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09 妨害と銃

 部屋の壁が崩れ落ちた。


 扉の向かい、窓のある壁が、がらがらと音を立てながら崩れたのだ。ぽっかりと空く壁一枚分の出入口。そこから、針と矢と魔術が雪崩れ込んできた。


「はあああっ!?」


 この叫びはアトルとアリサのものである。侵入者四人組は魔術で自分の身を庇っているようだったが、この二人にそんなことは出来ない。串刺しにされる前に逃げなくてはならないのだ。

 ただし二人の魔力は、宿主の危機を察知してささやかな抵抗を示し、火花を散らしている。針と矢はそれに弾かれることもあったが、魔術に対しては全く無効だ。

 アリサが身を翻し、廊下で扉を盾にしながら「アトル!」と呼ぶ。アトルもそちらに行こうとして、はっと気付いてレーシアを見た。


 レーシアの魔力は近付く一切を拒絶して彼女を守っていたが、彼女自身は怖くて堪らないらしい。かたかたと震えながらやっとのことで立っている。咄嗟にアトルはそちらに踏み込み、手を差し出した。


 手を伸べてから、あ、俺って阿呆だ、と思った。レーシアの魔力に弾かれて終わるだけだ。――そう思われた。


 だが、アトルの手はすんなりとレーシアの元に届き、レーシアはまるでそれが命綱であるかのようにアトルの手を握り締めた。

 そのまま手をぐいと引き、つんのめったレーシアの身体を抱き留め、抱き上げる。

 羽を抱えているかのように軽いその手応えに居心地の悪さを感じつつ、アトルはアリサの傍まで一足飛びに辿り着いた。弾かれなかった針や矢が幾つか掠め、魔術も多少は掠ったものの、かすり傷程度だ。


 廊下でレーシアを下ろすと、アトルはその手を引いて階下に誘導しながら――さすがにもう隠し通せないだろうと腹を括ったのだ――、軽く笑って言った。


「おまえ、すげえじゃん。ちゃんと考えてんだな」


「え? なに? 何が?」


 周囲の魔力が沈静化していく中、レーシアは混乱しながら訊き返し、アトルは振り返ってあの四人が背後から迫っていないことを確認しながら答えた。


「何がって、魔力爆発だよ。俺はおまえに触れただろ?」


 レーシアは数回口を開け閉めした後、言った。


「私、何もしてない」


 アトルは目を見開いた。


「……え、そうなんだ」


「よく分からないけど、助けてくれてありがとう」


 真面目くさってレーシアは言った。



 食堂は騒然としていた。

 右往左往する人々に、荷物を取りに部屋に上がろうとする者、とにかく脱出しようとする者、ぶつかっては互いに罵り合い、連れの安否を声を張り上げて確認しようとする。当たり前だろう、普通ならば経験し得ない襲撃に、立て続けに遭い続けたのだ。


