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10 路地裏どん詰まり

 確かに襲撃犯は大挙して宿に押し掛けて来たらしかった。

 これがもしも客であったなら、宿の主人は顔の緩みを抑えられなかっただろうと思われる。

 襲撃犯の格好は統一されておらず、その点で冒険者を思わせたが、彼らはこんな、明らかな犯罪行為には走らない。恐らくは、服装や装備から身元が割れることを恐れてのことだと思われた。


 宿の食堂から出口までは、宿の受付などをする玄関を抜ければすぐのはずだった。玄関は食堂と同じくらいの広さがあり、待ち人のためのソファなども置かれている。

 ソファは悉く引っ繰り返り、受付のための帳場も、台帳は引きちぎられペン立ては引っ繰り返され、酷い有様を呈していた。妙といえば、現金に手が付けられていないことか。


 客たちは悲鳴を上げて逃げ回り、それは大抵上手くいっていた。どうやら無関係の一般人を好んで巻き込もうとしているわけではないらしいが、それも「目標」がいれば――一般人が目的達成のための邪魔になれば話は別だ。


 アトルはレーシアの手を引き、アリサとジャスミン、それと玄関に飛び込もうとしたところでばったり会ったデリックとレアルと一緒にいた。

 全員、今が非常に危険なときだと分かっているため、見慣れない美少女についても言及しないでおいてくれている。


「あそこだ、撃て」


 襲撃犯の男たちの声がすると同時に、アトルが周りに叫んだ。


「伏せろ!」


 咄嗟のことに殆どの客と宿の従業員がそれに従い、アトル目掛けて撃ち込まれた銃弾は狙いを外して壁に食い込んだ。


「ほんとにおまえ狙いなんだな……」


 アトルはぼそりと呟く。襲撃犯たちは一度たりともレーシアを狙って魔法や銃を撃つことがなかったのだ。


「ねえ、それ、使わないの?」


 早くも息を切らせているレーシアが訊くと、アトルは何とも心許ない顔をした。


「いや、慣れねえ武器って怖いじゃん」


 レーシアのことは無視しておいてくれたというのに、これいはデリックもレアルも反応し、アトルの手元にばっと視線を向けた。


「は? なに、おまえなんで武器持ってんの!?」


「貰ったんだよ」

 アトルは言いながら、銃を上げて慎重に狙いを定めた。狙うのは帳場だ。一度は練習のつもりだった。

「暴発しませんように――」


 言いながら、思い切って引き金を引く。


 二つのアルナー水晶が鋭利な一点の煌めきを宿し、間髪入れずに凝った光の弾が発射された。それが帳場に当たり、見事にそこを破壊した。


「…………」


 絶句する〈インケルタ〉の五人とは違って、レーシアは呑気にも叫んでいた。


「うわあ。宿の方、申し訳ありませんっ!」


 それで、はっと我に返ったアトルは、今度はきちんと襲撃犯の方を向けて引き金を引いた。

 弾速は念動系の魔術と同じくらいと思われる。命中し、踊るように倒れる襲撃犯を見もせずに、アトルはレーシアを引っ張った。


「行くぞ。ここにぐずぐずしてたら被害がでかくなる!」


 レーシアはこくこくと頷くと、手を引かれるままに走り出した。


 宿の外に出ると、やっと警邏隊が来たのか、煌々と魔術光が灯っていた。アトルたちはそれを避けるように宿の裏手に回ると、兵舎目指しての疾走を開始した。


 しかし、いややはりというべきか、襲撃犯はレーシアを諦める気は毛頭ないらしい。暗がりからこれでもかとばかりに出てくる。

 全員が手練れであり、アトルたちが生き残ることが出来た理由はただ四つだった。


 アトルに渡された銃は、どうやら魔術師級の魔力を持った者が使うことを前提としていないようだった。つまり、アトルが使うととんでもない威力を発揮したのだ。これにはアトルも笑うしかなかった。

 二つ目は、襲撃犯が決してレーシアを傷付けようとしなかったことである。本当に進退窮まったときには、レーシアを盾にしてしまえば良い。これはレーシア本人が言い出したことで、アトルを含む男性陣にはかなりの葛藤を強いたものの、有効さで言えば文句の付けようがなかった。

