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素敵なダンディさん

 最近、俺は虫の居所の悪いことが多い。

「煮干し食べてカルシウム摂りなよー」と彼女は笑うけど、そんなんじゃない。大体、週に二、三回はしっかり煮干しで出汁を引いた味噌汁を含む夕飯と朝食を、彼女自身が作ってくれているし牛乳だって飲んでいるんだから、問題はカルシウム不足によるイライラじゃない。


 週ナカ一日、週末二日。ぴんぽん、と控えめにチャイムを鳴らす彼女が俺のアパートにやってくれば、それだけで俺は幸せな気持ちになる。

 なのにそれを台無しにするように、カワイイ彼女の口から飛び出してくるのは。


「今日もダンディさんに助けられちゃったー」


「ダンディさんたら大活躍だったの!」


「あのね、ダンディさんてね、ドイツっぽい雰囲気なのに日本生まれなんだってー! びっくり!」

 って、聞いてるこっちがびっくりだよ。何が悲しくて他のオトコへの賛辞なんか聞かにゃならんのだ。


 その名前を聞くようになったのは、ふた月前。確か、彼女の会社の春の人事異動の後、だ。なんでも、彼女が総務に入るずっと前から長く務めていた人が会社を辞めることになって、その穴を埋める形で『ダンディさん』が入ったらしい。

『あちこち故障しちゃってリタイアすることになって、その代わりにって来たのがダンディさんなんだー』

 興奮気味に語る彼女。普段、会社の話と云ったら『会社の敷地に住んでる猫が、昼休みに外でキャッチボールしてた人のボールを追いかけててかわいかった』だの、『印刷機がとうとう駄目になったっぽい』とか、色気や男とは無縁の話題ばかりだったのに、最近はダンディさん一辺倒だと云って過言ではない。


 ダンディさん、って云うくらいなんだから、いい歳なんだよな、きっと。俺と同じ二〇代の彼女じゃ下手するとダブルスコア以上じゃないのか、年の差。

 話を聞いていると、すごくどっしり構えていて、頼りになる存在だ。そして、何と云っても『ダンディ』なんだから、スーツやネクタイがさりげなくおしゃれで、ルックスもいいのだろう。彼女の勤める、中堅の貿易会社には今一つそぐわない風だけど。それにしても。


 ――くそ面白くない。

 俺以外の男の話をするのが。

 今の俺じゃ太刀打ちできない男の存在が。

 でもだからと云って、楽しそうな彼女の話を遮るのも心の狭い男のような気がして、ただ黙って聞くしかなかった。


 俺が不機嫌な顔してビールを煽っていても、彼女は『この話題は止めよう』なんて思ってもくれない。

「ほら、また苛々してる! ご飯出来るまでこれ食べて待ってて、はい」と渡されたのは、何かの魚の骨の素揚げだ。揚げたてのそれをポリ、と齧る。からっと揚げられていてビールのつまみにちょうどいい。

「揚げたてがおいしいから、急いで食べてね」と笑いながら、夕食の支度をする彼女の後ろ姿。

 忙しそうに立ち働いてくれているから邪魔しちゃいけないって分かってる。でも。

 ご飯支度をする時と食べる時だけきゅっと高く髪を結うことで露わになる項にどうしてもキスをしたくなって、のこのこと近づいていった。俺がすぐ近くに来たって分かっても、君は笑ったまま俺を止めなかったから、その腰にそっと腕を巻きつける。

「こらー、包丁持ってるんだぞー」と云いながらも、彼女は無理に俺を剥がそうとしない。それをいいことに、俺はキスを落としまくる。項に。首筋に。

 換気扇の音と、ぐつらぐつらと湯が沸騰する音。彼女の、何かを堪えた息と、吸い付いた俺の唇に吸い付くようなその白い肌。

「……ご飯、遅くなっちゃうよ……」

 そう云いながら包丁はもう手から離れて、まな板の上に置かれている。向こうを向いたままの彼女の手は、シンクの縁をぎゅっと掴んでいた。

「いいよ」

 ガス台の火を止めながら一言だけ告げて、彼女をぐるりとこちらに向けガス台から遠ざけてから、存分にキスをした。嫌がらずに応えてくれる舌と、わななく身体。

 なのに、何で他の男なんか褒めてんだよ。俺だけ見ていてくれよ。

 ――居間の方へと手を引いて連れて行き、いつもより執拗に味わった。


 さすがに夕飯前にとことんがっつくわけにもいかんだろうと、そこそこで撤退した。そこそこがどこまでかは各自で察して欲しい。

「……なんで、こんな」

 俺が外したボタンを、一つ二つと嵌めていく指。花びらのような跡を身体のあちこちに散らすのを止めないでいたくせに、今更赤い顔して睨んだって効果ない、と思いつつ、俺はジーンズの下を宥めるようにちゃぶ台の上の煙草に手を伸ばしかけ、行きがけに例の素揚げをひょいとつまんだ。

