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Monologue-07 This Is a Story For Confess a Girl's Guilt

 半信半疑ではあったが本当に放り出されてしまった――。



 翌日の昼下がり、セゼレラの国境付近の小さな丸太小屋の中で、サラリスはしみじみとその現実を噛み締めていた。

 丸太小屋の中に一つしかない寝台は女の子(レーシアと呼んでいいものか、未だ確定していないため、サラリスは内心でこう呼び続けていた)に明け渡し、サラリスは荷物を足下にして三脚の椅子に座り込んでいる。


 当座の食糧に現金、宝樹玉、着替え、地図などが、柔らかい素材の斜め掛けの鞄に詰め込まれている。鞄は大きいものと小さいものが二つあり、言うまでもないが大きい方がサラリスが持つべき方である。


 どこに行くべきかも特に言われていないので、サラリスは途方に暮れていた。

 自主性など育ちようもない環境で生活してきたのだ、そうなることは当然である。

 一応、サラリスたちを見守る役割の宝士が数人、離れた所にいるはずではあったが、宝士は敵である。いつ何時この女の子を寝かせてしまおうとするか分からない、怨敵である。ゆえに頼ることは断じてならぬと、サラリスは拳を握り締める。


 とにかく足下の荷物から地図を引っ張り出し、七歳の子どもからすればやや大き過ぎるその羊皮紙を、えっちらおっちらと広げる。

 地図の読み方は、一応読書の成果として知っていた。


 と、そのとき、微かに呻いて女の子が目を開けた。サラリスはきょとんとしてそちらを見て、そうしている間に目を擦りながら女の子が起き上がり、座り込んだ。寝癖が付いて鳥の巣のようになった頭がぐるりと巡って、女の子がサラリスを見た。


 女の子はセゼレラにいる間に身体を洗われ、着替えさせられていて、今は襤褸などではない、白と黄色の上品なドレスを着ている。女の子はそれに気付いて不思議そうな顔になり、サラリスから目を逸らしてまじまじと自分の格好を見た。しかしそれからまたすぐにサラリスに視線を戻す。


「あ、起きた」


 サラリスは思わずそう言い、女の子がじっと見詰めてくるその視線の上で、地図をひらひらと振った。


「ねえ、どこか行きたい所はある?」


 女の子が瞬きする。その瞳に濃く不安の影が差しているのを見て、サラリスはぴょんと椅子から飛び降りて女の子に歩み寄った。

 女の子はぴくりと震えたが、声も出さず逃げることもせず、ただひたすらに目を見開いてサラリスを見詰めた。


「こんにちは。私はサラリスよ。あなたの名前は?」


 女の子の目の前に立ってサラリスがそう言うと、女の子は首を傾げた。瞳が落ち着かなげに揺れて、唇を開いて落とされた声も掠れている。


「……な、まえ……?」


 そうよ、と言ってから少し考え、サラリスは言葉を変えて尋ね直した。


「他の人は、あなたのことを何て呼ぶの?」


 女の子は目を見開いた。


「呼ぶ、ない。他のひと、呼ぶ、しない」


 サラリスは大きく頷くと、女の子の手を握って笑い掛けた。


「そう。じゃあ、あなたはレーシアよ。レーシア。言ってごらん」


「レ――シア」


 言われるままに反復する女の子に頷き掛けて、サラリスは根気良く言い聞かせた。


「レーシア、って呼ばれたら、それはあなたのことなのよ。名前は? って訊かれたら、レーシアだって答えるの。いい?」


 女の子は「レーシア、レーシア」と口の中で繰り返し、それから唐突にサラリスを指差した。


「レーシアが、呼ぶのは、サラリス?」


「そうよ」


 サラリスは女の子の――レーシアの頭を撫でた。あの人がよくサラリスにしてくれることなので、これをされたら嬉しいに違いないと確信してのことだった。


「あなたの名前はレーシア。私の名前はサラリス」


 レーシアは薄青い目でサラリスを見上げ、唐突にぼろぼろと涙を零し始めた。

 サラリスは凍り付いた。


「サラリス、サラリス、サラリス、サラリス」


 刹那、レーシアの周囲を白い光の漣が走った。あ、とサラリスが息を呑むと同時、凄まじい爆裂音と共にレーシアの周囲の空間が捩れて弾け、寝台が大破して床板が抉られた。レーシア自身は魔力に守られて緩やかな動きで着地する。丸太小屋の窓硝子が全て粉々になって外側へ砕け散り、小屋全体が揺れてぱらぱらと埃が落ちてくる。


 魔力爆発。


 サラリスはその威力から守られてレーシアの傍に踏み留まることが出来、この騒ぎに宝士が駆け付けて来たら大変だと、慌ててレーシアの肩を抱いた。


「どうしたの? どうしたの?」


 レーシアは尽きることなく涙を流しながら、切々と訴えた。


「痛かった、怖かった、すごく――サラリス、ぶつ、しないで。お池に、落とす、しないで。放っとく、しないで」


 サラリスはこくこくと頷いた。周囲は銀色と白色が渦巻く異常の空間、通常ならば恐怖にこちらも魔力爆発を起こしてもおかしくなかったが、サラリスは怖がるよりも困り果てていた。