 そして三つ目は、アトルたちが全員、幼少の頃に最悪の状況を潜り抜けてきたことだ。親に捨てられ、あるいは売られ、それこそ泥水を啜って生きて抜いた記憶がある。ゆえに、こんなことでは諦めたりはしない。彼らは打たれ強くなくては生きて来られなかったのだから。

 最後の理由としては、彼らが襲撃犯とまともに戦わず、逃げ回ったことによる。


 彼らは一時間近く逃げ回ることとなっていた。


 遠くから鐘の音が聞こえてくる。どの町にも五つ作られることになっている鐘塔の、その五つの音色の違う鐘が一斉に鳴らされているのだ。


 五つの鐘には名前がある。ドーヌム(賜物)フェーリークス(幸福)フォルトゥーナ(宿命)テンプス(時間)ヴィア()。音色の違う鐘が一斉に鳴らされればそれは厄災、順に一つずつ鳴らされればそれは祝福。


 シャッハレイの五つの鐘が一斉に鳴らされている。どうやらこの襲撃はシャッハレイにも影響ありと判断されたらしい。


「なに? なに、この鐘の音?」


 レーシアが息を切らせながらも訊いてきた。また何かが始まるのではないかと怯えている顔だった。


「鐘塔の鐘だ。この事態を町に知らせてる」


 アトルは答え、一旦止まって呼吸を整えた。


「鐘塔のこと知らないのかよ? 近くの国では同じ習慣があるはずだろ?」


 レアルが喘ぎながらも指摘し、アトルは呻くように答えた。


「こいつ、田舎の出身なんだって」


 レーシアが何か言いたげにしたが、視線で「黙れ」と威嚇する。

 襲撃による混乱は準シャッハレイ全体に広がっていた。住人たちが安全な場所を求めて走り回っている。


 狭い路地に逃げ込んだ六人は、それぞれ壁に手を突いたりもたれ掛ったり、地面に座り込んだりと思い思いに身体を休めている。喧噪がすぐそこにあり、落ち着ける状態ではなかった。


「ま、またいつ来るか……」


 ジャスミンが息絶え絶えに言い、レーシア以外の全員が嘆息した。

 レーシアは嘆息する余裕もなく、ただ呼吸をすることに集中しなければ死んでしまいそうだった。彼女の体力のなさは、アトルの予想を大幅に上回っていたのだ。

 壁に手を突いて蹲り、すかすかした息を吐く彼女の背中を、申し訳程度にアトルが叩いてやる。頭の中では、顔も声も知らない「サラリス」に、あと千回謝れと脅しを掛けていた。


 ずどん、と音がして、さっとそちらを見ると矢が数本、まとめて壁に突き立っていた。


「やべ、見付かった。走るぞ」


 アトルが言い、レーシアの手を取った。レーシアはふらふらではあったが、文句は言わずにただ頷いた。


「こっちだ」

「ちょこちょことよく逃げる。あの方がいなければ殲滅魔術が使えるんだが……」

「あの方の防御力はどれほどなんだ」


 そんな会話が聞こえてくる。声を低めることさえしていないことから、追う側は余裕綽々なのだと分かる。


「あいつだ、あいつを狙い撃て」


 声がして、それからアトルを狙う攻撃が多くなった。


 預かった銃の扱いにも慣れてきたアトルは、何人か屋根の上にいた襲撃犯を狙い撃って、避けられはしたものの遠ざけることに成功した。しかし、いつ銃の限界がくるか分からない状況であり、どう控えめに表現しても、今は命の危機だった。

 住民たちに内心で詫びながら、準シャッハレイを貫く大通りを真横に突っ切る。逃げようとする住民たちの流れに逆らいながらの強行突破だった。


「何すんだよ!」

「邪魔だ退けっ!」


 そんな声が投げつけられ、直後に撃ち込まれた魔術の攻撃に悲鳴が上がった。

 アトルは走りながら振り返り、人混みの中で追ってくる襲撃犯を狙い撃った。外せば何の罪もない住人を殺してしまうところだったが、アトルは自分の腕を見積もることは得意だ。

 被弾した襲撃犯は、傷付けられた右腕を抱えてもんどりうった。真っ赤な血飛沫が上がり、それでいっそう悲鳴が上がる。恐らく腕は助からないだろう。治療には切断が必要になるはずだ。

