第四章「《落暉(らっき)②》
明け方近く。
フェルディナンが士官学校に戻ると、門扉の前で王子が待ち構えていた。
「あぁ、」
というため息とともに、彼の体内から力が抜けていく。
ずかずかと近づいてきたヴァンを見て、フェルディナンはしぶしぶというように運転席の窓を開けた。
すぐさまヴァンが窓から覗き込んでくる。
「お前、どこに行っていた?!」
「ドライブですが、何か」
「間の抜けた言い訳だな。アランはどうした、見つかったのか」
「報告する義務があるのですか」
無意識に、返答が辛辣になる。
こいつには関わりたくないのに、アランのせいでますます親交が深くなっている気がする。
「当然だろう。オレはアランの友人だからな」
ヴァンのセリフにますます不愉快になり、無意識に舌打ちした。
「…どの口がそんなことを言うのだか。アランがアランでなくても、そんなことが言えるのですか」
「アレクシア・クリスタ公女のことを言っているのか?」
「…ずいぶんとご執心なのですね。とっくの大昔に死んでしまった姫なのに」
「オレにとっては違う! お前にとってもそうだろう?」
「怒鳴らないでくださいよ」
「じゃあ、早く車から出ろ。こんなところで話せない」
耳元で張り上げられる大声にうんざりし、車を脇に停めたフェルディナンは仕方なく運転席から降りて、士官学校の塀に寄りかかった。
「オレはあなたを恨むよ、王太子殿下。あなたに会ってしまったせいで、アランはずいぶんと変わってしまった」
「それはオレも同じだ。アランに会って、世界のすべてがひっくり返った。今まで信じていたものがすべて覆されたのだ」
「…」
「オレはとても腹立たしいよ、プルーデンス。無駄にこの12年を過ごした気がしてならない。…アランといつも一緒にいるお前が本当にうらやましい。…公女と共にいるのはオレであると子供の頃から信じていたのに。今は差し伸べた手すら払われる」
「それは、あんたがバフィトの王太子だからだ。ダリールの陸軍元帥の息子だった頃とは立場が違う」
「なぁ、フェル」
「オレをなれなれしく呼ぶな。下士官風情が」
そのセリフは、かつてのプルーデンスを彷彿とさせる。
よくそうやって、馬鹿にされたものだった。
今はそれすらも懐かしい。
ヴァンはフェルディナンと並ぶように、塀に寄り掛かった。
「いい加減、腹の探り合いはやめないか。アランを思う気持ちは、お前と寸分違わぬ自信がある。オレはそんなに信用できないか」
「…はぁ。分かりましたよ」
やれやれ、とばかりに小さく頷いた。
「しかし、あなたを信用するにはリスクが伴います。こちらの提示する条件を飲んでくださるのなら考えます」
「条件だと?」
「心の底からアランを案じているのなら、どうしても、あなたの協力が必要だ」
「いいとも! なんでも言ってくれ」
「バフィト国王の暗殺に手を貸していただきたい」
「!」
衝撃的な提案だった。
放たれた言葉の裏にあるものを測り兼ねて、ヴァンはしばらくの間、頭の中が真っ白になった。
■□■□
──アレクシアは疲れ切っていた。
だが、国境の森にはファミリアが宿るといわれる露桟敷の木がたくさん生えていて。
その息吹が、体内のすべてを癒してくれる。
まだフアミリアの生気は欠片も感じられないが、いずれは花が咲き、その実が熟すことがあれば、この場所は優しい癒しの光があふれるのだろう。
それを想像するだけで、楽しかった。
久しぶりに再会したフェルディナンの妹シェノアは、見違えるほど大人っぽくなっていた。
シェノアはとても愛らしく、薬草に詳しい。
それに薬だけでなく、薬膳の調味料についても教えてくれるので、ヒマをもてあましたアレクシアにしてみたら、絶好の教師に思えた。
その父親であるルノー元・公爵もかくしゃくとして、相変わらず元気そうだ。
昔懐かしい人との交流はほっとするだけでなく、穏やかな時間を過ごすことにも大きな意義をなしていた。
「公女さま」
庭先でフェルの父ルノー公爵にそう呼ばれて、アランは苦笑した。
「その呼び方はやめようよ。…アランでいいよ。ランティス・ルノー侯爵」
「では、私のこともマリオと」
そう言った彼が、静かにライフル銃を胸元にかざした。
「私は今から銃庫の整理をしてまいります。なにかありましたら離れの方においでください」
「私も行こう、手伝うよ」
「しかし」
「遠慮するな、武器の扱いには慣れている。君のご子息にずいぶんと鍛えられたからね」
