第五章『ファミリアの喪失②』
バフィト王宮、国王執務室にて。
国王はいらいらとした様子で、せわしなく室内を歩き回った。
「一体どういうことなんだ、宮廷道化師! あの騒ぎはなんだったのだ。…ボウガンを構えていたあの男が、私の息子だというのか?!」
「まさしく。陛下がご覧になった通りでございますよ」
苛立たしげな国王を見つめ、ジェスターは小さく息をついて、なんの許可もなく勝手にソファに座した。
「まさかご存知なかったとは言わせませんよ。かつてあなたが大公妹と不倫関係にあったことは、古株の下士官ならみな知っていることです。あなたがプルーデンスを身ごもった大公妹を塵芥のように捨て去ったこともね」
「私が?! まさかとんでもないっ」
「…私がこの城に来たのはクーデター後ですけれど、側近の間では有名な話です。『私には王子がいるからプルーデンスは不要だ。息子は2人もいらない』と、ご自分で大公妹に告げたのでしょう?」
「そんな、…そんなことが、まさか」
まったく身に覚えがないとでもいうように、国王はふらふらと足元をふらつかせた。
そして国王は、先刻の騒ぎを思い出した。
若い青年が、こちらへとボウガンを向けた直後。
死んだはずの大公妹フローレンスが、いきなり飛び出してきた。
──彼女は、ファミリアが作り出した幻想なのか?
もし恨まれているのなら、なぜフローレンス公女は国王が殺されるのを阻止したのか。
…自分の愛息が殺人犯にならないように?
いや、それよりも、問題はあの金髪の娘だ…!
王の手が、わなわなと震えた。
あの顔は、あの姿は…どう見てもアレクシア・クリスタ公女だった。
生きていたのか──
しかし姿を見せたのは一瞬で、すぐに男に変わってしまった。
しかも、あのアランと呼ばれていた男には見覚えがある。
かつて王宮で、とてつもない憎しみの目でこちらを睨みつけていた。
憎悪のオーラを放つ青年…
そう、確か、ヴァン王太子の友人だとかいう──
ぎりっと奥歯をかみ、国王は鋭い視線を上げた。
「いったい、なにが起こっているというのだ。私の国は、城は、」
「あなたの国、ですって?!」
ジェスターは素早くソファから立ち上がると、国王に顔を近づけ、その顎を引いて自分の方へと向けさせた。
「もとは大公を殺して奪った他人の国でしょう?」
「っ、」
「あなたになんの権限があって、所有権を主張なさるのですか」
「ぶ、無礼であろう、ジェスター!」
「──まぁ落ち着きなさいませ、陛下。なにも案ずることなどございません。すべては計画通りでございますよ」
「なにを言うか」
国王はすっかりうろたえ、青ざめてマントの男を凝視した。
「ヴァンが、私の息子が、お前に誤射されて死んだのだぞ! まさかそれも想定内だというのか!」
「殺す必要があったのです。王太子は、あなたを殺すためにプルーデンスを城内に手引きしていた。いずれはあなたの王位を脅かす存在になっていたでしょう」
「では、わざと、殺したのか。故意に、王太子を狙って撃ったのか」
「…バフィト国王よ」
ジェスターの冷ややかな双眸が、侮蔑の光を放って国王に注がれた。
「あなたは、ただの傀儡に過ぎない。この世界は、もっと大きなものに支配されて巡っているのです」
「…ファミリアのことか」
「ははは、違いますよ! 愚かしい」
ジェスターは声を上げて笑った。
国王をとんと突き飛ばし、ふらりとよろけた姿をあざ笑うかのように口元を歪めた。
「今さらゲームから降りることは許されませんよ。あなたにはまだしはらく国王でいてもらわなければならないのだから。…アレクシアが生きているのなら、始末すればよいだけです」
「!」
「そうでしょう、陛下? 邪魔者はすべて消してしまうのです。あなたなら、それができる」
「しかし、私は…」
まるで自分の方が支配されている感覚に陥る。
目の前のジェスターは、さも自分が国王であるかのようにふるまい、バフィトを怯えさせる。
──ただの傀儡。
その言葉は、深く国王の胸に突き刺さった。
その時だ。
ふいにノック音が響き、年若い女召使いが入って来た。
「失礼申し上げます。王妃さまが、王太子さまをお呼びなのですが、どこにもおられないのです。もしやこちらかと思いまして…あのヴァン王太子はどちらに?」