 アトルは大通りを横断し終えると、地の利がないことを悔やみながらどこかに通じているだろう路地に飛び込んだ。行き止まりに突き当たって殺された、では目も当てられない。オヤジたちの酒の肴として、未来永劫笑われることとなる。


「アトル!」

 アリサが叫んだ。

「デリックがいない!」


「はあっ?」

 振り返ったアトルは顔を険しくした。

「仕方ねえ、置いてくぞ」


 アリサはきゅっと唇を結んだが、反論はしなかった。ここで反論すれば、デリック一人のために他全員の命を危険に晒すことになる。

 しかし、再び走り出そうとしたアトルの腕を、レーシアが握って止めた。


「何だよ!」


 レーシアは人混みを見ながら、その一点を指差した。


「あそこ。あそこにいると思う」


 アトルがそちらを見ると、確かにデリックらしき人物が襲撃犯に応戦中だった。しかし、だからといって、


「割り込めるわけないだろうが」


 苛立ちを込めてそう言うと、レーシアは首を傾げてびくつきながらも言ってのけた。


「私なら大丈夫だと思うんだけど……」


「馬鹿かおまえは」

 アトルは視線を険しくした。

「連れて行かれて終わりだぞ」


 魔力を爆発させれば別だが、あの派手な発光や音で更なる襲撃犯を呼び寄せてしまうことを考えれば、それは控えるべきだろう。

 レーシアがしゅんと項垂れた。


「行くぞ、いいな?」


 アトルは重ねて言ったが、飛び込んだ路地の先から別の襲撃犯の気配がして蒼くなった。


「やべえ――挟み撃ちだ」


 姿が見えた数人を撃つが、五人中の三人が魔術障壁を展開させてそれを防いだ。アトルはそれが念動系の基礎の術だとは知っていたが、こうまで腹が立つものだとは知らなかった。


「ジャスミン、いける?」


 アリサが低く尋ねた。この五人の中で身の軽さを言えばジャスミンが一番なのだ。

 ジャスミンは路地を挟む二つの家屋のうち右手のものを見上げると、こくりと頷き、たっと駆け出すとその家屋に飛び付いた。そのまま雨樋を伝ってするすると上っていく。上に辿り着けば縄を下ろしてくれるはずだ。


「なにぐずぐずしてんだ?」


 意外そうな声がして、振り返るとデリックが立っていた。左腕に裂傷があるものの、どうやら奇跡的にも助かったらしい。それは無論嬉しく、アトルはにやりと笑ったが、すぐに表情を険しくすると、路地の奥の五人を示した。


「挟み撃ちされてんだ、やべえ」


 デリックも事態を把握し、息を呑んだ。

 双方向から距離が縮まっていく。五人がまるで巣穴の中の兎のように身を寄せ合ったとき、縄が投げられた。

 ジャスミンだ。


「登れ!」


 アトルは縄を受け取ったレアルに叫んだ。

 レアルが昇り始める。早く早くと気が急くが、口に出してはレアルを焦らせてしまう。

 しかし、脱出路を作ったことは襲撃犯側にも露見している。彼らが一気に足を速めた。そうしながら複数人が魔術式の銃を取り出す。その照準が縄の方に向けられるのを見て、アトルは怒鳴った。


「レアル、急げ! 撃たれるぞ!」


 ばん、と夜空に響く音がした。

 この暗さでどうすればそんなに正確に照準を合わせられるのか、撃ち抜かれたのは縄だった。二つに裂かれた形の縄の、下部分がはらりと地面に落ちる。レアルはぎりぎりのところで間に合ったようだ。


