天国ゼリー
ただ必死に作っていたら、こんなに年月が経ってしまった、それだけで偉いことなんかひとつもしとらんのですよ。
理想の味がありましてね、それに近づけたい一心です。なかなかうまくいかないけれども。
店を増やしたいだとか、もうけたいより、まずは美味しいゼリーをこさえたい。
ふるふると心地よい弾力で、口の中に入れるとひやっとして、甘酸っぱくて、いろんな果実の味がする、
わたしはあれをもういちど食べてみたいのです。
もう五〇年も前になるのかな。恥ずかしながらわたしは当時とんでもない放蕩息子でして、親や付き合っていた女から金をせびっちゃあ酒や馬券にかえておったんですよ。定職にも就かんと、日がなバイクにまたがって、乱暴に乗り回すのが好きでしたね。
そんな生活をしてたら早死にしてしまうと色んな人に諭されましたけれども、自分だけはそうはならんと勝手に勘違いをしていました。思い込みっていうのはおそろしいもんですわ。
たまたまバイクを人に貸していたある日、暇を持て余してめずらしく散歩に出てみたら、人のことは言えないがひどい運転の車が信号無視で横断歩道に突っ込んできて、青信号を渡っていた自分は紙切れより簡単に飛んだんです。
ぽーんて、放物線を描くように、身体が飛ぶのが分かりました。空が視界いっぱいに映って見えて、ああきれいだな、と思った次の瞬間、もうその空の上でしたよ。
死んだら間違いなく自分は即座に地獄行きだろうと、いっちょ前にそんな覚悟をしとったんですがね、端っこが見えないくらいズラ――……っと長いテーブルの前に、気がついたら腰掛けていたんですわ。
自分一人ではなく、ほかにもぽつぽつ座ってましたね。皆さん一様に『なんで自分はここに』ととまどった顔をしとりましたが、誰一人として大声を出したり、暴れたりするような輩はおらんかったです。しーんと静かだったからかな。
目の前のテーブルには、汚れなんか一切見当たらない、おろしたてのようにぱりっとしたクロスがかかっとりました。ありゃあ何メートルあったんだろう……。
その上にね、奇術みたいにゼリーが出されました。音もなくパッ! と現れて、驚きましたよ。給仕の人間なんてどこにいてどこに消えたのやら。
懐かしい、脚付きの、全体がすこぉし緑がかったガラスのうつわに、ゼリーはのっていました。
燃える夏の夕焼けのような、紅潮した少女の頬のような、もぎたての桃のような、みずみずしい苺のような……。
わたしがそれまでに見た、美しい色をすべて差しだしたって、あんな色にはなりやしません。ですから、何を、とははっきり形容できないんですわ。
容器の脚んところをそーっと引き寄せると、くすぐったそうにゼリーはふるふると揺れてみせました。そのたびに、クロスの上に光のかけらをばらまいてね。
ひいやりとしたスプーンで崩すのがためらわれるくらい、完璧なかたちだった。怖じ気づいていたら、じれたようにふるっと、またゼリーが身をよじらせて、きらきらと輝いたように見えました。
ままよ、と土にシャベルを突き立てるようにざっくりとスプーンを刺して、それを口まで運んだら。
五感のすべて、わたしの中の細胞ぜんぶで、体が喜んだのが分かりました。
荒れた生活の中でも、うまいものくらい食ったことはあったんです。でも、それとは全然違う。
じっくり味わいたい気持ちと、はやく次の一口を食べたい気持ちが自分の中でせめぎあっとりました。やけに幸せな気持ちも、うっとりと夢見るような満足感も、これが夢でも人生最後の食事だ、という切なさも、その小さな甘みのなかにゼラチンで固められて、つまっとったんですな。
いいものを食べた、と思いました。
それまで自分の中に巣食っとった病巣みたいな荒涼たる気質が、気がつけばスーッと消えててね。
こんな風に死ねるなんて感謝しかないと。
そう思っていたら、今度はまた地上に逆戻りですわ。
目が覚めるやいなや、身体中ひどく痛むし、母親にはさめざめと泣かれて、父親にはこっぴどく叱られて。でも、あのゼリーのおかげですかね。初めて素直に「すみませんでした」って言えましたよ。
それを聞いて母はもっと泣くし、父には「おまえ、頭の打ちどころが悪かったのか」と真顔で聞かれましたがね。
一回死の淵を見てきた人間ってのは、なんだかやたらと諦念していると思いませんか?
自分も、一、二年はそうでした。こんな風にバカをやっていてもまじめでも、突然人生は終わるんだという気持ちが、いつもどこかにありましたね。
特にわたしはまた天国であれが食べられると思えば、死というものもそう怖く感じられなかったものです。生を労うように滋味深いゼリーまで口にしたのだから、こちらの気持ちお構いなしに、またあの場所まで引き戻されるかもしれないという覚悟もありました。
でもね、お迎えが来なかった。さあ困った。こうなると、生きるしかない。
大事故だったんで、療養に時間はかかりました。ですが、幸い重い後遺症も残らなかったし考える時間はたくさんありましたから、いざ自分を養うとなった時になにで生計を立てるか、もうはっきりと決まっていました。
パーラーの裏方。つまり、今の職です。
いやあ、ただ単に、寝ても覚めてもあのゼリーのことが忘れられなかったんですよ。
ならば、もう作ってしまえと。死んでもう一度食べる時が答え合わせだと。
手先が特段器用なわけでも、舌が肥えてたわけでもないから、まあ初めのうちは苦労しましたね。
でも若気の至りで入れてしまった彫り物が、ひどい後輩イビリからわたしを遠ざけてくれました。
入れていたのは上腕部で、見せびらかすようなバカをした覚えもないしコックコートに隠れていたはずでしたが、どこからかそれがバレてしまいましてね。まあ、ポカすれば相応に頭を叩かれはしましたけれど、そんな程度のものでしたよ。理不尽な目にはそうあわなかったんじゃないかな。
その店で五年間修業をして、この店を開きました。
さすがにゼリーだけでは食っていけないので、こうして普通に喫茶店を営んではおりますが、やはり自分の中の一番のとくべつはゼリーですね。
でもここだけの話、満足の出来だったためしはございません。
とても美味しく仕上がっとるとは思いますよ。そこは折り紙付きで保証いたします。けれど、「あの味か」と問われればNOですな。
ですから、今もまだ閉店後に一人でああでもない、こうでもないと試行錯誤しとります。若い社員には『社長が率先して残業していると、部下に示しがつきませんから』と渋い顔をされますがね。
最近、分かったんですよ。どうして自分があれを食べた後、こちらに戻されたか。
ありゃ、あのゼリーの新たな作り手が欲しかったんですな。
いくら天国でも、いつまでもひとところに人間をとどめておくことはむつかしいんでしょう。
だからわたしはね、これ! という味が作れたら、きっと天国に行きますよ。
そして、生を全うした人にゼリーをふるまいます。
あなたが今召し上がっているのと同じ味か、はたまたもっとおいしくなっているか。
それを確かめるのを楽しみに、数十年後天国へいらしてください。