「アリサ! アトル! ――と、その子誰!?」


 ジャスミンが目を剥いてレーシアを指差す。レーシアはまたしても竦んでアトルの後ろに隠れたが、今度はアトルはそれを押し出した。


「しゃんとしてろ。――ゼーン親父は?」


「アレック親父ならそこにいるけど……。ゼーン親父は知らない。ねえ、さっきの凄い音なに!?」


 アトルは目でゼーンを捜しながら事も無げに答えた。


「ああ、多分荷物置いてた部屋の壁が崩れた音」


「へえ、そう――って、ええっ? 荷物無事!?」


 ジャスミンがアリサの目よりも色の濃い、紫色の目を剥いて叫ぶ。アトルも叫び返した。


「知らねえよ! ってか確認してる暇なんかなかったっての! とにかく今はこいつを安全な場所に連れて行かねえと――」


「こいつ」であるレーシアがおろおろしているので、アトルは周囲の騒然とした空気に負けまいとして怒鳴りつけた。


「しゃんとしろって! そんでもって自分の身の振り方でも考えてろ!」


「え、ええと――」

 目が泳いでいる。レーシアはそわそわしながらアトルと繋いだままの手を引いた。

「あ、あの、私から言いたいことが――」


「アトル!」


 ゼーンの声が響いた。レーシアは息を呑み、こそこそとアトルの後ろに回る。


「オヤジ!」


「その子、連れ出したのか――まあいい、ここを出るぞ」


 ゼーンはどうやら〈インケルタ〉の面々にそのことを伝えて回っていたらしい。


「おう。どこに――」


「彼女は置いて行っていただきたい」


 ゼーンに答えるアトルの声に被せるようにして、あの女の声がした。喧噪の中でもはっきりと聞こえる声だった。

 そちらを見れば、傷一つなく立つ四人組がいる。


「あーもうっ、こいつは行かないって言ってんじゃねえか!」


 アトルが苛立ちながら叫べば、女はそれをあっさりと無視して続けた。


「それと、そこの青年。きみにも来てもらいたい」


「いよいよ有り得ねえよ!」


 アトルは叫んだ。しかし女は頓着しない。


「なぜきみが彼女に触れられたのか、非常に興味がある」


「関係ねえっ!」


「あのっ、言いたいことが――」


「続きを話してぇんだがいいかね?」


 凄まじい混沌振りを見せるその場で勝利を収めたのはゼーンだった。

 彼はがしっとアトルの首を捕まえると、苛立ちを隠そうともせずに低く言った。


「準シャッハレイの兵舎の後ろ。一旦準シャッハレイから撤退する。夜明けまでに来ないと置いて行く。いいな?」


 アトルは気圧されてこくこく頷いた。


「お、おう」


 そこでゼーンがあっさりとアトルを置いて行き、これ幸いとそれに続こうとしたアトルが、何かに躓いてつんのめった。

 考えるまでもなく侵入者四人組の誰かの仕業である。


「ま、マジで有り得ねえ……」


 怒りの形相で振り返ったアトルだったが、足早に近付いて来た女にいきなり手を握られ、思い切り懐疑的な表情で「は?」と呟く羽目になった。


「分かってほしい、事は大事だ」


 女は切々と言い、十分に真摯な口調ではあったが、アトルは両手が塞がった状態で嘆息した。


 左手はレーシアの右手を握り、右手は正体不明の女に握られ。

 本来ならば文字通り両手に花という状況なのだが、周囲は阿鼻叫喚。


「あのさ、空気読もうぜ」


 すると、女は顔は見えないながらも十分にきょとんとした様子が窺える仕草で首を傾げた。


「よく言われるのだが、それはどういった技能なのかな?」


「ねぇえ、アジャットぉ」

 少女が女の外套を後ろから引っ張った。

「のんびりぃしてる暇なんてぇないんだからぁ。連れてぇ行きたいんなら、こいつくらいぃ失神させてぇ、その上でぇ担いでけばぁいいじゃぁないー?」


「ミルティア、いつも言っているが、それでは彼の意思を無視したことになってしまうだろう」

 女は懇々と言った。

「形式上でもいいから、付いて行きますと、こう言わせることが必須なのだ」


「形式でいいの……」


 脱力したようにアリサが呟いた。


「でもぉ、時間がぁないことは事実じゃなぁい?」


 少女が言い、傭兵風の男が一瞬の瞑目の後に固い声で言った。


「来るぞ。遠距離じゃその子に届かないって分かったらしい。白兵戦に持ち込む気だ」


「それはそれは」

 女が平淡な声で言った。

「いただけないな。ここには一般人がこんなにもいるのに」


「俺もその一般人だっての!」

 アトルが喚いた。

「避難させやがれ!」


「面白い冗談だ」

 女は解れた声で言った。

「掌のこの固さ、指の長さ、タコの出来方。きみ、剣をそこそこ遣うだろう。ついでに弓もか。ほかにも銃器類を何種類か扱えるな?」


 手を握った目的はそこかよ、と突っ込みたいのを堪え、アトルは胸を張った。


「だから何だよ。剣が遣えて弓が引けて、なおかつ銃器を扱えれば一般人じゃねえのか」


 いや、と笑いを含んだ声で言った女はアトルの手を放してレーシアの方を向いた。


「彼女は一般人ではない。彼女を同伴するきみも、従って、一般人ではない」


「はあっ?」


 無茶な理論にアトルは抗議の声を上げたが、少女と傭兵風の男はにやにやと笑い始めた。


「ああ、そうだな。考えてみりゃその通りだ」

「アジャットったらぁ、たまにはぁいいこと言うのねぇ」


 アトルは一瞬考え、それから丁寧にレーシアの方を向き、自分よりも頭半分程度低い彼女の背丈に合わせ、目線を合わせながら訊いた。


「おまえ、走れるか?」


 レーシアは不安そうな顔をした。


「……多分……」


 アトルがちらりとレーシアの足元を見ると、彼女は華奢な、踵のある靴を履いていた。これでは碌に走れないだろう。


「そうか。俺はとっととここを逃げたいんだが」


 アトルが言うと、レーシアは空いている左手で拳を作った。


「うん。じゃあ、頑張って付いて行く」

「よし、行くぞ」


 アトルが言ってレーシアを引っ張った瞬間、ジャスミンが待ったを掛けた。


「アトル!? その子連れて行く気!?」

「行く当てがないんだってさ」


 アトルは答えた。幼少の頃にそのような理由で拾われた彼らは、その手の迷子に滅法弱いのである。案の定、ジャスミンは口をぱくぱくさせているものの、反対の言葉は出てこないらしい。


「だからぁ、一緒に来いって言ってんでしょぉ?」


 少女の声と同時に、今度はレーシアがわっと声を上げた。

 今度は何だと振り向けば、レーシアの足元に子猫が大量発生している。勿論幻覚だ。幻を見させたり聞かせたりする幻術は、精神系の魔術では最も安易とされているが、それにしてもこの緻密さは、並大抵のものではなかった。アトルには獣臭さまで感じられた。


