25 決闘開始
「助かった。本当に助かった。ありがとう」
アトルがそう言ったのは、ルーヴェルドの執務室から離れた一角、廊下の角でのことだった。
彼が差し出した水晶を受け取りつつ、ふふんと笑ったのはエミリアである。
「でしょ? にしても閣下の声、相当怒ってそうだったけど。大丈夫?」
「ん」
アトルは無事を強調するように両手を挙げて見せた。
「この通り。
――まあ最悪、殴り合いになるかとは思ってたけど……」
いつも左手首に着けている水晶の腕輪を右手に着け替えていたのは、エミリアから預かっていた水晶をルーヴェルドに見せる際、同時に腕輪の水晶の術式まで看破されることを避けるためだ。
どうしてそうしてまで水晶を左手に持っていたのかと言えば、右手を自由にしておきたかったからだ。
そして、なぜ右手を自由にしておきたかったのか――殴り合いが勃発したときのためである。
「殴り合いって」
エミリアは水晶を両手で包むようにして持ち、噴き出した。
「閣下はそんなことしないわよ。しそうにないでしょ、あの顔」
この言い方も大分失礼だよな、とアトルは思った。そう思いつつも、口には出さず目を逸らす。
「いやまあ、そうだけど」
アトルは鼻の頭を掻いた。
「なんか他の連中がわーって入って来て殴り合い、とかありそうだろ」
「きみのその発言から、きみが育った環境がなんとなく分かるわ」
エミリアは呆れた声音でそう言って、お道化た仕草で指をアトルに突き付けた。
「ずばり、魔術とは無縁だったでしょう。
――この本部で喧嘩はご法度よ。なにせみんな魔術を使っちゃうんだもの。死人が出かねないでしょ」
「過激だな……」
ぼそりと呟いたアトルを唐樒の眼差しで見守って、エミリアは小首を傾げた。
「過激って。きみはもっと過激な決闘をする訳だけど。
――大丈夫なの? 勝算ある? あの様子からして閣下、結構強い人を代闘士に立てるんじゃないかな?」
エミリアの予想は当たった。
アトルがルーヴェルドに決闘を申し込んだ翌日、ルーヴェルドの代闘士、介添人、決闘の日時と場所が記された文書が部屋まで届いた。
直に床の上に座り込んで開封し、それを読むアトルの両脇から、ヴィンスとオーレック、イシュもその文書を覗き込む。
文字を読むことに慣れていないアトルよりも遥かに早く、三人がぼそぼそとその内容を読み上げた。
曰く。
「決闘は七日後の正午より開始とする。場所は本部裏手の森――」
「介添人、は……、リカルド・スレイ……特等指定魔術師――」
「代闘士はエドウィン・タイレス高等指定魔術師とする」
アトルは文書を床に置き、腕を組んだ。
「どっちも聞いたことある名前だな。
確かスレイ特等指定って、傭兵上がりじゃなかったか?」
呑気にそう零すアトルの両脇では、三人が三人とも悲愴な顔付きになっていた。
「高等指定と特等指定で揃えたか……。閣下、相当怒ってらっしゃるな」
「しかもタイレス高等指定か……」
オーレックの口振りに、アトルは彼を振り返った。
「有名人?」
頷いたオーレックは、考え考え答えた。
「閣下の信が厚い。加えて――そうだな、アトルに分かりやすく言うなら、タイレス高等指定はレーヴァリイン高等指定と遜色なく魔術を扱う人だ」
「あ、分かった」
アトルは即座に言い、指を鳴らした。
「ああ、思い出した。あいつか。灰褐色の髪の――」
レーシアに床の片付けを命じられた人物であり、ルーヴェルドの執務室でアトルの態度に文句を付けた人物である。
「そう、その人だ」
灰褐色の髪、という情報のみで、アトルが正解に行き着いたと察してオーレックは言い、眉間に深い皺を寄せて腕を組んだ。
「しかも介添人がスレイ特等指定――。場所が森の中――」
アトルも脳裏に決闘の想像図を思い描き、首を傾げた。
「決闘って、もっとこう、開けた場所でするもんじゃねえの?」
重々しくオーレックは頷いた。
「そうだ」
アトルは琥珀色の目を細める。
ちらりと微かに、見えるか見えないかといった程度の緑色の火花が、その瞳の奥で散った。
「すっげえ作為を感じるんだが」
床に置いた文書を指先で突き、アトルは不機嫌に指摘した。
「つまりあれだろ? 俺が勝っても負けても、視界不良を言い訳に、幾らでも事実を捏造できるじゃねえか。これじゃ、見物人も制限するつもりなんじゃないのか」
決闘は通常、公開される。
見物人がそのまま証人となるためだ。
だが、場所が森では、見物人がいたとしても彼ら自身の視界の確保が危うい。
見物人が制限されるようであれば、それはもう、アトルに都合のいい展開を隠蔽する気満々であるとしか言えなくなる。
「…………」
「…………」
イシュとヴィンスが黙り込んだ。
「確かに」と思ったものの、協会員である立場ゆえに口に出せないといった顔付きである。
「確かに」
が、オーレックは口に出して端的に同意した。
アトルが驚きに目を上げると、仏頂面で更に言う。
「もっと言うなら、スレイ特等指定は決闘の介添人などしたことがない。かなり――気性が荒いと知られているし、最悪で決闘に割って入りかねない人だ」
「割って入られた場合、決闘は?」
アトルの問いに、オーレックはますます顔を顰める。
「どちらかがどちらかを殺し掛けた場合でもない限り、無効になる」
「最悪だなおい」
