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13 血色の哄笑

 ヴァルザスは極めて冷静だった。


 アトルからの通信を受け取るや、まずレーシアを伴って庭に出て、六頭の馬を防壁の中へ入れておく。

 続いて邸宅の中に戻り、「餓鬼」たちを始めとした〈インケルタ〉の人々を、一箇所に集め始めた。

 悠揚迫らぬその態度に、レーシアが焦る気持ちを削がれた程である。


 命の危険があると説明されれば、従わない馬鹿者はこの場にはいなかったが、


「あいつは買い出しに行ってるはずだ」

「あの二人は隣町まで依頼に行ってて、そろそろ帰って来る頃合いなんだけど」


 といった、声の届かない範囲にいる人物については、もはや当人の幸運に期待するしかなかった。


 食堂に、この場にいる〈インケルタ〉の全員が集まった。

 長机の上には、料理の盛られた皿がまだ幾つか載っていたが、もはや誰も手を付けていない。

 彼らの記憶にある「シェレス」とはすなわちハッセラルトであり、家族の仇である。誰しもが固い顔をして、ぼそぼそと何かを話していた。


 そんな彼らを見渡して、ヴァルザスが軽く首を傾げる。


「そういえば、アトルから銃を受け取ったというようなことを言っていなかっただろうか。威力は高いと思うので、護身用に持っていていただきたいのだが、それは今どこに?」


「取って来るー」


 軽い調子で言ってミーシャが駆け出そうとしたが、ヴァルザスはそれを引き止めて彼女の額に触れ、簡単な魔術を施した。

 真っ白な光が蜘蛛の巣状にミーシャの全身を走る。


「わ、すご。なにこれ?」


 自身の手を、引っ繰り返しながら矯めつ眇めつ見てミーシャが訊き、ヴァルザスは物柔らかに微笑んで答えた。


「何が起こるか分からないからね。簡単な護身のために。

 ――距離が開くと保てなくなるし、長時間に亘って保たせることも出来ないけれど」


 ミーシャは灰色の目をきらりと輝かせた。


「任せて、さっさと取って来る!」


 そんな訳で、アルナー水晶を用いた銃が二丁、持って来られた。


 ヴァルザスは誰が持とうと頓着しないようだったが、それに関してはアレックが采配を振るった。

 とにかく「餓鬼」の身の安全を優先するという親らしい配慮で、二丁ともが「餓鬼」に託される。


 ここにアリサがいれば、射撃の腕が最も良いのは彼女であるため、まず間違いなく持たされたと思われるが、彼女はここにいない。

 そこで威力を重視し、魔術師並みの魔力を保有するアルディとシェラに銃が渡された。


 銃を渡されながらも、「餓鬼」たちは不安を露わにしていたが、それは自分の命を案じてのことではなかった。


「アリサ大丈夫かなぁ……」


「アトルは。あいつ、今は下手に魔術を使えねぇんだろ?」


「二人揃ってなかなかやばくない?」


 荒事に慣れた〈インケルタ〉の面々は、まずいものはまずいのだとはっきりと口に出す。


 だが、彼らの無事を疑う声が一つ上がる度に、確実にレーシアの顔色は悪くなっていった。

 やはり自分の所為でこうなったという意識があるのか、人の輪の中には入らず、食堂の隅に佇むレーシアにも、「餓鬼」たちの声はしっかり届いたのである。


 そんなレーシアの様子を見てのことか、ヴァルザスはレーシアの傍まで椅子を二脚引いて行った。


「落ち着いて、座って」


 そう促されて、レーシアはこくりと伏目がちに頷く。


「……ありがと……」


 そうして腰掛けたレーシアだったが、座り方は明らかに浅く、俯いてしまっている。

 左手首の水晶を、右手の指先でしきりに弄んでいた。

 術式が発動するような強さでは握らないものの、誰を思って水晶から手が離せずにいるのかは明らかだった。



 水晶を通して、アトルは大丈夫だと言った。

 その言葉を疑う気持ちは欠片もなかったが、案じる心は別である。



 膝の上に鞘ごと剣を乗せて、ヴァルザスは片手をレーシアの濃紺色の頭の上に乗せた。

 ぽす、と頭に掛かった微かな重みにレーシアが顔を上げれば、にこりと寛いだ微笑を浮かべる。


「――そう構えていなくていいと思うよ、レーシア」


 小声で囁き、ヴァルザスは悪戯っぽく嘯いた。


「目下、私が心配しているのは、アトルが都市を半壊させてしまわないかということに尽きるけれど」


