第四章「《落暉(らっき)④》
トランスフィールドと別れて1人城内を歩いていたヴァンは、嫌な夜になりそうだと思いながら、アランを思った。
本当ならこの計画にアランも加わっていたはずと考えると、少し寂しくもある。
しかし、フェルディナンの気持ちはよく理解できる。
『アランの手を血で汚したくない。復讐はオレが』
そう言った彼の言葉は、本音なんだろう。
アランがいない今、国王を殺すなら、絶好のチャンスだ。
自分がフェルディナンの立場でも、たぶん同じことをしたかもしれない。
それくらいアランが大切だと…
そんなことを考えながら、来た道を引き返そうした直後。
廊下の曲がり角で、ふいに誰かとぶつかりそうになった。
(──こんな時間に!)
慌てて胸元の銃を取ろうとして、それが無いことに気づいたヴァンは、警備隊ならうまくごまかせるかもしれない、と相手に目を凝らした。
しかし、その相手が想像していなかった人物だと知るや否や、
「アレクシア?!」
思わずその名前を呼んで、しまったと口を押さえた。
ぶつかりそうになったのは、あろうことかアレクシア・クリスタ本人だったのだ。
「まさか。…なぜここに」
そう言い終わらないうちに、彼女がくるりと反転して走り出していく。
「おい。待て! アレクシア?」
蒼白して追いかけようとしたものの、すぐに距離を置かれて引き離されてしまった。
「あいつ…なにやってんだ。しかもあんな恰好で…っ」
自分が見たものが信じられず、吐き出した声が掠れた。
幻ならいい、と思いつつも、そうではないと悟り、すぐさま後悔した。
「しまった。…見失ったか」
思いがけない人物の登場で、とたんに不安になる。
この計画が本当に成功するのか──
ヴァンの胸の内が、ざわりとざわめいた。
■□■□
うまくヴァンの追尾を巻いたと思ったのに、アランはアレクシアの姿のまま王宮内で迷子になった。
ここは生まれた時から慣れ親しんだ場所だというのに、暗闇ではまったく勝手が分からない。
すっかり行先を見失ってしまい、闇雲に走り回るしかなかった。
そんな時、
再び誰かとぶつかりそうになり、跳ねるように飛び退った瞬間。
「アレクシア公女?!」
いきなり名前を呼ばれて、はっとした。
目の前で呆気に取られたトランスフィールドが、まるで幽霊でも見たかのように青ざめている。
「あ、なんだ。風配師か」
一瞬だけほっとしたものの、すぐさま肩を鷲掴みにされて動けなくなった。
「なぜあなたがここにいるのです! 国境の山にいるのではなかったのですか!」
「そんなことよりトランスフィールド」
「そんなことって何です?!」
「頼むから話を聞いてくれないか。私を男の姿に戻して欲しいんだ。たった今ヴァンに見つかって追われている!」
「…っ」
「頼むよ。ファミリアの力が使えなくて《アラン》に戻れないんだ」
「と、とりあえずこちらへ」
なかば呆気に取られて、むりやり建物の物陰にアレクシアを押し込んだ。
「…確かに。そんな美しいお姿を王太子に見られたら、即座に寝室に連れ込まれますものね」
「そんな笑えない冗談はやめてくれないか」
不愉快そうなアレクシアに目を細め、トランスフィールドはかすかに微笑した。
「残念ながら男に変えることはできませんわ、公女殿下」
「なぜ? こうなったのはお前が地下都市に連れて行ったからだろう。お前の責任じゃないか!」
「よく承知しております。しかし今はファミリアが暴走していて、力がとても不安定なのです」
「ここでなにが起こってるんだ。…フェルは一緒じゃないのか?」
「あなたこそ、なぜここに来たのです」
「それは、」
トランスフィールドに詰め寄られ、困ったように口ごもった。
暗い廊下の隅に2人して座り込み、床の冷たさを感じながら無言になった。
「それは、その…き士官学校に戻ったらフェルがいないから。もしかしたらと思って、忍び込んだんだ。──まさかと思うけどフェルのやつ、私に内緒で仇討ちなど考えていないだろうな」