アトルは吐き捨てた。
負けることは見越した上で申し込んだ決闘とはいえ、あからさまに策を弄されることが面白いはずもない。
だが、オーレックは含みのある眼差しでアトルを見た。
「だが視界が利き難いということは――アトルが、あー、なんだ――不自然に素早くタイレス高等指定に勝利したとしても、追及され難いということでもある、ぞ?」
「なんだ、オーレック。八百長を勧めてんのか?」
ヴィンスが怪訝そうに言ったが、アトルはオーレックの真意を察した。
オーレックの認識では、アトルには宝士を立て続けに殲滅するだけの力があるということになっている。
つまり、何かの事情でアトルがそのことを伏せているにせよ、森という場所を利用して誤魔化せばいいのではないかと提案しているのだ。
アトルは再び腕を組む。
宝士相手に圧勝できたのは、相手が殺してもいい相手だったからだ。
高等指定魔術師を決闘で殺すのはさすがにまずい。
決闘での殺人防止のための介添人とはいえ、特等指定魔術師の二人がサラリスの魔力を扱うアトルを止められるとは考えられない。
それどころか、下手をすれば巻き添えで、纏めて三人殺してしまいかねない。
つまり、(口が裂けても言えないが)オーレックの案は実現不可能なのだ。
そして何より。
「あのさ、オーレック」
アトルは目を細めてオーレックを見遣った。
「そんなこと言ってるけど、俺を応援したらまずいんじゃないのか」
きょとん、とオーレックは深青の目を瞠った。
「それはそうだが」
まじまじとアトルを見て、いっそあっけらかんとオーレックは続けた。
「だが、アトルは俺の命の恩人じゃないか」
「――――」
アトルは眉を寄せた。
オーレックが、アジャットたちに次ぐ考えの甘い人間だというのでもない限り、この言動は信用するべきではないと思ったためだった。
咳払いをして、ヴィンスが話題を元に戻す。
「――あの傭兵上がりが決闘をおじゃんにしかねないって話だけどな、それはねぇんじゃないかなぁ」
オーレックは片眉を上げた。
「なぜだ? あの性格ならやりかねない――」
「確かに、性格を見れば……そう、ですが……」
イシュがちらり、とアトルを見ながら言った。
「アトル特等指定の……介添人は、シャルト特等指定です……。しかも、自分から……申し出たと、僕は聞きました……」
ヴィンスは重々しく頷いた。
「そういうこと。シャルト特等指定なら、あの傭兵上がりが割り込もうとすれば、それを止められるし、自分からやるって言い出したくらいならそうしてくれるはずだ。なにせ高速戦闘の達人の、物好きだぜ」
「なるほど……」
アトルは頷いた。
同時に、エミリアと握手したときのことを思い出し、ぼそりと呟く。
「結構鍛えてそうだったしな……」
硬い掌と剣ダコは確認済みである。
(――ん? そう言えば……)
アトルは床に置いた文書に再び、ゆっくりと目を通した。
そして首を傾げる。
「そういや、これに武器の記載ねぇけど。何ならいいんだ?」
三対の目が見開かれ、アトルを見た。
「武器?」
異口同音に繰り返されたその一言に、アトルもまたきょとんと三人を見返す。
「そう、武器」
三人が顔を見合わせ、一斉に言った。
「武器は駄目だろ」
「武器は……無理でしょう……」
「武器は認められないはずだが……?」
アトルの目が点になった。
「え、駄目なの?」
「おまえな、考えろよ」
ヴィンスが組んだ脚に肘を突き、呆れたようにアトルを見た。
「ここは軍隊じゃない、魔力法協会だぞ。武器の扱いに慣れてる人間なんてそうそういない。そんなの、シャルト特等指定みたいな物好きでもなきゃ、傭兵上がりくらいなもんだ」
つまり、決闘は丸腰で、魔術のみを武器として行うらしい。
またも勝算が削られた。
銃が使えればあるいはと思っていたのだが、現実はそう甘くないということか。
がっくりと項垂れたアトルは、しかし違和感を覚えてすぐに顔を上げた。
リーゼガルトは大刀の扱いに慣れていた。
そして初対面のとき、特等指定魔術師の中でもスレイ特等指定のことをヴィンスが「傭兵上がり」として悪く言った際に、オーレックは妙に慌てていた。
「ああ――」
合点がいき、アトルは思わず呟いた。
「リーゼガルトも傭兵上がりか」
オーレックが緊張の面差しでアトルを見た。
「し――知らなかった、のか?」
「ああ、知らなかった」
そう認めて、アトルはオーレックの顔を見て苦笑する。
「あのさ、そう構えるなよ。暴れたりしねぇから」
「それは――何よりだ」
冗談めかして言ったオーレックは、地雷を踏む前に、とばかりに慌てて話を戻し、言った。
「まあ、とにかく、武器の有無なんて微々たるものだろう?」
微々たるものではないから落ち込んだのだが、それを説明する訳にもいかないので、アトルは頷いた。
それでも零れた溜息を追い掛けるように視線を泳がせ、扉に目を留めて更に暗澹たる気持ちになる。
相も変わらず扉は、夜に開ければ大音響。
昼間は常に監視され、レーシアに会いに行くことなどとても出来ない。
寂しがってくれているならば、それなりに嬉しい気持ちもあった。
だがそれでも、寂しがっていなければいいが、と思った。
寂しがるのは仕方がないとしても、せめて不安がっていなければいいと、心から思った。
