第一章「風の声④」
メタル製の左手が、陽光に反射して美しく輝いている。
その光景を凝視していた少年の眼差しが、ゆっくりとアランをとらえた。
観察するというよりは、まるで値踏みするような視線を受けて、アランの中に惑いが走る。
「…なに? そんなにこの手が気に入った?」
「いいえ」
ルフトは即座に首を振った。
「僕が気になるのは義手ではありません。あなた自身です」
「へ?!」
意外なセリフに、周囲の誰もが仰天した。
「あなたからは、とても不思議なオーラを感じる。…本当に人間なのですか」
「…どういう意味?」
「たとえば、」
と呟いたルフトの手が、アランの胸元にかかった。
服を脱がされるのだと気づき、慌てて身を引いたものの、すぐに引き寄せられて上着をめくられた。
「ち、ちょちょ、ちょ?? ちょっと待って!! 何してんのっ」
「服を脱いでもらえますか?」
「はぁ?」
慌てたのはフェルディナンだ。
2人の間に割って入り、かばうように立ちはだかった。
「待て待て! 意味が分からない。なぜアランの体が見たい?!」
「それは…」
口ごもったルフトが、心地悪そうに視線をそらした。
ちらりとヴァンを見たところによると、どうやら反逆罪に問われるのを恐れているらしい。
様子を察したヴァンが、肩をすくめた。
「言いたいことがあるなら言ってみろ。ここで見聞きしたことはすべて不問にしてやる。オレも興味あるしな」
「…殿下」
背後で護衛士のファングが眉間に皺を寄せたのを、彼は完全に見なかったことにした。
ほうっと息をついたルフトが、安心したように笑顔になる。
その視線が、まっすぐにアランに向かった。
「もしかしたら、あなたの体に大きなあざがあるのかと思って」
「…あざ?」
「花槽卿のしるしです」
「!」
その言葉に、アランはフェルディナンと顔を見合わせた。
「プリンシパル…って、ファミリアを生み出す者のこと? でも、あれはただの伝説じゃないの?」
「もちろん僕も、実際に見たわけじゃありません。でも、あなたからは何となくそれっぽい匂いが漂っていたので」
「それっぽいって、なんだそれ」
あまりにもアバウトな発言に、アランは失笑してしまった。
その時、
眉毛を釣りあげたファングが、聞き捨てならないとばかりに身を乗り出した。
「プリンシパルだと?! この国にファミリアが現存しているかもしれないというだけでも重大問題だというのに、この上なにを言い出すのやら! このクソガキ」
「まぁまぁファング。そんな目くじらを立てるなって。たかが子供のいうことだろ」
「あなたは子供以外にも甘すぎるんですよ、殿下!」
「お前と違って、オレはファミリアがどんなものかよく知っている。あれは、決して悪意を助長する生き物ではない」
「それは、そうかも知れませんが」
「付け加えておくと、アランの体にあざはない。あの左腕はただの義手で、なんの仕掛けがあるわけでもない。もちろん失った元の腕にも、あざはなかった」
「…なぜあなたがそんなこと知ってるんです? 彼の裸を見たんですか」
「そ、それはどうでもいいだろう!」
「どうでも良くありませんよ、殿下。私のいないところで、あなたはいったい何をやっているんですか」
「何もやってないし、何もされてない!」
とたんに赤面してうろたたえたヴァンに、ファングは茫然としつつも疑心が拭えない。
そんな2人のやりとりを横目に、アランは腹をくくったように襟元に手をかけた。
「えと、ルフト? どうしても気になるというのなら、今ここで脱ぐよ?」
その潔さに目を開き、ルフトはとたんに申し訳なさそうに頭を下げた。
「…あ。…いえ、結構です。大変失礼なことを申し上げてすみませんでした。お詫びに今度、お師匠さまに頼んで、近代バフィト王国の風配図をお持ちします」
「本当に?」
「はい。それで先ほどの失言をお許しいただければと思います、では」
