17 元中等指定魔術師の最期
ヴァルザスがレーシアを連れて走り去る。それを阻止しようと飛ばされた魔術が、ヴァルザスによって敢え無く相殺された。
「ちっ」
舌打ちを漏らしてイヴァンがヴァルザスを追おうとするが、それを黙って見ている訳もない。
アトルが術式を構築し、手を振り下ろす動作と共にそれを発動する。イヴァンの背中を守る形でこちらを向いて身構えているケヴィンの目の前、そしてヴァルザスを追おうとしてこちらに背中を向けているイヴァンの背中、二箇所で爆裂音と共に空気が爆ぜた。
がはっ、と息を詰まらせてケヴィンが後退り、首を擦って咽せる。イヴァンは大きく体勢を崩し、前につんのめってすんでのところで転倒を堪えた。二人に体勢を立て直す隙を与えず、続いてアトルが二人の真上から氷塊を落としたが、さすがというべきか素直に喰らってはくれない。ケヴィンが防壁を傾斜させて氷塊を滑らせた一方で、イヴァンが炎を呼び出して氷塊を溶かした。
もわり、と蒸気が漂う。夜陰に白く漂うその霧を貫いて、イヴァンの放った念動波が放たれた。
アトルが防御のための術式を構築するより早く、別の衝撃波がその念動波を迎え撃ち、火花を散らせて相殺した。――ディアナだ。
アトルはそちらをちらりと見遣り、樹国の者たちの視線がイヴァンたちに集中しているのを見て取った。
(樹国の連中も、今はこっちに構わねえだろ……。シェレス――アディエラの同類が来てんなら、そっちを警戒するはずだ。
ヴァルザスさんがレーシアを連れてったのにも待ったを掛けなかったってことは、今はレーシアの確保より宝国の撃退を優先してるってこと――つまり、数ならこっちが優勢だ)
しかし一方で、ディアナとも縁故があるらしいアジャットの内心を慮ってアトルは顔を顰めた。戦闘集団ではないためか、ミラレークスの四人は随分と人がいい。そのことが完全に足を引っ張るだろう局面になっている。
イヴァンとケヴィンがじりじりと下がり、アトルたちとディアナたち、双方を視界に入れられる位置で身構える。ヴァルザスを追うのは不可能であると判断したのだ。
それを見ながら、アトルはもう一度ディアナたちに視線を向けた。
(あいつら何人で来た……?)
ディアナを先頭に、ディーン、オリア、ベルディが立っており、その後ろにアトルが名前を知らない者が十名程度。
元仲間に対して割り切れない思いがあるだろうアジャットたちを数に入れないにしても、二対十数名、こちらに分があるのは明々白々。
「今は取り敢えず共闘――」
言い掛けたアトルを遮って、樹国の者たちの最後列から怨嗟の声が上がった。
「アぁトぉルぅ――っ!」
「――――!?」
突然の指名に目を白黒させるアトルの前に、樹国の者たちがどやどやと壁のように並んでいく。
アトルの後ろのミラレークスの四人組も目を瞬かせる。アジャットがぽん、とアトルの肩に手を置いて囁いた。
「アトル青年、何をした」
「心当たりねえよ!?」
樹国の者たちはケヴィンとイヴァンに対して身構え、そんな中でアトルに――弱々しい手付きで――掴み掛かった者があった。
その気迫に、肩に置かれていたアジャットの手がすっと離れるのをアトルは感じた。
「今すぐ――私を――元に戻して!」
「へっ?」
目を見開いたアトルは、暗がりの中、一拍遅れて相手が誰であるのかを特定した。
「り――リリファ?」
「今すぐ――元に――戻せ!」
切れ切れに、殺気を籠めて投げ付けられた言葉に、アトルはますますぽかんとした。同時に、ぎりりと彼女の爪が肩に食い込むのを感じ、そんな場合でもないのだが声を張り上げて抗議する。
「いてっ、痛ぇっつってんだろ!」
リリファは顔の前に垂れる金髪の間から、熱に浮かされたような青い瞳を覗かせて、食いしばった歯の間から声を漏らした。
「――ふざけんな……」
樹国の者たちとイヴァン、ケヴィンの元ミラレークスの間で本格的に戦端が開かれた。
ケヴィンの放った炎が、ディーンの巻き起こした風に巻き込まれて霧散する。辺りがぱっと明るくなってまた闇に沈み、その中でアトルはリリファの手を掴んで自分から引き離しながら声を荒らげた。
「うるせえな、分かるように話せ! こっちはのんびり話してる場合じゃねえんだ!」
氷壁と風が激突し、自然界には有り得ないまでの風速を得た風が氷壁を打ち砕いて破片を散らす。軋む音が上がると同時、氷壁を撃ち抜く衝撃波、それを防ぐ防壁。戦闘の音が激化する。そうだ、のんびりしている場合ではない。
ケヴィンとイヴァンを早く片付けて、
(レーシアのところに……!)