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万が一にアトルが勝ったとしても、それすら隠蔽されかねないという、不公平極まりない決闘は、曇天の下で行われることとなった。
窓の外の天候を確認し、ただでさえ沈みがちだった気分に最後の一撃を決められた心地になって、アトルは顔を顰める。
だが、それでも、今日に何かが変わるはずだった。
そのために挑戦した決闘だった。
この七日間、アトルがルーヴェルドに決闘を申し込んだ話はそれなりに広まっていた。
言うまでもなく、エミリアの広報活動があったのである。
そのため、食事などで他の魔術師と顔を合わせるときには、「これが例の」といった目でじろじろと眺められる羽目になった。
とはいえ、決闘が密かに行われてお終い、となるよりは遥かにいい。
アトルとしてはエミリアに頭が上がらない。
――なぜ、ここまで親切にしてくれるのか、それを疑問に思う気持ちは大いにあったが。
皆がアトルを見る目としては、「身の程知らず」と言わんばかりのものが多い。
そもそもの心証が良くなかった上に、この運びである。
周囲に面白く思われようはずもなかった。
(これで一方的に負けたら、マジで洒落にならねぇ大恥だな……)
現状、そうなる可能性が高いのだが、アトルは真面目にそう考えた。
アトルとてこの七日間、無為に過ごした訳ではない。
オーレックたちが部屋から出払っている時間を狙って、積み上げられた本の中から基本書を見付け出し、なんとか魔力の制御の方法を学ぼうとはしたのだ。
しかし、文字を読み慣れていない上に、サラリスの魔力が規格外過ぎるという弊害があって、全く制御の見込みが立っていない。
負ける可能性しか見えてこない。
だが、アトルの目的はこの決闘を行うことだった。
何か状況を変える一手を打つことだった。
見物人がいるようであれば、彼らに向かってレーシアの人権を叫ぶつもりですらある。
ゆえに、決闘が幾ら不公平であったとしても、アトルから文句を言うつもりはさらさらないのだ。
オーレックたちの声援(本気なのかアトルは疑ったが)を、半ば聞き流しつつ廊下に出る。
するとそこに、にこにこと笑うエミリアが立っていた。
「――うわ」
思わず驚きの一声を漏らすと、エミリアはわざとらしく頬を膨らませる。
「はー? ちょっとなにそれその反応? やり直し。やり直しを求めます」
「いや、なんでいるんだよ?」
後ろ手に扉を閉めながらアトルが尋ねる。
部屋の中ではヴィンスが「シャルト特等指定がいるぞ!」と大騒ぎしていた。
「なんでって、失礼ねー」
エミリアは腕を組んだ。
「きみを決闘の場所まで案内してあげるために決まってるでしょ?」
エミリアの答えに、アトルは納得の頷きを返した。
「あー、なるほど。また世話になるみたいで、悪いな」
あの文書には詳しい場所が書かれていなかったし、よしんば書かれていたとして、まだ本部に疎いアトルだけでは辿り着けない可能性すらあるのだ。
道案内が付くのは妥当なことだし、どのみち決闘の場まで赴かなければならない介添人がその役を務めるのも、極めて自然なことである。
今日のエミリアは、途中で決闘に割って入ることも視野に入れているためか、いつもよりも更に動きやすそうな格好をしていた。
蜂蜜色の髪を後頭部で一つに束ね、いつも身に着けている装飾品を、首飾りに至るまで全て外している。
白いシャツの上に皮鎧の胸当てを着け、黒い細身のズボン、そして踵の低い長靴。
腰には華奢な細剣を携え、そのことで全体から受ける印象に、勇ましさがぐっと増していた。介添人には武器の携帯が許されるらしい。
一方のアトルは普段着で丸腰である。
いつも腰に着けていた道具箱さえ外している。
そんな彼をじろじろと眺めて、エミリアが嘆息する。
「はぁ……、もうちょっと、防具の類はなかったの。必要ないとしても、そんなのじゃ格好が付かないじゃない」
「いや別に、格好付けに行く訳じゃねえし」
真面目に返したアトルに、歩き出しながら情けないとばかりにエミリアは首を振る。
「そういうことじゃないんだけどなぁ。全く、これだから男の人は」
眉を顰め、隣に並んだアトルを見上げ、エミリアは彼に指を突き付けた。
「いい? このあたしが肩入れしてあげてんのよ。勝ちなさい、いいわね?」
あからさまにアトルは視線を逸らした。
「――まあ、勝てたらいいなとは……思う……」
「ちょっと、なに気弱なこと言ってるの?」
エミリアは目を見開いた。
「確かに相手は高等指定だけど! でもきみだって特等指定じゃない! 宝士に勝ったんでしょ!?」
「まあ、それは……」
「ちょっと……」
エミリアは口角を痙攣させ、額を押さえた。
「想定外だわ、この展開……」
首を振り、エミリアは顔を上げて言った。
「と、とにかく、何もしないで無様に負けるようなことはしないでね。
――ほんと、何のために挑戦したんだか!」
アトルの背中をばしりと叩き、エミリアが激励する。
半ば以上、この青年の介添人に立候補してしまった自分自身を激励するような調子になってしまっていたが。
アトルはアトルで、最もありそうなことを避けるように言われ、言葉に詰まった。
「覇気を持って、アトルくん!