 レーシアも小声で笑い、答える。


「そうなったら大目玉ね」


「それどころじゃないよ」


 お道化てみせてから、ヴァルザスは優しく微笑んだ。


「本当に、大丈夫だと思うよ。彼のことだから、いざとなればもう一度、連絡を取ろうとするはずだ。それに、」


 未だに不安げに瞳を揺らすレーシアの鼻先に、ヴァルザスは軽く人差し指の先を当てた。


「彼がきみを残していなくなるとは思えない」


 レーシアがどきりとして心臓の辺りに手を当てる。


「な……っ! おじいちゃん!」


「相変わらずの免疫のなさだね、レーシア。孫をからかう祖父の気持ちが分かるよ」


 そう嘯いたヴァルザスだったが、ふと目を細めて半円形の窓から外を見遣った。

 レーシアもその視線を追い掛けて、不安げに尋ねる。


「どうしたの?」


「いや――」


 言葉を濁したヴァルザスは、しかし立ち上がった。


 鞘に収まった剣を左手に握り、数秒後、はっきりと警戒を滲ませた声を上げる。


「下がって!」


 レーシアが弾かれたように立ち上がり、ヴァルザスが示した方向――すなわち、半円形の窓から離れる方へ向けて下がる。


〈インケルタ〉の面々はそれよりもずっと素早く行動を起こし、半円形の窓から最も離れた机の向こうへ下がった。

 なおかつアルディは手を伸ばしてレーシアを引き寄せ、保護する姿勢を見せる。


 何も起きないままに十秒が過ぎ――



 突然、外から窓が突き破られた。

 二重の大音響が耳を劈く。



 窓が叩き砕かれた音、そして目の前にあった長机の天板が真っ二つに叩き割られた音だ。


 半円形の窓の硝子を突き破り、その破片を撒き散らして煌めかせながら転がり込んで来たのは、十四、五歳とみえる漆黒の髪の少年だった。

 少年が着地した場所が机の上であり、その重みと勢いに、机の天板が叩き割られたのである。


 硝子の破片をまともに浴び、割られた机の破片を踏んだにも関わらず、彼は切り傷一つ負っていない。


 しかも、窓の突き破り方がそもそもおかしかった。

 下から跳び上がって来たという風ではなく、放物線を描いて降って来たかのような、そんな飛び込み方だったのだ。

 顔を庇いすらしていなかったことを、動体視力に優れたレーシア以外の面々は見て取っていた。


 まず間違いなく魔術師だ。


 木で造られた机が砕かれて、粉塵が舞い上がる。

 窓から差し込む光に粉塵が照らされて、それはいっそ幻想的な光景を醸し出していた。



 両手両足で床に着地した彼は、爛々と輝く濃灰色の目で一同を見渡した。

 その首から下がる煙水晶が床に当たり、こっ、こっ、と硬い音を立てている。


 身体の両脇で傾斜する、机の残骸を両手で脇に押し遣りながら、少年は嗜虐的に口許を歪める。


 ヴァルザスが無言で剣を引き抜いた。

 それにまるで頓着せずに周囲を見渡した少年は、レーシアを見付けると血走った目で大きく笑った。


「レーシアさまだ。

 ――ってことはここぉ、レーシアさまとなんか関係あるとこだよなあ。あわよくばあのアトルとかいう野郎とも関係あるよなあ!」


 答える愚を犯す者はなかったが、そもそも少年は答えを求めてはいなかった。


「あああああ、良かったー。当てずっぽうが当たると気持ちいーなぁおい!」


 ヴァルザスが無言で立ち位置を数歩分ずらし、少年の正面に立った。

 レーシアと〈インケルタ〉を、よりいっそう確実に守ろうとしているのだ。


「ここの連中を殺したら、あの野郎どんな顔するかな? あああ、楽しみだなあ! 見てーな、早く見てーな! さっさと後悔させねーと!」


 立ち上がり、ぱらぱらと髪や肩から硝子の破片を落とし、掌から木屑を払いながら、少年は陰惨な笑みに口角を吊り上げた。

 音を立てて大きな机の破片を蹴り飛ばし、前髪の下から一同を睨み上げる。


「俺の家族を手に掛けた、そっちがそもそも悪ぃんだからな?」








 引き攣れた笑いを漏らしながら、少年は小さくその場で飛び跳ねた。

 レーシアには最初以降、一瞥たりともくれず、むしろその周囲を嬉しそうに見遣っている。


 その異様な目付きに、〈インケルタ〉の面々が怯むというより気を呑まれて、唖然としている。


 少年は濃灰色の目を細め、断続的な笑い声に紛らせながらもはっきりと叫んでいた。


「殺してやる。全員殺してやる!

