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11 レーシアの奇跡

「――こっち向きやがれ!」


 襲撃犯どころか、アトルたちまでがそちらを見た。

 ついでにレーシアはアトルの後ろにこそこそと隠れた。


 近くの屋根の上から轟いた声の主は、背負った大刀を抜くや何の躊躇いもなく飛び降りて来た。飛び降りながら大刀を構え、重力を存分に利用する形で襲撃犯に襲い掛かる。

 無論、落ちてくる人間を待つ訳もなく、襲撃犯の方も回避行動を取る。

 しかしその男――傭兵風のあの男は、驚いたことに空中に足場を作り出し、そこを蹴って方向を転換すると、二人をまとめて叩き斬った。


 男が動く度に、凛と爽やかな匂いがアトルの鼻腔を満たす。


 血飛沫が上がり、傭兵風の男にも真っ赤な血が降り掛かる。

 頬に血が付いたままに男はゆらりと姿勢を直し、青い目を爛々と輝かせながらアトルを見据えた。


「おいてめえ。なにやられそうになってんだ。そこのお嬢さんを預かってる状態だってこと、まさか忘れちゃいねえよなあ?」


 条件反射で向かっ腹が立ち、アトルは怒鳴り返した。


「こいつに怖がられるそっちのせいもあるだろうが! 俺は頼んでこいつを発見させてもらったわけじゃねえぞ!」


 実際、返り血塗れの傭兵風の男はレーシアにとっては恐怖の対象でしかないらしく、今も半泣きでアトルの腕にしがみ付いていた。


「ああ? てめえ、――退け!」


 喧嘩腰で何かを言おうとした傭兵風の男は、しかしいきなりそう叫ぶと、反射的に伏せたアトルたちの上を薙ぐようにして大刀を振るった。

 ざん、と音がして、その斬撃が延長された(・・・・・)。白光が刃を延長し、行く手の二人を真っ二つにしたのだ。

 大の男の胴を両断するなど、本来出来ることではない。さすがにアトルたちも声を失った。


「待ちやがれ!」


 傭兵風の男は叫ぶや、今度は屋根の上を見て怒鳴った。


「ミル! 追え!」


「了ぉ解っ!」


 屋根の上から独特な抑揚の声がして、すぐに屋根の上を有り得ないほどの速度で疾駆する少女の影が見えた。恐らく、残りの一人を追うのだろう。


「何をしている、リーゼガルト」

 今度はあの女の声がした。

「襲撃犯はここにいる者たちばかりではないぞ。他にも回れ」


「けど、アジャット! ここにエンデリアルザが――」


 傭兵風の男が言い差したのを、レーシアの叫び声が止めた。


「黙って!」


 その場の全員が驚いてレーシアの方を見た。レーシアはそんなことには頓着せず、強い口調で言い切った。


「私はエンデリアルザじゃない! エンデリアルザに用があるならサラリスを捜して!」


「――失礼した」

 傭兵風の男が、アトルが密かに驚くほど穏やかに返した。

「こちらの知識に不備があるようだ。以後気を付けよう」


 そして彼は、現われた女の方に向き直り、先程の科白を言い直した。


「アジャット。ここにレーシアさんがいる。みすみす離れるのは得策じゃねえだろ」


 女は首を傾げたようだった。


「それはそうだが――きみ。銃はどうした」


「ごめんなさい、壊れました」


 アトルは棒読みで言った。レーシアが先程の勢いはどこへやら、身を縮めてアトルの後ろに隠れる。


「ほお。――彼女に撃たせたな?」


 女が爆発の痕を見ながら言い、アトルが認めると頷いた。


「ふむ。良い検証になった。つまり彼女は、その銃でも捌き切れないほどの魔力量を持つということだな。――リーゼガルト、きみには彼女はどう感じられているんだ?」


 傭兵風の男は肩を竦めた。


「どうって、それこそ圧力の塊みたいな感触だぜ」


 レーシアは自分が話題になっていることが居心地悪いのか、うう、と呻いてアトルのベストの裾を摘む。


「――では、一旦落ち着いたところで交渉再開しようか。きみ、我々と来る気はないかね」


 アトルは唾でも吐きたくなった。


「ねえよ」


 ここで、後ろからデリックが言った。


「おまえ、いつから言い寄られてんの」

「言い寄られてねえよ」


 アトルはうんざりしながら言い、女に向き合うとはっきりと言った。


「あのなあ、俺には世話になった人がいる。俺の人生がどん底で、それこそ今日明日に死ぬかも知れねえってときに、手間が掛かるだけの餓鬼だった俺を拾って、ちゃんと育ててくれた人だ。その人にきっちり礼をして、恩を返すまでは、俺はその人の所にいると決めてんだ。だからあんたたちとは行けない。以上だ」