しないでおこうと思ってた助言を今こそするわ! ――いい、」
ぐっとアトルの顔を覗きこみ、エミリアは拳を握り締めて断言した。
「武器は駄目でも、殴る蹴るはありだから!」
アトルは目を瞬かせた。
「お、おう」
本部裏手の森の手前に、既に幾人かの人影があった。
見物人かつ証人となる人々である。ざっと見て、十名から十五名というところだった。
アトルは視線を滑らせて捜したが、その中にルーヴェルドの姿はない。
如何に多忙な最高指定魔術師といえど、代闘士が戦っている間はこの場に来るはずだった。
単純に、到着がまだなのだろう。
その代闘士は、アトルと同じく普段着で丸腰で、少し背筋を曲げて立っていた。
灰褐色の髪が曇天の下で揺れている。
表情は仏頂面で、彼がこの代闘士の役割をどう思っているのか、それを如実に知らしめていた。
ルーヴェルドが来る前にその表情をなんとかしないとまずいんじゃないのか、という忠告を、アトルは喉の奥に押し込めた。
ちょうどそのとき、視線を上げたタイレスがアトルを見付け、少しばかり怯むほど強い眼差しで睨め付けてきた。
心当たりのないアトルとしては面食らうしかない。
代闘士を選んだのはルーヴェルドなのだ。選ばれたのが不服なら、彼の方に文句を付けてもらいたい。
そんな代闘士の傍に、随分と背の高い男が佇んでいた。
タイレスとは対照的に、如何にも楽しげな様子である。
黒にも見える濃紫の髪を奔放に伸ばしており、苦み走った顔の目許が隠れそうになっている。
力を抜いて立つ全身を黒い衣服に包んでおり、その腰の帯には数振りの短剣と銃が下げられていた。銃は、アトルが使っている銃と同じく、アルナー水晶が用いられたものだ。
「――あれ、スレイ特等指定ね」
エミリアがアトルに囁いた。
なるほどあれが、とアトルが頷く。
リカルド・スレイ特等指定は、歩み寄って来る二人に気付くと、タイレスとは正反対の反応を見せた。その顔に輝くような笑みを登らせたのである。
その表情でぶんぶんと手を振ってくるものだから、アトルは思わず驚きの余り瞬きした。
「よぉ、おまえがアトルだろ? いやぁ今日はありがとう!」
近寄って来た彼に元気良くそう言われ、アトルは半笑いを浮かべる。
「いやあの、礼を言われることは……」
「なんでだよ、――すげぇわくわくするわぁ」
リカルドはそう言って、にっこりと荒々しい笑みを刷いた。
「出来る限りお互い殺し合ってくれるともっと嬉しいなぁ。そしたら俺、堂々と間に割り込めるんだろ?」
アトルの半笑いが引き攣った。
その彼を尻目に、一歩進み出たエミリアが腕を組む。
「させませーん。あたしも介添人なんだからね」
心底嬉しそうに笑って、リカルドはエミリアの肩に手を置いた。
エミリアは素気なくその手をぽい、と振り払ったが、リカルドの笑みには幾許の影も差さなかった。
「あんたとも戦り合いたいと思ってたんだ!