 アディエラ姉ちゃんの分だ! ハッセラルトの分だ! ウィルイレイナ姉ちゃんの分だ!

 殺してやる、殺してや――」


「聞くに堪えない」


 ぼそりと呟いたヴァルザスが、動作も無しに衝撃波を撃ち出した。

 その衝撃波は少年に激突し、そのままあえかに散り去った。


「あ?」


 だが少年はヴァルザスに顔を向ける。笑いを収めた不機嫌な顔で。


「ジジイ、なんだ?」


 眉間に皺を寄せたその顔に向けてなお、ヴァルザスは常日頃の平静さを失わない。

 極めて愛想よく微笑みすらしたのだ。


「私はヴァルザスというが、少年。いいことを教えてあげようか」


 少年に剣を突き付け、その切先をからかうように揺らして、ヴァルザスは微かに首を傾けた。



「ハッセラルトの右腕を斬り落とし、捕らえたのは私だ。

 ウィルイレイナについても、私が散々甚振(いたぶ)った」



 少年の顔色が蒼白になった。その肩が細かく震え始めている。


「あ、あああ、あんたが――ッ」


 怒りの余り声を詰まらせるジークベルトに、ヴァルザスはなおも笑い掛けた。



「この方々に汚い言葉を浴びせる前に、私を殺してみせなさい。どうした? (かたき)だよ。見逃すのかい?

 ――竦んで動けないというならそれも面白いが、無理もないね」



 すっと笑みを消し、ヴァルザスは気負いもなく言い放った。


「断言しよう。私はきみよりも強い」


 空気に罅が入る音がした。


 それほどの気迫を伴って、少年の理性の糸が切れた。


「この――っ、老いれがぁ――ッ!」


 吼え猛って飛び掛って来た少年を、ものの見事に剣の平で迎え撃って床に叩き付けながら、ヴァルザスは嘲笑を浮かべた。


「そういえば、ウィルイレイナにもこれは言ったな」


 剣が振り下ろされる。

 机の残骸を弾き飛ばし、床から跳ね起きてそれを避け、少年がまたもヴァルザスに突っ込む。


 床に突き刺さった剣を引き抜きながら今度はそれを蹴り飛ばして、ヴァルザスは冷たく言い放った。



「――青二才が勝てると思うな」



 さて、と落ち着いた声音で言って、ヴァルザスは冗談のような勢いで床を転がる少年を見下ろした。


「きみはアトルに会った、二人のうちの片割れかな?」


 蹴り飛ばされて床を転がり、半円形の窓の下に背中から叩き付けられた少年が、軽く俯いて肩を震わせた。


 硝子と木材の破片が散乱する床を転がったというのに、やはり傷一つない。


 そしてその肩が震えているのは、今度は怒りのためではなかった。

 絶望や恐怖のためでも、勿論ない。


 少年の肩を震わせているのは、紛うことなき哄笑だった。


 息が出来ないほどに笑い、ひぃひぃと呼吸の音を漏らしながら、少年がヴァルザスを見上げてにやりと笑った。



「言ってろよ! やってろよ! 誰が答えるかよ! いいか、俺は――」



 身軽な動きで立ち上がる。その胸元で煙水晶が微かに輝きながら揺れる。


 少年はなおも笑いながらヴァルザスを指差した。



「俺は、絶対防御のジークベルト・シェレスだ!

