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第五章『ファミリアの喪失①』

 どうやって城を抜け出したのか、記憶がない。

 ルフトやトランスフィールドに連れられて町外れの地下都市に出向いた時には、アランは放心状態のまま、用意された寝室のベッドに倒れ込んだ。


 ヴァンを王宮の祭壇室に置き去りにし、

 国王も討てず、ヴァンを撃ち殺した男までも取り逃がした。

 最悪の結末を迎えた展開だった──


 アランが眠っている間。

 風配師トランスフィールドは、フェルディナンとルフトを呼んで、リビングの狭い椅子に座らせた。

 それぞれが疲労困憊しているのは分かっていたが。

 それよりも、まずアランから聞いた話をフェルディナンに伝えなければならないと思ったのだ。


 案の定、フェルディナンはありえないとばかりに笑い飛ばした。

 だが…父ルノー公爵は、冗談でそんな話をする男ではない。

 それに、あの光景…バフィト国王を射ろうとしたフェルディナンを、まるで止めるかのように立ちはだかった母親フローレンスの亡霊。

 決して、夢でも幻でもない姿に、今思い出しても身震いがする。


「フェルディナンが国王の息子?!」

 声を張り上げたルフトの傍らで。

 フェルディナンは冷静な表情で、唇を引き結んだ。


「だからあの時、死んだ母が現れたのか。…オレに父を殺させまいとして? あの戦乱で母を失った上に、さらに父親ともども再び母親をボウガンで射るところだった」

「…これからどうするのですか?」

 ルフトの問いに、誰一人答えられる者はいなかった。


 フェルディナンは気落ちしたまま、もう口を開く余裕すら失っている。

 トランスフィールドは、はぁと息をついた。

「どうするもこうするも…アランがどうしたいか、でしょう?」

「でも、アランはひどく狼狽しています。ヴァン王太子の死を受け止められずにいるのです」

「大切な羅針盤も壊れてしまったしね」

 などと投げやりなトランスフィールドに、ルフトはやりきれなさを感じた。


 あの時。

 ヴァンが撃たれたと同時に、辺りに大量の光が舞い散って。

 それはすなわち、ファミリアの喪失を意味している。

 妖精の力は、この国から完全に失われ、もう二度と元には戻らないだろう。


 すると、さっきまで黙りこくっていたフェルディナンが、眉をひそめた。

「それなら、なぜアランは男の姿になってんだ? 王太子が撃たれた時、彼の体が光に包まれたのはなぜなんだ?」

「知りませんよ、そんなこと」

「国王の背後にいた男は、どっちを狙っていたと思う? フェルか?アランか?明らかに殺意があったよな?」

「──」 

 風配師とルフトは、互いに顔を見合わせた。

 身を乗り出したルフトが、険しい顔で低い声をもらした。

「王太子を撃ったあの男。ちらりとしか見ていませんが、ファミリアの異様なオーラを感じました」

「…やはりファミリアの加護を受けているのかしら?! ダリールの血縁者ってこと?」

「それは僕にはわかりませんけれど。とても禍々しいオーラです。ファミリアなのにすごく穢れていて…今まで感じたこともないような気でした」


 その時だ。

 入口でかたんと物音が響き、寝室で寝ていたはずのアランがやって来た。

 まるで幽霊のように血の気がなく、その顔色の悪さに誰もが唖然とした。

「…アラン、大丈夫なのか」

 その問いに答えることなく、アランはゆっくりとリビングに足を踏み入れた。


「もう、いいだろう…」

「え、なにが」

「──士官学校に帰ろう、…フェルディナン」

「!」

 すっかり生気を失ったアランの声が、乾いた空気を裂いた。

「もう、…戻ろうよ、フェル。…明日からまた仕事が待っている。私も男の姿になったことだし、もう誰にも怪しまれない」

「でも、てゆーか、アラン…」


 なにも、考えられない。

 なにも、考えたくない──

 国のことも、国王のことも、ヴァンのことも、

 すべてを忘れてしまいたいほどの、憔悴感に襲われて、生きていることすら億劫になる…


 アランははたと顔を上げると、疲れた面持ちでトランスフィールドとルフトを見た。

「世話になったな、風配師。公国復興の役に立てなくて申し訳なかった」

「そんな、アレクシア公女殿下…、こちらこそ…」

「国王暗殺計画は、無期延期だ。プランを練り直す予定はない」

「──」