あんたが片方の介添人だって聞いたから、俺もこの話を受けたんだしな」
表情で「うわぁ」と語り、エミリアはアトルを振り返って拝む仕草をする。
「ごめんねぇ、アトルくん。あたしのせいでこんなのが」
「こんなのって何だよ、酷ぇな」
からからと笑って、リカルドはアトルの目を覗き込んだ。
金色の虹彩がアトルの顔を映し出し、笑みに細められる。
「ま、頑張って殺し合ってくれやぁ、アトル?」
ちょうどそのとき、数名を引き連れてルーヴェルド最高指定魔術師が到着した。
「――閣下」
先程までの仏頂面を綺麗に拭い去り、タイレスがルーヴェルドに駆け寄る。
その様子にアトルは、尻尾を振る犬を想像した程だった。三十半ばの男に幻視するには、些か可愛らしさに過ぎる情景であったが。
それを迎えて肩をぽんと叩いてから、ルーヴェルドがアトルに視線を向ける。
「アトル特等指定、時間だ」
森の手前で、アトルとルーヴェルド、タイレスが向かい合う。
各々の後ろに介添人であるエミリアとリカルドが立ち、両者の間に証人の代表が口上のために佇んだ。
他の証人たちは、既に森の入り口にいる。
「――これより、決闘を開始する」
証人代表が宣言し、右手でルーヴェルドを、左手でアトルを指した。
「挑戦者はアトル特等指定魔術師。受諾者はオルゼイ・ルーヴェルド最高指定魔術師。
介添人はエミリア・シャルト、並びにリカルド・スレイ両特等指定魔術師。
ルーヴェルド最高指定魔術師は代闘士を立てるものであるとする。代闘士は、エドウィン・タイレス高等指定魔術師」
全員が軽く会釈をした。
ルーヴェルドが退屈そうであるのに比して、タイレスはもはや殺気すら宿った目でアトルを見ている。
それほど恨まれることをしただろうかと、アトルは思わず自問した。
タイレスのその様子に、リカルドはますます嬉しそうである。
エミリアはそんなリカルドを見て、平たく言えば引いていた。
「ここにいる全員を証人となし、決闘は正々堂々と行われよ」
その文言に、リカルドが若干しょんぼりとなった。
「挑戦者の言い分は以下の通りである。――受諾者は挑戦者の名誉を傷付けたものであり、この決闘の結果、挑戦者の主張が是と認めらるれば、挑戦のときを以て成立した挑戦者の要求を通すこと。
受諾者の言い分は以下の通りである。――受諾者は挑戦者の名誉を傷付けておらず、この決闘にて受諾者の名誉が傷付けられたものである。よってこの決闘の結果、挑戦者の主張が非と認めらるれば、挑戦のときを以て成立した受諾者の要求を通すこと」
相違ないか? と尋ねられ、アトルとルーヴェルドが同時に首肯する。
では――、と、証人代表がはっきりとリカルドを見ながら続けた。
「介添人は、挑戦者と受諾者の代闘士、彼らの命に危険なきときは、決して決闘に手を出さぬよう。もしも然様な事態の運びとなれば、この決闘を無効となす」
エミリアがしっかりと頷き、リカルドが何処吹く風と余所見をする。
「承知したか? 承知したな?」と繰り返し尋ねる証人代表の顔には、くっきりと「警戒」と書いてあった。
「はいはい、分かった分かった」
最終的にリカルドがそのように答え、証人代表は不安に駆られた様子でルーヴェルドを見た。
ルーヴェルドが頷きを返したため、証人代表は咳払いをして続けた。
「決闘に用いらるるものは、魔術の他は己が肉体のみとせよ。
但し介添人は、挑戦者と代闘士の命に危険ありと判断される場合においてのみ――客観的に、そのように判断された場合のみ――、武器を用いて決闘を差し止める権利を持つものとする」
「差し止める」という部分に矢鱈と強勢を置いた証人代表の目は、やはりリカルドをはっしと捉えていた。
「ではこれより森に移動し、合図と共に決闘を開始されたし」
口上が終わり、証人代表がほっとした顔をする。
「――っし、移動するよ」
背後からエミリアに囁かれ、アトルが森に向かって踵を返す。
それを尻目に、ルーヴェルドがタイレスに微笑み掛けた。
「今日は無理な頼みに応えてくれて感謝する」
「いえ……」
恐縮したように首を振るタイレスの肩を、ルーヴェルドがぽん、と叩いた。
「期待している」
その瞬間にタイレスの全身に漲った、危機感に近い意気込みに、アトルは溜息を押し殺した。
(期待なんかしなくたってさ……)
現在進行形で、負けるつもりしかないアトルである。
「アトルくん、いい、ちゃんと勝ってよ」
エミリアはエミリアで、切羽詰まった声を掛けた。
「あたしの知り合いで、きみに賭けてる人が結構いるんだからね」
「――ちょっと待て?」
アトルは顔を引き攣らせてエミリアを見下ろした。
「俺で賭け事してんの?」
悪びれずにエミリアは胸を張った。一つに束ねられた蜂蜜色の髪がふわりと揺れる。
「あたしはしてないよ。知り合いがしてるだけ。知り合いが破産するの、見たい訳じゃないもの」
「今ので俺のやる気がごっそり削れたよ」
アトルは冗談交じりの嫌味でそれに応え、先程の口上よりも短い時間で決闘が終わった場合の周囲の反応を予想し始めた。
(……さすがにやばいか。防壁くらいは張れるだろうから、それでちょっと乗り切るか)
エミリアには借りも山程ある。
そのエミリアは、アトルの言葉を真に受けた様子で焦った顔をしている。
「えっ、ちょ――あたしは! あたしはほら、純粋な応援の気持ち! ねっ?」
アトルは苦笑した。
「分かってる分かってる。冗談だって」
「良かった……」
安堵を滲ませ、エミリアは胸を撫で下ろした。
森に入り、代闘士であるタイレスと、挑戦者であるアトルが向かい合う。
介添人の二人は程よく離れた位置に立ち――というよりは、リカルドをエミリアが引っ張って離れ――、本来の受諾者であるルーヴェルドは、タイレスに対する助力が疑われないよう、見物人より更に離れた、森の外に留め置かれる。
合図を待つアトルの耳に、低い、憎々しげなタイレスの声が聞こえた。
「――貴様のような……」
「え?」
アトルが目を上げ、タイレスを見る。
そして、緑青を思わせる色のタイレスの目に、本気の忌々しさを認めた。
「無礼を知れ、この若造が」
タイレスのその言葉と同時に、証人代表が真っ赤な火花を上空に打ち上げた。
――決闘開始の合図である。
その瞬間に立て続けに打ち込まれた炎弾を、アトルが必死に弱めながら張った防壁が完全に防ぎ切った。
術式を闇雲に弱めようとした影響で、アトルが本来意図した防壁の出現座標からはややずれた位置に防壁が張られたのだが、誤差の範囲だ。
見物人の間から感嘆の声が上がった。
「高等指定の攻撃を防いだか……」
「あの特等指定、実力もきちんと……」
「いやいや、タイレス高等指定とて、まだ小手調べのはず……」
彼らの中にも指定魔術師はいるのかも知れないが、最も傍にいたタイレスほど、アトルの術式を見て取れた訳ではない。
微かな音を立てながら、アトルが手を振って防壁を解除する。
それを見るタイレスの青緑の目に、掛け値なしの激情が浮かんでいた。
「貴様、なんだそれは……」
唸るようなその声に、アトルはひやりとした。
(ばっ……ばれた!?)