 その余裕の顔がいつまで続くか、せいぜい楽しませてくれよ! なあ、ジジイ!」





************





 ヴィアの鐘塔からやや離れた場所に、灰色の髪を掻き毟る男の姿があった。


「あのクソ弟ぉう、言うことも聞かずに突っ走りやがってぇえ」


 シャレイエル・シェレスは路地裏にて、連れの少年を罵る声を上げた。


 路地裏とはいえ入り口で、中天からの太陽の光が彼の上にも降り注ぎ、足下に影を作っている。

 光をその身で遮っているということはつまり、彼の得意とする隠遁の魔術は作動させていない。

 猫背気味のその姿は、万人の目に見える状態であった。


 通行人の奇異の視線が彼に突き刺さる。

 先ほど起こった騒ぎを受けてか、その視線は平時よりも若干冷たく、厳しいものだった。


 だがそんなことは気にも留めず、シャレイエルは頭と手を離してふう、と息を吐く。


 そうしてこそこそと懐を探るシャレイエルは、アトルとアリサを追ってはいない。

 ヴィアの鐘塔下で起こった騒ぎの余韻が続いていることは百も承知であったが、彼らを追うことよりも、彼にとって為すべきことは他にあるのだ。



 警邏隊が出動して来たのか、通りが随分と騒がしい。


 皮肉にも、アトルが展開した防壁が異常事態を際立たせてしまったようだ。

 あれ程の規模の防壁を生成するのは――魔術師でなくても分かることだが――常識的に考えて、一人の力では成し得ないことだ。

 複数人の魔術師が都市の中で揉め事を起こしたと判断されたらしい。


 今頃は、鐘塔の鐘を厄災の鳴らし方で打つかどうか、相談されていることだろう。


 鐘塔が鳴らされれば願ったりだ。

 そして遅かれ早かれ鳴らされることになると、シャレイエルは確信している。



 そんなことを考えながらも、彼はぼそぼそと弟への不平を零し続けた。


「あの年頃の弟妹はぁあ、かっとなったら手が付けられなくなるっていうのが厄介だよなぁあ」


 しみじみと零しつつ、彼の口調に相手を疎んじる響きは欠片もない。

 ジークベルトはあくまで可愛い弟なのである。


 だが、如何に可愛い弟のためとはいえ、看過できない事態もある。


「今回失敗したらぁあ、主上もかぁなぁり、がっかりなさるだろうなぁあ。それは嫌だしなぁあ」


 ぼそぼそと呟いて、シャレイエルは首を振る。



 今回の任務に、ジークベルトと自分が宛がわれた理由は明白だ。

 絶対防御と隠遁。

 回避のエリフィアもそうだが、攻撃力には劣るものの、相手に決定打を許さないことにおいて、自分たちの上を行く者はいない。


 つまり今回の任務内容は、破壊や殺害ではない(・・)

 確実に戦闘を長引かせることが目的なのだ。


 そしてエリフィアではなく自分が選ばれた理由も分かっている。


 絶対防御、隠遁、回避。

 これを比べれば、最も能力が高いのは絶対防御のジークベルトだ。


 だが彼はまだ幼く、未熟。

 ゆえにその制動としての役割が、シャレイエルには期待されている。

 ジークベルトがエリフィアよりもシャレイエルを慕っているのは、主も知るところなのである。



「とっととこれを終わらせてぇえ、ジークベルトの方に行かにゃぁあならん。

 あいつを止めにゃぁあ」


 そう言いながら、シャレイエルは懐から小さな水晶を取り出した。

 殆ど加工されていない、角張った原石のままの形である。

 日の光を弾いて複雑に虹色の光を弾くそれを、シャレイエルは一度、ぎゅっと握り込んだ。


 掌に水晶の鋭利な角が刺さるのを感じてから、手を開いてそれを上空へ向かって高く放り投げる。


 魔術の推進力を得て、水晶は軽々と鐘塔の高さを越える位置に達した。

 日の光を浴びるそれは、小さな真昼の星のようでもある。


 高々と上空に至り、水晶に内包された術式が起動する。


 固定されたかのように、上空で水晶が動きを止めた。

 そして一度、強く震える。無音で、密かに、粛々と。

 中心点に一際眩い光が灯る。真昼でもはっきりと見えるだけの光量だ。


 そして一瞬後には、それが大きく拡がりゆく。



 上空に浮かぶ水晶が、その身から、地面と全く平行な――微かな光の漣を思わせる同心円を、幾重にも繰り返し、遥か彼方まで吐き出し始めた。



 目敏い幾人かがそれに気付いた様子で、訝しげに上空を見上げ始めた。


 それらの人々には頓着せず、目の上に掌で庇を作って水晶の様子を見届け、シャレイエルはほっとしたように唇を歪めた。


「――っし。これでお役目は一つ完了ぉう――と」


 そうとなれば、と言わんばかりに素早い動きで弟が辿った道を辿りつつ、シャレイエルはにやぁ、と笑みを浮かべた。



「――これで間違いなく、騒ぎになるからなぁあ」













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