第二章「王宮①」
――もしアランが本物のアレクシア・クリスタなら、城内に入れない方がいいのは分かっていた。
その反面、王宮内に引き入れた時のアラン反応を見てみたいとも思う。
いったいどんな顔をするだろう。それを確かめたい衝動にかられた。
(加えて…)
と、ヴァンは静かに息をついた。
勝手にあちこち動き回られるよりも安心だ。
アランの行動はあまりの危なっかしさに、見ていて心配になる。
もし「自分のいないところで怪我などされるよりはマシだ」などとアランに伝えたら、どんな反応をするだろう。
また「余計なお世話」と言われて、冷ややかに睨まれるのだろうか。
…と考えて、ヴァンは一人で苦笑した。
「なにをニヤついているんですか」」
ファングに妙な顔つきで指摘され、慌てて咳払いでごまかした。
「別に、にやついてない」
「そうですか。それより、お目当ての方がいらしたようですよ」
「そうか!」
ファングの言葉に、ヴァンは弾かれたように顔を上げて部屋から飛び出していく。
「やはり浮かれていらっしゃる」
ファングは呆れた様子で肩をすくめるしかなかった。
■□■□
「アラン! よく来たな!」
王太子自らが城門まで迎えに出ると、アランは不愉快そうに顔をしかめた。
「なんだ、その顔。1人でここまで来たのが心細かったのか。やはりフェルディナンが一緒じゃないと不安なのか」
「そんなんじゃない」
頭を撫でようとしたヴァンの手をはねのけて、心地悪そうに襟元を正した。
規則だからと、謁見前に厳しく身なりをチェックされ、携帯していた長剣を取られてしまったのが不服らしい。
王宮には武器の持ち込み禁止という条例を知らなかったアランは、丸腰にされたのが納得いかないようだった。
「剣はあとで返してやる。何かあれば衛兵を呼べ、お前を警護するよう言ってある」
「至れり尽くせりですね」
「客人だからな。それにお前には、先日ずいぶんと世話になった」
「恐れ入ります」
アランが、おかしそうにふふと笑った。
ようやく少し機嫌が直ったらしい。
ヴァンは、ほっと胸をなでおろした。
──とはいえ、
城内でのアランの反応は、ヴァンが想像していたものとは違い、実にあっさりしたものだった。
内部の様子にも装飾品にもさして興味がないらしく、ひたすら無表情でヴァンの説明を聞いている。
むしろ、アランの興味は、国王の日常にあるらしかった。
「今日は、国王陛下はいらっしゃるのか。いつもどこにおられるのだ。どんな仕事をしている?」
そんな質問を受けるたびに、複雑な心境になった。
分かってはいたけど、アランは本気で国王の命を狙っている。
冗談ではなく、この軍勇至上主義のバフィト国下の警備をすり抜けて、完璧に復讐を遂げる気なのだ。
大切な家族を殺されるというのは、そんなに人の生き様を狂わせるのだろうか。
…もちろん、人命を軽んじるつもりはないが、
それでも、国王に固執しすぎるアランの心情は、ヴァンには測り兼ねた。
(こいつを城に連れてきたのは失敗だったか…?)
いつか訪れる復讐の機会のため。
あくまで情報収集に徹する構えのアランに戸惑っていた、その時。
ふと、
アランの足が止まった。
「…どうした、アラン?」
ヴァンの声がまったく耳に入っていないかのように、まっすぐな双眸が演習場へと向けられている。
「あぁ、」
その時、ヴァンはすべてを察してしまった。
その演習場は、かつて広いパティオがあったところだ。
12年前、まだここがダリール公国の宮内であった頃。
ここには美しい木々や花々が植えられていて、その向こうの庭園にはハーブの柔らかな香りで溢れていた。
そんな情景を思い出しているかのようなアランの眼差しは、アレクシア・クリスタそのものだ。
姿形はどうあれ、なぜ生きているのか、どうやって過ごしてきたのか…そんなことを問うまでもなく、目の前にいるのは間違いなく愛すべきダリールの公女殿下なのだと、確信してしまった。
「…興味あるか? ちょっと入ってみるか」
「えっ?」
「少しだけ」
そう言って、ヴァンはアランの手を引いて演習場に足を踏み入れた。
アランがアレクシア・クリスタだと分かったとたん、今まで忘れていた記憶がどんどん溢れてくる。
──そうだ。
確か、この庭で、3人でかくれんぼをした記憶がある。
一緒にいたのは、アレクシアの従兄・プルーデンス殿下。
いつもアランのそばにいるフェルディナンは、よくよく考えればプルーデンス殿下に生き写しじゃないか。
あの髪の色と、瞳の色…
あいつの本名はプルーデンス・ユー・ルノー殿下…大公の妹の息子だ。
──この2人が生きているとなると、ほかにもまだダリールの血族が生存しているのだろうか。
クーデターで殺されたのは、王侯貴族を含めて558名。
それ以外にも、死体や身元が判明していない者が何名かいる。
…バフィト国王暗殺を画策しているのは、アランだけではないかもしれない、という憶測に、ヴァンの心がひやりと冷たくなった。
そんな彼の気持ちも知らず、アランは興味津々で演習場の中を歩き回っている。