果たせるかな、タイレスが低く絞り出した声には、沸騰寸前の怒りが仄見えた。
「馬鹿にしているのか! そのような――わざと基礎を踏み外したような術式は!」
後ろに飛び退り、タイレスの雷霆を躱しながら、アトルは怒鳴った。
「でかい声で言うな!」
雷霆が木の枝を焦がしながらへし折り、小さく炎が上がる。
その炎を、巻き起こした風で薙ぎ払いながら、タイレスが怒りを籠めて地面を踏みしめた。
「無礼を知れ!」
同時に走った衝撃波を間一髪で避け、アトルは息を吸い込んだ。
(確かに――)
アトルの背後で、衝撃波を受けた木が爆裂音と共に、爆ぜたように爆散する。
(相当な失礼なんだろうけどさ!)
目的があるとはいえ、アトルの行為は相手を馬鹿にするものに他ならない。
決闘を申し込んだにも関わらず、勝つ気はないのだ。
代闘士として無理を言われたタイレスからすれば、本気で相手にもされていないと分かったのだ、無礼以外の何物でもないだろう。
だが、アトルとしては、ここでタイレスを死体にしてしまう気もないのだ。
ちらり、と見物人たちの位置を確認し、アトルは声を潜めた。
「悪いと思ってるよ!」
小声の叫びに、タイレスの蟀谷が痙攣する。
「その態度が――」
腕が振られ、避けようもない規模の衝撃波がアトルに襲い掛かった。
「――無礼と言っている!」
なんとか衝撃を殺す術式を編んだものの、それでも衝撃波に捉えられたアトルの身体が吹っ飛んだ。
腹に衝撃波を喰らい、くの字に身体を折ったアトルが、背後の木に叩き付けられる。
樹冠が揺れ、驚いた小鳥が飛び立った。
木の幹をずり落ちたアトルが咳き込む。
広範囲に放たれたタイレスの衝撃波は、更に木を薙ぎ倒しており、木々が倒れる轟音が響いてきては地面を揺らしている。
見物人がまた何か言っているようだったが、それに構っている場合でもなくアトルは飛び起き、幹を回り込むようにして次なる攻撃を回避した。
負けてもいいとは思っていても、痛みを回避しようとするのは本能である。
「逃げてばかりでは決闘にすらならんぞ!」
タイレスの声に、ご尤もで、と内心で賛成。
衝撃波を喰らった腹を押さえ、アトルは顔を顰めた。内臓は無事だろうが、打撲にはなっている。
撃ち込まれた氷弾が数十、驟雨のような音と共に地面を、木々を穿っていく。
幹だけを盾にするには心許なく、アトルはまたしても弱めた防壁の術式を編んだ。
そしてそのことが、タイレスの怒りの火に新たな油を注ぐ。
「貴様は、まだ……!」
氷弾を受け止める度、アトルの防壁にあえかな白い波紋が広がる。
如何に術式を弱めたとはいえ、サラリスの魔力で作った防壁である。
高等指定魔術師といえど、これを破るのは容易ではない。
しかもアトルは、魔術で呑蝕される体力を魔力で代替している。
このまま防壁を張り続けて、相手が魔力切れになればアトルの勝利だ。
だが、その手を取ってしまっては、アトルの魔力量が尋常でないことに気付かれてしまう。
「ああくそ、儘ならねえな!」
叫び、アトルは防壁を前に押し出しながら解除。
射出される氷弾と押し出される防壁の間で、割り砕かれる氷の粒が霧の濃度で漂った。
それを目くらましに、アトルがタイレスの横手に回り込む。
「小細工を!」
タイレスが腕の一振りで霧を退け、全方位に衝撃波を撃った。
「げっ」
まさかその手が採られるとは思っておらず、アトルは再び防壁を構築する。
(なんつー魔力の無駄遣い……って、忘れてたけどこいつ、アジャットと同程度には魔力があんのか!)
アジャットは大規模魔術ですら、一度の戦闘中に何度か撃っていたりもした。
めきめきと凄まじい音が轟く。
間違いなく、森に穴が穿たれていっている音だ。
粉塵が舞い上がり、先程のアトルの小細工の比でなく視界が曇る。
(くそ……上手い具合に負ける間合いはどこだ!)