 すると何を思ったか、試すように女は言った。


「彼女と一緒でも?」


「なんでこいつとなら俺が頷くと思えるんだよ!」


 アトルは光の速さで叫んだが、ふと後ろを見てたじろいだ。レーシアは十分に悲しげだったのである。


「え」


 その顔を見て思わず漏れた一音に、なぜかレーシアは顔を背け、ぶつぶつと呟き始めた。


「百年、百年、あれから百年――」


「おい……?」


 アトルが慄きながら尋ねると、レーシアはうんうんと頷いた。


「昨日まではみんな、私がその場にいると喜んでくれたんだけど……きっと色々変わったのね」


「おまえが信じられないような生活を送ってたことはよく分かった」


 アトルは返し、蟀谷を押さえた。


 一方の女は、傭兵風の男と何かを短く話し合うと、アトルに軽やかに向き直った。


「分かった、きみのことは諦めよう。では、彼女をこちらに引き渡してもらいたい」


 ここで拒否するのは不自然に過ぎるが、大人しくレーシアを引き渡すことは「サラリス」が望まないことだろう。アトルには「サラリス」の望みを叶えてやる義理は無いが、それでも――


「あ、アトル?」

 レーシアが初めてアトルの名前を呼んだ。

「私、どうしよう?」


 アトルは思わず笑った。


「どうしようって、そりゃあ――」


 自分で決めろ、そう言おうとしたとき、目の前の傭兵風の男が緊張するのが分かった。

 思わず口を閉じ、感覚を研ぎ澄ます。他の二人も同じようにしていた。レーシアだけが不思議そうに首を傾げる。

 やがて、アトルも気付いた。殺気が来る。女は感覚ではなく、傭兵風の男の反応からそれを推測したようだ。


 恐らくは背後。


 無意識にレーシアの腕を掴んで、路地の奥から来るだろう殺気から庇うようにする。俺も絆されたもんだな、と自嘲した。


「来るぞ」


 傭兵風の男が囁き、女と傭兵風の男が前に出た。そして、いっそ呑気な声が夜陰に響く。


「ごめぇん! 取り逃がした、そっち行くよ!」


 あの少女の声だった。


「ミルティアにしては珍しいが……」


 女が呟き、傭兵風の男が腰を落として構える。


「俺たちに勝てるほどの手練れじゃねえはずだ。どこの連中か知らねえが、これまでも対応してこられたんだしな」


 その言葉から、彼らがこれまでも同じような襲撃を経験していることが窺えた。


 それがもしも、レーシアの身柄を――あるいは、彼女が所有しているという何某かのものを――奪い合う関係にあるがゆえだとしたら、レーシアの傍迷惑さは天井知らずだと、アトルはちらりと掠めるようにそう考えた。