宝国の者がレーシアを傷付けるとは思えず、またヴァルザスが付いている。そのことは分かっているものの、案じる心に道理はない。
「分かるように話せ? 自分がやったことの始末付けろって言ってんのよ……!」
リリファが唸り、アトルはようやく相手が言わんとしていることを悟った。
「――もしかして、俺がおまえに喰らわせた精神系の魔術のことか? あれまだ効いてんの?」
アトルの科白に、リリファがますます殺気立った気配を漂わせた。
「まだ効いてんのって――、それ本気で言ってる? こっちは身体動かすのもやっとなのよ!」
「それにしちゃ元気に喋ってんな」
アトルは冷静に批評し、肩を竦めてあっさりと言った。
「元に戻せって言うけど、多分無理だぞ」
「な――」
怒りの声を上げようとしたリリファを片手を挙げて遮って、アトルは淡々と指摘した。
「対抗属性がないのが精神系の魔術だろうが。どうやって相殺しろっていうんだよ。よしんば手段があったとしても、レーシアがここにいねえ。あいつの魔力で掛けた魔術を、俺の魔力で解くのは無理だ」
リリファが細かく震え始めた。大爆発を予期してアトルは一歩下がり、若干早口になりつつ言った。
「まあ、可能性があるとすれば、レーシアの協力があってこそだな。元に戻りたいんなら俺とレーシアの一刻も早い再会を祈ってろ」
リリファは僅かによろめいてから踏ん張り直し、アトルに顔を向けたままで怒鳴った。
「ディーン! さっさとそいつ片付けて!」
当たり前だがディーンは現在戦闘中である。アトルとリリファの会話を聞いていた訳もなく、撃たれた衝撃波を跳ね返しながら怒鳴り返してきた。
「言われなくともそうするが!」
ちらり、とリリファを流し見て、ディーンが訝しげな顔をする。それを受けてか、樹国の者たちの中でも後列にいた、アトルが名前を知らない男が声を低めてリリファに話し掛けた。
「リリファさん、こいつに元に戻してもらうんじゃあ……?」
こいつ、とはアトルのことである。リリファは凄絶な目でその男を睨むと、吐き捨てる口調で囁いた。
「レーシアさんがいないとどうにもならないらしいわ、このぽんこつだけじゃ」
「ぽんこつ!?」
アトルよりも早くアジャットとリーゼガルトが噛み付いた。
「言っておくが、アトル青年は魔術師になってから一年経っていないというのにきみたちとも互角に戦えるまでになったんだ、才能豊かであることは疑いないんだぞ!」
「そうだぞ、おまえらアトルのことどうこう言うなら今、後ろから刺すからな!」
「……あのなあ」
思わぬ褒め殺しにアトルは口籠もった。呆れと嬉しさが半々である。
同じく呆れているかと思いミルティアを見ると、彼女も人殺しでもしそうな目でリリファを睨んでいた。意外である。その迫力にむしろグラッドが怯えているが。
「あーはいはい」
リリファは横柄にひらひらと手を振ったが、明らかに足元が怪しい。そもそも、自分が戦線復帰できるか否かの鍵を握る人物をぽんこつ呼ばわりする神経が疑わしい。
「お身内はお優しいことですねー」
「てめえ減らず口叩いてっと元に戻さねえぞ」
アトルが脅迫したものの、リリファは真顔で言い切った。
「払って報われるかどうか分からない敬意なら、私は払わないわ」
アトルをはじめアジャットたちも纏めて絶句した。イヴァンが放った炎がディアナに逸らされて、光と熱を振り撒きながら空中で竜のように身を捩る。その明かりにアトルは瞬きをする。
「大体ね、あんたらがお身内に甘いからこんなことになったのよ」
詰るリリファにアトルは絶句の中からもどうにか言い返した。
「……は?」