「まぁ、素晴らしいご明察ですわ、公女さま」
トランスフィールドのセリフにぎょっとして。
思わず声を上げそうになったアレクシアを、トランスフィールドが「静かに」と制した。
「フェルディナンのことをよくご存じですわね」
「幼馴染だからな。あいつが何を考えているかぐらいすぐ分かる。それに私たちは同志でもある」
「そうですわね」
「でも国王暗殺はフェルの仕事ではない。…フェルに親殺しをさせるつもりはない」
「親殺しですって?! なんの話です?」
今度はトランスフィールドの方が、うっかり悲鳴を上げそうになった。
慌てて自分の口を手でふさぎ、深く息を吸い込んで呼吸を整えた。
「もっと詳しくお聞かせください」
「…フェルの父親から聞いたのだが…」
と、アレクシアの暗い声が闇の中に沈み込んだ。
「フェルの父・ルノー元公爵によると、フェルディナン、つまりプルーデンスはバフィト国王の落とし胤であると告白された」
「!」
「彼の母親は、私の母の妹君にあたる。…どういう成り行きでそうなったのかは分からないけれど、フェルは間違いなくバフィトの血を引いていて、ヴァン王太子とも義兄弟であると…」
「それだと、彼はダリールとバフィト両方の血を持っていることになります!」
「叔母はフェルを産み落としたものの、処遇に困って兄であるダリール大公に助けを求めたのだろう」
「…、」
トランスフィールドは、頭が混乱してきた。
もちろん、それはアレクシアも同様だ。
しかし今は真意を確かめるよりも前に、フェルディナンが愚かなことをしないよう食い止める必要がある。
ショックを受けてる風配師の顔を覗き込み、アレクシアは懇願するようにその瞳を覗き込んだ。
「フェルより先に、私が国王を討つ」
「っ、」
「トランスフィールド、私に協力して欲しい。フェルはこの城内にいるんだろう?」
「…、それは」
「フェルは以前、お前たち風配師について調べると言っていた。純粋に公国復活を祈願しているならともかく、政に利用される可能性もあるからと」
「まぁ、私も侮られたものですわね。…となると」
拳を口元に当てて、トランスフィールドは思案顔で眉をひそめた。
それなら、ファミリアの様子がおかしいのも納得がいく。
妖精たちは、国王暗殺を正しいことだと認識していないのだろう。
だからこんなに騒がしくざわめいている。
力が薄れているのも、そのせいだと実感した。
「公女殿下」
風配師は、美しい顔をゆがめてアレクシアを見据えた。
「ここはひとまず引いた方がよろしいかと思います。フェルディナンは強引に暗殺を進めようとしていますが、私はなんだか心配です」
「…分かった。大至急フェルを見つけ探して、ここから脱出しよう」
2人は顔を見合わせて頷くと、即座に立ちあがって祭壇室へと走り出した。
■□■□
それからしばらくして。
別館の祭壇室にたどり着いたフェルディナンは、息をひそめてボウガンを構えた。
豪華な祈祷台の前で、熱心に祈りを捧げるバフィト国王の後ろ姿が見える。
いつもは複数の護衛を携える国王も、この時ばかりは1人きりになると言ったヴァンの情報に間違いはなかったらしい。
あんなロクデナシでも神にすがることがあるのかと思いつつ、フェルディナンは慎重にその背中を狙った。
暗闇で気配がよく分からないが、裏口にはトランスフィールドが。別館の出入り口にはルフトが待機しているはずだ。
ヴァンとファングは、それぞれ役目を終えて、巻き添えにならないよう寝室に戻るように伝えてある。
殺すなら今はしかない、と覚悟を決めて。
呼吸を静かに整えたフェルディナンが指先に力を込めた刹那──
ふいに何かが目の前を横切った。
「?!」
人の形をした…、しかし人間ではないもの…。
青白く、細長いものがふわりと眼前に立ちはだかり、思わずその手が止まった直後。
それが死んだはずの母親フローレンスだと気づいて驚愕した。
「…まさか、…なんだよ、これっ。──どうして」