決闘中としては言語道断の思考に、アトルは考えを研ぎ澄ませた。
粉塵が晴れると同時にアトルが防壁を解除する。それを見て、タイレスがあからさまな舌打ちを漏らした。
「……無礼を働いている割にはしぶといな」
「褒め言葉として受け取っ――」
突然足下の地面が陥没し、アトルは言葉を途切れさせて飛び退った。
体勢を整えられないうちに、着地点の地面まで陥没し始める。
「地形変えていいのかよ!」
アトルの悪態じみた叫びに、タイレスは沈着に返した。
「閣下の許可は取っている」
陥没した地面に巻き込まれ、よろめいたアトルの頭上に、ずらりと氷の刃が並んだ。
「これを落とせば只では済まないぞ。
――降伏を勧めるが?」
タイレスの問いに、アトルは見物人がしっかりとこちらを見ていることを確認してから、大きく声を張り上げて答えた。
「レーシアの人権が掛かってんだぞ! 降伏でき――」
真正面から撃たれた衝撃波に、言葉半ばでアトルが殴られたように仰け反る。
防壁を構築する間もない早業に、タイレスの高等指定としての才能が光っていた。
「――ってぇ……」
衝撃波はちょうどアトルの左頬を捉えており、声を出している途中だったこともあってアトルは舌を噛んだ。
血を吐き出しながら、アトルは口角を上げて見せる。
「おっと? なんか都合の悪いこと言い掛けたか、俺?」
「貴様は――」
タイレスが、アトルの頭上に並べた氷刃を落下させる。
嬉々として飛び出そうとするリカルドを、木々が薙ぎ倒されて確保された視界の隅に捉えながら、アトルは初めて防壁以外の術式を構築した。
氷刃を衝撃波で粉砕したのである。
リカルドががっかりした様子で足を止めた。
氷刃を完膚なきまでに割り砕いてなお、勢い余った衝撃波が、上空に向かって突き進む。
制御の利かない魔力にアトルは舌打ちしたが、幸いにも見物人の注意はそちらに向いていなかった。
きらきらと降る氷塵の中で、アトルが地面から自分自身を引っ張り出し、腕の力でなんとかまともな地面に這い上がった。
その間もタイレスから視線は逸らさない。
「防戦一方ですな……」
「タイレス高等指定は無傷、あちらの特等指定は既に手傷を負って……。結果は見えましたな」
見物人の声が聞こえてくるが、別にアトルにも異論はない。
舌で歯並びに触れて、歯が折れていないことだけを確認し、アトルは肩を竦めた。
「閣下のお考えを邪魔立てする気で、この決闘を――」
タイレスの怒りに震える声に、アトルは首を傾げた。
「あんたがそう思うならな。――っていうか、あんた」
アトルは目を細めた。
「前からちょっと思ってたが……、レーシアが人間だってこと、知ってるな?」
「それがどうした」
またも襲い来る氷刃の一団を間一髪で躱したアトルは、それでも右頬を掠めた一欠片に、血が伝うのを感じて眉を寄せた。
がきんがきん、と音がして、背後のどこかで氷の刃が立て続けに砕け散ったことが分かる。
「閣下のお考えのためならば、小娘一人の自由を犠牲にすることも仕方ないだろう……!」
アトルは盛大に舌打ちを漏らした。
「俺、あんたみたいな奴ら見たことあるぜ。シェレスっつうんだけど、気味悪いくらいクソ主に忠実で――おわっ!」
言葉半ばで攻撃が打ち込まれ、アトルは背後に跳び退った。
先程のタイレスの衝撃波のせいで、盾となる木も軒並みへし折れてしまっている。
撃ち込まれているのは衝撃波と風刃、それらを嗅覚を頼みに避け続けるアトルの衣服が切れた。
慌てて防壁を形成したアトルは、無理な動きで身体が細切れになるのを避けたために息を荒らげている。
「こちらを馬鹿にする態度を取っているが、特に余裕があるという訳でもないらしいな」
タイレスが小馬鹿にするような笑みを頬に浮かべた。
「防戦一方――こちらに触れることすら出来ていない!」
防壁を解除し、アトルは息を整えながらそれを聞いていた。
タイレスは未だに無傷であるにも関わらず、アトルは右頬から血を流し、左頬は腫れ、腹に打撲を抱えている。
タイレスは未だに小奇麗な見た目を保っているが、アトルは木に叩き付けられたり地面に嵌まったりしたために、全体的に薄汚れている。
あからさまなまでに対照的な二人に、見物人も勝負が着いたものと判断したようだ。
そして何より、当事者二人の間でその結末が共有されている。
タイレスは己が勝ったものと確信しているし、アトルは己が負けることを承知している。
どうすれば監視を掻い潜ってレーシアに会いに行けるのか、アトルの思考がもはやそちらに向かいつつあるほどだ。
止めを刺そうと、タイレスがアトルに向かって距離を詰める。
「そもそも、貴様で俺に勝とうなどとは無理な話だ」
陥没させた地面を避けながら歩を進め、タイレスが吐き捨てた。
「ミラレークスを裏切るような三下が鍛えたという貴様と、俺とで勝負になる訳が――」
「……――あ?」
アトルの額に青筋が浮いた。
