言い出した。


「に――逃げるって、でも、アジャットたちはあのお屋敷の中なんでしょう? そ、それにあなたもまだ動けないし……」


 アトルは馬鹿にした目でレーシアを見た。


「だから早めに逃げておくんだろうが。この行動が早計だったとしても、アジャットたちに怒られる程度で済むだろ。でもこれが実際にやばいことであってみろ。取り返しが付かないぞ」


 逃げたとしても色々と想定外の事態に巻き込まれることは十分に考えられるし、そもそもアトルたちが逃げることがアジャットたちの想定外である可能性も高いのだが、アジャットたちのことが今一つ分かっていない現在、ここで黙ってじっとしているのは博打に過ぎる。

 考えたくはないが、アジャットたちがレーシアを力づくで連れて行こうとして、自作自演の演技をしていることさえ疑えるのだ。


「立つから、レーシア、手を貸してくれ」


 レーシアはおずおずと立ち上がり、またおずおずと手を差し伸べた。白く柔らかい手は余りにも頼りないが、今のアトルは立ち上がるにも介助が必要なのだ。軽くその手を握り、立ち上がるために引く。たったそれだけでレーシアはたたらを踏み、面目なさそうに眦を下げた。

 片手をレーシアに預け、片手で寝台を支えにし、アトルはゆっくりと立ち上がった。鮮烈すぎる痛みに意識が飛び掛けたが、何とか堪える。

 これは、痛いという思い込みだ――そう自分を鼓舞。それでも痛い。


 歩けるのか、これ……。


 アトルは思わず己を疑ったが、その間を見計らったように破裂音が響いた。レーシアがびくっと震え、アトルの左袖口を掴む。


「な、ななな、なに……?」


 どもり方から怯えのほどが分かる。


「やばいことになってる音」


 アトルはお道化た科白を真顔で吐き、ゆっくりと慎重に進むと、隣に張り付いているレーシアに、馬車の扉を開けるよう合図した。レーシアは竦みながらもアトルから離れ、扉をそっと押し開けた。

 一気に音が鮮明になる。

 レーシアは竦み上がってアトルの傍に戻り、「本当に出るの?」というような顔で彼を見た。アトルは無言で頷くと、薄闇に包まれる外の様子を窺った。

 邸宅が準シャッハレイの宿のように半壊している、ということはなかったが、中で戦闘が起こっていることは確からしい。断続的に邸宅が揺れている。中から脱兎の勢いで脱出して来た十数人が、呆気に取られた顔で邸宅を振り仰いだ。


「よし行くぞ」


 アトルは、半ばはレーシアに、半ばは自分に向けて言った。痛いのは気のせいなんだ、ともう一度内心で言い聞かせる。

 三段の階段が異様に長く感じたが、忍の一字で耐えてのける。むしろレーシアの方がへっぴり腰になっていた。外で暴力沙汰が起こっているのが怖いらしい。衝撃音や破裂音が轟く度に「なにっ!」と悲鳴を上げるか、アトルにしがみ付くかしている。


 ――正直、しがみ付かれると痛い。


 馬車を出た二人は、主にアトルの方向感覚に従って敷地外を目指そうとしたが、これがそう上手くはいかなかった。

 突然の異変に右往左往する使用人の群れを掻き分けていくことですら、今のアトルには苦行だというのに、それに追い打ちを掛けるように降り掛かる誰何の嵐。考えてみれば当然のこと、この混乱状態ではいわゆる火事場泥棒を警戒してもおかしくはない。

 しかし、その場面では今にも泣きだしそうなほどに怯えた美少女の効用が多大だった。誰がこんな、か弱げな乙女を疑うだろうか。

 遠慮のない衝撃音にびくつくレーシアと、傷もあって思うように動けないアトルは、まだ命に関わるような事態に陥っていないからこその余裕のある使用人たちに手を貸され、その親切に片や感動し片やほくそ笑むうちに、無事に門扉に辿り着いた。


「本当に大丈夫かい?」

「あ、はい。どうもありがとうございました」

「だったらいいけれど……あなた、お客様のところの使用人じゃなくて? ご主人を待たなくてもいいの?」

「頼まれ事をされていまして……」

「怪我してるんでしょう? それなのに?」


 門扉の前での押し問答。レーシアはやはり見知らぬ人間が怖いのか、アトルの後ろに隠れるようにしており、受け答えは専らアトルがしていた。


「人手がなくて、それで。大丈夫です――本当にどうも」


 アトルは傷に響かないよう、不自然な姿勢で頭を下げ、しかしそれでもずきりと痛んだ傷に少し顔を顰めつつ、レーシアの右手を後ろ手に握った。


「行くぞ」


 声を掛け、まだ心配そうにこちらを見ている四人ばかりの使用人ににこりと笑い掛けると、アトルは町へと歩を進めた。


「歩くの手伝ってもらった方が良かったのに――」


 自分ではアトルの杖にはならないと理解しているレーシアが言ったが、アトルはそれを一刀両断した。


「あの人たち、使用人のお仕着せ着てただろ。町中歩いてたら目立つんだよ。追手にとってはいい目印だ」


 レーシアはなるほどと頷き、申し訳程度にアトルの腕を取って支えようとした。


 この辺りは高級住宅街であり、一軒一軒の敷地が広く隣家との距離があるとはいえ、隣の邸宅で魔術戦が繰り広げられて気付かぬような鈍感な者はいない。

 オールディ邸の両隣を始めとして、あちこちから人が出て来る。無論、そこから出て来るところを見られていたアトルたちも何があったのかの説明を求められる。

 レーシアはまたしてもアトルの後ろに引っ込んだが、アトルはこれ見よがしにオールディ邸の話をする。

 アトルは何も嘘は吐かなかった。突然魔術による戦闘が始まったということも、そのとき邸宅にいた客人が魔術師だったということも嘘ではない。ただしそこに、金目の物の無事を案ずる言葉を巧妙に混ぜ込んだだけだ。

 それだけで人は強盗を疑う。そして普通ならば我が家のものを守るが、忘れてはいけない。ここは貴族の邸宅が集まる区画ではない。

 あくまでも彼らは、己で財を成した者たちであることが多いのだ。中には親の遺産を継いだ者もあれど、大抵の者たちは金を作ることの労を知っている。


 で、あればこそ。


 もしもオールディ邸からオールディ邸の使用人や主人でない者が出て来た場合、高確率で住人が捕縛に動いてくれる。

 せいぜい時間稼ぎをしてくれと、少々腹黒い笑みを押し隠しながら、アトルはレーシアを連れてその場を離れた。







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