「なんでって自業自得じゃねえの」

「意味わかんないよ……」

「ん、これ冷めてもうまいな」

「ごまかさないでよー!」

 ほら、と怒った彼女の口にその素揚げを放り込む。二人して、ぼりぼりと音を立ててしばしの無言。

「……ほんとだおいしい」

 そう云って、俺の指についていた塩を舐め取った。せっかく人がリビドーから距離を置こうと思ってんのに何しやがる。

「この魔性め」と、彼女の頭をこつんとしてから立ち上がり、煙草と灰皿を道連れに換気扇の下へと行く。

 思いきり作りかけで時が止まっているご飯支度を眺めればさっきまでしていたことが鮮やかに蘇る。換気扇のスイッチを押しつつ思い出し笑いしていると、「魔性じゃないもんー!」と異議を唱えられた。

「魔性の女は皆そう云うよ」

 何気なくそう口にして、煙草を咥えて振り向くと。

 突然、彼女がボロボロと泣き出した。

「どうした!?」

 火をつける直前だった煙草を慌てて放り、彼女の前で膝をつく。

「『皆そう云う』とか、云われるような状況をどんだけ経験してんのよー」

「どんだけって」

 そう問い質されたから、近い方から遡るように指を使って数えれば数えたで、「バカー!」と怒る彼女。

「んな事云われたって過去は変えらんねーし」

「その開き直りがむかつく!」

 ひっくひっくと泣きじゃくる彼女にティッシュとゴミ箱を渡せばさっそく二つとも役に立った。

「ほら、骨の素揚げでも食って、カルシウム摂れって」

「いらない!」

 そっぽむくから、背中から包み込むように抱いた。

「いらないとか云うな、俺の大事な彼女がこさえてくれたんだぞ?」

「そんなの信じらんないよ! 女の人だらけだもん、あなたの周り中」

「今はいないって」

「嘘だー!」

 頑なに信じようとしないから、こっちからも反撃した。

「じゃあ俺からも云うけどさ、何なんだよダンディさんダンディさんって」

「へ」

「『ぶれないところが好き!』だの、『ダンディさんは総務のものなのに、最近よその部署にひっぱりだこなんだよ』とか、散々聞かされてんじゃん、俺」

 この際だからはっきりさせてもらおうじゃないか。

「大体なあ、お前には俺がいるだろう? よそ見なんかしてんじゃねーよ」

 びしっと、云ってやった。えらいぞ俺。

 云い切った勢いのまま、ビールを煽ってまた骨の素揚げを食う。

 ぼりぼりと、頭蓋に衝撃を感じつつ噛み砕いて飲み込めば、さっき泣いていた彼女の涙は止まっていて、今はまた顔を赤くしていた。頬を両手で押さえているけれど、赤いのが隠し切れてない。

「……ちがうよ」

「何が」

 彼女にされたように、手についた塩を舐め取りながらちらりと覗くと、彼女はひゃあと両手で顔全体を覆った。そのまま、「……ダンディさん、」とだけ呟いた。

「ん?」

 意図が分からず、先を話すよう促せば、ようやく手から顔を上げた彼女と目が合う。その目も首も、頬と同じく赤い。

「……人じゃないの」

「はあ?」

「ダンディさん、台車なの」

 俺が、ちゃぶ台に突っ伏してしまったことは、云うまでもない。


「――紛らわしいんだよっ」

「えへへ、ごめん」

 俺はまた顰め面したまま骨の素揚げを頬張る。でももう、変な焦燥感はなくって、これはただのポーズだ。

 俺の壮大な勘違いと、図らずも露見してしまった彼女への気持ちと、独占欲。

 自分が恥ずかしすぎて普通の顔なんかでいられない。また、それを喜んだ彼女がにこにこしていて居たたまれない。

 おもわず、俺の横でうふうふと溶けかかっている彼女に八つ当たりした。

「大体、何でそんな名前付いてんだよ台車のくせに」

 彼女はぷーっと膨れて見せた。

「だって商品名がダンディ(それ)なんだもん」

「ぶれないところが好きとかさ、普通に人を褒めてると思うじゃん」

「だってほんとに車輪がぐるぐるしないんだもん」

 そっちかよ。

「でも、妬いてくれたんだよね、うれしいな」

 そう云って、俺の胡坐にぴとっと頭を寄せて寝転がってきた。柔らかい髪を梳けば、気持ちよさそうに相好を崩す。冷えてもうまい素揚げをぼりぼりつまみ、ビールを飲みながら彼女を猫みたいに撫でているうちに、ふとある事を思い出した。