この決闘が始まってから初めて、タイレスを戦意の籠もった眼差しで捉え、アトルは一音一音をはっきりと発音し、詰問した。
「誰が、何だって?」
アトルの目付きが一変したことに気付いたのか、タイレスが足を止める。
アトルと彼との間には、五歩分程度の距離。
そうして、タイレスは再び言った。
「貴様を鍛えたという――レーヴァリインだったか。傭兵上がりのリーゼガルトもいたか。三下だ」
「……三下……?」
アトルの拳が握り固められる。
「孤児の分際で中等指定までされた小娘と、初任務で失敗した恥晒しも、確か居たな?」
「――――」
「無能が四人揃って、よくもまあミラレークスを裏切るような馬鹿な真似をした。
――それに確か、レーヴァリインは、」
もはや無表情になったアトルの顔を、嘲るように見ながら、タイレスが決定的な一言を吐いた。
「顔面は正視に堪えない醜さだというな?」
ぴくりとも表情を動かさず、俯いたアトルに、タイレスは退屈そうに呟いた。
「ああ……、見たことがないのか。貴様、随分レーヴァリインたちの居所を気にしていたようだが、なぜだ? 弱味でも握られていたか? あいつらなら何をしていたとしても驚かんが」
アトルは顔を上げた。
その瞳に、怒涛の勢いで翠玉の煌めきが踊っている。
「――死にたくなかったらその口を閉じろ」
断言し、アトルは獰猛に囁いた。
「負けてやるつもりだったが、気が変わった。
――てめぇの骨格が変わろうが知ったことか。俺は勝つ。
そうしてそのときは、あいつらに手を突いて謝れ」
「はッ、面白い冗談だ」
瞳に火花を散らすアトルの様子に怪訝そうにしながらも、タイレスは態度を崩さなかった。
「どうしてそこまで、あのような屑連中を庇い立てするのかは分からんが――」
そのとき、怒りが突き抜けて妙に冷静になった頭で、アトルは一つの事実を見据えていた。
ディアナとアジャットは同郷。
ディアナが他界したときの嘆きようから、二人は親しい間柄だったと推察される。
そして互いに接するときの態度から、二人の歳はそう離れていないはずだ。
ディアナとタイレスとでは、明らかにディアナの方が歳下。つまり、アジャットと比べても同様である可能性が高い。
また、アジャットはレーヴァリイン家の養女であり、その縁組はルーヴェルドが強引に進めたものであると、オーレックは言っていた。
そしてタイレスは、ルーヴェルドに相当心酔している。
それら諸々を勘案し、アトルは妥当な推測を口にした。
「つまりおまえ、嫉妬してんだな?」
タイレスが凍り付いた。
「自分より歳下で、身分もなかったにも関わらず?
アジャットはおまえの大好きなルーヴェルド閣下が特別に目を掛けて養子縁組させてまで、指定魔術師――しかもおまえと同じ地位にまでなった訳だし?
自分よりアジャットが大事にされてんじゃないかって、そりゃもう不安で堪らない訳だ?」
「――黙れ……」
戦慄くタイレスの言葉を完全に無視し、アトルは続けた。
「やーっとアジャットが失敗してくれて、おまえとしては万々歳な訳だ?
それなのに、馘首間違いなしと言われてたアジャットたちが、どうやら馘首されてないみたいだから、余計不安になっちまった感じだ?
さっきも、なんであんなに睨まれてんのか、俺としては不思議だったんだよなー。あー、納得した。
アジャットが関わった人間全員、おまえ、嫌いなんだろ?
アジャットは優秀ってことで有名みたいだし?
これまで散々悔しい思いしてきたのなー、おまえ」
わなわなとタイレスが震え始めた。
突然戦闘行為を中断した二人に、見物人たちがざわついている。
しかし当人たちとしてはそれどころではない。
アトルは少し距離のあるタイレスの顔を覗き込むような姿勢を取りながら、せいぜい嫌味を籠めて言った。
「――知ってるか? それ、八つ当たりっていうんだぜ?
しかも原因が嫉妬とか。餓鬼かよ。笑える」
「――――っ!」
タイレスが震える手を前髪に突っ込み、必死に自分を落ち着かせようとしている。
それを尻目に、アトルは絶対に譲れない点を強調した。
「それとな、知ってるか?
アジャットたちがミラレークスを裏切るような真似をしたのは、あいつらに良心と情があったからだ。
訳も分かってないくせに、唯々諾々と最高指定クソ閣下さまに従ってるおまえより、あいつらの方が数段優れた人間だったからだ!」
ぱたり、とタイレスは手を下ろし、もはや完璧に血走った眼差しでアトルを見た。
「……殺す……っ!」
ばちばちと音を立て、その掌の上に雷霆の弾丸が生成される。
アトルはそれを見て、相手の神経を逆撫でする絶妙さを以て、鼻で笑った。
「気が合うな。俺も同じことを言おうとしてたよ」
こうして、ミラレークスで後に語り継がれる決闘が始まる。
史上最も罵詈雑言が飛び交い、史上最も介添人に声援が飛び、史上最も決闘中の二人の命が危ぶまれたという、その決闘が。




