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第二章「王宮③」

 王妃の部屋は、以前アレクシア・クリスタの母親が暮らしていた場所だった。

 装飾品や家具は変わってしまっているが、内装はほぼ当時のまま。

(まさか、この部屋で再びお茶を飲むことになろうとは…)

 まるで昔に戻ったようだ、とアランの気持ちが緩んだ。


 しかし、テーブルの上に出されたのがお茶でないことには大いに驚かされた。

「…お粥?」

「あなたは少し痩せすぎだもの。もっときちんとした食事の摂取が必要だと思って」

「はぁ」

「ほら、これも飲んで。お粥ととても相性がいいのよ。あとでレシピを教えるわね」

「それは、どうも恐れ入ります」

 温かなおかゆの中に、小さな花の蕾が浮かんでいる。

 スプーンで触れると、その蕾は待ってましたとばかりに、ふわりと小さな花びらを咲かせた。


「きれいですね。それにとても香りが良い」

「そうでしょう?」

 王妃はとても嬉しそうだ。

 その様子に気をよくしたアランは、思わず歌を口ずさんだ。

 とたんに王妃の顔がぱあっと花開く。


「まぁ、その歌。懐かしいわね。夫と結婚したとき来賓の方が歌ってくださったのよ」

「そうなんですか」

「太古のダリールの歌でしょう。若いあなたがその歌を知っているなんて」

「小さい頃に、祖母に教わったのです。本当はとても悲しい歌なのですよ。でも優しく心に染みるので、祝いの席でも歌われることが多いようです。《再生の歌》ですから」

 すると、王妃はつられたように、アランに合わせて同じ歌を歌いだした。


「今日は素敵な日ね。この部屋に誰かが来るなんて久しぶりのことよ。国王も王太子もとても忙しくて、私のことなど放ったらかしなの」

「確かに、ヴァン王子はいつも出歩いていますね。ゆっくりお茶を飲む時間もないのでしょう」

「…ヴァン、王子? …誰のことかしら」

「!」

 そのセリフにぎょっとして、アランは器を落としそうになった。


「えっ、だって今…王太子と言いましたよね。…ヴァン・テ・ラトュールは、あなたのお子様では」

「いいえ、違うわ。私は生んでいないわ」

「???」

 瞬く間に、パニックに陥った。

 …頭が混乱する。

 どういうことだ。

 この人は何を言ってるんだ?!


 複雑に絡まった思考を整理できずにいると、王妃は幼い娘のように小首を捻ってみせた。

「私が産んだ息子は、別の名前の…えぇと、何だったかしら、…自分の子の名前を忘れるなんて、」

 王妃は泣きそうな顔で、手元のノートを開いた。


 困惑したアランに、侍女がしーっと人差し指を突きたててみせる。

 …話を合わせろ、ということだろうか。

 王妃の思考が混濁している、というさっきの話は、どうやら本当のことらしい。

 アランは了解したとばかりに、侍女に向かって小さく頷いた。


 さっきからノートをぱらぱらとめくっていた王妃が、泣きそうな顔で声を震わせている。

「あら、おかしいわね、見当たらないわ。どこに書いたかしら。最近物忘れがひどいから、メモを取るようにしているの。それなのに、書いたページすら忘れるなんて…」

「お貸しください。私が見て差し上げますよ」

 アランは手を伸ばして、ノートを受け取った。


 そのノートは、覚書というにはあまりにももったいないほど、美しい装丁がされていた。

 特別な羊皮紙でできた高級紙の手触り。

 あまつさえ、そこに記された丁寧な文字が、王妃の几帳面な性格を表してして好感が持てた。


「…これは、すごいですね」

 中身はメモというより、ほとんど日記のようだ。

 当時、陸軍元帥だったルクリュビエール・ジマ・バフィトに嫁いだ頃からの出来事が、事細やかに記載されていて、驚かされる。

 思わず我を忘れて夢中で読みふけってしまっていると、

「そういえば、アレクシアの件はどうなったのかしら」

 と王妃が呟き、アランははっと顔を上げた。


 王妃の頭の中から、息子の話はとうに抜けてしまっているらしい。

 さっきからまったく話がかみ合わないことに戸惑いを感じつつ、病気とはこういうものなのか、と思えて心が冷えた。


「王妃。アレクシアの件とは…?」

 アランは、おそるおそる尋ねてみた。

 王妃のまるい瞳が、美しく輝きを増した。

「最近、夫がよくアレクシアの名前を口にするのよ。なにか彼女に対して特別な思い入れがあるのではないかと、侍女に調べさせていたの」

「…思い入れとは、その、例えば?」


「アレクシアの実の父親のことですよ」

 そう言ったのは、古株らしき侍女だ。

 あまりのショックに、アランの口から、

「はあ?!」

 と、頓狂な声が出た。


「なんですか、その話は」

 王妃では話にならないと気づき、食い入るように侍女を見つめた。

「バフィト国王は、酒色に事欠かないお方ですからね。あちこちに愛人や隠し子がいてもおかしくないと、王妃さまはお考えなのです」

「はぁ、」

「しかし、アレクシア公女さまはとうに亡くなられたお方ですし。仮にそうだとしても…」

「いやいや! そうであるはずがありませんけれど!?」

 と、アランは身を乗り出して声を荒げた。


 ずきずきと、頭が痛くなってくる。

 …誰が、誰の子だって…?