そう言って、そそくさ立ち去ろうとしたルフトを、ヴァンが呼び止めた。
「ちょっと待て」
少年の細い腕を掴んだ彼は、ファングに待機するように命じると、すぐさまルフトを道の隅へと押し込んだ。
「な、なんですか一体。離してください。僕、なにも悪いことしてないですよねっ?」
「お前、あのアランをどう思う?」
「…どうとは?」
「さっき不思議なオーラを感じたと言ったろう? あれが、実は女だということはないだろうか」
一瞬、ぱちくりと目を開いたルフトは、理解できないというようにヴァンを凝視した。
「ははぁ。なるほど、そういうことですか」
意味不明な顔をしていたルフトが、ようやく話がつながったという顔になる。
「あなたはアランが女性で、もしかしたらアレクシア・クリスタ・ダリール公女かもと疑っているのですね」
「!」
「そう主張するだけの根拠が、あなたにはあるという事ですか」
「お、お前だって、さっき公家の人間は生きてるかも、とか何とか言ってたじゃないか」
「公女だとは限りません。大公殿下かもしれませんよ」
「…恐ろしいこと言うなよ」
およそ少年らしくない言動と洞察力に、ヴァンは尻込みして唇を尖らせた。
「ふむ、興味深いですね」
とは言っても、明確な証拠があるわけではない。
そもそもアランからは、ファミリアの気配がしない。
「アランの正体を確かめてみたいのだが、証拠がない。どうしたら良いと思う?」
そう王子が尋ねると、
ルフトはいたずらっ子のように瞳を輝かせた。
「それなら良い方法があります」
「方法とは?」
「教えたら、このまま見逃してもらえますか?」
「え?」
「あなたの護衛士は、まるで今にも僕を逮捕しそうな勢いだから」
そう言って、ルフトはにこりと笑ってみせた。
■□■□
ヴァンが王立プラスコリア士官学校を訪れたのは、それから数日後だった。
しかも、どういうわけかフェルディナンの留守を見計らうようにして、アランのところへとやって来た。
「あらま、殿下」
ちょうど中庭で洗濯中だったアランは、生徒たちのベッドシーツを干す手を止めて、ヴァンを見つめた。
「どうしたんですか、なんの御用で?」
「うん、別に用というほどではないんだが」
「──はあ。軍人というのもつくづくヒマなんですね」
「お前と一緒にするな」
「ははは、失礼な。私は毎日とても忙しく働いてるんですよ」
とりとめのない会話が続く。
アランがうっかり気を許してくすくす笑ってしまうと、ヴァンはようやく緊張が解けたような表情になった。
「それなら、たまには気分転換も必要だな。忙しすぎると気が滅入るからな」
「うん?」
「つまり、えぇと、…次の休みにオレの家に来るというのはどうだろう。よければ案内してやるが」
「…は?!」
アランは、ぎょっとして声を上げた。
「家って、バフィト王宮のことですよね? あの城に? 私が? なぜ!」
「なぜって…興味あるかと思って」
「そりゃありますよ。でも、…というか分かってます? 私はあのクーデターで家族を殺されて」
「よく分かっている」
アランの言葉を遮り、彼は大きく頷いた。
「オレと、オレの父を恨んでるんだろう? そして復讐したいとか考えているんだよな」
「…からかってるんですか」
「オレはものすごく真剣だ」
「…」
呆気に取られつつも、アランは即座に考えを巡らせた。
いくら親しくなったとはいえ、王宮に招待するなどそう簡単に許されるものではない。
食えない王太子のことだから、きっと何か裏があるに決まっている。
…どうする?
フェルに相談しようか。──でも間違いなく反対されるだろう。
罠だと分かっていて、単身で城に乗り込むなどありえない。
…でも、敵情視察だと思えば…こんなチャンスめったにない。千載一遇のチャンスだ。
直後、
アランはゆっくりと視線を上げると、
「行きます」
と即答していた。