「おいレーシア。それどうせ幻なんだから踏み越えろよ」


 アトルの左手とレーシアの右手が、子猫の大群の上で中途半端にぶら下がっている。


「え、でも……」


 レーシアは子猫を見ながら表情を崩した。


「かわいい」

「置いてくぞ!」


 思わずアトルが怒鳴りつけ、びくっとしたレーシアが慌てて子猫たちを飛び越えようとし、勿論失敗して子猫たちの上に足を突いた。


「わわわっ」


 レーシアの表情から察するに、子猫を踏んだ感覚がしっかりとあったらしい。しかも足の下では、みゃーみゃー言っていた子猫たちがふぎゃあっと悲鳴を上げている。


「趣味悪いぞ!」


 アトルは腹立ち紛れに怒鳴り、少女は涼しい顔で答える。


「それぇ、よく言われるんだけどぉ、なんでなのかしらぁ?」


「うう、罪悪感が……」


 レーシアが顔を顰めながら言い、アトルは阿鼻叫喚の中で「だあーっ!」と叫びたくなった。

 なぜ宿から出ようとするだけでこんなにも妨害に遭うのか。


「もう行くぞ!」


 レーシアが「あ、はいっ」と慌てて距離を詰め、それを確認したアトルが踵を返すと、アリサが「危ないっ!」と叫んだ。振り返ろうとするも遅く、背中に重いものが立て続けに当たり、涙目になりつつ振り返る。


「今度は何だよっ!」


「今度は邪魔でも妨害でもないぞ」


 女が答えた。

 アトルが足元を見ると、立派な造りの短剣と、見たことのない形の銃が転がっていた。非常に嫌な予感がしたので女を窺うと、女は躊躇いなく言った。


「どうやらレーシアさんは我々のことを怖がっているようだからな。我々が第一に恐れているのは彼女がこの襲撃犯に捕まることだ。きみに守ってもらおうと思う。それから落ち着いて、彼女をこちらに引き取ろうじゃないか」


 アトルは足元の武器を見て、それからレーシアを見て、苦笑しながら女に向かって言った。


「いや、色々と問題があるんだが」


「どのような。対処できることならばこちらで対処するが」


 女が、恐らくは真顔で言った。


「一つ目だ。なんで俺があんたたちに言われてこいつを守らなきゃならない。二つ目だ。なんでこいつをあんたらが引き取ることになってる。で、最後に、この銃の使い方なんて分かんねえぞ」


 女は一つ一つを丁寧に聴き、それから頷くと言った。


「では、是非きみがレーシアさんを守ろうと思ってくれることを期待する。二つ目については撤回するわけにはいかないが――。三つめについては、簡単だ。引き金を引け」


 銃と短剣を拾い上げたアトルは焦った。


「え? いや、そりゃないだろ。ていうか銃にしては小さすぎる……」


 この世界で銃といえば、銃身の長い燧発式の銃か、それよりもやや小ぶりな魔術式の銃である。もちろん後者は魔術師にしか使えない。

 どちらも百年戦争時に完成したもので、他には砲弾を撃ち出す砲もその部類だ。アリサは厳つい、両腕を使って支えるような砲をぶっ放すことが好きであったりする。他と比べて武器の文明は早く進んだと、学のある者は言う。


 しかし今アトルが手にしている銃はそのどれとも違う。黒光りする鋼で出来ていることはアトルの知っている銃と同じだが、長さは前腕ほど、ほっそりとした意匠にがっしりとした握りが少しちぐはぐだ。引き金はあるが撃鉄はない。握りの真ん中には、鋼に挟まれるようにして透明な素材が使われており、銃身の中程にも同じ透明な素材の球体が埋め込まれている。


 アトルが戸惑っているため、女が言葉を足した。


「その銃はアルナー水晶を使って作られている。仕込まれた術式は衝撃だ、使い手の魔力に反応して威力を発揮する。――きみ、魔力なしではないだろうな?」

「一応魔力はあるけど」

「では使えるはずだ。照準の合わせ方はきみの知っている銃と同じだ」


 しかしここで素直にはいと言うアトルではなかった。


「アルナー水晶って言ったよな? あれすっげえ高価いよな? 俺が例えばこの銃をぶっ壊したとして。まさか弁償なんてことにはならねえよな?」


 がたんっと音がした。そちらを見ると、少女がそこにあった椅子を蹴り飛ばしていた。


「うるっさいわよぉ。あたしたちはぁそんなケツの穴の小ぃさいことはぁ気にしないのよ。あんた男でしょぉ? ちゃっちゃとやることぉやれってのよ」


 生き延びる可能性が高くなることは大歓迎だったので、アトルは二つの武器を受け取った。

 その武器に対する金銭的心配もし終えた。


 アトルは左手の先にいる、不安そうに眉を曇らせたレーシアを見た。

 レーシアはずっとアトルを見ていたらしく、目が合うときゅっと口元を強張らせた。


 はあ、と息を吐いて、アトルはレーシアの手を握り直した。それから笑って四人を見る。


「これ、高価そうだし返すか分かんねえぜ」


 四人がどんな反応を示したのかは見ずに、アトルはレーシアの手を引いて脱出に掛かった。






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