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15 老人の要求

 六頭の馬が馬車に繋がれ、レーシアが馬車の中、寝台の上に落ち着けられた。ステラはやはり俯きがちにその傍で木箱の上に腰掛けている。

 その上でヴァルザスの要求を聞くため、全員が馬車の入り口付近に集まった。


 そろそろ立っているのも辛くなってきたアトルが、入り口から馬車内に続く三段の(きざはし)の最上段に座り込み、彼が足を置いている段にリーゼガルトが腰掛ける。

 なお、リーゼガルトがそこに座ろうとしたときに、彼の背負う大刀がアトルの顎を殴り掛けたため、今はリーゼガルトが身体の前で大刀を抱える形となっていた。

 そして、馬車の外で馬車を背にして、アジャットとミルティア、グラッドが立つ。

 ヴァルザスは彼らに向き合って立っており、その姿はいかにも自然体だった。なお、ハッセラルトはその足下に転がされている。


 アジャットの顔はフードで見えないが、他のミラレークスの者たちの顔は一様に警戒心に溢れていた。

 単純に戦闘力で比較した場合、恐らくヴァルザスはアジャットに勝る。つまり、ここにいる全員で掛かったとしても――アトルが現在殆ど戦えない状態であるからなおのこと――ヴァルザスが彼らを圧倒できると考えなければならないのだ。