「しない、しないよ。約束する。絶対しない。だから泣き止んで?」


 よしよし、と肩や頭を撫でながら、サラリスは最早半泣きであった。



「ずーっと一緒だよ。一緒にいるの。ぶったりしないし、お池に落としたりもしないわ。

 ずっと一緒よ、本当よ」



 レーシアは涙の中からサラリスを見上げた。


「本当?」


「本当本当」


「大丈夫?」


「大丈夫大丈夫」


 ようやっと涙の奔流が止まり、サラリスがほっとし掛けたところでレーシアは言った。



「お腹すいたよぅ」







 一瞬にして襤褸屋となった丸太小屋で、「これって今食べていいのかなぁ」と悶々としつつもサラリスが荷物を空けて食べ物をレーシアに渡し、レーシアはたいそうご満悦の様子でそれを口にした。その様子を見ていると、サラリスもなんだかどうでも良くなってきた。


 満足したらしきレーシアに地図を見せ、「どこに行きたい?」と訊くと、レーシアはしばらく考えた末にサラリスにくっ付いた。

 そうじゃなくて、この地図でね? と念押しすると、「――ちず……?」と眉間に皺を寄せる。

 これこれ、とサラリスがなおも羊皮紙を示すと、そちらを興味津々で見た末に、適当極まりない手付きで上の方を示した。

 サラリスがそこに書かれた国名を読み上げる。


「……ヤルセク王国」


 後に起こる百年戦争で、その国土の三分の一を廃墟と化す、最大の被害を被ることになる国である。


 サラリスはそんなことは知らない。「じゃあここに行こうか」とレーシアに声を掛けると、レーシアはサラリスを見上げてぎゅうっと唇を曲げた。


「……サラリスと一緒……」


「一緒に行くのよ」


 サラリスが念押しして初めて、レーシアは表情を緩めて立ち上がった。


 既に日暮れの時刻。もう数年してサラリスが旅慣れた頃には、出発を諦めてその場で休む準備を始めるべきだと判断する時間であった。



 無論、その夜を野宿で過ごすことになったサラリスが後悔したことは、言うまでもない。

 一方のレーシアはサラリスにくっ付き、ご満悦の表情を一度たりとも曇らせなかった。





○○○○○○○○○○○○





 その翌日にようやくセゼレラを出た二人は、ジフィリーア王国に抜けてその宿場町の賑やかさに気圧されていた。


 幼い少女が二人連れ立っており、しかもその二人ともが見目麗しく上品な身形をしているともなれば、放っておかない人間もいるものだ。

 強面の男が下卑た表情で近付いて来て話し掛けたとき、サラリスは考えるまでもなく空人と雷兵を呼んでいた。それが最も安全かつ確実な方法だと思ったからだ。


 突然現われた五人の空人と三人の雷兵に、周囲の人間も肝を潰しただろうが隣のレーシアまで泣き出した。召喚に応えた雷兵と空人はたいそう狼狽え、互いに泡を食った顔を見合わせた。


〔な、なぜ泣く? 何かした?〕

〔わ、私たちのせいなの?〕

〔怖がってるの? 驚いたの?〕


 なんとかして、という視線を向けられたサラリスも、自分にしがみ付いて泣くレーシアに心底から困り果てつつ、必死になって説明した。


「雷兵さんたちと空人さんたちよ。大丈夫よ、仲良くしてくれるわ。泣かないで」


 必死になって宥めすかし、ようやく空人と雷兵のことを理解させたサラリスは、それと同時に嫌でも気付かざるを得なかった。


 ――空人と雷兵は、世間一般で怖がられているものであると。

 ――それを知らなかった自分は、およそ世間の常識から外れていると。


 猛烈な危機感に襲われ、その日やっとの思いで宿を取ったサラリスは(宿を取るのにも一苦労で、サラリスはますますこれからが不安になった)、宿の主人に、「子ども二人だけ? なんて常識のない……」と言われてその思いを強め、レーシアが眠ったのを確認して、堪らず宿から飛び出した。


「宝士、宝士、宝士!」


 宿の外の夜道で呼び掛けると、やはり傍にいた宝士たちが姿を現わした。それぞれ驚いた顔をしている。


「どうしました、サラリスさま。夜道は危のうございます――」


「いいから聞いて、お願いよ!」


 サラリスは目の前に屈んだ宝士の前で手を合わせる。

 宝士は怨敵であるが、致し方なかろう。本に書いてあった。確か……『勝利のためには、時として撤退を選ばねばならぬときもある』。恐らくこの事に違いない。これは必要な「てったい」なのだ。「てったい」が何か、具体的に分かっている訳ではないが。


「は、サラリスさま……」


 宝士が戸惑ったように答えるのを聞いてから、サラリスは真顔で言った。



「明日までに絶対、『常識』が分かる本を持って来て」



「…………」





 目立たぬ格好に着替えた宝士たちが、店仕舞いを済ませた町の書店に忍び込み、あれこれと悩みながら本を漁ったということは余談である。


 その本は怪盗も吃驚の手際でサラリスの下へとこっそりと運ばれ、しばらくサラリスの愛読書となり、ついでにレーシアが文字を覚えるきっかけともなった。



 更に余談であるが、書店の主が夜の間に盗まれた本を、紺色の髪の子どもを連れた銀髪の子どもが道端で一心不乱に読んでいるのを見掛け、「どういうことだ!」と詰め寄る一幕がその翌日に見られた。

 本の入手経路を知らないサラリスは仰天し、二日連続で空人と雷兵を呼ぶこととなる。今度は泣かなかったレーシアに、呼び掛けに応えて現れた内の数人が天に向かって歓喜に吼え、それによって何の罪もない他の子どもたちが泣き出すこととなったのだった。



 なお、書店の主が早々に逃げ帰ったことによって事態は迅速に終結し、怪我人は出なかった。





 このようにして、サラリスとレーシア――当代エンデリアルザと、史上最大の魔力を保有する〈器〉の旅が始まる。












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