戯れ時
灰谷爽冶さん、十洲海良さんとともに「R15」「指ナメ」「中華(台湾込み)料理」「文字数2000字前後」「食べ物が登場するエロティシズム溢れるR15短編を書け」というお題の元、短編をお送りする次第であります。
※色々とお行儀が悪いです。
『芙蓉蟹を食べにおいで』
男友達から突如やってきたメールは、いつものようにタイトルなしで一文だけが表示されていた。
芙蓉蟹って? そう返信しても、『まあ、来てみれば分かるよ』と煙に巻かれるばかり。
駅に着いたらメールして、と云われたとおりに到着を知らせた後一〇分ほど歩き、辿り着いた部屋のベルを鳴らす。『はい』とインターホン越しに聞こえる声は、少しざらざらしていて他人のようだと思う。
ドアが開く。その途端溢れてきた匂いで、もう分かってしまった。
「かに玉?」
「正解」
どうぞ、と招き入れられてうす暗い廊下を抜ける。キッチンには、噂の芙蓉蟹のお皿が二つ並んでいた。
「今、運ぶから」と云われたもののテーブルに出されるまでが待てなくて、作業台の前でお行儀悪く立ったまま、スプーンひと匙分の芙蓉蟹を戴く事にした。苦笑している人の存在は無視だ。
掬ったそれは、まだほんのりと湯気を纏っている。駅に着いたらメールするよう請われたのは、作りたてを食べさせてくれる為だったと今更理解した。
「いただきます」
程好く半熟の卵。薄く切られた筍のこりこりとした食感。缶詰でもかにかまでもなく、ぜいたくに蟹のほぐし身をふんだんに使ってある。その赤と、薄切りのネギの緑と椎茸の茶色のコントラストが綺麗。火をさっと通したネギの辛みが、ぼんやりしそうな優しい味を引き締めている。
――欲張って大きく掬いすぎた。咀嚼し飲み下したものの、芙蓉蟹に掛かっていたあんが、口の端から僅かに零れる。
舌で舐め取るより、あなたの指が拭う方が先だった。そのまま、ツッと唇の上を滑る。
拭われたはずのものが、グロスのように塗り込められた。自分で口紅を引くより少し強めの力に、柔らかい唇は簡単に形を変える。
どうして、と云う為に開けた口は、空気を震わせる前に指の侵攻を許してしまう。
歯の表面に触れる指先は、僅かに開いていた隙間からその奥へと忍び込んできた。
口の中を、あなたの指が犯している。その事に気づきようやく逃げ惑う舌と、それを追いかける指。顔を横に振っても、指は執拗に舌を愛撫した。
口の中を好き勝手に蹂躙する異物のもたらす刺激に、今度は唾液が口から溢れる。
あなたの顔が近付いた、と思ったら、その粗相を舐め取られた。
そうしておいて不意に離れ、「食おうか」と何事もなかったかのように、あなたは芙蓉蟹の皿を二人分運ぶ。
私もまだ頭が回らぬまま「うん」と答え、奇妙な雰囲気を纏ったまま食事が始まった。
今度はあまり欲張らないようにひと匙を掬う。
食べ終わって改めて何かが起こるでもなく、適切な距離は保たれたまま、日を決めずに次回の約束を緩く結んだ。
以来、月に二度か三度、その部屋へ手料理で誘い込まれた。自分からそれをした事はない。食べる事は好きだけど、作る方は不得手なので。
訪れるたび、性的な匂いのするその行為を施された。
あなたの指が下唇をめくるように撫で下ろす。敏感な上顎をくすぐる。
いいように都合よく扱われて泣き寝入りしていた訳じゃない。差し込まれた指に戸惑ったのは最初だけ。与えられるばかりでなく、私もそれを何かの代替え品のように舐め、口をすぼめて吸いつつ扱き上げもする。
でも、好きだと言い切るには行為が行為だけに些かの抵抗がある。些か、ね。
始めから体が目当てで下半身を同意なく貪られていたら、さすがに二度とここへ通ってはいなかった。二人とも半端な行為でとどまっているからこそ、だらだらと続いているのかも。
あなたは本来穏やかで、優しい。そんな人がこんな事をしているというのは、いっそう背徳的で、たまらなく気持ちいい。
もはやただの友人ではすまされそうにもないこの関係を何と呼ぼうか。まだ、なにものにもしたくないようにも思える。名を付けて、縋りたいような気もする。でもきっかけを考えると、巻き込まれた態の自分が縋るのはどうにも癪に思えている。
そもそも、何故あれは始まった?
分岐点は恐らく芙蓉蟹。誘われた時点からなのか、指で拭かれた時からなのかは聞いた事がないので分からない。こちらから聞く義理もない。
またお誘いのメールが来た。
『愛玉子が、上手に作れたよ』
――デザートにまで手を出すなんて凝り性な人だ。
新しい誘惑は、女の肉の柔らかさを思わせるゼリー。つるつる滑ってうまく掬えないから万事器用なあなたが食べさせてとおねだりしてみよう。給餌された愛玉子を艶やかな唇でゆっくりと吸いこんだら、何かが変わるかもしれない。
言葉を差し出さず、未だ最後までは手を出さない男。だから私からも何も云わず、かわりにあなたが先に踏み込むようないくつかの仕掛けを施して迎え撃つ。
私がおいしそうに見えるワンピース。ケアを欠かさない唇と体と髪。今のところ効果は見られないけれど、それでもあなたの中に何も化学反応が起きていないだなんて、私の唇を舐めて離れる時に漏らす息の熱さからは到底考えられない。
装った私を前にせいぜい焦れるといい。もしその先を望むのならば言葉が必要なのだから。それを口にする覚悟は、そろそろ出来た?
さて、トパーズ色したゼリーに映える、殿方の劣情を煽り立てる口紅はどれだろう。
ずらりと並べた口紅の中からとっておきの一本を手に取り、私は鏡の前で微笑んだ。