女召使いの質問に、国王が狼狽していると、即座にジェスターが立ち上がった。
「王太子殿下はどこにもおられぬ。急な遠征のためしばらく戻ってこないと、王妃に伝えておけ」
「しかし」
「うるさい、下がれ!」
室内にとどろいた罵声に怯え、召使いは慌てて一礼すると、逃げるように飛び出していった。
その様子に、国王が嘆息まじりにソファに沈んだ。
「すまないジェスター。取り乱した私が悪かった。…すべて、お前の指示に従おう。アレクシアが生きているのなら、なおさら、…私は、今ここで死ぬわけにはいかないのだ」
「御意」
「さぁ、ジェスター、言ってくれ。これから私は何をしたらいい?」
その震える声音に、ジェスターはようやく満足して、フードの下からにかりと笑みをこぼした。
■□■□
数日後。
アランとフェルディナンが働くプラスコリア士官学校に、ルフトが訪れた。
今回も門兵に冷たくあしらわれてしまったのか、当たり前のように不法侵入してフェルディナンの前に現れた。
「アランがどうされているかと気になって…」
ルフトの不安げな表情を見下ろし、フェルディナンは困ったように肩をすくめた。
「毎日ぼんやり過ごしてしているよ。目的も見失い、王子も亡くして、すっかり腑抜けて抜け殻のようだ」
「そ、そうなのですか」
「国王暗殺計画が延期になったのも、そもそもはオレのせいみたいなものだからな。次に計画を再開することがあったにしても、オレは仲間に入れてもらえないだろうなぁ」
少し寂しげなフェルディナンに、ルフトは小首を傾げた。
自分がバフィト国王の隠し子だと知った今でも、この人はまだアランの味方をするのか。
それがどれほど重犯罪であろうとも…、
彼にとって実の父親の存在など、取るに足らない事実なのだと思い知らされる。
「親殺しなど、アランが許すはずがありません。だからこそ、あなたを復讐に巻き込むのは気が引けるのでしょう」
「そういえば、王太子の死亡は、国民には隠されているんだろっけな。いつかバレることだろうに、記事にすらなっていない。どうする気なんだろうな」
ファミリアの力は、いまだ失われたまま。
ファミリアが正しいことにしか力を貸さない生き物ならば、
いったい何か正しくて、何が間違っているのか、誰がそれを知り得るというのだ。
すっかり八方ふさがりになっている現状に意気消沈していると、2人の前に護衛士のファングが近づいてきた。
「お前まで来たのか」
と、フェルディナンは呆れた。
「まさかお前まで不法侵入じゃないだろな。…アランの様子を見に来たのか?」
「いいえ。今回はあなたに用があって参りました。プルーデンス殿下」
「…」
その呼び方に、フェルディナンは怪訝そうに顔をしかめた。
「オレに用…?」
「王宮へいらしてください。王太子が亡くなられた今、もうあなたしか後継者がいない。国王もそれを望んでいます」
「えぇ?!」
ぎょっとしたルフトが、頓狂な声を上げる。
それを無視して、フェルディナンは心底イヤそうにファングを睨んだ。
「バカを言うな。軍人なんかごめんだ。国の政策なんぞに関わりたくない」
「それはアレクシアの意見でしょう」
「っ、」
「あなた自身はどうなのです」
ファングに追及され、フェルディナンはますます気に入らないという面持ちになった。
握りしめた拳が、今にも皮膚を裂きそうになっている。
「オレだって同じ意見だ。あのクーデターで母を亡くしたんだぞ」
「でも父親は生きている。現・バフィト国王は、あなたの実父ですよ」
「笑えるな。あんたはそれで納得しているのか。王太子になったオレに従う気かあるのか」
「──」
わずかに躊躇したものの、ファングは決意の灯った瞳で双眸をひらめかせた。
「正直、まだ心の整理がついていないけれど。私の気持ちなど置き去りにして、王太子のいない時間がどんどん過ぎていくのです。それがとてもつらい」
その思いには、心から同情した。
あの時、フェルディナンはヴァンに、
──『もしオレになにかあったら、アレクシアを頼む』
と、頼んだ。
なのに、まさか自分の方が生き残るなんて、想像もしていなかった。
だからこそファングの喪失感の一端は、フェルディナンにも責任があると思えてならなかった。