「先に行け!」

「悪い!」


 そんな遣り取りがあって、レアルとジャスミンが屋根伝いの逃走を開始した。残された四人はもうどうしようもない。


「エンデリアルザの後継者」


 大通り側の襲撃犯の一人が言った。間違いなくレーシアに向けられた言葉だった。


「こちらへどうぞ」


 レーシアは不安げにアトルを見上げた。幾つかの銃口がアトルに向けられるが、それには気付かないらしい。


 命数が尽きたことを悟り、アトルは最後の悪あがきをすると決めた。どうせ撃たれて終わるのならば、せめて華々しい方がいい。


 アトルはいかにも諦めた風に銃を下ろすと、レーシアの頭を左手で撫でた。それから、襲撃犯たちの方に醒めた視線を向けると、不承不承というように口を開いた。


「もしもだ。こいつを引き渡せば助かったりとか、そんなことはないわけか?」


 はぁっ? あいつ何ぃ言ってんのぉ? ぶっ殺す! という声が極限まで澄ませた耳に届き、アトルはにやりと笑う。やはり、あの四人組は近くにいるらしい。


「一考してやらんでもない」


 襲撃犯が答えた。アトルはわざとらしく左腕をレーシアの右肩に乗せ、手首を揺らした。


「なあ、レーシア。おまえああいう犯罪者好きか」


 レーシアはアトルが何を考えているかさっぱり分からないようだったが、ふるふると首を振った。


「じゃあ引き渡すわけにもいかねえか――ああ、そうそう質問だ」


 アトルは銃を左手に持ち替え、そして右手で向かい合う大通り側の襲撃犯たちを示した。


「あんたら、こいつのこと知ってんの?」


 襲撃犯たちの間に失笑の気配が広がった。


「当たり前だ」


「そっか」


 アトルは言い、右手でレーシアの右手を取り、適切な高さまで持ち上げた。レーシアはきょとんとし、若干目を泳がせる。

 アトルは左手で銃の引き金を探った。銃口を気付かれないように襲撃犯の方へ向ける。


「だったらなおさら――」


 アトルは引き金を引いた。


「引き渡すわけにはいかねえなあ!」


 咄嗟に被弾は免れられたが、着弾地点が抉れて地面の破片が四方八方に飛び散る。そうしている間にアトルは銃をレーシアの手に落とし込み、厳然と命じた。


「ぶっ放せ!」


 レーシアは恐らく、アトルよりも遥かに魔力総量が大きい。であれば、この銃も大きな威力を発揮するはず。

 そのアトルの読みは当たった。


 訳が分からないながらもアトルの見様見真似で引き金を引いたレーシアは反動で後ろに倒れ掛け、それをアトルが支えることとなったが、銃撃の威力自体はアトルが持っていたときと比較にならなかった。


 発射された魔力弾は、着弾と共に爆音を響かせ、そこを中心として小規模な爆発が起こった。七色の光が水滴を撒き散らしたときのように飛散し、その光に真っ赤な液体が煌めきながら飛び散った。

 巻き添えを食わないようアトルたちは慌てて路地に引っ込む。大通り側にいた襲撃犯は全員、死亡か重傷、いずれかだった。


 見ていて気持ちのいいものではない。


 アトルは仕方がなかったとはいえ、レーシアに人殺しをさせたことを詫びようと思って顔を向けたが、そのレーシアの顔を見て声を失った。


 何の変化もない、いつも通りの表情だったのだ。

 まるでこれが当然というような、傲慢でさえない日常の顔。


 しかしそれに対し長く考えている暇はなく、飛び込んだ先の路地の襲撃犯五人はまだそこにおり、あっと言う間に乱闘になった。

 数で劣る上に力でも劣っているのだから、勝てるわけもない。


「銃は!?」


 アトルが怒鳴るように訊き、答えて恐る恐る掌を見せたレーシアを殴りたくなった。

 レーシアの手の中には、二つのアルナー水晶が砕け散り、その周りの鋼も変形した、銃の残骸があった。


 恐らくレーシアの魔力量が銃の性能を上回り過ぎたせいだが、これでアトルたちは唯一ともいえる有効な武器を失ったことになる。


 対峙する襲撃犯の、五人のうち三人は魔術師である。

 アトルたちに出来ることは逃げることだけなのだが、彼らはその逃げ道さえも塞いで逃がさない構えだ。魔術による攻撃は控えているが、それはレーシアに当たることを恐れてのことのようだった。


 レーシアが立っているだけなので、実質は三人での迎撃ということになる。

 最も腕が立つのはデリックであり、結論としてアトルはデリックにあの四人組から渡された短剣を投げ渡した。デリックはきっちりとそれを使い、恐らくは二人に手傷を負わせたが、それが限界だった。アトルにしても、襲撃犯との力量が違い過ぎるし、アリサは体術よりは銃火器の扱いが得意ということもあって、手の打ちようがない。


 終わったなと、思わずアトルが皮肉な笑みを浮かべたとき、聞き覚えのある声が轟いた。


「――こっち向きやがれ!」


 襲撃犯どころか、アトルたちまでがそちらを見た。




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