第五章『ファミリアの喪失③』
「とにかく」
と、ファングは低い声音を吐き出した。
「一刻も早く新しい後継者を決めなければなりません。でなければ国王も、国民も、そして私自身も、心穏やかになれる日は訪れないでしょう」
「…しかしなぁ」
「あまつさえ国王はもうご高齢です。あの騒ぎに動揺したのか最近はさらに様子がおかしい」
「…おかしいとは?」
「もともとクーデター以来、奇行が目立つようにはなりましたが、それ以上に今はぼうっとしている時間が増えたような気がしています。とても心配です」
「あの、ひとつ聞くけど、王太子はほんとに死んだんですよね?」
ふいに身を乗り出してきたルフトが、そんな発言をして2人を驚かせた。
「どういう意味だ?」
「だって、おかしいじゃないですか。普通、王太子が死去したのなら国を上げての大葬儀になるはずですよ。それなのに国葬もなし? それなら遺体はどこにあるんです。…まさか世間に秘密裏に処分されたってことないですよね。国民にはいつどんな形で知らせるつもりなのですか」
「…それは。オレは、ただの護衛士だから、そういう内部情報は…」
「でも、あなたはヴァン王太子の一番身近にいた人でしょう?! なにか噂なり何なり、聞くことがあっても…」
納得できないルフトが、ファングに食ってかかる。
しかし、その勢いを制するように、フェルディナンが片手を上げた。
「待て。敷地内の様子がおかしい。…なにか焦げ臭くないか?」
「…!」
──近くで、なにかが燃えている。
その煙は次第に大きくなり、高く吹きあげる火煙に周囲がざわめきだした。
尋常でない匂いに気づき、慌てて火の手のある場所に向かうと、フェルディナンは近くにいた男子生徒に声を掛けた。
「どうしたんですか。なにがあったんですか」
「裏庭の木々を燃やしているみたいだよ」
「裏庭を?!」
男子生徒は、こくりと頷いた。
「なんでも軍部の特命だってさ。士官学校の裏庭をつぶして、新しい剣武堂を作りたいと申し出があったらしい。ただあそこはうっそうとした森のようになってるから、まずは焼いてしまわないと、…って、さっき校長先生が」
「冗談じゃない!」
あの裏庭には、ファミリアがいたはずだ。
アランが夜になるたびに訪れ、いつもアレクシアの姿になって妖精たちと戯れていた。
そんな場所が、まさか軍部によって焼き払われるなんて…
「どういうことだ、ファング」
ぎろりと睨みつけると、護衛士は青ざめて大きく首を振った。
「し、知らない。オレはなにも聞いていない。本当です。一体なんのことやら…」
そんな中。
ふいにアランが人込みから飛び出してきた。
燃えさかる庭に驚愕し、半狂乱になりながら火の中に駆け込んでいく。
「アラン! 戻るんだ。もう手遅れだ!」
引き留める声も届かず夢中で火を消そうとするものの、裏庭は瞬く間に焼野原になり、周囲に焦げ臭さが充満していく。
あっという間にフェルディナンにつかまり、引きずるように庭の外へ出されたアランは、ただむなしく立っているしかできなかった。
そんなアランを見かねて歩み寄ってきたファングを、アランは即座に殴り倒した。
「おい、アラン!」
フェルディナンが止める間もなく、汚れた土の上にファングの体が転がった。
「これだから軍人ってのは!」
吐き捨てるようなセリフが、ファングに降りかかる。
「お前らのせいで、生きる意味を失った。…私は今までなんのために、…私の、最後の希望だったのに…跡形もなく燃えてしまった」
「──すまない」
ただ謝るしかないファングを蹴り飛ばし、アランはその体に馬乗りになって、彼の襟首を締め上げた。
「アラン、いい加減にしろ」
止めに入ったフェルディナンの腕を振りほどき、さらに強く首を絞めていく。
「私は心底この国が憎い! 国王が憎い! 私の大切なものをすべて奪っていく、こんな国など滅んでしまえばいい! お前のこともいつか絶対に殺してやる、ファング!」
「アラン、ファングに八つ当たりすんなって」
「うるさい! 私が今までどんな想いで生きてきたか、お前に教えてやる」
唸るように呟いて首を絞めてくるアランを、ファングはただ悲しそうに見つめるしかできなかった。
「すまない、アラン。…でも、オレは本当に何も知らなかったんだ。軍が庭を焼き払うなんて聞いていない」
「──お前は本当におめでたい男だな、ファング」
「っ、」
アランは、自嘲ぎみにふっと口の端を曲げた。
「勘違いするなよ。…私は家族を殺したこの国を憎んでいるが、この国が軍事国家になったおかげで生かされ、恩恵と恩寵を受けている。…でなければ私は今ごろ2本の足で歩くことも出来なかった。こうして、お前の首を締めることもさえも」