 要するに、ヴァルザスがするのは単なる要求ではない。脅迫でさえ有り得るということだ。


「そう身構えられるとこちらも困ってしまうね」


 ヴァルザスはそう言って、体重を左脚に掛けた。


「さっさと言ってくれ」


 リーゼガルトが言って、その物言いにグラッドが肩を震わせて固く瞑目した。そのグラッドの腕を、アジャットがぽんぽんと叩く。


「ではご所望にお応えして」


 ヴァルザスはお道化るようにそう言って、足下のハッセラルトを指で示した。


「これを然るべき機関に引き渡さなければならない。この場合は軍だね。そこで、最寄りの砦まで私とこれとを連れて行ってもらいたいのだが」


 アトルたちは思わず凍り付き、リーゼガルトが腰を浮かせて大刀の柄を握った。


「――あんた、軍か」


 ヴァルザスは首を傾げ、両手を広げた。


「いや、違う。しかしこういう犯罪者は軍に差し出すものではないのかい?」


 アトルは目を(しばた)かせた。確かにそうだが、この半年で感覚が随分と狂ったらしい。

 ハッセラルトのしたことは間違いなく犯罪で、彼は軍に引き渡すべき犯罪者だ。レーシアを中心として物事を考えていたせいで、敵であるという認識しか持っていなかった。

 だが、


「違う?」


 アトルは声を抑えて呟いた。


「軍に所属している訳でもなく――あんなに強ぇの?」


 ヴァルザスはちらりとアトルを見て、僅かに暗い表情をした。


「――褒め言葉と受け取っておこう。そして、重ねて言うが、私は軍に所属していたことはないよ。どこで調べてもらっても結構だ」


 その口調は、過剰に力を籠めるでもなく、説得力を持たせようとして敢えて力まずに言っているのでもなかった。ただ単に情報を提示しているだけの冷めた口調だ。


「それで、どうだい? 砦に寄ってくれるのかな?」


 アジャットが言葉を選ぶような間を取って、慎重に言った。


「言い辛いのだが――我々が砦に赴くことは避けたい。決して、法に反することをしている訳ではないのだが、故あって」


 ヴァルザスは顎に手を遣る。ふうん、と軽い調子で声を出して、それからあっさりと言った。


「あのレーシア、という子に関わる事情だね?」


 リーゼガルトは大刀の柄を握ったままで、ミルティアも剣呑な光を目に浮かべる。それらをぐるりと見渡して、ヴァルザスは苦笑を零した。


「どんな阿呆でも、きみたちの態度や様子を見ていれば一目瞭然だよ。それを勘案して状況を顧みてみるに、突然怪我や疲労が快癒したのもあの子のためだね」


「…………」


 全員が沈黙で返した。ミルティアがアジャットに身を寄せて、不安げに彼女を見上げる。アジャットはその頭をぽんぽんと撫でて、短く言った。


「だったら?」


 ヴァルザスは馬車の中にちらりと視線を向けてから、物柔らかに微笑んだ。


「特に何もないが。――そうだな、では砦の近くまで送ってくれないかい?」


 アトルは眉を顰め、訝しげに問い返した。


「言っちゃなんだけど、あんた馬車抜きでもそいつ連れて砦まで走れるんじゃねえの?」


 ヴァルザスは目を見開いて、笑い出した。その反応にアトルがきょとんとしていると、目元を拭いながら手を振って謝罪を入れる。


「いや、すまない。ついね。――きみ、私を化け物か何かだと思っているんじゃないかい。私だって人間だ。そんな長距離を、これを抱えて移動できる訳がないだろう?」


 アトルたちは互いに目を見交わした。そもそも、交渉の余地は余りない。代表して、アジャットが軽く頷く。


「――分かった。最寄りの砦の近くまであなたをお連れしよう」


「感謝する。それと、あの女の子――ステラのことだが」


 ヴァルザスが馬車の中を手で示しながら言うと、アジャットが先手を打って言った。


「これからの生活の当てならば、こちらで用意できるという話を、先ほど彼女にしていたのだが……」


 アジャットの言葉を聞いた瞬間、ヴァルザスの顔が輝いた。これまでの柔和さのない、心から嬉しそうな眩しい笑顔を浮かべて、弾んだ声を上げる。


「本当か! それは――それは素晴らしい!」


 ヴァルザスが前に勢いよく進み出て、がしっとアジャットの手を取る。アジャットは仰け反った。


「頼んでいいかい?」


「む、無論だが……」


「ありがとう、いや本当に!」


 ヴァルザスはアジャットの手を離し(アジャットがほっとしたように肩を下ろした)、自分の胸を拳で叩いた。


「では改めて。私はヴァルザス。ヴァルザス・グレイン」


 その視線の意味を察して、アジャットが「ああ」と呟く。そして、自分の胸に手を当てた。


「私はアジャット・レーヴァリイン。ミラレークス高等指定魔術師だ。そして彼が、」


 アジャットはまずグラッドを示した。グラッドが恐縮して頭を下げるのを見て、その声が苦笑を含む。


「グラッド・ルオン。ミラレークス特等指定魔術師」


 続いてミルティアの肩を叩く。


「この子はミルティア。ミラレークス中等指定魔術師。そして彼がリーゼガルト」


 アジャットに示されて、リーゼガルトが「どーも」とばかりに軽く頭を下げる。


「ミラレークス下等指定魔術師だ。そしてその奥の彼が、」


 アトルもリーゼガルトに続いて会釈した。


「アトル。ミラレークス特等指定魔術師だ」


 ヴァルザスは笑顔で五人を順番に見て、それぞれの顔を見ながら名前を呼んだ。


「アジャット、ミルティア、グラッド、リーゼガルト、アトル。

 道中世話になるが、よろしく頼むね」


 グラッドが先程よりも更に深々と頭を下げるのを見て、ヴァルザスは困惑したようにアトルたちを見た。


「その人の性分なんだよ」


 リーゼガルトが大刀を抱え直しながら言い、それを聞いたヴァルザスが苦笑する。


「なるほど」



 ヴァルザスの同行が決まったことで、問題となったのはハッセラルトの連行の仕方である。

 意識を取り戻されれば厄介であるのは勿論のこと、アトルとしてはレーシアと同じ空間に彼を置いておきたくはない。それはヴァルザスも同じ考えのようで、顔を顰めて断言した。


「ステラの目の届く所にこれを置いておく訳にはいくまいよ」


 ハッセラルトの傍に屈んだヴァルザスは、まず最初にその両足を拘束する、ハッセラルトの衣服を裂いて作った即席の拘束具の具合を確認した。そもそも、右腕を切り落とされた状態でその束縛を解くのは不可能に近いだろう。

 続いてヴァルザスが懐から水晶を取り出すのを見て、アトルとミルティアが無反応だったのに比べ、リーゼガルトとグラッドが唖然とした顔をした。アジャットも慌てたような声を上げる。