「だってそうでしょ? アトル、あんたよ。身内に甘いからレーシアさんをあいつらに預けて、あいつらが私たちと通じてたから、私たちとあんたらとで戦闘になったんじゃない。あんたが甘くなければ私はこんな忌々しい状態にならなかったわ」
アトルは深く頷いて、真顔で断言した。
「よし分かった、レーシアと合流してもおまえには何にもしねえ」
レーシアにサラリスの手紙を見せたあの夜、川縁で号泣して以来立ち直ったアトルだが、〈インケルタ〉のことを平然と口に出されてなお、相手のために何かをしてやる気になるかと言えば、答えは否である。
無礼な物言いも併せて、万に一つもアトルがリリファのために何かをしてやる気を起こすことなどない。
「え、うそ、ごめんって」
リリファが慌ててアトルの腕にしがみ付いた。アトルが素気無くそれを押し返すものの、あからさまにふらつく相手を本気で押すのは男として如何なものかという遠慮が、その手付きを少しだけ柔らかなものにした。それでも今のリリファを振り払うには事足りる。
振り払ったリリファに一瞥もくれず、アトルはアジャットたちを見た。
「おまえら、あんまり戦いたくねえだろ? 行って来るから町に向かっててくれ。ヴァルザスさんとアディエラの同類との戦闘なら、俺たちはもしかしたら足手纏いかも知れねえけど、いねえよりは人を守れる」
アジャットがフードの奥で頷いたのが分かった。
「ああ、了解した。
――すまない」
最後の謝罪が何に対して為されたものか分かるから、アトルはにやりと笑って見せた。
「いや、おまえらがこんなに甘い連中だから、俺とレーシアはおまえらといるんだよ」
イヴァンとケヴィンは樹国の十数名を相手にして、まだ戦っている。通常の指定魔術師の力量を超えた力を発揮していることに疑いはない。
アジャットたちがその戦闘域を迂回する形で移動を開始するのと同時に、アトルは駆け出して戦闘の最前線に並んだ。
「おおっ、あんときのレーシアさんのお守りじゃん! あんときから腕上げたのかぁ?」
ケヴィンが軽薄な表情を浮かべ、からかう口調でそう叫んだ。息が切れ始めて上擦った声ではあったが、軽口が叩けるほどの精神的余裕はあるということだ。
「大分上げたぜ!」
売り言葉に買い言葉、そう答えて叫んだアトルが魔法陣を描き出すと同時に、傍でディーンが声を低めて尋ねてきた。
「おまえ、リリファは」
「俺だけじゃ無理だって。っていうかおまえ、なんでリリファの心配してんだよ。イリの町にいる連中を見殺しにしようとしたときは躊躇いなかったくせに」
アトルの皮肉を含んだ反問に、ディーンは少し考える様子を見せてから真面目に答えた。
「届かないものには手を伸ばさない主義なんだ。――今はあいつに手が届く」
「……ふうん」
アトルは意識の殆どを魔法陣の構築に割きながらそう答え、ちらりとディーンを見遣って唇を曲げた。
描き上がった魔法陣が銀色の光を放って発動し、ケヴィンとイヴァン目掛けて雷光を迸らせた。
雨霰と降り注ぐ魔術に対し、防壁を構築することで二人は耐えていたようだが、アトルのその一撃が堪えて遂にケヴィンの防壁が決壊した。
すかさずそこに第二の雷撃を放り込むアトル。ケヴィンは咄嗟に大きく仰け反りつつ、左の掌に防壁を構築してそれを弾いた。空中に角張った曲線を描き出しながらアトルの雷撃は霧散したが、ケヴィンの左手も無事では済まない。痺れて焦げた左手を見下ろし、ケヴィンはすっとその軽薄な表情を正した。
「なんだよ術式の扱い上手くなってんじゃん、厄介だな」
独り言ちた言葉は戦闘の中で誰にも届かなかっただろうが、ケヴィンが抱いたのと同じ感慨をイヴァンも抱いたようだった。怜悧な顔が、つと歪む。