「はは。プルーデンスには内緒にしておきましょう、調子に乗りますからな」
「ふふ、」
アランは笑いながら、長い金髪をくくり、後ろにまとめた。
銃庫は、山小屋から少し離れた場所にあった。
四方を木々に囲まれていて端から見ただけでは、そこに建物があることすら気づかれない。
「この家には、武器がたくさんそろっているな。以前よりさらに増えた気がする」
「趣味と実益を兼ねておりますからな」
と、マリオが笑った。
元・時計職人の彼は、アランの叔父にあたる男だ。
アランの叔母と結婚してからは外交を担当し、諸外国との交渉や植民地、同盟国などと親交が深いと聞いた。
もっとも国が廃れた今では、昔取った杵柄とばかりに精密機器に手を出し、アランの義手足のような優れた品を次々と開発しているのだが…。
「国交は信頼でございます」
と、マリオは低い声を吐いた。
「他国の外大臣との謁見の際、懐に剣を隠し持っていては話にならない。バカみたいに内情をさらけ出すのも問題ですが、まずは他意や敵意がないことを示すのが、情勢安定化の一番の近道なのでございますよ」
「…覚えておこう」
アランは大きく頷いた。
「あなたは本当に聡い。小さい頃のまま、変わりませんな」
「そうでもないけどね。最近はいろいろ悩みも多いよ」
「良い傾向でございます。復讐もいいですが、それだけでは人生は味気ないですから」
「…」
決して、復讐はやめろとは言わない。
かと言って、激励するわけでもない。
この男は、ただ淡々と、アランやフェルディナンのやることを見守ってくれている。
父親のような存在に思えた。
「興味のある武器は見つかりましたか」
マリオに問われ、はっと我に返った。
「お気に召したものがあれば、なんなりとお持ちください。私はあなたが求めるものに協力を惜しみませんぞ」
そういえば、風配師トランスフィールドも似たようなことを言っていたな。
人は何に希望を見出し、なにを糧に生きるのか、よく分からなくなってきた。
「ルノー叔父」
「なんでございましょう」
「今さらだが、私は何者だろうか。生きる目標を見いだせなくなってきた」
「というと?」
「復讐は正しいことだろうか。…フェルには言えなかったが、この12年間、私は数々のバフィトの恩恵を受けてきた。不本意ながらバフィトの民として生き、その技術力に私は生かされている。そんな国の王を大敵とみなして屠ることに迷いすら生じる私は、バカだろうか」
国民の中には、風配師のように公国の復活を願う人々も、少なからずいるのだろう。
もしそうなったら、
今度ははバフィトの国民として生まれた人々が苦しい思いをするのではないか、という疑問も生じる。
そのことが、余計にアランを苦しくさせる。
アランは、近くの椅子に座ると、自分の両手と両足を見つめた。
見まごうことなく、今はアレクシア・クリスタの姿だ。
そんな自分が、とても不思議に思えてくる。
腰の辺りまで伸びる長い金髪。
ひょろりとした手足。
本来それが当たり前なのに、今の自分はなんと頼りなく、力のない個体なのかと絶句する。
「私がこんなことだから、ファミリアは私に味方してくれないのかもしれないな」
「周りの環境に振り回されすぎて、あなたの中の力が尽きただけです」
「…そうかな」
「今は頭も体も、休める時期なのです。ゆっくり休養すれば、またファミリアの力がたぎって《アランの姿》に戻れるはずです」
マリオの励ましに、ようやく少しだけ元気を取り戻した。
にこりと笑顔になり、優しい叔父を見上げた。
「じゃあ、それまでにもっと鍛えておかなければな。フェルに馬鹿にされてしまう」
「不敬千万ですな。今度息子に会ったら私から説いておきましょう」
「ふふ。フェルはよく尽してくれている。私は、彼がいなかったら生きていけないよ」
「光栄ですな。しかし、それは少し大げさすぎますな」
とマリオは嬉しそうに目を細めた。
フェルは今頃、どうしているだろう。
風配師について調べると言っていたが、そんなことができるのだろうか。
ルフトも、トランスフィールドも、悪人とはいわないが、うまく丸め込まれないとも限らない。
「フェルディナンの正体が、プルーデンス・ユー・ルノーだと、風配師に知られないほうが良いかもしれないな。私の従兄だと知られたら、面倒なことになりそうだ」
その時。
マリオが、神妙な面持ちで口を開いた。
「…アレクシア。ひとつ伝えておきたいことがあるが、よろしいか」
珍しく緊張した雰囲気に、アランは何事かと息を呑んだ。




