#雪白静積という字を使わずに雪が降る情景を描写してみる
庭でしていたスキーの練習をふと止めて、灰色の空を見上げる。
人も車も、こんな日のこんな午後にはなかなか見かけない。
夕方四時に鳴るサイレンも、この降下物に吸い込まれたのではないかと思うほどに寂しい音だ。
ずっと見上げていると首が痛くなる。目もチカチカする。
それでも、気がつけば一つ一つになって降りて来るそれの、どこまでが全体でどこからが個体なのかをどうしても見極めたくて、意地になって見続ける。
見続けた。
そして、いつの間にか「境目を見極めること」よりも「ふらふらと揺れながら高度を下げてくるうちの、たった一つを観察すること」に目的がスライドしていた。ずっとずっと高いところから目星をつけておいて、片時も目をそらさないでいないと、あっという間にどこにいるかわからなくなってしまう。ちゃんと見ていた筈なのに、地面につく瞬間を見届けることはとうとう出来ず仕舞いだった。
叔父が広い庭の片隅に作ってくれた小山に登り、毎日ひとりでスキーの練習をしてはみたものの、滑るよりも空を見上げている時間の方が長かったから、上達は多分していない。
こちらでは日常の、そしてどちらかというとウンザリされる天候も、自分の地元ではひと冬で二、三度お目にかかれるかどうかのちょっとしたお楽しみだ。帰ったら自慢話になるだろうか。
毛糸の帽子からでている耳たぶがじんじんしてきたので、もう中に入ることにした。
明日の今頃は父母の待つ家についているかと思うと、もっと見ていたい気持ちになる。けれど、寒さの耐性を持ち合わせていないのでこれ以上はムリだと早々に諦めた。
長靴を脱いで框を上がり、ストーブの上に吊ってあるハンガーに濡れて重くなった厚手の靴下を干す。
乾いている靴下を履いてからコタツにもぐると、大して動いていないのにすぐにまぶたが重くなった。
夢の中で、さっきの続きを見ている。