「まさか――」


 ヴァルザスは顔を上げもせずに、その水晶をハッセラルトの口に押し込んだ。


「――何だ、あれ?」


 アトルがリーゼガルトに小声で尋ねると、リーゼガルトは動揺の滲む声で答えた。


「……アルナー水晶だよ。仕込まれた術式は多分、魔力を溜めるためのやつ」


 分かっていない顔でアトルが首を傾げたため、リーゼガルトは一言追加した。


「あのアルナー水晶には、術式を保持するため以上の魔力は、まだ籠められてないはずだ」


 アトルは目を見開いた。


「あいつの魔力を延々と吸い取り続けんのかよ?」


「呑み込みが早いな――そういうことだ」


 アトルはハッセラルトに視線を移した。彼がしたことを思えば同情など覚えようはずもないが、それでもその仕打ちの苛烈さには顔が強張った。


「魔力を延々と吸い取られるってことは――体力も戻らないってことだろ?」


 魔力の顕現には体力が必要とされるためだ。そして、そのことを鑑みれば。


「意識も、まず戻らない」


 リーゼガルトが頷きながらそう言って、今度はヴァルザスに視線を遣った。


「――あんまり残酷だってんで、百年戦争以降は禁止されてる拘束のやり方だぜ?

 なんであのじいさん、これを見越した感じの術式を仕込んだアルナー水晶持ってんだ?」


 リーゼガルトの声が聞こえたらしく、ヴァルザスが顔を上げて心外そうに言った。


「これと打ち合っていた十日間に、少し休む間もあってね。そのときに彼の拘束には必要になるだろうと思って、手持ちのアルナー水晶に仕込んでおいたんだよ。

 ――これ以上に有効な手段があるならば、そちらに変更したいものだが?」


 暗にその手段の提供を求められ、リーゼガルトが両手を挙げる。


「いやいや、俺なんかじゃ思いつかねえって」


 アトルは別のことが気になって、思わずヴァルザスに問い掛けた。


「それ、アルナー水晶の方に限界はこねえの?」


 ヴァルザスは微笑んだ。


「いい質問だ。だが、その心配はまずないよ。アルナー水晶の容量はそれなりものだし――」


 言葉の途中で、ハッセラルトが首に掛けている碧玉の首飾りを引き千切る。続いて左腕の、水晶が象嵌された幅広の腕輪を取り上げて、ヴァルザスは言葉を締め括った。


「――彼はこの二つの助けを、随分と借りていたようだから」


 甲高い音を立てて碧玉が砕け散り、余った魔力が陽炎のように空気を揺らめかせながら空気中に霧散した。言うまでもなくヴァルザスのしたことだ。

 彼の視線が今度は腕輪に向かうのを見て、アトルは思わず腰を浮かせた。


「それは――」


 ヴァルザスがアトルに目を向けた。


 冷然とした眼差しに、アトルは思わず言葉を呑み込む。レーシアが求めて止まない「サラリス」の魔力が籠められた水晶だから、思わず制止の声が出たのだが、それはあくまで「サラリスの魔力」であって「サラリス」ではない。