無意識に細い声が吐き出され、士気を失ったようにボウガンを床におろしたフェルディナンの前に、アレクシア・クリスタが飛び出してきた。
「フェル! だめだ、射ってはいけない!」
その声にびくりと反応して、我に返る。
だが、大きな台座の陰に隠れるようにしてバフィト国王の補佐役ジェスターが、ライフルを構えていた。それに気づいたヴァンが、2人をかばうようにして駆け寄ってくる。
「アレクシア──」
フェルとアレクシア・クリスタをまとめて片手で突き飛ばし、ヴァンは台座の向こうにいるジェスターに銃口を向けた。
しかし共倒れになるかと思えた刹那。
一瞬のうちにジェスターは身をひるがえし、間一髪のところで難を逃れた。
ぱぁぁぁっと辺りにまぶしい光が放たれ、室内が真昼のように明るくなる。
そのまぶしさに耐えられず、アレクシアはフェルディナンをかばうような体勢で目を閉じた。
外で待機していたトランスフィールドが、その光の強さにはっとした。
「ファミリアが、飛散している…?」
どこからともなくやってきた大量の妖精たちが、一斉にあちこちへと飛び退っていく。
その光景に茫然としていると、ふいにトランスフィールドの手の中で羅針盤がひび割れ、空中と飛び散ってしまった。
「ルフト!」
いきなりファングに呼ばれ、門扉で待機していたルフトは、携帯していた剣に手を掛けた。
と同時に、黒ずくめのマントを羽織った男が走り寄ってくる。
慌てて制止しようと立ちはだかったものの、そんなルフトをあざ笑うかのように、黒ずくめのマントの男は高くジャンプすると、まるで俊敏な獣かなにかのように、あっさり頭上を飛び越えて逃げて行ってしまった。
祈祷室の中は依然として強い光に包まれ、顔を上げることすらできなかった。
必死に目を開けようするアランの前に、見覚えのある女性が立ちふさがり、覗き込んできた。
「…フローレンス公女…?」
かのダリール大公の妹であり、アレクシアの叔母。
そして彼女は、フェルディナンの母親でもある。
死んだはずのフローレンスが、なぜ、…と困惑する中。
彼女は手を伸ばしてアランの額に触れると、ゆっくりと髪を撫でて頬へと指先を滑らせた。
「…あ、」
フローレンスに触れられるたびに、自分の体が変化していくのが分かる。
男から、女へ。
アレクシア・クリスタから、アラン・エル・ノジエの姿に──
そして、髪も手も足も、体つきも、完全にアランへと戻ったと同時に、室内に再び緩やかな闇が訪れた。
強烈な光に包まれていたヴァンの体が、今は静かに床に倒れている。
「ヴァン…ッ」
慌てて駆け寄った時、彼はすでに虫の息で、命の火はまもなく消えようとしていた。
「ヴァン! 撃たれたのか?! しっかりしろ!」
アランの声に、彼がかすかに目を開いた。
「…あぁ、残念。もう男に戻ってしまったのか…」
その手が力なく伸びてきて、アランの頬に触れる。
「…あの美しい顔をもう一度見たかったのに…オレは本当に運がないな」
「バカを言うな。お前は不死身だろう? 自分でそう言ったんじゃないか! ここで死んではだめだ! ヴァン!」
何度も何度も、名前を呼ぶ──
だが彼はもう二度と目を開くことはなく、アランの顔に触れた手がゆっくりと力尽きていくのを茫然と見守るしかできなかった。
「アラン! 行きましょう、早くここから逃げないと!」
駆け付けたトランスフィールドが、乱暴にアランを立ち上がらせる。
「いやだ、いやだ、…ヴァン…」
「アラン、早く! ぐずぐずしていては追っ手が来ます!」
「いやだ、待って、ヴァンが!」
「今はムリです。どうか諦めてください」
「──ヴァン!」
非情なトランスフィールドが、アランを引きずりながら王宮を出ていこうとする。
月明かりのない深夜。
取り乱したアランの悲鳴だけが、むなしく空に響き渡った──
書き足りてない上に推敲不足ですが(汗)
体調不良で動けないので、このまま更新続行中。
m(__)m