「そういや、前にオルマン君がどうのこうの云ってたけど、もしかしてあれもか」

「そうだよー。オルマン君は紙を折ってくれる機械なの」

 彼女の会社は外資でない割に外国人がちらほらいるらしいので、オルマン君(これ)も男だと思っていい気はしていなかった。――確か、『オルマン君は早く正確に三つ折りしてくれてえらいんだー』だった。一言一句違えず覚えている自分がこうなってくるとなんだか滑稽だなオイ。

「……それでいくと『明るくっておしゃべりなラジさん』はラジオだったりするわけか?」

「んーん、ラジさんは普通にラジさん」

「何だよ普通って」

「普通にインド人のおじさんだよー」

「分かるかそんなの!」

 俺の膝から座布団に彼女の頭を下ろして、そのまま肘を付いて囲い込んで、上から噛みつくみたいにキスした。暢気な彼女はキャーって笑って、覆いかぶさる俺の背中に両手を回した。

「何か今日、かわいい」

 そう云って、珍しく彼女の方からキスを返してくる。唇をとがらせて。

 しかし色気もテクニックもありゃしないそれは、むちゅーっと俺の唇にタコの如く吸い付いているだけだ。

「いい加減、キスくらい覚えろ」

 俺の言葉を受けてムッとした彼女の目を片手で塞いで、やり方を覚えさせるみたいに何度も繰り返した。

 啄んで、舌でなぞって。何度も何度も繰り返せば、はぁっ、と息のような溜息のような、色のついた何かがようやく彼女の唇からうまれる。

「なんで目、かくすの、っ」

「視覚が遮られてる分、他の感覚が鋭くなるから。――気持ちよくなった?」

「! おしえないっ」

 目を塞いでいる手の下で、ふいと横を向く。その言葉と態度でよーく伝わってきた。

 明け透けで、黙ってたって素直な彼女。ひねくれ者の自分には到底真似できない、その気持ちの伝え方。

 怖くはないのか、さらけ出すことは。拒否されることは。

 そんな風に思う気持ちが先頭に立っていて、今日のように喧嘩でもしない限り俺はなかなか彼女への気持ちを話さない。

 触り方で伝わればいいのに。優しくしたい、でも激しい思いもある、そんな心の内情を。


 キスですっかりおとなしくなったと思っていた彼女が、目を覆われたまま小さな声で云う。

「……好きだからね」

「知ってる」

 ほら、嬉しいくせに俺はまた、すぐに変化球で返してしまう。でも彼女の口はごきげんな時の形だ。

「疑わないでね」

「……じゃあ、疑わせるな」

「うん、気を付けるー」

 笑いながら自分の目を覆っていた俺の手を持ち上げて、彼女はよっこいしょと上半身を起こした。

「ご飯、作る。もう少しだけ待ってて」

「でももうないぜ、素揚げ」

 つなぎにと渡されていた皿の中はすっかり空だ。

「あららー」

「……だから、これもらうわ」

 そう云って、ぺたんと座り込んだ彼女の頭を引き寄せ、もう一度深く唇を貪った。


 結局、リビドーの抑え込みに失敗した俺がどこまでがっついてしまったかは、各自で察して欲しい。

 でもまあ、ついさっきお残しした分まですっかり綺麗に戴いたことは確かだ。

 すっかり遅くなった晩飯を、この日ばかりはむすっと怒った顔して食べる彼女と、余裕を取り戻して食べる俺。

 ダンディさんもオルマン君もラジさんも、まとめてかかってこい。彼女に愛されてるって分かった今の俺は、無敵だ。どんな奴にだって彼女を渡したりしない。

 明日になったらまた猜疑心でいっぱいの、顰め面したつまらない彼氏に元通りかもしれないけど、そうしたらまたタコみたいな色気のないキスをしてもらおうじゃないか。

 そうしたら俺は、『キスくらい覚えろ』って呆れたふりして、何度も好きなだけ彼女の唇を貪るんだ。


ダンディさんちょっとだけ登場→ :https://ncode.syosetu.com/n0063cq/46/

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