 つまり、この王妃は、自分の夫が大公の妻と不倫をして、アレクシアを生ませたのだと疑っているのか?

「そのようなことは、万に一つもございませんよ、奥方。あらぬ疑いをかけては、夫君にもご子息にも失礼でございましょう」

 丁寧にアランが諭すと、

「私に息子はいないわ」

 と、王妃は即座に返してきた。


「…おられますよ。ヴァン・デ・ヴァン・テ・ラトュール王太子は」

「私の息子は、もう死んでしまったわ」

「――」

 などと呟き、いきなりさめざめと泣き出した王妃に困惑して、アランは頭を抱えた。


 侍女たちが、申し訳ないとばかりに近づいてくる。

「申し訳ありません。王妃さまは最近ずっとこの調子で。…病はますますひどくなるばかりなのでございます」

「医者は…」

「回復の見込みはないと申しております」

「それは、お気の毒です」


 まったく。

 どこからどこまで信じてよいやら…。

 というよりも、この部屋で見聞きしたことは、すべてを忘れてしまった方が良いのかもしれないとすら思えてきた。


 そんな時。

 いきなり部屋に入ってきたヴァンが、周囲に目もくれずにアランへと駆け寄ってきた。

 腰をつかまれ、まるで荷物のように担ぎ上げられてしまい、手にしていた王妃のノートがばさりと床に落ちた。

「わぁっ! ヴァン?!」

「こんなとこで何をしている。待っていろと言っただろう」

「今、戻るところだったんだ」

「うそつけ!あまり勝手なことをしていると不審者と間違えられるぞ」

「お前が私を城に招待したんだろう?!」

「だが、母と親しくなれとは言っていない」

「…っ」

 慌てて王妃を見ると、彼女は驚いたように目を開いてヴァンを凝視していた。


「母上? 大丈夫ですか?」

「えぇと、…あなたは、どなただったかしら」

「!」

 そのセリフに、先ほどの侍女が慌てた。


「お、王妃さま。この方が王太子さまですよ。あなたのご子息の!」

「あらまぁ、そうなの。…ごめんなさいね。知らなかったの」

 などと屈託のない笑顔を向けられ、彼がわずかに身を引いたのが分かった。


「…ヴァン、あのさ、」

「お前は黙っていろ」

 アランの口出しを厳しく制し、彼は自分の母親へと向き直った。


「失礼いたしました、母上。こいつはオレの友人です。市井の者なので、なにか無礼なことを働いたのなら、代わって謝ります」

「そんなことしてない! お茶に誘われただけだ」

「そうか。それならぜひオレもご一緒したいが、今度にする。さぁ帰るぞ」

「ヴァン、やめろ、離せ!」

 じたばたと暴れてみたものの、軽々と荷物のように扱われてしまう。


 そして城の外に連れ出されたアランは、瞬く間に車の後部座席に放り込まれてしまった。




                  ■□■□



「ヴァン。さっきから何なんだ、お前は。あまりにも乱暴すぎる!」

「さっき見たことは、口外するな」

「!」

 厳しく戒められ、アランは唇を引き結んだ。


「…お前は知ってたんだな。その、つまり…」

「母は頭がおかしいんだ。病気のせいで、近頃はますます精神を病んでいる。先日も、オレのことを11歳の子供だと間違えたばかりだ」

「病気…。自分の母親に会うたび、毎回あんな風に言われるのか」

「母の病気のことは、誰にも知られたくない。頼むから忘れてくれ」

「ヴァン、」

「彼女の言うことはすべてでまかせだ。…まさか信じたわけじゃないだろう?」

「…い、いや、それは。…、でも、」

「アラン?」

「…」

 名前を呼ぶ声が、珍しく優しい響きを含んでいて。

 そのことが、ことさら気持ちを鬱にさせたのか、アランの瞳から涙がにじんだ。


「アラン…?」

「あれは、ひどい。自分の母親にあんな言い方をされたら、私なら生きていけない。ヴァンだって傷つくだろう?」

「オレはいいんだ。母は病気だから仕方ない」

「…っ」

 アランは涙を拭った。

 ヴァンの両手が頬を包み、こんと互いの額があたった。


「お前は優しいな。やはり復讐するには向いていない性格だ」

「っ、」

「いいか。今の話は絶対に内緒だぞ。フェルディナンにも言うな」

 至近距離でささやかれ、思いがけず胸が鳴った。

「わかった、約束する」

「ありがとう。さすがオレの友人だ」


 ──友人になることを許した覚えはないのだが。

 心の底から安心する彼を見てしまうと、とても否定できなくなってしまった。


「ところで、そのストールはなんだ」

「王妃にもらったんだ」

「女物だろう?」

「うん。なぜだか分からないけど、彼女は私を女性だと思ったらしい」

「へぇ」

「別にいいけどさ。とてもきれいな色だから大切に使わせてもらうよ」

「…そうか」

 小さく笑って、ヴァンがぐしゃりとアランの頭を撫でた。


 ただそれだけのことなのに。

 なぜか一気に距離が近づいたように、2人には感じられた。


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