術式の精密さは、術式が指定する現象の正確さ、隙のなさに直結する。そしてそれらは威力と比例するものだ。
防壁を失ったケヴィンに攻撃が集中する。その中でも際立った破壊力を誇るのがディアナの攻撃だ。
ディアナが空中に魔法陣を並べ、優雅な手付きでそれをぽん、ぽん、と弾いていくと、弾かれた魔法陣が震えて発動し、衝撃波と雷撃と氷の飛礫を大盤振る舞いし始めたのである。
ケヴィンが新たな防壁を構築しようとするも、的確な攻撃が炸裂し、上手くそれを為すことが出来ない。
「このやろ――」
苛立ちに燃える目が正確にディアナを捉え、ケヴィンは愚挙ともいえる暴挙に出た。
――すなわち、走り出したのである。
「ケヴィン!」
堪りかねたイヴァンの怒鳴り声。降り注ぐ魔術に彼の防壁も悲鳴を上げている。
今まさに自分を攻撃している魔術師と距離を詰めるなど愚の骨頂。懐にまで潜り込めれば勝機もあるだろうが、そこまで足を進められるかが問題なのだ。
ディアナが顔を顰め、魔法陣を弾く手を早めた。魔法陣は手に触れた箇所がぼんやりと輝き、夜陰に幾つもの星が浮かんでは消えているかのよう。
「愚かな振る舞いは好きになれなくってよ」
ぽそりと呟きながら、右手の人差し指で弾いた魔法陣から雷撃を放つ。ケヴィンは驚異的な身のこなしでそれを避けたが、同時に迫って来た氷の飛礫を避けるには至らなかった。
輝く雷撃と比べて、氷は視認が難しい。ディアナの左の人差し指が魔法陣に射出を指示したものである。
左の肩に飛礫を喰らい、ケヴィンの左半身が後ろに弾かれる。突進していた勢いそのままに、右半身が跳ねた。彼が地面に倒れることを見越し、ディアナがその真下の地面を針の形に隆起させる――突き殺すつもりなのだ。
だが、ケヴィンは踏み留まった。一瞬浮き上がった足を踏ん張り、次の一歩を強引に踏み出す。その身体の均衡を取り戻すべく大きく振られた腕が、彼の魔術を発動した。
彼とディアナの間の地面が、真上に引き上げられ、罅割れ、剥がされ、丸められた。石を含む土の塊が数十、ずらりとケヴィンの前に並ぶ。
「――行けっ!」
ケヴィンの割れた声を引き金に、その土の弾丸が一斉に撃ち出された。それを正確に目で捉えることなど不可能。ディアナからすれば、何がどこから飛んでくるか分からない状況である。
だが、ディアナにとって幸いなことに、その一撃を最初に喰らったのは彼女ではなく、彼女の隣に立つベルディだった。腹にその一撃を喰らい、呻いて膝を突いたベルディを半歩前に出て庇いながら、ディアナが一拍遅れて、視認できない攻撃を警戒する余り必要以上に巨大な防壁を構築する。
べしゃり、と間の抜けた音が連続して上がり、ディアナが当てずっぽうに広げた巨大な防壁が土の弾丸を防ぎ切ったことを明らかにした。
少なくともディアナはそれを確信し、自分からも攻撃を加えるために防壁を解除する。
だがその瞬間、痛む左肩を押さえたケヴィンがにやりと笑った。
「ディアナ! 張り直せ!」
ディーンが叫ぶが、間に合わない。
最後の土の弾丸がディアナの右膝に着弾した。本来曲がるべきではない方向へ圧力が掛かり、ディアナの膝が軋み、嫌な音を立てて砕けた。彼女が悲鳴を上げなかったのは、痛みが過ぎて息を詰めたからだ。
ディアナの前に今度はベルディが立つ。だがケヴィンの続く魔術は彼らの頭上を大きく越え、ディアナの背後に落ちた。
ぼっ、と低い音が空気を舐め、次の瞬間熱気が螺旋を描いて巻き上がった。炎はない。純粋な――そして極めて高温の、熱気のみが炸裂する。
爆心地にいた一人が熱気に巻き込まれて吹き飛ばされ、腰までが炭化するほどの熱を殆ど一身に浴びて絶命した。その周囲の数人が、顔面や半身に火傷を負い、喘声を漏らしながら最後の力で戦線を離脱していく。