 短く息を吸い、アトルは首を振って座り直した。


「――いや、何でもない」


 ヴァルザスがにこりと微笑んだ。


「了解」


 びきり、と重い音を立てて水晶の表面に罅が入る。そこからしゅうしゅうと魔力が漏れ出して、先程の比ではなく周囲の景色が歪んで見えた。

 ヴァルザスが微かに顔を顰めて、今度は言葉で以て術式に命令を与えた。


「壊せ」


 水晶に入った罅がゆっくりと広がる。ヴァルザスがそこに掌を押し当てて、力を加えたようだった。


 ばきん、と耳に刺さる音がして、水晶の破片がヴァルザスの指の間からぽろぽろと零れて、虹色に光を弾きながら地面に散らばった。


 首飾りと腕輪を地面に放り出して、ヴァルザスはお道化て両手をひらひら振った。


「これで大丈夫」


「でもぉ結局、どーやってぇそいつ運ぶのぉ?」


 ミルティアがアジャットの腕に抱き付きながら顎でハッセラルトを示した。ヴァルザスはにこりともせずに答える。


「紐か何かないかな? それで馬車の後ろを引き摺ってはどうだろう」


「さすがに死ぬだろ」


 アトルが思わず突っ込み、無難な案を出した。


「御者台に括り付けとけば?」


 反対意見が出ず、そういうことになった。




 話が済めば、あとは出発するのみである。アトルが重い腰を上げて馬車の中に引っ込み、リーゼガルトがそれに続く。


「お話、済んだんですか」


 ステラが顔を上げてそう言って、アトルが真っ直ぐにレーシアの傍に寄ったのを見て、心なしか案じるように続けた。


「あの、この子、全然目を覚まさないんですが……」


 アトルは頷いて見せた。


「大丈夫。俺もちょっとよくは分からないんだが、時間が掛かるだけだから」


 ステラはほっとした顔をした。

 自分自身が父親を亡くし、命の危険に晒されたばかりだというのに他人を気遣えるその心根が、アトルからはとてつもなく眩しい。


 ミルティアが軽やかな動きで馬車に飛び乗って来て、続いて乗り込もうとしたヴァルザスがはたと動きを止めた。


「――どうした?」


 リーゼガルトが訝しげに尋ね、ヴァルザスが片手で顔を押さえた。

 その表情が余りにも悲劇的だったため、アトルまでもが何事かと身構える。


「しまった……」


 ヴァルザスは懺悔するようにそう囁いて、唐突にその場で崩れ落ちた。


「……は?」


 呆気に取られた声を出したのは、彼のすぐ傍にいたアジャットである。


 よくよく見れば、ヴァルザスはただ崩れ落ちたのではなく、アジャットの足下で、


「――申し訳ない……っ!」


 頭を下げていたのである。


 疑問符を飛ばしながら、アジャットが慌てて膝を突いた。


「ど、どうしたんだ、ヴァルザスどの」


 ヴァルザスは頭を下げたまま、己の罪を懺悔するが如き口調で続けた。


「町の様子を見て――その場で居ても立ってもいられず、町に飛び込んだときに……」


「ときに?」


 アジャットの声が、緊張半分困惑半分といった具合で発せられる。それを受けて、ヴァルザスが懺悔を締め括った。


「……荷物を放り出してしまった……」


「うん?」


 アジャットが訊き返し、ヴァルザスは声に力を籠めて言い直す。


「私は今、そのために、無一文になっているということなんだよ……」


 語尾に掛けて声から力を失われ、ヴァルザスが項垂れた。

 グラッドがヴァルザスの傍に跪き、熱心に声を掛ける。


「と、取り敢えず一度、頭を上げてください……!」


 端から見れば、二人の男に足下に平伏されているこの状況で、アジャットは鼻の頭を掻いたようだった。


「うん、なんだかんだと私たちは金に困ってはいないんだな」


 高給取りが五人いて、金に困るはずのない経済事情であった。



 アジャットの言葉を受けながらも謝り倒すヴァルザスを馬車に乗せて、グラッドがハッセラルトを担いで御者台に向かう。

 彼を御者台に括り付けて、監視の意味で自分もそこに乗っておくということらしい。


 ようやく馬車の上で全員が落ち着き、ぐったりと項垂れたヴァルザスを、ミルティアが興味津々に覗き込んだ。


「荷物を放り出したらぁそれで無一文にぃなるってぇ、どんな生活してるのぉ?」


 ヴァルザスは溜息を零してから答えた。その溜息は、質問に対してのものではなく、あくまでも自分の迂闊さに対するもののようだった。


「――冒険者だよ。不安定な職業でね」


 その返答に、アトルの記憶がふと呼び覚まされた。


 馬車が動き出し、がたんと揺れる。その揺れで寝台の上を滑り落ちそうになったレーシアを引き止めて、もう一度きちんと寝かせてから、アトルはヴァルザスを振り返った。


「俺、あんたを見たことがあるかも知れねえ」


 ヴァルザスは一瞬、面食らって動きを止めた。


「……なんだって?」


 アトルは記憶の中から町の名前を引っ張り出した。


「確か――ウィンドレン。ウィンドレンだ」


 ヴァルザスが「ああ」と声を漏らし、暗い顔をした。


「あの急な検問があったときかな? 隣町の様子を人伝に聞いてね、そちらに向かおうをしたところで引っ掛かったときがあったよ」


「そう、多分そんとき」


 ヴァルザスは頷く。


「だろうね。あのときは、検問に引っ掛かりそうな量のアルナー水晶を売り捌こうとしている商団に捕まって、協力させられたっけね」


「ほう?」


 アジャットが意外そうに目を見開く。


「これまでのあなたの言動からして、法に反すること罷りならんとして、断固拒否して通報しそうなものだが……」


 ヴァルザスは苦笑した。


「アルナー水晶を大量に保持していることは、怪しまれはするけれども法に反することではないよ。それに彼らに罪を犯す気が全くないのは明らかだったし――こちらも、具合の悪い場面を見られた後だったしね」


 言い終わって、ヴァルザスは軽く指を鳴らした。


「勝手を言って申し訳ないが、この話はここまでとさせていただこうかな。

 ――さて、私に出来ることがあれば何でも言ってくれ。無一文でお礼を出来ない分、きっちり働かせていただくよ」










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