特に気に入ったのが、演武棟の片隅にある小さな植え込みだった。
今は跡形もなくなっているが、
そこにはかつて大きな露桟敷の花の木が植わっていて、美しい葉々が陽光を含んで空を仰いでいた。
もちろん、今はその名残すら残っていない…。
その場に立ちすくんでしまったアランを見て、ヴァンは改めて、
(――アランに復讐をさせたくない)
と思った。
決して、自分が助かりたいわけじゃない。
ただ、この人のこの手が、誰かの血で汚れるのを見るのがつらい。
アレクシア・クリスタが人殺しをするなんて、絶対に許されないことだ。
「復讐を終えたら、その後はどうするつもりだ?」
ヴァンが尋ねると、意外なことを言われたというようにアランの目が大きく見開いた。
「…そのあと? その後って、なんかあるの?」
「え、」
「捕まって処刑されて終わりだろう? 私の人生に続きなんてない」
「!」
「私は、それでもかまわないけど、フェルを巻き添えにするのは少しかわいそうかな。彼のために逃げ道を用意してやらないと」
そんなことを喋りながら、アランは、
(自分は、なぜ笑いながらこんな事をヴァンに話しているんだろう)
と、思えて滑稽になった。
ヴァンは、自分が憎むべきバフィト国王の息子だ。
こんな王太子なんかに語って聞かせる話じゃないのに、と思いながら、拳を握りしめた直後。
「あだ討ちなんかやめにしないか」
ふいをついたヴァンの声に、ぴくりと身構えた。
「そんなことをして家族が戻ってくるわけじゃない。それくらいお前だって分かっているだろう?」
「詭弁だな。言ってることが綺麗すぎて、何一つ琴線に触れない」
「…アラン、」
目の前で、ヴァンのやりきれない嘆息が漏れる。
「では、殿下はこの国に未来があると思うのですか。多くの命を犠牲にして勝ち取った権力の下で、人々が幸せになれるとでも? …私は、今でも考える。…あの時クーデターなど起きずに大公が無血開城していたら、この国はどうなっていただろうと。他国に占領され、植民地になったとして、人々の生き方は変わっただろうか。田畑を耕し、はぐくんだ家族を慈しむサイクルは、大昔から何ひとつ変わってはいないのに。統治者はなにを理想にして、国を整えていくものなのだろう」
今の自分は、結局、戦うことでしか生きていけない…。
復讐を遂げることでしか命を繋げられない。
そのことを後悔していないし、それ相応の覚悟を持って臨んでいるのだと…
そうアランが決意を新たにした時。
仕方ないとばかりに、ヴァンが肩をすくめた。
「それなら、鞭の使い方を教えてやろうか」
「へ?! なんで?」
「復讐もいいが、お前はもう少し自分の身を守ることも考えたほうがいい。その小柄な体ではボウガンは難しいだろう。長剣は時代錯誤すぎて使い物にならないし、ライフルはもってのほか」
「──なぜ私に?」
不思議そうに問われて、ヴァンは苦笑した。
「護身用だ。お前は危なっかしくて仕方がない。思い込んだらすぐ突っ込んでいくタイプだから」
「使える武器を増やしたら、国王を暗殺するチャンスも増えるだろうか」
「オレに聞くなよ。阻止するに決まっているだろう」
「確かに」
アランは、思わず声を上げて笑ってしまった。
本当に、ヴァンときたら、
あまりにも唐突すぎて、良いヤツなのか悪いヤツなのか見当がつかない。
「しかし、鞭といえど私の体では大きくないか? お前の持っているのはメタルフルドラッド仕様だろう? 私が使いこなすのにムリがないだろうか」
「オレが子供の頃に使ってたものなら、小ぶりだが威力はある。たぶん大丈夫だろう」
「…お前はほんとにバカなのだな、殿下」
「あぁ?!」
「私はお前たち一族を殺すつもりだと伝えたはずだけど、そんな敵に塩を送るような真似をしてどうするつもりなんだ」
「なんども言わせるな、俺は殺しても死なないと教えただろう。オレを殺すことなんて不可能だ。それより、お前がうっかりヘマをして誰かに殺されるほうがよほど悲しい」
「!」
「せっかく知り合いになれたのに。大切な人を失うような事はしたくない」
「お前はほんっと変な男なのだな」
アランは、やはりクスクスと笑った。
正直、複雑な気持ちではある。
これから自分が遂げようとしていることを考えれば、ヴァンとはあまり親しくならない方がいい。
そうかといって、国王暗殺を目的とする以上、ヴァンから得られる宮内の情報は確実に手に入れたい。
そんな思いが、アランの心中を交錯した。
加えて、フェルディナンだ。
アランがメタルフルドラッドの鞭を使うとなると、おそらく彼は良い顔をしないだろう。
「まぁ鞭のことは、これから考えることにするよ。ありがとう、殿下」
丁寧に礼を述べ、アランは片手を振って踵を返した。
そして、ヴァンの視線を受けながら、演習場を後にしようとしたその時。
アランは、ぎくりと足を止めた。
演習場から続く出入り口の通路前に、一人の男が立っていた。
あろうことか、
バフィト国王・ルクリュピエール・ジマ・バフィト本人だった──