 驚愕に目を開いたトランスフィールドの瞳が、暗くかげる。

 仕方がないと諦めているような、そんな色が映っている。


「ルフト。息災で暮らせ。もう二度と会うこともないだろうけど」

 その言葉は、完全な決別だった。

 すべては中途半端なまま終わってしまった。


 アランやフェルディナンの悲願は達成されず、

 風配師やルフトの夢もまた、志なかばでついえてしまったのだった…。




                  ■□■□



 アランとフェルディナンは、その夜のうちに地下都市を出発した。

 士官学校への帰り道。

 とぼとぼと歩く2人の足取りは重く、どちらとも無言のままだ。


「大丈夫か」

 そう言ったのはアランだ。

 なんのことか分からず、フェルディナンはきょとんと眼を開いた。

「えっ、オレ?!」

「父上のこと、知らせるのが遅れて悪かった。私も知らなかったんだ。…国境の山で、お前の父に聞かされて、それで…驚いて…」

「うん、」

「フェルには内緒にしてたけど。以前、王宮に入った時に、王妃に言われたことがある」


 ──『アレクシア公女は、主人がよそに生ませた女に違いないのです。証拠をつかんで問いただしてやるのです』

 ──『私に息子はいないわ。ヴァンを生んだ覚えはないわ』


「王妃は気の病だと聞いていたから、錯乱しているのだろうと感じていたが。あながちウソでもなかったな」

「あぁ、」

 と、フェルディナンがくすりと笑った。

「そういや、オレとお前は、子供のころ双子のようにそっくりだったからな。オレたちは互いに母親似で、よく間違えられたな」


「もっと王妃の言葉を信用しておけばよかった。まさかこんなことになるなんて」

「もういいよ、アラン」

 泣きそうに笑って、ぽんとアランの肩先を叩いた。


「こんな事になったからって何が変わるわけじゃない。…オレはオレだ。お前の従兄プルーデンス・ユー・ルノーだろ?」

「…あぁ。そして友人で、同志だ」

「それより心配なのはお前の方だよ、アラン。…その、…王子のこと」

「…っ」

 とたんに胸を詰まらせて、涙が溢れそうになる。

 ぐっと唇を噛み、アランは拳をきつく握りしめた。


「なぜあんなことになったのか、いくら考えても分からない。…ヴァンときたら、…不死身だとか怪我をしたことないとか、言ってたくせに、あんな簡単に…っ、…私たちをかばって」

「それは違う」

 フェルディナンは、アランの言葉を即座に否定した。

「王太子が助けたかったのはアランだ。王太子はお前のために動いたんだ。…本当にお前のことが一番大切だったんだと思う。死なせたくないほどに」

「じゃあ、──彼を殺したのは私ってことかな」

「アラン、そういう意味じゃ…」

「ごめん、わからないんだ」

 アランは、涙を溢れさせて大きく首を振った。

「私は、これからどうしたらいい? ヴァンのために出来ることなんて何も残っていないし、なにかをやろうという気力すらない」

「──王太子が好きなんだな、アラン」

「!」

「そうだろう?」

「…いや、違う」

 しばらく逡巡の末に否定してみたものの、それが余計にフェルディナンの失笑を買うはめになった。


「顔が真っ赤だぞ、アラン」

「や、…でも、」

「はは。おもしろいな」

 ぐしゃぐしゃとアランの頭をかき乱し、その頭ごと自分の胸に引き寄せた。

「まぁどっちでもいいさ。今はなにも考えなくていい。早く帰って、ゆっくり眠ろう」

 フェルの優しい声が、静かに耳に届いてくる。


「…分かった。…でも、国王暗殺計画が無期延期というのは本気だから」

「!」

「だからもう、私を出し抜こうなんて思うなよ」

「お前はそれでいいのかよ、アラン」

「え?」

「だって、」

 と、フェルディナンは、言いにくそうには口をつぐんだ。


 ──復讐なんて、所詮終わりがない。

 遂げられた悲しみと憎しみは、また新たな黒い感情を生み、際限なく同じところを回り続ける。

 …どこかでそれを止める術があるとしたら、今かもしれない。


 しかし、とフェルディナンは思考を巡らせた。

(ヴァン王太子を撃ったのは、国王の後ろに立っていたマントの男。…今度はあの黒ずくめの男を殺すなどと言い出さなきゃいいけど…)

 と不安になりながら、


「そうか…無期延期か」

 と、小さく頷いた。


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