 実際にレーシアが目を覚ます前から、その身柄を巡って抗争が起こっていたということになるからだ。



 路地の奥から弾丸のように襲撃犯の男が飛び出してくる。

 傭兵風の男が大刀を振り抜き、その斬撃が延長されて男を引き裂く。


 血を撒き散らしながら倒れた男を前に、しかし傭兵風の男と女は驚愕の声を上げた。


「なっ――!?」

「どこ行った!?」


 死体はある、しかし動きを止めてしまえば、彼らには明白過ぎるほどにそれが虚像だと分かる。であれば――


「後ろ!」


 少女の金切声。誰よりアトルが早く反応し、咄嗟にレーシアを前へと押し出し後ろを振り返った。


 レーシアがつんのめり、振り返り、その大きな目が惨事を映して見開かれた。


「邪魔だ!」


 聞いたことのない男の声。それは襲撃犯の声に他ならない。

 同時に、アトルの胸に衝撃が走った。避ける暇などありはしない、冗談のような速度の刺突。

 火花が散る。言うまでもなくアトルの魔力の反応だが、何の抵抗にもならないのだから無意味なものだ。


 弾けるような音と共に襲撃犯の身体が後ろへ吹っ飛び、燃え上がった。恐らく女たちのうちの誰かがやったことだろう。ここには不似合いな花のような香りがする。


「手間取らせやがって――。おい、おまえ、にいちゃん? 大丈夫か?」


 傭兵風の男の声。アリサが初めて悲鳴を上げた。


「アトル!」


 アトルは息すら憚って己の胸に掌を当てた。どこを刺されたのか、出血はどのくらいか、それを確かめようとしたのだが、早速意識が薄れ始めている。


「寝るな!」

 デリックが叫んだ。

「目が覚めなくなるぞ! アトル、聞こえるな!?」


「短剣を抜け」


 女の声が冷静に言った。


「あ――あなたたち治療だって出来るんでしょ!? 何とかして、アトルが死んじゃう!」


 アリサが叫び、女はそれとは対照の、静かな声で言った。


「何とかしたいからこそ、短剣を抜けと言っている」


「刺さってるものを抜いたら出血が――」


 デリックが言い掛けるも、崩れ落ちるように地面に座り込んだアトルの背中を支えた傭兵風の男が、その胸に刺さった短剣の柄を掴み、思い切り引き抜いた。


「アジャット」


 女がそれを受け取り、ざっと調べる。そして、小さく舌打ちを漏らした。


「やはりな。例外を期待したが、無駄だったか――」


「どういうことよ!」


 アリサが怒鳴り、女は至極落ち着いた声音で説明を始めた。


「あの連中、使っている刃物に毒を仕込んでいるらしい。きみたちに会う前に町を回っていたが、その刃物で付けられた傷は念動系の魔術の干渉を受けなくなるらしくてな」


 薄れる意識の中でそれを聞いたアトルは、今度こそ死んだと確信した。治癒魔術が効かないなら、この傷では恐らく助からない。

 息を吐くと、空気よりも血が出て来た。咳き込む余力も最早ない。


「それは――それじゃ――」


 アリサが震える声を押し出し、女は穏やかに言った。


「そうだ。打つ手がない」





 どくどくと血を吐き出すアトルの胸を見ながら、アリサが激昂して叫んだ。


「な――何よそれ! アトルが死んじゃう!」


 レーシアが恐る恐るアトルの胸に触れ、血溜まりを見た。


「何とかしないと――何とかしないと――」


 デリックが呟き、しかし傭兵風の男があっさりと切り捨てた。


「どうしようもねえって言ってんだろ。諦めな」


 アリサが更に叫ぼうとしたとき、レーシアが声を上げた。


「離れて!」


 全員がレーシアの方を見る。レーシアは傭兵風の男を見る。


「あなたも。みんな離れて」


「なんで――」


 デリックが言い差したが、レーシアは言下に怒鳴りつけた。


「早くして! 手遅れになる!」


 アリサがデリックの手を引いて下がる。傭兵風の男もアトルを地面に横たえて数歩下がった。

 しかし女は逆に距離を詰める。


「待て。ここではまずいだろう。それにあなたには――」


「もっと離れて!」


 レーシアが怒鳴り、傭兵風の男が更に下がる。女も思わずといったように距離を置きながら、それでも言葉を重ねた。


「あなたには〈動〉の宝具しかないはずだ――」


 レーシアが顔を上げて女を見た。その表情に、確かに苛立ちが含まれていた。


「そんなことを言うから、だからあなたたちとは行けないの」


 レーシアは視線を下げ、アトルの鳩尾の辺りに手を重ねて置くと目を伏せた。