俯瞰して見れば、樹国とアトルの共同戦線の、ちょうど右翼に当たる部分がその熱気で崩れた形になったのが分かっただろう。
左翼で戦うアトルやディーンたちの注意も、少なからずそちらへ向く。それどころか、町へと向かう道半ばのアジャットたちでさえ、悲鳴や叫び声を聞いて振り返った。
オリアが冷気を放出したが、押さえ込むには足りない。
背後から巻き上がる熱気を浴びたディアナがその勢いに押され、そして右足の状態も相俟って踏ん張ることも出来ずに前に倒れていた。その転倒がディアナの痛め付けられた右膝に更なる痛苦を与え、ディアナは甲高い悲鳴を上げた。
その背中が焼け爛れている。
そしてその瞬間、確かに全員の注意が自分から逸れたのを察知したイヴァンが、防壁を解除して魔術を撃ち出した。術式は元素系、熱を孕んだ光線が一直線に迸る。
着弾すれば一気に左翼も陣形が崩れて、人数差にも関わらず敗北を喫することもあったかも知れないが、すんでのところでアトルがこれを受けた。咄嗟に構築した氷の盾を、光線を受け止めてから徐々に徐々に厚く冷たくしていく。周囲の空気が冷やされて、ほんのりと白く漂った。
一度構築した術式に後から干渉することは、アトルが苦手としていたことである。それにも関わらずこの咄嗟の窮地に動けたことに、アトルは己の成長を感じるよりも先に胸中で感謝を叫ぶ。
(マジでありがとうヴァルザスさん!)
ぱきぱきと音を立て、アトルの氷の盾が大きくなっていく。
アトルには町の半分を氷の大天蓋で庇った実績すらある。それをイヴァンが知っていた訳ではないだろうが、押し合いの中で相手の力量を察したのか、イヴァンが魔術を解除して再び防壁を築いた。
そこに、ディーンの炎弾が突き刺さる。
「くそ、しぶとい……」
そう零して、ディーンは更にイヴァン目掛けて魔術を撃ち込み続けた。期せずしてアトルとの共同作業である。
「ミラレークスのくせに、なんだ……?」
ディーンが訝しげに呟いた。ミラレークスを舐め切った発言ではあったが、アトルとしても意図は分かる。
戦闘集団ではなく、それゆえの詰めの甘さが目立ったアジャットたちと、イヴァンたちとで差があり過ぎるのだ。
「宝国になんか仕込まれたんだろ……っ!」
構築していた氷の盾を念動魔術で砕き、その破片を同じ念動魔術でイヴァンへ投げ付けながら、アトルが押し殺した声で答えた。
「戦好きの野蛮人たちめ……っ」
ディーンが低く悪態を突き、アトルもその点については全く同意見だった。
************
痛みに喘ぎ、目の前が真っ赤に染まるほどの苦痛を味わっているディアナだったが、彼女の芯ともいうべき部分は冷えたままだった。冷えているというよりも凍えている。
真っ赤に燃える視界と自分を抱き締める腕の感覚を、閉じた瞼の裏に覚えて、ディアナは浅い呼吸を繰り返しながら目を開けた。
勿論誰も彼女に触れてなどいない。これは記憶だ。分かっている。
とにかく目を開け、状況を把握し、危機を回避しなければ殺される。それが分かっているから、ディアナは懸命になって夜陰に目を凝らした。
こちらに向かってケヴィンが歩いて来る。傷付いた肩を庇っているものの、迷いのないしっかりとした足取りだ。
魔力を右膝に集中させる。砕けた膝の修復には時間も集中力も足りないが、動く程度には治さなければ話にならない。
「あーあー、ずたぼろじゃん」
ケヴィンの声が聞こえた。嘲る声音ではあったが、ディアナも嘲笑を以て応えることに、思ったほどの努力は要らなかった。