「…!」
いつもとは、まるで違う。
別人のように凶悪な顔で襲い掛かってくるアランに、さすがのファングも怯んだ。
だがそれ以上に、フェルディナンは信じられないという面持ちで絶句し、次の瞬間、我に返ったようにアランを引きはがした。
「言ってることがメチャクチャだ! 頭がおかしくなったのかアラン!」
「分かってる、…そんなことは分かっている…っ。だけど──」
この怒り。
この腹立たしさ。
この悲しみ、憤り…
そんなものを、誰にぶつけ、誰に訴えたらいいのかすら分からない。
「オレがいるだろう」
その言葉に、ようやくアランは冷静になった。
「大丈夫だ、アラン。オレがいる。そばにいる。ずっと一緒にいるから」
ファミリアはもういない。
今度こそ、本当に消え失せてしまった。
アランのもとから、この世界から…。
「うわああああああ!!」
唯一の心のよりどころを失ったアランは、フェルディナンの腕の中で、子供のように号泣した。
■□■□
アランを医務室に連れて行くようにルフトに頼み、フェルディナンはファングと2人きりになった。
鎮静剤で眠っているアランを気遣いながら、小さく頭を下げた。
「悪い、ファング。…オレ、やっぱり王宮にはいけない」
「──」
「アランを1人ここに置いていくことはできない。…アランがとても大事だ。オレたちは一心同体。離れて生きることはできない」
「…ヴァン王太子が、あなたに嫉妬するわけだ。あなた方は、あまりにも絆が強すぎる」
と、ファングは苦笑した。
アランに絞殺されそうになった喉元を触り、しばらく考え込むように無言になった。
「…ファング?」
「今、王宮内は混乱しています。配下たちに王太子の死亡を隠しているせいで、疑惑を持ち始めた者が騒ぎ始めています。」
「疑惑?」
「暗殺されたか、戦争に巻きこまれたか、敵情視察で捕虜になったとか。…なにより一番懸念されているのは後継者の問題です。部下の中には王太子の安否より、国の今後を憂う者たちを気にする輩もいて、王宮内は混乱しています」
「それは、ひどいな」
「ですから、あなたの存在がつまびらかになれば、人々の動揺も多少は抑制されるはずです。国王は、あなたを正式にご子息としてお迎えする心積もりです」
「──」
フェルディナンは、アランを慮った。
ファングの気持ちは、よくわかる。
そして、アランの思いも──
2人の心情の狭間で思案に暮れていると、ふいにファングが口を開いた。
「アランのことは、しばらく私に任せてもらえませんか」
「えっ」
「王太子がいなくなった今、その喪失感を共有できる人間が必要でしょう。…私なら、その役目に応えることができる」
「まぁ、そうかもしれないけど」
確かに、ファングは王太子のそば付きで、優秀な護衛士だった。
長年、王太子と一緒にいたのだから。
彼の口から語られるヴァンの様子が、アランの心を癒すかもしれないと思える。
しかし…
考えあぐねたまま、結論を出せないでいると、
「フェル?」
目を覚ましたらしいアランが、ルフトに付き添われてゆっくりと歩いてきた。
「アラン、起きても平気か?」
「そんなのどうでもいい。…それより、私も、王宮に行く」
「は?! だってお前、あそこには…」
「うん。あそこには、黒マントの男がいる」
アランは、大きく頷いた。
「この機を逃したら、私はもう一生、あの王宮には入れない気がする。やっばり確かめたいんだ。王子の死の真相を」
やれやれと肩をすくめ、フェルディナンは諦めたように息をついた。
「仕方ないな。…ファング。アランも一緒でいいなら、オレも王宮に行けど、どうだ?」
「本当ですか」
「言っとくけど、別に王位が欲しいわけじゃないぞ? アランを1人にするの心配だからだ。今までどおりアランのそばにいたい。…その条件を飲むなら、王宮に行ってもいい」
その言葉に、ファングは大きく目を見開いた。
わずかに困惑の色が浮上する。
アランの面倒をみるとは言ったが、王国に恨みを持つアランを宮内に引き入れるのは、正直不安だった。
また何かの拍子に、あんな騒動が起きるとも限らないからだ。
しかし国王は、本気でフェルディナンを後継者にと考えている。
…だからこそ、
この2人が王宮に住むつもりなら、まとめて監視できるかも、と思えた──
「かしこまりました。貴殿のすべての主張を聞き入れましょう。プルーデンス王太子殿下」
ファングは彼の前に跪くと、うやしやしく頭を垂れた。