 しかし一瞬後、当てが外れたような焦燥の滲む顔で目を開け、今度は唇を開いた。



「あにのぞむ のどけきはるのみひかりは」



 大通りは未だに阿鼻叫喚、しかしそことは明らかに違う空気を吸っているかのように、レーシアは古風な言葉を紡ぐ。

 歌う声は透き通るようで、間違いなく極上のものだった。



「かなしかなしといつくしむ」



 レーシアの声が焦燥か緊張かで震える。



「あがのぞむ なつのけしきのしろたへの

 くもわきいづる ゆふだちのおと

 あものぞむ」



 何も起きない。

 アリサが焦って声を出そうとするも、後ろに回っていた傭兵風の男がその口を塞いだ。その目はレーシアを凝視している。



「つゆじものあきのみそらのもちづき

 かがみばかりに すみわたるかな

 あとのぞむ ふゆのさむさのなさけふかさよ

 あとなれちかく」



 レーシアはアトルの顔を見て、少し泣きそうな顔をした。声がいっそう震える。



「ちかひてし

 さやにはゆるましろのうんき

 しらじらあくるやまのはに

 をしむはあえかなつきかげを」



 レーシアがその暗唱を終えた瞬間、空気が変わった。


 温かく、親しく、それでいてどこか戸惑うような、いわば随分久し振りに会う親しい友人に、出会い頭から以前のように接されて、嬉しいようなくすぐったいような、そんな気持ちの温度の空気。


 その場の、レーシア以外の者の呼吸が一瞬止まった。呼気を、あるいは吸気を、途中で打ち消されたかのような、そんな強制力を感じる不自然な息の止まり方。


 レーシアがアトルの上から恐る恐る手を放す。怖々と傷を窺った彼女の、その表情が少し緩んだ。


 何の光も音もなく、ただ、目で見れば変化は明らかだった。

 出血が止まっている。それどころか、アトルが咳き込んで血を吐き切り、――目を開けている。


 刺されたのは胸であり、だからこそアトルは血を吐いていた。気道が血で塞がるあの息苦しさははっきりと覚えているものの、今、それはない。それどころか――痛みすらない。


「おまえ――?」


 声を出し、くらくらする視界を我慢して起き上がろうとすると、慌てたようにレーシアがそれを留めた。留めながら、なぜかふらふらとその頭が揺れている。


「動かない方がいいと思う……」


 アトルは起き上がろうとするのを諦めたが、今度は怒濤の勢いで女と傭兵風の男がアリサたちを遠ざけに掛かっていた。


「良かったじゃぁない、あんた。命拾いしたのねぇ」


 いつの間にか傍にいた少女が興味深げに言い、目をきらきらさせながら傷を覗き込んだ。


「ふぅん。傷は残ってんのねぇ。出血した血もぉそのまんま。――ということはぁ、これは宝具じゃないわよねぇ?」


 レーシアは少女から離れようとして、ふらつくように体勢を崩し、力なく呟いた。


「宝具しか知らないなんて、馬鹿みたい」


 アトルが自分の状態を把握しようとしていると、女が声を上げた。


「青年! きみ――アトルというのか? まあいい。同行しろ。これは強制だ」


 アトルは言い返そうとしたが、それよりも早く少女がむんずとアトルの顎を掴んで黙らせ、耳を寄せるとふむふむと頷き、わざとらしく言った。


「なになにぃ? ちゃんとした手当が受けたい? いいよぉ、そう言うんならぁ、ちゃんと手当してあげるぅ」


「だ、そうだ。きみたちもここは一旦引いてだな……」


 どうやらアリサたちの説得が難航しているらしい。


「いや待て! 顔くらい見させろ!」

「その時間はねえ。何も取って食おうってわけじゃねえんだぞ。治療してやろうって言ってるんだ、感謝しやがれ」

「手当なら〈インケルタ〉でも――!」

「俺たちの方が高度な治療が出来るんだよ!」


 アトルは諦めて目を閉じた。自分の身体に施された「何か」は常軌を逸したことであり、そのことに絡んでこの四人組が――一人は姿が見えないが――レーシアに用があるのならば、もう既にアトルも関係者になってしまったということだ。


 ぱたり、と誰かが倒れるような気配がした。それに驚いたように声が上がる。何が起こったのか気になるが、確認しようにも動けない。


 夜明けまでに動けるようになりたいな、と考えたことを最後に、アトルは出血により意識を失った。






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