「熱いのには慣れていてよ、お馬鹿さん」
膝の痛みが僅かに和らぐ。それを確認してから、ディアナは右手に魔力を集めた。
「けれども痛いのは全部もう一人が引き受けてくれたのよ。余り慣れていなくって。
――だから早く片を付けたいものでしてよ」
ケヴィンが更に一歩を踏み出した――その瞬間、ディアナは魔力を集めた右手を振り上げた。
その手を振り下ろす動きで大風を起こす。煽られてケヴィンの上体が後ろへ泳ぐほどの、凄まじい風速。大風の中を無数の輝きが奔っていく。しかしなおもケヴィンは前に進もうとして、
「――――ッ!」
全身を夥しい数で貫いた氷の針に、愕然とした顔をして己の身体を見下ろした。
白く凍て付いた針が傷口を冷やし、血は一滴も出ていない。だが痛みは鮮烈なものだっただろう。彼の口が大きく絶叫の形に開くのを、
「……はい、お終い」
痛みに掠れた声で端的に言ったディアナが振るった指先が遮り、一際太い針が撃ち出されてケヴィンの心臓を貫いて終わらせた。
「あたくしにあの日のことを思い出させた罰でしてよ」
気絶するのを根性で堪えながらそう毒づいたディアナは、そのとき二方向から迸る光を見た。
片方は自分の左側から差してきた。考えるまでもない。イヴァンと戦うアトルとディーン、彼らが発したものだ。
ではもう一つは?
痛みで頭が働かない中で、ディアナはそちらを見た。その視界に、本来戦闘が起こるべきでないはずの地点で巻き起こった戦闘を見た。
――アジャットたちだ。町へ向かう道半ばのアジャットたちが誰かと戦っている。光と衝撃波を撒き散らしながら、夜の暗がりの中で。
「……アジャット」
ディアナは声を漏らし、地面を引っ掻くようにして立ち上がろうとした。左脚に全体重を掛けて、もがくように身を起こす。
「アジャット」
――あの日のことにごめんなさいと言わないから、だからあなたはあたくしを嫌って避けるの?
ディアナとアジャットは間違いなく同郷人である。
空人と雷兵の大群に襲われ、今はもう跡形もなくなった町で生まれ育った。
町が襲われたのは二人が十二歳のときで、町が一瞬で火の海と化し、空が罅割れたのだと本気で思ったほどの雷光が頭上を覆ったあの日、二人は別々の方法で生き延びた。
片や、ミラレークス職員となることを目標と言って憚らなかった者は己の才覚で。
片や、そんな幼馴染みを尊敬することしかしなかった者は、その幼馴染みを盾にすることによって。
炎に囲まれながら自分を抱き締めていたアジャットの腕の感覚を、ディアナは忘れたことはない。
炎の切れ目を見付けて、熱さと恐怖に耐えかねて、アジャットを見捨てて逃げ出した自分が振り返らなかったことも。そのとき確かに、自分が死ぬよりはアジャットが死んでくれた方がまだましだと思ったことも。
アロ・フォルトゥーナへ入信したことも、思えばあの日の赦しが欲しかったからだった。
あれがあるべき定めであり、あれ以外の結末は訪れ得なかったのであり、責められる謂われは少しもないと。
――それでも、謝りもせずに昔のような関係に戻れると思ったのは甘えが過ぎていたのだ。
「アジャット」
ドレスが破れて背中と脚が剥き出しになっている。だが構うまい。
「ディアナさん!」
オリアの声が掛かったが、振り返らない。
痛みで気が遠くなりそうだ。眩暈がする。背中一帯、自分のものではないかのように痛む。痛むというより、熱い。血管に溶岩が放り込まれたかのような。
「――アジャット」
行く手でアジャットが戦っている。紫電を閃かせて、あの頃には町一番と言われていた整った顔に笑みを載せて無邪気に夢を語っていたのと同じ、綺麗な魔力を使って。
「アジャット」




